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繋ぐ歌

 依入は落下の最中に何が起きたのかは覚えていなかった。

 気がついたら、体中、特におなかのあたりが痛い。目もよく見えなかった。快里君を必死に抱きしめてとにかく浅瀬へと泳ぎ、転びそうになりながら岸に上がると、快里君を安全そうな所に横にした。脈がある。呼吸もしているようだ。快里君は、おそらく大丈夫だろう。

 依入は、そのまま手探りで地形を触って座りやすい所を見つけた。

 おなかが熱い感じがする。触ってみるとぬるぬるとしている。あまり痛くはないのだが、結構な量の血が出ているようだ。

 これは枝?

 固い何かが自分のおなかに刺さっているのがわかった。抜こうとしても力が入らない。

 私、死んじゃうのかな……

 依入はそんなことを考えながら、母のことを考えていた。

 結局、私のことを思い出してくれなかった母。最後ぐらいわかってくれてもいいのに。朝のことを思い出していたのだ。

 子供の時のことを思い出していた。小さな花を摘んで怒られたこと。木登りをして滑り落ちて買ったばかりの服が破れちゃったこと。先生の話を聞かないで、果物ナイフを持っていってしまったこと。

 私って、手がかかった子供だったのかな。

 学校行事のピアノの発表会。結局ピアノは買って貰えなかったけど、小学校に残って練習したっけ。

 子供の時に歌って貰った、母が作った子守歌を思い出した。

 —ねんねんね。ねんねんね。かぁかととぉとはどこ行った?明かりが消えても夢見ても、あなたの隣についてるよ。—

 良い曲でもなんでもないし、変な曲なのに耳の中に優しく残る。


 快里は、懐かしい冷たさに浸っている夢を見ていた。普通なら身震いするような感覚。それに逆らわずに身を任せていると、体中の力がすっと抜けてきて楽になる。

 快里はなぜか零度近いその冷たさが引き起こす感覚が好きだった。自分をどこかに持っていってくれるような感覚。それでいて、抗うことができないほどの安心。覚えてないけれど、それは『母』のような。

 —ねんねんね。ねんねんね。かぁかととぉとはどこ行った?明かりが消えても夢見ても、あなたの隣についてるよ。—

 どこか聞き覚えがある歌声。

 コード進行も終止形も、およそ音楽の基礎も何もない。音の外れた不思議な歌。普通なら不快に思うだろうこの曲が、快里には妙な落ち着きをもたらせていた。

 そして母のような冷たさ。どことなく安心する。ふんわりとどこかに浮いて、そして自分が自然と同化するようなそんな気がする。



 このまま石になってしまえばいいのに。

 いつも思う。だけど誰かが必ず邪魔しようとして、僕を現実に引き戻そうとする。そう、きっと今回もそうだろう。

 —ねんねんね。ねんねんね。かぁかととぉとはどこ行った?明かりが消えても夢見ても、あなたの隣についてるよ。—

 また聞こえた。懐かしい歌声が。


 歌声?


 急に現実に引き戻されて目を開けた。ここはどこだろう。近くに水が落ちる音がする。そうだ、滝から落ちたんだ。

 快里は岸に上げられていた。

 誰かに助けられたんだろうか?

 ふと思惑する。

 快里は起きあがろうとした。

 痛ぅ。

 立ち上がろうとすると体中が痛い。体中を打撲したようだ。骨が折れている部分があるかもしれない。

「快里君?」

 依入先生の声が聞こえた。

「依入先生?」

「よかった。生きてたんだ」

「先生……」

 依入は体中が傷だらけになってぼろぼろになっていた。特に腹部のあたりの出血がひどい。

「先生。体?」

「打ち所が悪かったみたい」

 依入はあさっての方向を見て、話していた。

「先生、目が見えないの?」

「あ、わかっちゃった?目をぶつけたのかな」

「すぐに兄貴に助けを呼ばないと」

「お兄さんのことだから、たぶん、助けを呼んでくれてると思う。いまはこうしてじっと待ってたほうが良いと思うよ」

「そう……」

「なかなか起きてこないから、暇だったんだよ」

 少し不機嫌そうに依入が言う。

「先生、黙ってた方がいいよ」

「うぅん。黙ってると不安になっちゃうから。なにか話して」

 快里は小刻みに震えている依入を見た。年上だと思って強がっているが、目が見えなくなって暗闇で、何とか僕を抱えて岸まで上がって、僕が起きてこないんじゃないかって、さぞ不安に思ってたに違いない。

