二人きり
二時間弱、車を走らせて、ついたのはひっそりと建つ山荘だった。ちょっと大きな一軒家、くらいの大きさだが、外観はまるでヨーロッパの童話に出てくるお家みたいだ。白とスモーキーピンクの壁に深いグリーンの屋根とオレンジの窓枠。カラフルだけれど彩度を抑えた暖かみのある家。表札も無く、日常的に人が住んでいるようには見えないが、手入れはされているのか、周りの枝などはきちんと剪定されている。
「可愛い……ここって?」
車から降りてそれに見惚れていた遥が聞けば、玲一が微笑んだ。
「水瀬の別荘」
「ええっ!?」
す、凄い。確実に遥の家より広い。
「正しくはあいつの親父さんのものを譲り受けたんだと。近くに川もあって、学生ん時、夏休みとかに一緒に遊びに来てたんだけど……今回は貸し切りました」
指に引っ掛けた鍵をカチャカチャと回して玲一が言った。この別荘の鍵なのだろう。
「さすがにお手伝いさん達までは借りられないから、全部セルフサービスだけどね。まあそのかわり……」
言葉を切った彼は楽しそうに遥を見た。
「この休みは二人っきりで、ここで過ごすってわけ」
……凄い。凄すぎて、唖然。
「誰にも邪魔されないことだし、早速ゆっくりしようか」
その言葉と。その視線に頬が赤くなる。普通の言葉なのに、玲一にかかれば意味深に聴こえるのだから困る。
中に入ればちゃんと掃除も済ませて管理の行き届いた、快適な空間だった。……掃除するから、とか適当な理由を付けて離れるわけにはいかなそうだ。
(いや、離れたいわけじゃないんだけど)
どうにも意識し過ぎて、落ち着かない!ウロウロと視線を彷徨わせる彼女に、クスクスと笑う声がかけられる。
「はーるかちゃん、固くなりすぎ」
それも玲一にはお見通しだ。ちょいちょいと手招きされる。
「……はい」
真っ赤な顔で、近づいた。
二人は荷物を置いて、近くにあるという川へ向かった。晴れ渡った空。木々の間から木漏れ日が差し込んで、道を照らす。
(なんだか凄く静か)
穏やかな気持ち。
「遥」
玲一から差し伸べられた手をとれば、そのまま指を絡めて恋人繋ぎをされた。それにドキドキして、俯いてしまう。
「下ばっか見てると、ぶつかるよ」
クスリ、とこぼされた笑みと言葉に慌てて顔を上げれば、そこにキスをされた。
「……っ」
「ね」
柔らかな笑顔はいつもの保健室とは違うもの。どちらも遥はドキドキするけれど。優しくて甘い視線に、何となく照れくさくて俯けば、ますます彼が微笑んだのが分かった。
「ほら、着いた」
「わあ……っ」
彼の声に顔を上げた瞬間、目に入った光景に遥は歓声を上げた。
そこにあったのは割と大きな川だった。水辺はさすがに涼しい。水面はキラキラと煌めいていて、水は透き通っている。
「水、入ってみていい?」
遥は玲一の答えを聞かずに靴を脱ぎ捨てて、ジャブジャブと川に入っていく。いつもよりはしゃいでいる彼女を玲一が愉しそうに見ているのも気付かずに。
足元を小さな魚が泳いでいった。
「わ、結構冷たい、っ」
踏み出した足が苔を踏んで、ズルッと滑る。転びそうになって小さく悲鳴を上げた。
「きゃ」
「危ない」
抱き留められた腕にしがみつく。顔を上げれば、額に柔らかな髪の感触。
――あ……。
至近距離で見つめ合って。
「初めて逢ったときも、同じように助けてくれたよね」
内緒話を囁くように呟く遥に、玲一も同じように囁き返す。
「あの時も、こうやって、俺はお前に見とれてた」
――え?
「み、見とれてたの?」
それは……嬉しいような、恥ずかしいような。けれど同じ事を、思い出してたのだとちょっぴりくすぐったい気持ちになって。
「誕生日おめでとう、遥」
遥は近づく唇に目を閉じた。
*
別荘に戻って、玲一はキッチンで荷物を広げ始めた。来たときにしまっていった食材や飲料を、冷蔵庫から出していく。次々に並べられる食材に、遥が彼の手元を覗き込んだ。
「夕食作るの?私やるよ?」
けれど玲一は遥の両肩に手を掛けて、くるりと回れ右させる。キッチンから押しだした。
「誕生日のヒトはおとなしく、もてなされてなさい。ジュースでも飲んで、カウチで昼寝でもしてて」
悪戯っぽく笑う彼に、遥は首を傾げる。
「う~、でも、してもらいっぱなしなんて落ち着かないわ」
玲一の部屋で二人で過ごす時には、遥が作るか、二人でキッチンに立つことが多い。試験勉強期間の時のように玲一が作ることもあるが。
彼女の言葉を聞きながら、玲一はシンプルな黒いカフェエプロンをして、腕時計を外す。どこからどうみても格好良い、と遥が見とれるその姿で、思案げに呟いた。
「う~ん、でもねぇ。エプロン姿で隣に立たれたら、襲いたくなっちゃうかもしれない……」
「……は?」
見た目はオシャレなカフェの店員のような彼の口から、さらりと出た衝撃発言に、少女が固まる。
「我慢できなくなったら、遠慮しないよ。夕食がいつになるか」
「待ってます!あっちで!!」
「それに仮眠はしといたほうが良いと思うけど?今夜のために」
「~~~!!?」
真顔でなんてことを!直撃!爆撃!総攻撃すぎる!!
