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保健室の恋人  作者: 実月アヤ
after story2. 診察室の恋人
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診察室の恋人 / 桜の下で

「行っていいよ、遥ちゃん。冴木のこと、気になってるんだろ」


 美百合を見送ってから、水瀬は遥にそう言った。送り出しかけて、ふと言葉が口をついて出る。


「ーーありがとう。君が冴木の傍に居てくれて良かった」


 ずっと思っていた。なかなか伝える機会がなかっただけで。玲一のことを一番理解しているのは水瀬かもしれないが、一番信頼しているのは間違いなく遥だ。そしてそれこそが、玲一にとっては救いであり、何よりの愛情の証なんだろう。

 水瀬では変えられない、玲一の決定的な部分を逃げもせずに受け止めてくれた彼女。友人として感謝していると、伝えたかった。

 演技ではない、水瀬の柔らかな微笑みに。遥もふわりと笑みを返した。


「あなたもですよ、水瀬先生。あなたが一番、玲一を支えていてくれる、でしょ?」


 彼女の言葉が嬉しくて、微かに笑った水瀬を遥が首を傾げて覗き込んだ。


「ーーでもそろそろ、水瀬先生にも甘える相手が居てもいいんじゃないですか。ああいう人なら、本当のあなたを知ってもきっと揺らがないと思いますけど」

「……っ」


 不意打ちで、核心に触れられて。水瀬は息を飲む。



ーー研修医だった頃。先の見えない恋をした。命が消えると分かっている相手を。

 未だに真剣な恋愛ができないのは、彼女を失ったせいなどと感傷に浸るつもりはない。女好きなのも、浮ついた恋愛体質も昔からだ。

 けれどーーあの時の痛みは忘れない。

 それからだ。患者に必要以上に踏み込まないように、『水瀬先生』を装い始めたのは。

 誰にでも等しく優しい、誰も特別扱いはしない、ーー自分を守るために。

 詳しく話したわけではないのに、遥は人の痛みに敏感なのかこういう時、鋭い。ーー玲一と同じように。

 けれど最近は、水瀬も自分が変わりつつあるのを自覚していた。玲一と遥につられて地が出つつあるみたいだ。


「……そう、かな?」


ーー君たち二人みたいに、偽りない自分を、見せられるのかな?冴木が君に会って、変わったように、俺にもそんな相手が現れるのかな?


 遥は水瀬が言葉にしなかった部分も感じ取ってくれていた。しっかりと頷く。


「だといいな、って私は思います。きっと、玲一も」


 いつのまにか、玲一と遥の姿に憧れていたのかもしれない。

 また一つ、鮮やかな笑顔を残して立ち去る遥の後ろ姿に。


「……ホントに、冴木が羨ましいよ」


 水瀬は苦笑した。



***


 午前の診察時間が終わった診察室。玲一は一人でカルテをまとめていると聞いて、遥は遠慮がちに診察室の扉をノックした。


「玲……冴木先生、居ますか?」


 扉が開いた瞬間、中から伸びた腕が遥の身体を引っ張りこんで、


「キャ……!」


 倒れ込みかけた彼女を力強い腕が受け止める。


「ーーやっと取り返した」


 遥を抱きしめているのは、もちろん愛おしい旦那様で。優しく彼女を見下ろして、その唇にキスした。


「もう水瀬だろうと、誰にも貸さない。嘘でもお前が誰かの隣にいるなんて、

耐えられない」


 妻の腰を抱きしめて身を寄せる玲一に、遥は苦笑した。


「もうしないわよ。美百合さん、私があなたの奥さんだって知ってた」

「あいつ、やっぱり馬鹿……」


 呟いた玲一は、けれど思い出したように遥を覗き込んだ。


「なあ、さっきの久しぶりだよな。もう一回言って?」

「さっきの?」

 

 聞き返して、気付く。


「……“冴木先生”?」


 思い当たった遥がそう呼ぶと、玲一は彼女の腕を引いて診察台に座らせ、そのまま緩やかに遥の身体を押し倒しーー妖艶に笑った。


「高校の時みたいだな」


 遥の頬を、玲一の指がなぞる。


ーー思い出す、あの保健室。

 こんな風に、何度彼を見上げたことか。

 場所が変わっても、恋人が旦那様に変わっても、未だにドキドキとさせられる。いや、今でも恋をし続けているのだから、当然かもしれない。いつまでたっても慣れないけれど、それも嬉しい悔しさだ。


「ねぇ遥。……ちょっとだけ、イケナイ気持ちにならない?」


 玲一のたっぷりと色気を含んだ笑みに、遥は一瞬で真っ赤になる。


「……っ、だ、ダメだってば!玲一!」

「も一回言ってよ、センセ、って」


 な、何プレイ……!?