 もう少し早く起きてあげれば良かった。快里は酷く後悔をしていた。

「私ね。田舎育ちだから。ひな祭りって、ひと月遅れで4月3日にやったんだ」

「田舎サイズで結構気合い入れて、7段飾りとかしたの?」

「まさかぁ。私の家ってお父さんいなかったし、そんなお金が無かったから。お母さん一生懸命働いてたけど、そんなの買うお金、全然、無かったよ」

「そうなんだ」

「あ、でもガラスケースに入った、ちっちゃなひな人形は買ってくれたんだ。お内裏様とおひな様が居てね。すっごく、かわいかったぁ」

「じゃあ、毎年4月3日に飾ったの?」

「うん。でもほら、田舎だと周りの家がみんな7段飾りのおっきい奴持ってたから。ほんとはおっきなおひな様がすっごく欲しくって、お母さんに八つ当たりしたの。その当時、お雛様するからって好きな男の子とか呼んでね。みんなで楽しくお菓子を食べたりしてたんだよ。でも、私は呼べなかった。だから八つ当たりしちゃった」

「ちっちゃいのはいらないって?」

「やっぱり、わかった?でも、今はほんとに悪いことしたなぁって思うんだ。二人だけの家族だったんだよ。私とお母さんだけ。二人でずっと。考えてみたら1Kのアパートに住んでてさ。ひな人形なんて置けるわけもないのに。それでもがんばってお母さんが持ってきてくれたのに……。子供って残酷だよね。相手のこと、考えられないんだもんね。どうしてそんなことしちゃったんだろう」

「それで、お母さんはどうしたの?」

「悲しそうな顔さえも、してくれなかった。すまなそうな顔をしてね。うちには……。お父さんが居なくてごめんねって、一言言って、ガラスケースのお人形と一緒にどっかに……」

「じゃあ、そのガラスケースのひな人形はどこに行ったんだろう」

「おそらく、その当時にお世話になってた事務所の社長さんから、頂いてきたか、借りてきたかどちらかだと思うんだ。私のために。私、そのときはお母さんの気持ちとか全然わからなかった。どうして子供はお母さんの気持ちが全然わからないんだろう。どんな子も心の底からお母さんのことが大好きなのに。なんで、素直になれないんだろう」

「無理だよ。子供なんだから」

「そうかなぁ。快里君が言ってくれると楽になるよね。ずっと心の奥に詰まってたんだ。いつお母さんに謝ろう。でも言おうとすると、そのときのすまない気持ちが溢れてきちゃって、言葉にできなかったの……」

「ごめんね。おかあさん。こんな子だったら、私のこと……忘れちゃって……も……、仕方……がないよね……」

「そんなことないよ。先生。お母さんは思い出すよ。きっと、依入のことを……」

「思い出して……くれるかなぁ」

「大丈夫だよ。僕が言うんだから。間違いない」

 依入は鼻水をすすると気を取り直して話し始めた。

「あ、そうだ。快里君、私のわがままに付きあってくれる?」

「なにを?」

「ひな祭り。三月三日はもうすぎちゃったけど。四月三日なら間に合うかなって」

「どうするの?」

「下山したらガラスケースのひな人形、同じ物は無理でも似たやつを見つけてね。お雛様を祝うの」

「え?」

「笑わない。私だって、やったこと無いんだから。お母さん、何か思い出して良くなってくれるかもしれないし」

「あぁ、でもそれはいいかもしれないね」

「ほんとはね、男の子呼んで、一度ぐらいはやってみたかったんだ。でも、7段飾りじゃなくてもいいの。だって、そういうのは気持ちでしょ?」

「そうだね」

「甘酒作って、雛霰(ひなあられ)とか食べてね。楽しそうでしょ」

「あぁ、それで雛人形しまい忘れて、行き遅れると……」

「あぁ。そんなこと言ったよね」

「じゃあ、しまい遅れないように、4月3日には必ずお家に来てね」

「先生の家、覚えてないよ」

「どうして?う〜ん。じゃあ駅前で待ってるから、今日みたいに迎えに来てよ」

「わかったよ」

 快里は依入と話しながら思っていた。なんとなく普通に話ができる。普段なら人と話しながら他のことを考えてることが多い。要するに他人に興味がわかないからなのかも知れない。だから話を能動的に話し出すことができないのだが、悪く言うと、自分自身がその人の話を聞いてないかもしれない。

