ep.2-6 プロローグ
「遥、来週の金曜空けておいて」
放課後の保健室にて。珍しく玲一がそんなことを言う。予定を聞かれることはあっても、彼がわざわざ改まって遥の予定を予約することはあまり無い。そもそも約束しなくても、当たり前のように週末は一緒に過ごしていることが多い。遥は首を傾げながら口を開く。
「え?はい……あ」
返事をしてから、気付いた。その日は、遥の誕生日だ。
(ホントに外さないなあ……)
さすがというべきか。遥自身も忘れていたくらい、話題にも出していなかったというのに。玲一はさらりと言う。
「泊まりだから。お母さんには許可貰っておく」
「えっ!?」
いくら婚約者でも、外泊なんて許して貰えるのかな……いや、玲一なら貰えるかな。試験勉強の時も許してくれていたし。今まで玲一の頼みごとを母が断ったことなんてないのだから。
「どこか行くの?」
首を傾げて聞けば、玲一はクスリと笑った。
「さて。お楽しみ」
それ以上は聞き出せそうになくて、遥は早々に諦める。
でもなんだか楽しみだ。それに。
(今度の誕生日は、特別、だよね……)
次の誕生日で、遥は18歳になる。高校には通っているものの、世間的には大人とみなされる年齢。
玲一の顔を見上げれば、彼は柔らかいキスを落としてきた。
(同じこと、考えてるのかな……)
*
「今更じゃないの?」
病院の勤務終わりに玲一に呼び出され、近場のバーで一緒に呑んでいた水瀬だったが、それを聞いてサラリと言った。
「18歳ったってもうすでに18禁以上のこと色々してるんでしょーが」
「……」
「え、まさかアレでまだ我慢してるつもりなの?一応制限してるの?」
玲一はポーカーフェイスで黙秘だ。
黙っているところを見ればそうなのか。水瀬は遠い目をして呟く。
「遥ちゃん……気の毒……」
「うるさい。サッサとアレを貸せ」
手のひらを差し出して、玲一が水瀬に強請った。今日の呼び出しの目的だ。
ふーん。そうくるか。水瀬は玲一に顔を向け直してにやりと笑った。
「おねだりの仕方、間違えてるよねぇ、冴木?」
優位に立ったつもりでふふん、と言えば。玲一はさらにふ、と鼻で笑う。カウンターに頬杖を付いて、微かに首を傾げた。ゆっくりと瞬きすれば、瞳が妖艶さを増す。バーの間接照明が色素の薄い瞳に橙色の光を落とした。低く艶めいた声が耳に忍び込む。
「なんて言って欲しいの?さっさと寄越せよ……陸」
「お納め下さい!!」
なんだこの色仕掛け!!
水瀬はカウンターに突っ伏した。
「ホント、遥ちゃん可哀想……」
「心外だね」
その時、入口が騒がしくなり、若い女性客のグループが入ってきた。店内に目を向けて、カウンターに座る美形に目を留めてパッと顔を輝かせる。
「あ!水瀬センセ~!?」
確実にハートマークがついた声で女性客がこちらに呼び掛けてくる。
「しまった、近場すぎたか」
水瀬がぼそりと聞こえ無いように呟いた。
「……と、きゃあ!冴木先生お久しぶりです~!!」
彼女達は水瀬の勤務先――玲一の元勤務先の看護師達だった。
「いや~ん、お二人とも今でも仲が良いんですね~」
「二人揃ってると目の保養さ倍増ですね~」
黄色い声ですり寄ってくる彼女達に、すかさず水瀬が『水瀬先生』の仮面をかぶる。
「皆さん、お疲れ様。いつも頑張ってくれてありがとうございます」
途端に彼女達から洩れたピンク色の溜め息。玲一がよくやるよ、と水瀬に視線を送った。
「一緒に呑みましょうよ~」
玲一の腕を掴んで、ひときわアピールされた上目遣いと豊かな胸を押し付けてひとりが誘えば、彼は苦笑する。水瀬から受け取ったものをポケットに押し込んで立ち上がった。