 遥は必死で玲一の身体を押し返す。


「さっき看護師さんにも呼ばれてたじゃないの!」

「あれ?妬いてくれた?でも他の女に呼ばれてもな。欲情するの、遥だけだから」

「な、何サラッととんでもないこと言ってるの!?」


 どさくさに紛れて服の中まで入り込んだ玲一の手から、必死で逃れようともがきながら。けれど彼の優しいキスに、やっぱり勝てるわけが無い。囁かれる言葉は、どこまでも甘くて。


「愛してるよ」

「私も……」


 そのまま彼の唇に、身を任せそうになってーー



“ガチャリ”


「冴木センセー……ええ!?」


 扉を開けたのは、あの若い看護師マリカだった。二人の状況に気づいて、ーー次の瞬間には顔を真っ赤に染めて叫んだ。


「エエエッ!?あの、センセ!?」

「悪いけど、午後の診療開始時間まで立入禁止。今、大事なうちの奥さんを診察中だから。もちろんエロい意味で」

「きゃああ、ちょっと!何言ってるのよ、玲一!」


 こちらも真っ赤になって慌てて逃れようとする遥に構わず、玲一は飄々と言ってのけた。


「だって色々我慢できない。なんかムラムラ……じゃない、モヤモヤするし。早急に治療が必要かと思われます、先生」

「先生はあなたでしょう!?気を確かに!」


 仲睦まじい夫婦の姿に。


「あはは……お、お幸せに~?」


ーー新人看護師マリカはくるっと回れ右、黙って扉を閉じた。


 あー、ビックリした。……けど、奥さん、メチャメチャ可愛かったなあ。


「冴木先生じゃなくて、冴木夫妻ファン、に変更しよ~」



***


後日ーー


「ねぇ、冴木何やってんの?診察室私物化したんだって?神聖なる仕事場で嫁といちゃつくとか、良いと思ってんの?」


 コツコツとカルテをペンで叩きながら水瀬が玲一を咎めるーーが。玲一はチラリと彼を一瞥して、短く問い返した。


「で、本音は?」

「畜生羨ましすぎる!俺でさえ仕事場では自重してんのに!」


 煩悩だだ漏れな親友を冷たい目で見て、玲一は掛けていた眼鏡を外す。


「ちょっと有害物質に汚染されてたから、緊急消毒しただけだ」

「そ、それは俺の事ですか!人を害虫扱いして……」


 天に吠える水瀬に構わず、玲一は黙々とカルテをしまい込んだ。しばらく水瀬はそれを横目で見ていたが、彼の手が止まったところでぽつりと零す。


「……俺が彼女に、ホントに惚れちゃってたら、お前どうした?」


 少しだけ、意地悪を含んで。ちょっぴり動揺させてみたくて。

ーーけれど玲一はふ、と笑った。


「ーー無いな。だってお前、遥のことより俺のことが好きだろ」


「ーーっ!!?」


 あっさりと告げられた言葉に。


 しまった!完全に、やられた!


 思わぬ反撃に、動揺させられた水瀬は声をあげる。


「な、な、何を言ってるんデスか!可愛くない冴木より、可愛い遥ちゃんのほうがいいに決まってるもんね!」

「ああ、本気で遥に手を出したら、……地獄を見てもらうからな?」


 にっこりと、それはそれは完璧な王子様微笑を浮かべて、怖い事を言ってのけた親友に。


「……最強だね、冴木……」


 水瀬はデスクに突っ伏してーー笑う。


 君たち夫婦には、完敗です。




***

 それから何度目かの、春。


「玲一、見て」

「ああ、もう満開。綺麗だな」

 

 手を繋いで桜並木を見上げながら、玲一と遥は微笑み合った。

 この春、遥は大学を卒業し、母校の養護教諭になる事が決まっていた。


「やっと第一歩ね」


 そう言って笑う遥を、玲一はとても愛おしげに見つめて。囁くように言った。


「ああ。ゆっくり進めばいいよ。ずっと傍で見てるから」



 桜が舞い散る季節は、いつも彼女を思い出す。

 隣に居る、大切なひとに巡り会わせてくれた彼女を。

 そして降り注ぐ花びらに手を伸ばして。

 愛する人とキスをする。


 あなたは私の、大好きなひと。



fin.

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