真っ赤になって口をパクパクさせたものの、結局は彼を言い負かすことなどで着ない遥はそこから逃げ出して、テラスへと向かう。カウチに寝転んで息を吐いた。
誕生日。18歳。
「追いついちゃったね、……桜ちゃん」
もう進むことの無い、亡くなった姉の年齢に。
けれど遥はふ、と微笑んで。桜を思い出して笑えることが、嬉しい。
桜を失ったばかりの頃は、進んでいく時に記憶が埋もれていくのが酷く悲しかったけれど。ーー今は、積み重ねた時間が、桜をもっと愛おしく思わせてくれた。
「玲一のおかげだね」
調理する良い香りがして、遥は目を開けた。本当に眠ってしまったようだ。慌てて起き上がってテラスから室内へ戻る。
「ごめんなさい、私本当に眠っちゃった。何か手伝うことある?」
キッチンに顔を出した遥に、玲一は時計を見て笑った。
「ほんの30分くらいだろ。ゆっくりしてて良いのに」
遥は笑顔を返す。
「でもね?誕生日だから“作ってもらう”より“一緒に作る”ほうがいいな」
手を洗って隣に立つ。今度は玲一も頷いた。
「じゃあポテトサラダ担当な」
「はーい」
ダイニングではなく、リビングで食べよう、と玲一に言われて、そちらへ料理を運ぶ。テーブルに並べられた料理はどれも美味しそうで。食事が始まるのを楽しみにしながらソファに並んで座った。
「玲一は、いいお嫁さんになれるわね」
ちょっと女の子的には肩身が狭いなあ、と遥が呟けば玲一は微妙な顔をした。
「こらこら、それを言うなら旦那さん。お嫁さんはそっち」
言われた言葉に、ドキン、と遥の心臓が跳ね上がる。
(ど、どういうつもりで言ってるんだろう)
けれど意味を深く突っ込んで聞けるような彼女ではなく、曖昧に笑ってやり過ごした。玲一がワインをグラスに注いで。遥にはジュースを渡してくれる。
「18歳、おめでとう」
「ありがとう」
カチリとグラスを合わせて乾杯した。早速料理にも手を伸ばした遥は、口に運んでパッと笑顔になる。
「美味しい!」
「良かった。どんどん食べろよ」
二人で並んでの食事はあまり無い。ダイニングテーブルのように向かいあって座るならともかく、隣で食事をするのは何となく緊張する。時折触れる指を、どうして良いか分からなくて。それをごまかしたくて、遥は口を開いた。
「お酒呑むとこ初めて見る。ワイン好きなの?美味しい?」
「一口、呑んでみる?」
え?と、聞き返そうとしたときには、玲一の唇が遥に重ねられていた。
と、舌に渋い苦味のような深みを感じ、続いて喉を通っていく液体と、灼けるような熱。
――ゴクン。
口移しでワインを呑まされたのだと気付いたときには、飲み込んでいた。唇の端から一筋、赤色に光る液体が零れ落ちる。
「……エロ」
「ちっ、違うでしょ!?未成年の飲酒はダメですっ!!」
「一口くらい平気だよ」
「医師免許持ってる人のセリフじゃないわよ!?」
ついでに常識ある大人のセリフでも、教師のセリフでもない。
慌てて口元を拭おうとすれば、玲一が彼女の口の端をペロリと舐め上げた。
「―――っ!!?」
遥は真っ赤になってソファの端へとずり下がる。落ちそうになるところまで身体を寄せて声にならない声で抗議しようと口を開いたが。
「……逃がさないけど」
微かに艶を含んだ声で玲一が微笑んだ。色気全開で迫られ、遥は後ずさる。
「玲一?よ、酔ってる?」
「だから、逃がさないって」
玲一が遥の唇にキスをした。優しく触れるだけのキスに、警戒心を忘れてしまえば、次の瞬間には、彼の舌で唇をこじ開けられた。
「――っ……!?」
絡みつくそれに必死で応えようとするけれど、口腔をなぞられて、唇を甘噛みされて、舌を強く吸われて、息継ぎも出来ない。
「……っ、ふぁっ」
やっと離された瞬間、大きく息を吸って。遥が涙目で玲一を見上げる。
「そんな顔は、俺を煽るだけだよ」
瞼に落とされた玲一の唇。そのまま耳元をかすめ、首筋を辿っていき、遥は身体を震わせる。いつの間にか彼女は押し倒されて、背中がソファに押し付けられていた。
「玲一、待って……」
ほとんど抵抗にもならない抵抗をして、遥が身をよじる。が、玲一の指は構わず彼女のワンピースの前ボタンを外して、中に滑り込んだ。
「待てない」
あらわになった胸元に彼の手と唇が這う。もう一方の片手も、裾から腿を撫で上げるように潜り込んでゆく。
「……っ、れーいち……!」
身を仰け反らせて愛しい名前を呼んだけれど。思いのほかかすれた自分の声は、到底抵抗を示すものではない。与えられる刺激と、快楽に身を任せるのが恥ずかしくて、遥はギュッと目を瞑った。 耳元に落ちる、艶めいた声。
「ねぇ、遥。ーー壊してもいい?」
予感はあった。
18歳の誕生日。今までとは違う抱かれ方をするのだと。
けれど、本当になったからといって、到底羞恥心は無くならない。
だから答えられずに、黙って頷く。
ただ、いつだって遥を見つめる玲一の瞳は、どこまでも優しいのに。今はそれをかき消すくらい、激しい熱が揺れていた。




