人を繋ぎ、紡ぐもの
快里は依入につれられて、みんなが休んでいた高台に着いた。
ほんの少しだけ広がった高台。澄んだ空気の中で町中が見える。ゆっくり動いているように見えるクルマ。快里が幼稚園の時に来たときは、遠くにあるミニカーのように見えるクルマが、どうしてこんなにゆっくり動いてるように見えるのかがすごく不思議だった。
「そういや、快里の初めての遠足はここに来たんだぜ」
克之が言った。
「多分、メイちゃんもネイちゃんもそうだろうけど。幼稚園の遠足でさ」
「そういえば、そうだったかも。あの時は一日かかってここまで上ったんだけどな」
「お弁当おいしかったよね」
「お弁当と言えばさ、快里のお弁当を用意するのが毎日大変だったよ。前の日が特に。スーパーが開いてる時間に間に合うように、速攻で授業終わって帰ってさ」
「そうか、快里んちはカツユキがお弁当作ってたんだ」
「そうなんだよ。わかる?メイちゃん。俺がいまのメイちゃんの年の時には、毎日すぐに家に帰って、託児所まで快里を引き取りに行くんだぜ」
「あんまり友達と遊べなくなかった?」
克之はちらっと快里を見ていった。
「大変じゃなかったよ。楽しかったさ。毎日、快里にいろんなことを教えて。遠足の前の日は俺にとっても一大イベントでさ。快里とスーパーが閉まる前に、オヤツを買い込みに行ったんだ」
「おやつかぁ。そっか300円までだったもんね」
「違うな、俺は良く覚えてるよ。100円だったんだ」
「あれぇ?案外、少ないんだ」
「幼稚園児だぜ?快里がチーズかまぼこが好きで、それをおやつに買うんだっていうから、チーズかまぼこをお弁当に入れてやったんだ」
お弁当か……。そういえば嬉しかったな。
快里はそう思い出した。
「快里くん、大丈夫?疲れてない?」
ネイが心配そうに顔をのぞき込んだ。
「大丈夫だよ。ちょっとぼぅっとしてただけ」
メイがちらりと快里の顔をみた。
「ほら、小学校のプールが見えるよ」
「案外、たくさん登ってきたんだね」
「そうだねぇ。案外遠くまで来たねぇ」
案外、遠く……そういえばここで、幼稚園の時にここでお弁当を食べた。
お弁当のおにぎりの銀紙を丸めて鬼ごっこをして走り回ってた子達がいたけれど、僕は苦しくてずっと深呼吸してたっけ。そばにずっとネイとメイがいて、心配そうに僕の顔をずっと覗いてた。早く帰る時間が来れば良いのに!そうやって頭を垂れてずっと我慢して、時が経てと念じていた……。
それからずいぶん時が経った。思えば結構遠くまで来たんだな。
「プールって言えばさ。スクール水着、濡れるとかなり重いんだよね」
突然、メイが話し始めた。
「なんでいきなり?」
克之が突然の話題にびっくりしてお茶をふきそうになった。
「あ。男の人の水着はパンツだけだから分かんないよ、きっと」
ネイがいう。
「先生の時も、ワンピースの紺の水着だったの?」
「同じだよ。アレはずっと前から全然変わってないと思うよ。それでも軽くなったりはしてるらしいけど」
「上がった後、脱力してるから、さらに重く感じるんだよね」
「そうそう。川で遊んだ後に自転車にのると、すっごい疲れるんだよね」
耳の外から聞こえる話。一度ぐらい入りたかったプール。いつもプールサイドから見てた。体育の授業の見学なんて、残酷だと思ってた。快里は子供の時の情景を思い出していた。そこには、2年生の理科の栽培のための畑に、ひまわりがしなって風に揺れていた。
時折、視界の中にメイやネイがわざと入ってきて、ひまわりのまねをして一緒に揺れていた。
どうして僕がひまわりを見てたってわかったんだろう。
下らない話……だけど優しい。
懐かしいこの場所で昔話をする。
居心地がよい人たちと。
なんとなく幸せを感じてしまう。
大きな桜の古木が小学校の片隅にひとりぼっちで広がる。僕たちが子供の時と変わらないまま、グラウンドの一角を包み込むように日陰にして。もしもこの桜になれれば、ひとりぼっちだけれど、ずっと子供でいられる。そう思ってたこともあった。
僕が桜の木になっても、この人達は変わらないままそこで生き続けるだろう。意識が広がるような希薄になるようなそんな気がして、今ならば、桜の木にでも石にでも山にでも空気にでも慣れそうな気がした。
まだ少し寒い感じがする風。体中にあたるたびにすっと体温を奪っていく。反射的に震えそうになるが、あえてそれを受け入れると、寒さが心地よいような、それでいて恐ろしいような不思議な体感がやってくる。
ふっと息を吐いたとたんに体が軽くなってきた。目をつぶる。寝入りつく瞬間の感じに似て、肩や腰の感覚がぶわっと無くなっていく。水平感覚もなくってきて、自分の体を中心に、地面が傾いていく感じがした。
柔らかい何かに浮いている感じ。
快里。
何となく、兄貴に遠くから呼ばれたような気がしていた。
だけど僕の目の前には幼いメイとネイが、ひまわりのまねをして揺れていた。
秋になるとススキの穂がキラキラとしなっているだろう高台の丘で、5人がそれぞれの場所に腰を下ろしていた。
持っていたペットボトルのお茶を少しずつすすりながら、懐かしい思い出に思いをはせていた。
過去はいつも美しいもの。
そして心がぎゅっと惹きつけられるものだ。