 それが依入と話すと自然にその話に入っていってしまう。

「ねぇ、快里君。私のお母さんはどうして、快里君を見たとき、私のお父さんと間違えたんだと思う?」

「さぁ。それは何回も考えたけどわからないんだ」

「私ね。実は初めて会った時からずっと思ってたんだけど、快里君と私って、双子なんじゃないかって思ってたんだ」

「先生、双子って、同じ年なんだよ」

 快里は半ばあきれたような声を思わず出しながら言ってしまった。

「わかってるわよ。そのぐらい。でもこれは直感だったの。私に双子がいたのは事実なんだ。お母さんに聞いたんだけど、弟は死産だったみたい。なぜか時々、無性に不安になることがあってね。心臓がどきどきして。その時いつも、死産だったっていう弟のこと思い出してた。どこかで必ず生きてて、心臓がどきどきするような何かが起きてるに違いないって。ほらよく双子って、片方に何かあると片方がなにか感じるって言うじゃない。あれかなって信じてたの」

「今は?」

「実は今も信じてる。快里君を初めて見たとき、私の双子の弟だって直感で感じたの。でも双子って同じ年だから。そんなことあるわけ無いでしょ。だから頭では絶対違うと思ったけど、お母さんは快里君の話をし初めてからおかしくなっていった。でも、快里君のことを逆恨みしてるわけじゃないよ。なにか、私とお母さんとそして快里君の間には、大切なことが隠されていて、それが原因してるんだと思った。それが私と快里君が、双子ってことだったのかなって」

「先生、でも、そんなことあるわけないよ。第一僕と先生は、年が8つも違うんだよ?」

「それはよくわからないけど、何となくそんな気がするの。快里君はなにか感じなかった?」

 感じないなんてことはない。今日は何度も自分の世界に入りかけて、運良く出てこれている。最近の傾向から、一度入り込むとなかなか抜けてこれないのに。

 依入先生が絡むときは、たいていこっちに簡単に戻ってこれる。

 山道で気を失ったとき。

 高台で気を失ったとき。

 そしてさっき。そういえばさっきは懐かしい歌声が聞こえた。

 歌?

 沈黙。少しした後、快里が思いついたように口を開いた。

「先生、さっき、歌、歌ってた?」

「聞こえてた?へんな歌でしょ?あれ、私のお母さんの作曲なんだ。私のための子守歌」

「え?」

「お母さんが、私を寝付けるとき、必ず歌ってくれたの」依入はそういうと歌い出した。

 —ねんねんね。ねんねんね。かぁかととぉとはどこ行った?明かりが消えても夢見ても、あなたの隣についてるよ。—

「微妙に音が外れてるのが、おもしろいでしょ」

 笑いながら依入が言う。

「快里君?」

「ねんねんね。ねんねんね。かぃりとえぃりはどこ行った?遠いお山の日が暮れても、かぃりとえぃりは寝られんよ。ねんねんね。ねんねんね。かぁかととぉとはどこ行った?明かりが消えても夢見ても、あなたの隣についてるよ」

「快里君、その歌……」

「わからない」

 でも、僕がずっと昔から知ってる曲。さっき依入が歌ってたときに思い出した。

「かぃりとえぃりは寝られんよ……。僕と依入?」

「やっぱり、私と快里は双子だったんだよ。どうして年齢が違うかわからないけど。その歌はお母さんがずっと私に歌ってくれてた歌。でもお母さん、弟は死産だって言ってた。隠してたのかな?」

「隠してた……?いや、隠してるぐらいなら、僕の話が出てきたときに、あんなに動揺しないよ。依子さんはずっとトラウマを抱えていた。だから僕が生きてることはしらなかったんだ。死産だと思ってたんだよ」

