稲委の小さな喜び
ネイは少しだけ駆け足で、昔からよく遊びに行っていた快里の家に足を運んでいた。
ネイにとっては数え切れないほど歩いた、なれた道。何度も何度も足繁く快里の家まで足を運んだ。
ネイもメイも、子供の頃は、自分の家のように靴も並べずに勝手に上がり込んだ。家の者しか知らないような勝手口も知っていたし、まさに勝手知る他人の家だった。中学になるとどうしても意識をしてしまって、なかなか理由を作らないと遊びにいけなくなった。本当は同じ町内だからすぐいけるのだが、ちょっと話をしてるだけで、男子にすぐ冷やかされたからだ。
今では誰も冷やかす人はいないけれど、やっぱり快里と二人で話ができると思うだけでネイはなんとなく心臓がどきどきしてしまう。
いつもなら妹が隣に必ずいるけど、珍しく今日は用事があるから先に行っていてくれという。別にメイが邪魔者というワケじゃないのだけど……。
稲委はさっきスーパーで買ってきた野菜を崩さないように、ビニール袋を手になじませて、呼び鈴を押した。
昔なら、勝手に入っていたのにな『か・い・り・く・ん・あそぼ〜』とか言って、返事を待たずに勝手に家に上がり込んだりしてたっけ。
「ネイでしょ。勝手にあがってくればいいのに」
さっきあったときと同じままのテンションの声がした。
一応、身構えてもらっても良いんだけどなぁ。
自然体なのがありがたいと言うべきか、ちょっとは意識をして欲しいのか。ネイはちょっと不思議な気分を感じていた。
『名家』というわけじゃないが、住宅密集地なのに、1軒だけ、たっぷり建坪で500坪はある家。ネイの父は、快里のお父さんと昔からの友達なのだそうだが、ここまで立てた家の造りが違うと、時折、ジェラシーを感じるそうだ。
相手はお医者さんだし。お金持ちだからね。ただそれだけの話なんだけど……。
ネイは、豪華な和風建築の家に上がり込むと、快里の部屋を目指した。
快里は、インターフォンでネイを呼んだ後も、変わらずリビングのソファで本を読んでいた。親父や兄貴が買っている本にも一通り目を通す。
きっちり掃除された家。ネイとメイが来るというから最初に片付けだけはしたのだ。
ネイが階段を上ろうとする音がした。
「快里くん、どこ?」
大きすぎない抑えた声で、呼びかける声がする。
「ここだよ」
快里はリビングでソファに座って、本を読みながら返事をした。
「テレビでも見る?」
本を見ながらリモコンを手探りで探し、ネイの方に差し出した。
「うぅん。いいよ。特に見たいテレビないし。あ、あと……メイね。ちょっとやりたいことがあるって。後で必ずご飯食べに行くからって」
ネイは話慣れた相手でも、あらたまるとどうも言葉につかえてしまう。みんな流暢に話を始めるけど、意識したこと無いのかな。ネイはそう思いながら、共通の話題としてメイの話をだしてみたのだ。
「飯だけ喰いにくるの?やれやれ」
快里は呆れたよう声で本を読みながら答えた。
少しだけ沈黙。ネイは聞きたかったことを思いきって聞くように訪ねた。
「ところで……快里くん。心臓の調子はどうだったの?」
心配そうな顔をして快里の顔をのぞきこむ。
快里が病院に行くと、ネイは必ずこれを聞く。本当は話題にしたくないようなのだが、今までにいろいろあったからだろう。
ネイとメイと快里が三人で砂遊びをしているときに、快里の発作が起きて救急車で運ばれた日、運動会の途中で突然、倒れたとき、授業中、突然発作を起こして救急車を呼んだ日。
いつも、かならずネイかメイのどちらかが一緒に救急車に乗って、本間総合病院まで行っていた。
最近は、快里が自己管理をしてるからか、あるいは成長したからか、倒れることはほとんど無くなった。それでも決まりごとのように快里が病院に行くと、ネイは尋ねるのだ。
「えっと。まぁまぁってとこかな」
そして快里はいつも意地悪く、本を読みながら本当のことをさらっと言う。
「まぁまぁって?今日は、おじさんの所に行ったんでしょ?」
心配した顔でネイがさらに尋ねる。
「行ったよ。可もなく不可もなく。いつも通りの検診をして、とりあえず心臓は動いてるみたいだし」
「そうなんだ。あの……。ね。こっち向いて話を聞いてよ」
ネイがちょっとふくれた顔をしていった。
「あぁ、ごめんごめん」
快里は本を読んでいた手を止めてしおりを挟み、テーブルの上に置いた。ネイの心配した顔が快里の目に飛び込んできた。