「悪いけど、もう用事は済んだから。じゃあな、水瀬」
水瀬は任せとけ、と手を振ってにっこり笑って。親友の後ろ姿を見送った。
「あ~あ、冴木先生ってガードカタいなあ」
迫っていた彼女が玲一が出ていった扉を眺めて呟けば、水瀬が苦笑する。
「冴木は可愛い彼女しか目に入らないんですよ」
「えーっ、冴木先生の彼女ってどんな女性ですか!?」
聞き返す彼女。病院勤務だった頃も玲一はモテていたが、職場の女性に手を出すことは無かったし、付き合っている女性の話題をするようなタイプでもない。きっと彼のプライベートを知っているのは水瀬だけだろう。
「う~ん、清楚で、美人で、可愛くて、素直で、冴木に振り回されてるようで実はしっかり冴木をメロメロにしちゃってるのに、ぜんっぜん自覚がない天然小悪魔……かなあ」
彼女達は顔を見合わせて。
「……なんだかすごい彼女ですね」
「そうでしょう?」
笑いをこらえた顔で、水瀬が答えた。
**
学校は創立記念日でお休み。泉学園は隔週土曜が休みだから、今週は三連休になる。迎えに来てくれた玲一の車に乗り込む遥。やはりというか、母は二つ返事で玲一との外泊を認めてくれた。
「どんな手を使ったの?」
横目で聞けば玲一は愉しげに笑った。
「誠実に、お願いしただけだよ」
胡散臭い。どんな手、じゃない。どんな笑顔で陥落したの?だ。
「もう……」
遥は運転する恋人を見る。端正な横顔。ハンドルにかかる長い指と、風に揺れる明るい髪。いつものように、見惚れてしまう。
綺麗だなあ。いつになったら、このひとの顔に慣れるんだろう。
ふとその視線がこちらを向いて、焦った遥は話題を探す。
「そういえば、玲一はマニュアル車じゃないのね。私も車の免許を取りたいなって……」
言いかけた遥の腿に大きな手が乗せられる。
「マニュアルだとこーゆーコトができない。両手ふさがるからな」
ワンピースの裾に滑り込もうとする手を、赤い頬で遥がぺしぺしと叩く。
「もうっ!何してるのよこんなとこで!危ない!」
玲一は笑って手をハンドルへ戻す。どうやら冗談だったようだ。
「免許ねぇ。要らないんじゃない?俺に乗せられてれば」
笑いを含んだまま言われた言葉に、遥は口を尖らせる。
「私だって運転できればこういう時に玲一と交代できるじゃない。それにいつも私を送るからって玲一は呑めないし」
玲一も大人なのだから、食事時にアルコールが欲しいこともあるはず。けれど外でも家でも呑んでる姿を見たことがない。遥は玲一の同僚教師から聞いた話を挙げてみる。
「たしか美山先生が、親睦旅行のとき玲一は結構呑んでたって」
「またあの人は余計なことばっかり」
玲一は苦笑した。
「酒なんかなくても遥と居るのが楽しいんだ。気にするなよ」
優しい言葉に、ちょっぴりくすぐったくなる。ところが玲一は笑いを浮かべまま口を開いた。
「……でもまあ、今回は持ってきてるよ。泊まりだし、お祝いだからな」
後部座席の荷物を示す。遥には良く分からないが、きっとワインだろう。ペーパーバッグから覗く瓶が見えた。
「もちろんお前はノンアルコールだけどね。……酔っぱらって制限なく襲ったらごめんな?」
は!?
さらりと言われた言葉に、ぎょっと目を見開く。冗談かと思いきや、玲一は深い笑みを浮かべている。今までの付き合いから分かる。本気で言ってる。
「な、なにそれ……」
「うん、自分でも予測つかないから、先に謝っとくな」
「そんな謝意は要らないんですが……っ」
遥は不安いっぱいに窓の外を眺めて溜め息をついた。