「でも、どうして?」

「わかんない。僕らが知らない何かがあるんだ。お父さん。あるいは兄ちゃんが、何か知ってるかも」

 依入は突然うれしくなってきた。ずっと欲しかった弟がそこにいた。自分は死んでしまうのだろうけれど、最後に弟に会えた。

「ふふ。私の弟……。快里。こんなに賢い弟だったんだ。でも意外だな。私の弟だったら、絶対にのんびり屋だと思ってた」

「なぜ?」

「だって、私と同じだったら絶対にのんびり屋に違いないし」

「だってほら、人は環境でも育つというでしょう」

「そうだね。だけど、どうしてそんなに頭が良くなったの?」

「う〜ん。なんでだろう?」

 快里はほんの少しの間、瞑想状態に入った。物心が付いた時には冷静に考える癖がついてた。だからだろうか。

「克之さんが言ってたように、瞑想状態に入れるから?」

「そうなのかもしれないね」

「じゃあ、冷静に考える癖がついたのはどうして?」

 どうしてだろう。

 真っ暗な空間で、ときどき明かりがついて、僕はずっと考えてた気がする。気がついてた時は考えてた。

 だけどどうして考えてたのだろう。

「私、わかるよ」

「どうして?」

「快里ちょっと、こっち来て」

 依入は自分の手の届く範囲に快里が来ると、いきなり引き寄せておでこにキスをした。

「依入、どうしたの?いきなり」

「今、私、ドキッとしたよ。この心臓の鼓動はね。快里の分だよ。多分。私、小学校の真ん中ぐらいから、よくわからないときに、ドキドキして、不安になったり、嬉しくなったりしたことがあったの。小学生が読むような本にね。ほら、あなたも双子がいたのかも!みたいな本があるじゃない。それを夏美、私の幼なじみなんだけど、彼女が読んで、絶対に依入には双子がいるんだよって。私、ほんとに信じてたんだ。この心臓の鼓動は、私のためじゃなくて、快里の分だったんだね。多分」

「そんなこと、あるわけないよ」

「うぅん、あるよ。だってそう思うもの。快里がなぜ、ドキドキしないのかはわからないけど、だから冷静でいられるんだと思うよ。普通、いろんなときに、ドキドキしてるんだよ。みんな。ほら今だってドキドキしてる。これはあなたがドキドキしてるの。あなたは説明がつかないことは信じられないかもしれないけれど、そう感じたんでしょ。快里」

「依入」

「直感を信じて、快里。メイちゃんもネイちゃんもそう言ってたじゃない。やっぱり双子ってどこかで見えない何かが繋がってたんだよ。ねぇ快里。私が死んだら私の心臓をあげる。お姉ちゃんが言うんだから、間違いないよ。あなたは私の心臓が移植されれば治る。みんなみたいに、いろんな時にドキドキできるようになるよ」

「依入、何言うんだよ、いきなり」

「うぅん。わかってるの。私、もうだめだよ」

 依入はシャツを破って自分のおなかを見せた。そこには濡れた枝が依入の腹を刺していた。

「血もいっぱい出てるし助からないと思う。ほんとはすごく痛いんだよ。お母さんは私のことを忘れちゃうし、人生の最後にツイてなかったけど、神様が最後に弟に会わせてくれた。でも残念だなぁ。快里のびっくりしてる顔とか、どきどきしてる顔とか、心の底から笑ってる顔とか見たかったな。神様ニアミスだよ。どうしてこんなに意地悪するのかな」

「依入……」

「お母さんと話したかったな……。お母さん……。いつか私を思い出してくれるかな」

 依入は再び歌い始めた。

 —ねんねんね。ねんねんね。かぁかととぉとはどこ行った?明かりが消えても夢見ても、あなたの隣についてるよ。—

 太陽の傾きから言って、午後4時を回った頃だ。ここも時期に暗くなる。すると、今日中には発見されないかも知れない。確かに依入が言っているように、助からなくなるかもしれない。

 依入は、そのまま意識が失なわれていくのを感じていた。

「忘れないでね……。快里……。私が死んだら……お姉ちゃんの心臓をもらって……。……約束……だよ」

 ちゃんと言えたのかどうかさえわからない。

 ただ弟の腕の中で死ねることが、依入には何となく幸せなことのように感じていた……。


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