「あのさ……心臓の動きが悪くなったりすると、どうなるの?」
「心臓が停止するってこと?」
なぜか笑いながら答える快里。
「停止までいかなくっても……」
「まぁ、いつ止まるか分からないボロな心臓だからね。親父でもなんともならないみたい」
「そうなんだ」
「ただ、まだちゃんと動いてるからね。まぁまぁで十分。僕にとっては、とりあえず心臓が動いてるってのが、非常に幸運な話なわけだから。先月も動いてくれたんだから、今月も動いてるでしょう。そんなところ。免疫型もちょっと特殊みたいだし、心臓移植のためのドナーも見つかるあてはほとんど無いみたいだし。親父はなにか考えてくれているみたいだけどさ」
「そっか……」
ネイは落胆したように答えた。聞いたところで毎月同じなのだ。わかっては居るものの『治ったもう大丈夫!』と快里に言われるのをいつも期待しているのだ。
「そんなにがっかりしないでよ。ネイのことじゃないんだからさ。僕はまだ生きてるんだよ」
「ごめんね。でも……」
笑いながら言う快里にたいして、落胆するネイ。
「それとも今月も僕がまだ生きてるのが不満だって?」
ちょっと含み笑いをするように意地悪に言う。
「そんなことないよ。もう意地悪……」
「嘘だよ。僕のことだよ、大丈夫、ネイのことじゃない」
「本当につらいのは快里くんなんだよね」
ネイは言いかけた言葉を否定するかのように謝る。言った方が相手を傷つけるか、言わない方が相手を傷つけるのか。必死に考えているのだろう。
「いや……辛くはないよ……。だけど……」
快里は少し遠い目をした。
「時々思うんだよ。僕は人として何かが欠けてるって。確かに……頭の回転は人より速いかも知れない。でも子供の時から、自分が妙に冷めてると思うことがあるんだ。そういえば、ドキッとすることもないし、ビクッとしたこともない。検診で聴診器を胸に当てられると、みんな冷たくてびっくりするというけど。僕は冷たいとしか感じられない」
ネイの表情をみながら快里が続ける。
「でもね。冷めてるからっていって、感情がないわけじゃないんだよ。嬉しいと思うことも、悲しいと思うこともちゃんとある。だけど僕には、感情の中のどこかに、すっぽり抜け落ちてる何かがある気がするんだ」
悲しそうな顔をしているネイを見ながら快里が続ける。
「その何かを見つけることが、僕の人生なのかも知れない。でもなんとなく。いつか。ある時。僕は、すっと人でなくなってしまうような、そんな気持ちがする時があるんだよ。夢を見てるとき、目覚めるとき、自分を見失うほどの不安定さが突然襲ってきて、僕をこのままどこかに連れ去ってしまうんじゃないかって」
「……」
「でも不思議と怖くはないんだよ。むしろこのまま石にでもなってしまった方が、楽しいんじゃないかって……」
「やめよ……その話は」
耐えられなくなってネイが快里の言葉をさえぎった。
「ごめんね。ネイはこの話は嫌いだったね」
ネイの表情がさらに暗くなったので、あわてて話を変えようとした。
「そういえば、話は全然変わるけど。メイって本当に人なつっこいんだね。藤木先生は結構びっくりしたんじゃないかな」
「そんなことないよ。メイは頑張り屋さんだから」
ちょっとだけ困ったような顔をしながら、ネイがはなした。
「頑張り屋さん?ただ、人なつっこいだけでしょ?」
「うぅん。違うよ。サービスいいんだ。あの子、昔っから」
「そうなの?」
「うん。多分、私が人見知りするから」
「ネイの人見知りが強いのと関係あるの?」
「うん。メイはがんばりすぎちゃうとこ、あるから。ホントは私と同じで人見知りが激しかったんだよ」
「そうだっけ?」
「うん。物心ついた時には快里くん、そばにいたんだもん。だからメイも私も快里くんには違ったけど。初対面な人と積極的に会話するのはホントは苦手だと思うんだ。だけどそれだと私と同じになっちゃうから。無理して似合わない学級委員長やってたり、頑張って、はしゃいじゃったりするんだと思う」
「そうかなぁ」
「そうなの。メイががんばっていてくれるから、私はこうしてノンビリ屋でいられるんだなって。私は……、ホントは何でもメイと一緒でもいいなって思うんだけど。メイはそうじゃないみたい。なんとなく残念なんだけどね。でも、気持ちは分かるんだ」
「そういうもんなんだ」
