相談すべき人
翌日。
依入は、昨晩の依子の状況を見て、やはり専門のお医者さんに連れて行くべきだと考えていた。ひとまず快里に相談して快里の兄の意見を聞きたいと考えた。もちろん、『カイリ』という名前を聞いてから母がおかしくなったことも気にはなっていたのだが。
「快里君、ちょっと……」
快里は帰りのホームルームの後、廊下で依入に呼びとめられた。職員室は今、期末テストの準備のために、出入りが禁止されている。
依入は何となく他の人にはこの話を聞かれたくなかったので、タイミングを見計らって快里に話しかけた。
「えっと。実はちょっと相談があるんだけど」
「どうかしました?」
快里は依入のただならぬ表情を見て、何か深刻なことを相談されると感じていた。
「こんなこと、先生が生徒に相談するのは、おかしいのかもしれないけど。なんとなく快里君には相談できそうな気がしたから……」
依入が少し言葉を飲む。
快里は何となく落ち着かない感じがしつつ、言葉を待った。
「うん、あのね。私のお母さんのことなんだけど」
意を決したように話す。
「先生のお母さん?」
「そう。最近、特におかしいの」
「おかしいって、どんな感じなんですか?」
「うん。昨日のことなんだけど……私が家に帰ったら明かりがついてなくて真っ暗だったのに、話し声がするの。おかしいなって思ってリビングにそっとに行ってみたら、お母さんが真っ暗なところで、誰かと話してるの」
「なるほど……」
「あまり、びっくりしないのね……」
快里が特にびっくりした様子もないので、依入は少し話しやすくなって続きを話すことにした。
「それでね『お母さん』って声をかけたら、ふと気がついたように、まるで今までのことがなかったように振る舞って」
「振る舞う?」
「うん。それがわからないの。振る舞っているのか、それとも記憶にないのか。そしたら……まだ7時だったのに、もう遅いから寝るって」
「う〜ん……その前に先生。家に帰って真っ暗なのに話し声がしてたんでしょう?普通、その段階でちょっとびっくりしますよね?なにかあったとしたら危険でしょ」
「あぁ、それは……実はね。今回のは特別ひどいだけで、似たようなことは前にもあったの」
「というと?」
「うん、帰ったらやっぱり真っ暗なのにドアが開いてて、リビングに行ったら電気もつけずに、お母さんが丸くなってるの」
「丸くなってるって?うずくまってるの?」
「うぅん。ちがうの。正座して腰を曲げて座って、まるで石になってしまったかのように、ぼうっと」
「いつから?」
「わからない。何時からそうしてるのか。昔は会社に行ってたから、そんなことなかったんだけど、今は体調不良でしばらく会社を休んでるのよ」
「いや、いつ頃からそういうことがあったのかなって」
「あ、あぁ。そうね。だいたい私が大学を卒業したぐらいだから、3年ぐらい前……」
快里は少し長めに息を吐いた。
「ずいぶん経ちますね……」
「最初は疲れてるだけだと思ってたから……。さすがに気にはなっていたんだけど、様子をみていたのよ」
「だけど、今は疲れてるだけじゃないって思ったから、僕に相談したんですよね?」
「うん」
「う〜ん……。これは専門に診てもらったほうがいいかな」
「でも精神科っていったら、お母さん行きたがらないよ」
「じゃあ、セラピストの人が来るって言ったらどうだろう。それか、生徒と生徒の兄が遊びに来るっていうのは?不自然に感じちゃうかな」
「どうだろう」
「兄貴は、おそらく今週末は仕事休みだから、一緒に先生の家に行きますよ」
「え……悪いよ。お兄さん、休みなんでしょ?」
「大丈夫。今日、兄貴の所に寄る予定だったから、そのとき聞いてみます」
「快里君、試験勉強中なのに……ごめんね」
「いや今までも、試験勉強なんてしたことなかったから。忙しいといえば、メイとネイに勉強教えることぐらいかな。ただ、試験中だから僕と兄貴が先生の家に行くこと、他の先生にばれないように注意してね」
「え、どうして?」
快里は呆れた顔をしてちょっとだけ溜息をついた。
「生徒が先生の家に、試験前に行ったら問題になるでしょ?」
なるべくきつくならないように言葉を選んで言う。
「あ……」
依入は全くそう言うことを忘れていた顔をして苦笑した。母親のことに気を取られていてすっかり忘れていたからだ。快里は特にそれ以上は言わず、おもむろに自分の鞄からノートを取り出した。あいているページに自分の電話番号をさらっと書くと、ページを破いて依入に渡した。
「もし何かがあったら電話して。これ、僕の携帯の番号だから……」
快里は、依入が一瞬、躊躇したような感じで紙を受け取ったのを確認すると、言葉を選びながら話しかけた。
「いい?依入先生。あんまりお母さんを問いただすような、必要ないプレッシャーを与えないようにしてね。日曜日は、仲良くなった生徒とその兄が遊びに行くだけだから。元気出して!」
「わかった。ありがと」