高台からは小さな町のほぼ全景が見えていた。足下には、快里、メイ、ネイがほんの5年前ほどまで通っていた小学校があった。
休日で生徒のいない小学校から、その鼓動のように数分に一度、短くサイレンを鳴らしていた。小学校の授業の時間は短い。1時間もしないうちに終わる。小学生の集中力はそう長く続かないからだろう。
依入は母の看病で疲れていた。母に過去、何があったのだろう。そんなことを考えながら、数日間を過ごしていた。
「ネイちゃんってコンタクト入れてるの?」
依入が少し疑問になってたことだ。普通、一卵性双生児の子は、二人とも目が悪くなることが多い。
「うぅん。私、目だけは良いの。1.5だよ」
「え?一卵性の双子だと、大抵両方目が悪くなるよね?」
「あれ。快里くんが言ってたと思うけど、メイの眼鏡はダテなんだよ」
「ほんとに?本物のダテなの?わずかも度が入って無くて?」
メイの方を見て聞く。
「そ〜だよ。今、視力どのぐらいあるかわからないけど」
当然。という顔をしながらメイが言う。
「多分、今も両眼1.5じゃないかなぁ。私、この前測ったら、1.5だったから」
と、ネイ。
「じゃあ、きっとあたしも1.5かな」
「へぇ。じゃ、眼鏡がしたかったんだ。いつから?」
「小学校の6年ぐらいの時かな。クラスの子達の中にさ、眼鏡をし始める子が増えて来るじゃない」
「メイがお夕飯の時に、突然、黒板が見えにくくなったから、眼鏡を買って!ってお父さんに言ったの」
「それで?」
「うん。今のはどうかしらないけど、視力検査って、芝居したら悪いふりできるじゃない」
「cの奴でしょ?そうよね。違うこと言えば良いんだもんね」
「うん。でも、お父さんに見破られたの」
「どうやって?」
「あたしお父さんっ子だから、家族でクルマで出かけるときは助手席に座ることが多かったんだ。で、お父さんにナビしろ!って言われてね」
「看板みたり、地図見たりしてるうちに、本当は目が悪いんじゃないんだろ?って言われたんだよね」
ネイが口を挟んだ。
「へぇ」
「で、お父さんが、お前、本当は目が悪いから眼鏡をしたいんじゃなくて、眼鏡をしたいから目を悪くしたいんだろ?って」
「ふんふん」
「目なんて悪くなると一生大変だから、眼鏡がしたいんだったら、度が入ってない眼鏡を買ってやるよって」
「すごい。なんか賢いお父さんね」
「賢いかどうだかわからないけど。うち、お母さんは目が良いけど、お父さんは目が悪いんだ。中学の時に、ほんの少しだけ目が悪くなって、眼鏡を掛けたら、どんどん悪くなっちゃったんだって」
「よくそういうよね」
「お父さん、今は起きるたびに眼鏡の場所を探すぐらい目が悪いんだ。病気とかじゃなくて、ど近眼。でも子供の時はずっと1.5だったんだって。中学に入ったときにイメチェンのつもりで眼鏡をかけたくなって、目が悪くなったことにして親に買って貰ったみたい。毎日掛けてたらどんどん悪くなったから、ここまで悪くなると一生治らないって言ってた」
「そうかぁ。親類に目が悪い人とかいたの?」
「直接血が繋がっている人にはいなかったみたい」
「へぇ。そうなんだ。やっぱり頭が良いお父さんなんだよ」
「そうかなぁ」
「でも、その眼鏡ってあんまり女の子がする眼鏡じゃないよね?」
「私もそう思う。それでも2回ぐらい買い換えたよねぇ?そのフレームにこだわりがあるの?」
「うん。いいの。これにはこだわりがあるんだから……」
「へぇ、どんな?」
「内緒……」
いたずらっぽく笑いながら視線を移したメイの表情が突然変わり、依入もそれにつられて思わず振り向いた。
そこには、くたびれた表情をして笑っている快里がいるはずだった。
しかし、そこには宙の一点を見つめていた彼がいた。
メイが一瞬で快里のところに走り寄る。そして彼女の視線の動きを見てた者から気がついて快里の方を向く。
「快里?」
メイが快里の正面に座り、頬を柔らかく叩きながら言う。
「カイリ、しっかりして……」
いつもよりも高い声を出して訴えるように懇願する。
「カツユキ、快里が」
メイはかつてこの光景を何度も見たことがあったのだ。その瞬間から、どこか別の世界に行ってしまう快里を、子供の時から何時間も待ち続けたことがあった。公園の砂場で、プールサイドで、近所の橋の下の秘密基地で……。
克之がメイに呼ばれて快里の正面に座った。両腕をしっかり握って揺さぶるが、快里は気を失ったように動かない。
依入にとって初めて見る光景。
いや……。そうじゃない。本間先生が考えるとすぐ寝るんだって言ってたけれど、以前も先生の研究室で気を失ってたんだ。
さっきもちょっと様子が変だった。私が声を掛けるまで何の反応がなかったのはそのため?
依入は一生懸命呼びかけている克之と交代し、しゃがみ込んで快里の目の前に座った。思わず固唾をのむ。心臓が執拗にどきどきする。視線の前に顔を持っていき、子供に話しかけるように一言優しく言った。
「快里君」
快里の瞳が微妙に動いた。
「快里君。大丈夫?」
快里の瞳孔がキュッと締まり、目を閉じた。そして目を開けた。
「どうしたの?依入先生」
「良かった。どうもしないわよ。みんな快里君が疲れてそうにしてたから、少しびっくりしただけよ」
依入はにっこり笑うと立ち上がった。