「それでもやっぱり私たちって似てるし……。うん。でもきっとそう言えるのは、私と同じにならないように、メイが一生懸命、自分らしさを求めてくれているから。私はそのままでいて、何も考えなくても良いの。私のままでいても、メイとは同じにならないから」
快里にはネイがなんとなく、自分を無理矢理納得させているようにも見えた。
「でも、私としてはホントは心配なんだ。メイが頑張りすぎちゃって私から離れて行っちゃって。あるいは何かをみつけちゃったりしたら、私はどうなっちゃうんだろうって。うまくは言えないんだけど」
ネイはメイの話をすると流暢に話す。たぶん誰よりもメイのことがわかっているからだろう。
「あ、ごめんね。こんな話。あ、どうする?先にご飯の支度しちゃう?それとも、お勉強教えてくれる?」
「どっちでもいいよ」
「えぇと、今日はお兄さんだけが帰ってくるんだよね?お兄さんと快里君とメイと私の分で……四人分で良いの?」
「えっと、そうだね」
「快里くんは、何が食べたい?」
「ん〜。結構その質問が困っちゃったりするんだよなぁ」
「作る方も結構その答えが困っちゃったりするんだけどなぁ……。和風?洋風?」
「和風かな」
「そう。和風な物がいいのね。寒いからお鍋とか?それとももっと手の込んだもの作る?」
「あぁ、お鍋いいね。兄貴がかなり喜びそうだよ」
「ホントに?なら、メイが来て、お兄さんが来てからの方がいいね。食材だけ切っておくことにするよ。冷蔵庫開けるね」
ネイはなぜか急いで台所の方に走った。
ネイはキッチンを見回していた。自分の家じゃないけど慣れた家。何度も立ったことがある台所。小道具や調味料、立ち位置も把握している。
買ってきた野菜を洗いながら、卓上カセットガスコンロを目で探していた。
お鍋、四人で食べるならやっぱりテーブルを囲んで食べた方が良いよね。確か先週末に片づけに来たときには、冷蔵庫のそばに立てておいたのだが、いつのまにか片づけられていた。
「快里くん。カセットコンロってどこにあるの?」
「冷蔵庫の上だよ。兄貴が足の小指ぶつけたから上に置いたみたい」
快里がそれとない返事でリビングから答えた。きっとまた本を読み始めているのだろう。
「痛そ〜」
稲委は会話をしながらちゃきちゃきと野菜を洗い終えて、エプロンで手を拭いた。背伸びをして冷蔵庫の上のコンロを取ろうとしたが、届かない。
ちぇっ。前の冷蔵庫だったら届いたのに……。1年ぐらい前に、冷蔵庫を購入し直したことをネイは思い出した。前の使い古した冷蔵庫は200リットルぐらいのサイズだった。ネイは身長が150センチちょっとしかなかったが、前の冷蔵庫なら背伸びをすればなんとか上にあるものを取ることができたのだ。
古くなった冷蔵庫が異音を発し始めたときに、メイが快里のお兄さんと一緒に電気屋さんに行って、400リットルオーバーの自動製氷機付きの冷蔵庫を買わせたらしい。自動製氷機付きの冷蔵庫にしたのは、メイがいつ遊びに行ってもアイスティが飲めるようにするためだとか……。
この家、料理する人が少ないのに、400リットルオーバーの冷蔵庫なんているのかなぁ?ネイはそう思っていたのだが、聞いた話によるとメイが言った『冷蔵庫が大きければ食べ残しなども入れられる』という言葉に、克之が負けたらしい。
実際、奥には見たくない魔界が広がっているんだけどね。冷蔵庫の掃除をするのはどうもネイの担当になるらしい。いつもここに立つ度に掃除をしてる気がする。
ネイはそんなことを考えながら、一生懸命背伸びをして冷蔵庫の上のコンロをとろうとしていた。
「悪い、届くわけ無いよな」
気がつくと快里が後ろにいた。背の高い快里は、背伸びをしていたネイの背後からでもカセットコンロに手が届く。
「ちょっとまって。すぐとれるから」
冷蔵庫と快里の間に挟まれている。何となく意識してしまって息が止まってしまう。
私、歯、磨いてきたよね。ネイはなぜか自分の息のことを考えてしまっていた。
「さて、どこに置けばいい?」
快里はカセットコンロを手に持ってネイに聞いた。
「あ、テーブルに置いておいて。カセットボンベは?」
「多分入れ替えたばっかりだとおもうけど。ボンベは下の棚にあるよ。ネイにもとれるだろ?」
「ごめんね。ちっちゃくて」
「ネイはちょっと小さすぎるかもね」
「……気にしてるのに、ちぇっ。快里くんデリカシーなさすぎるよ」
「え?なんで?」
「なんでもない」
「私もメイも快里くんみたいに強いと良いのになぁ」