依入の顔にほんの少しだけ笑顔が戻った。何となく快里にそう言われたことで、心の支えができたような気がしてうれしかったからだ。一人で悩んでいるわけじゃない……そういう感覚が、突然、沸いて、すっと楽になった気がした。
快里は、いつの間にかため口になっている自分に気がついていた。つい先日、メイをたしなめたばかりなのに、これではメイと一緒。メイは藤木先生はどうも友達のように感じてしまうと言ってたが、その理由が何となくわかる気がしていた。
でも年上の人には、言葉づかいはちゃんとしないとなぁ。快里はそんなことを考えながら、依入を職員室まで見送った。
「あぁ、快里か。今日は、むちゃくちゃ疲れたぞ。絶対、帰って寝る」
快里が克之の研究室に入ると、へとへとになっている克之がいた。今日はリーシャと話すのが最初の目的だったが、藤木先生のお母さんに関する相談を克之にしなくてはならなかった。
「内科で点滴でも打ってもらえば?」
「無駄に元気になるからいい。あとで疲れがまた出るし」
「そっか」
「リーシャか?あいつはだいぶ育ったぞ」
「あれ?忙しかったんじゃないの?」
「それとこれとは別だ」
快里はリーシャにログインしたい好奇心に駆られていたが、先に依入の話をしておかないといけないと思った。
「あのさ、疲れてるところ、悪いんだけど」
「なんだ?」
「僕の新任の担任の話なんだけど」
「あぁ、笑顔が可愛いって言ってた女の先生?」
「それだけ覚えてたのか。まあいいや。その先生のお母さんがさ、調子悪いって」
「調子悪いって、うちの内科の先生に融通つけてやろうか?」
「いや、それがどうも心の病気らしいんだ」
快里は、さっき依入に言われた内容をまとめて話した。
「う〜ん。あんまり良くない兆候かもしれないなぁ。ちょっと放っておきすぎな気もするな」
「僕自身も直接会ってきたわけじゃないから、詳しいことはわからないけど。おそらく本人、精神科に行くとなると嫌がるだろうからって」
「ん〜まぁ、精神科っていうと少し構えちゃう人がまだ多いからな。じゃあカウンセラーとして行くか?先生にゴマすっておけば、お前のためにもなるからな」
「……そういうつもりじゃないけど何となく気になってね」
「おぉ?やっぱり女教師がタイプだったりするのか?お前は絶対、年上好みだと思ったよ。それならますます協力しないとな」
「……いやそういうわけでもないんだ。兄ちゃん親父の手伝いで疲れてるだろうけど。悪いけど今度の日曜日あたり、どう?」
「日曜日かぁ。まぁいっか。オッケー。わかった。ちょうど予定もないしな。ただ午前中は寝かせてくれよ」
「了解。じゃあ依入先生には午後って伝えておくよ」
快里は依入のことを克之に頼むと、そのまま彼の診察室を出て行こうとした。
「おい、快里、今日はそれだけ言いにきたのか?」
「あぁ……ああそうだ。今日ネイがまた数学教わりに来るから」
珍しくことを忘れていた。普通はそう言うことはないのだけれど。
「おぉ!ひょっとして今日もネイちゃんの飯か?」
「どうだろね。そういえば僕の脳波を取る話は?」
「あぁ。来週にしよう。じゃあ今日は早く帰るよ……ところでリーシャを触っていくんじゃないのか?」
「あ……ごめん、それが最初の目的だったんだ」
「おまえ、珍しいな」
克之に囃されながら、快里は端末に向かった。
>リーシャ、げんき?
Leasure>カイリさん、こんにちは。うん、元気だよ。
>あれ、漢字がわかるようになったの?
Leasure>うん、ちょっとだけ……
>そう。いっぱい、言葉、覚えた?
Leasure>うん。
>へえ。すごいね。
Leasure>えへへ。
>うれしい?
Leasure>うん。もっと話したい。
>メイと遊んでもらった?
Leasure>うん。メイは、色々、あそんでくれるよ。
>どんな風に遊んでくれるの?
Leasure>しりとりとか。
>しりとりかぁ。結構いろんなことしってるんだね。
Leasure>すごいでしょ?
快里はリーシャと話しながら少々びっくりしていた。まるで人間の子供と話してるようだ。
「兄ちゃんリーシャ、すごいね。まるで本物の子供と話してるみたいだ」
克之は得意そうな顔をした。
「そうなんだよ。メイちゃんが色々遊んでくれたらしくて、知らない間にこんな風になったんだ」
「へぇ、なんかメイって凄いんだな」
「あぁ。ちょっとびっくりだ」
>リーシャ、僕はもう帰るよ
Leasure>えーカイリ、もう、帰っちゃうの?
>うん。今日はネイがくるからね。
Leasure>あたしも行きたいな。カイリのおうち。
>そうだね。もう少し時間ができたら、家からアクセスするから。
Leasure>ほんとに?やった。
>じゃ、またね
Leasure>バイバイ、カイリ。
快里は端末を閉じた。
人工知能と話していて、今までに無いような不思議な感覚を感じながら、快里は帰路についた。