思わず口にしたようにネイがこぼす。話を聞いてほしいのだろう。快里はそう感じたので、戸棚に寄りかかって笑顔で答えた。
「どのへんが?」
「だって快里くん、物怖じしたことないでしょ。見たこと無いよ。私が見たこと無いんだから、多分無いんだと見た」
「どうだっけ?」
「なんてね。ホントは私たちには見せないけど、快里くんも心がつらいときとか、苦しいときとか、耐えられないって思うときってあるんでしょ。ごめんね。無神経で」
「いや別になにもないってば」
「……二人だけで話すのって久しぶりだよね。いつもメイもいっしょだもんね」
ネイは何となく焦っているようにも見えた。
「……おかしいなぁ。メイはいつくるのかなぁ。お兄さんは何時にくるって?」
「何時頃だろ。そろそろきてもおかしくないけど」
「そっか」
何となく沈黙……。
「そういえば、ネイは料理が得意だよね」
「私、他に取り柄がないから。これだけは昔からやってたもの」
「うちでも良くやってるの?」
「うん。お母さんと」
「メイは?」
「もちろんやってるよ。メイも料理うまいんだよ。でも台所、ここみたいに広くないから、私かメイかどっちかが手伝うんだ」
「料理ができる女性がたくさんいるっていいよね」
「本間家はみんな料理作りたがらないのに、台所、とっても広いもんね」
笑いながらネイが答える。
「うん。結局僕が作るんだよ……」
快里はネイの様子を見て切り出した。
「下準備終わりそう?」
「あ、うん、ありがと……。あ、ちょっと待って」
メイはボールに入れた作りかけの、ほうれん草の和え物を、箸で少しつまむとそのまま快里の目の前にそれを差し出した。
「これ、味見して」
快里はネイに差し出された和え物を、そのままたべた。
普通に美味しい。でも特別な表現するほどの言葉は見つからない。ネイはこういう目立たない素朴な物までもきちんと作る。決してメインにはならない一品までも。それが、彼女が本当に料理を作るのが好きだということを良く表しているんだろう。
ネイが心配そうに快里の顔をのぞき込みながらきいた。
「美味しい?」
「うん、もちろん」
「よかった」
「ただいま〜」
玄関からメイの元気よい声が聞こえる。やっとついたようだ。
「お前の家じゃないだろ」
兄貴の声。途中で一緒になったようだ。
「ただいま」
兄貴が自分の荷物を部屋に持ってこずにキッチンの様子を見に来た。
「あ、お兄さんおじゃましてます」
ネイは兄貴を見るといつもの挨拶をした。そして克之の後ろにいたメイを見つけると声を掛けた。
「お兄さんと一緒だったんだ、メイ。快里くんと遅いねって心配してたんだよ。すっごい寒そうな顔してるよ。外、寒かったの?」
「まだ陽が沈むと寒いみたい。もっとたくさん着てくれば良かった〜」
メイは本当に寒そうな感じだ。
「ね、今日お鍋だよ。どう?」
「おぉ。ネイちゃんが作ってくれてたんだ。嬉しいなぁ。いつも快里の男飯ばっかりだからなぁ」
「さっき、アタシがメールしたじゃん。なに、わざとらしく驚いてんの?」
「まぁまぁ」
「ところで宿題は?」
「全然終わってない」
笑いながらネイが言う
「うぅ。もうちょっと遅く来れば良かった」
快里は本当は宿題なんてとっくに終わってたのだが、ここでは黙っていることにした。
「そういえば、メイと兄ちゃんは、なんで帰りが一緒になったの?」
「外でたまたまあったんだ」
メイが言う。
「あれ?メイちゃん、ずっと外にいたんじゃないの?」
克之が意外な顔をしてメイに聞いた。
「え?そんなことないよ」
「快里とネイちゃんが宿題が終わるの待ってたとか?」
「ははは……まさかぁ」
多人数で食事をするのは快里にとって久しぶりだった。ネイの作ったお鍋を4人で囲み、今日赴任してきた藤木依入先生の話や、テストの話などをした。兄貴が、作った人工知能の話をしたのだが、興味を持ったのはやはり僕だけ。
ご飯を食べ終えたものの、結局のところメイに宿題を教える時間は取れず。本当は、自分の宿題はとっくに終わっていたので、メイは要領よく宿題の答えだけを得ることができた。
兄貴が言っていたように、メイが宿題が終わるのを待って入ってきたというのは、ひょっとしたら本当かもしれない。とはいえ、寒い中、待っているぐらいなら、さっさと入ってきた方が良いんじゃないかと思うが……。
そんなことを考えつつ、快里はネイとメイを家まで送り、自分の部屋で休むことにした。




