第五章(6)
安全な道筋を通り、ディルス達は雪原へと入った。魔法で吹雪を避け、しばらく歩いていると金色の青年が見えてくる。
彼もこちらに気づき、雪に足を取られながらも近づいてきた。
「ディルス。良かった。何もなかったな」
「ああ……」
「アフィルメスは確かに何人かこっちに来てるみたいだが、まだ大丈夫だろ。今の内に雪原を抜ければ何とかなる」
「そうか……」
いつものような覇気のない自分に、彼は目ざとく気づいた。慌てて取り繕うように笑うが、訝しげに眉を寄せたままリーファは口を開く。
「ディルス。レイアはまだ来てないのか?」
「すぐに来る。ほら、あいつちょっと要領悪いし、忘れもんでもしたんだろ。マルファスも大変だよな~」
おどけて言ってみるが、おかしいことなどディルスが一番分かっていた。生来、駆け引きとか、芝居なんてものは得意ではないのだ。
「ディル。ねえ、どうしたの? 何があったの? 貴方も、マルファス様も、ここのところ変だったわ。レイアがどうかしたの? すぐに来るのよね」
メラにすがりつくように言われ、ディルスは歯を食いしばった。
言うなとレイアに言われた。どうにもならないことだからと。上手く誤魔化して行ってくれとそう頼まれた。だが――
「ディルス……あんた、何を隠してる?」
いつか自分がマルファスにした問いかけを、今度は自分が受ける嵌めになってしまった。
睨むように、探るようにこちらを見る青紫の目。レイアを、心から想ってくれる強い青年の目。それを誤魔化す術は、ディルスにはなかった。
「リーファ……行ってくれ。今なら、まだ……間に合うはずなんだっ」
「ディルス?」
「レイアは……ここに来ないんだよ!」
吹雪にかき消されぬよう叫んだ言葉に、息を呑む音が聞えた。メラと、目の前にいるリーファから聞こえた声なき声。
「な、何言ってるのディル? まさか、レイアは国と心中するつもりなの!?」
「違う……」
「それじゃあ何で!? まさか、一人で戦う気じゃっ」
「違う!」
肩を揺すぶり、叫びながら詰め寄るメラに、ディルスも強く叫び返した。その胸倉を、リーファが苦しいほどの力で引き掴む。
「どういうことだ。どうしてレイアが来ない! 答えろディルス!」
苦しさに顔を歪めながらも、ディルスはリーファを見返した。レイアを変えた青年だ。彼には、知る権利がある。
「アフィルメスに行った時、あの王子の様子がおかしいと思わなかったか?」
ピクリと揺れた表情を、ディルスは見逃さなかった。彼も、違和感を覚えていたのだ。
「この世界は、常に命ある者が正と負の感情を出している。それは、神族や魔族の糧となり、俺達原初の一族が整えて、一定量を保てるようにしてきた。それが俺達の役目だった」
そうやって常に世界の均衡を保つこと、それが原初の一族と呼ばれる者の役目だ。
「だが、時に正と負、どちらかが予想以上に増える時がある。大抵は負だ。戦争なんかがあった時は特にな……」
「戦争……」
覚えはあるだろう。彼が元いた国は、そうやって今の地位を築いたのだから。
「そんな時は、王である者が守護王なっている原始の王の一人を召喚し、一気にもとの状態に戻すんだ。レイア達王族だけが使える技だ……」
「ならレイアは、今それをしようとしているのか? 負の量が一定以上を上回ったから、守護王を呼び出して何とかしようと? まさか、カルロの様子が変だったのも、いきなりアフィルメスが侵攻してきたのも、そのせいなのか!?」
理解が早いと思った。さすがはレイアが惚れた男だけはあるな、と、場違いな感想が頭に浮かぶ。だが、まだ足りない部分がある。
「こんな時にしなくたって……せめて安全なところに行ってから」
「もう、守護王だけじゃ無理なんだ……」
その言葉に反応したのは、リーファではなくメラだった。小さく震えたかと思うと、そのままくず折れるように雪原に膝を突く。
彼女には、今の一言で分かってしまったのだろう。
「どういう、ことだ……?」
メラの様子に異常を感じたのだろう。リーファの表情も強張り、勢いが消えた。
「負の量は、大幅に増えてる。もう守護王だけではどうにもならない。そうレイアが言った。なら、とるべき道は一つ……原始の王、全てを召喚するしかないんだ……」
胸倉を掴んでいたリーファの手が震えた。召喚という技が、どれだけの力を使うか、魔導士たる彼は知っている。そして、原始の王を全てとなれば、彼の想像を超える力が必要なことも、どこかで悟ったのだろう。
「できるん、だよな?」
レイアならば可能なのか、無事ですむのかと、まるでそうであって欲しいというようなリーファの声。
頷きたかった。大丈夫だと、言ってやりたかった。本当はそれを、自分も望んでいるから。
「四人召喚は、祈りの間でしかできない……魔力で呼べるのは守護王と、どんなに頑張ってもあと一人が限界だ。全員召喚するには……命を賭けるしかっ」
そこまで言った時、ディルスは雪原に放り出された。全身が雪によって冷えていく中、遠ざかる足音が嫌に鮮明に聞える。
「どうしてっ、どうしてなのよ、ディル!」
仰向けに倒れたディルの胸を、何度も、何度もメラが叩く。それを止めることなく、ディルスは甘んじて受け入れた。
この程度の痛み、リーファの痛みに比べれば、レイアの痛みに比べればどれほどのものか。
「どうしてレイアがっ!」
メラの叫びに、ディルスの頬を一つの雫が伝った。それは雪が溶けたものなのか、それとも自分の涙なのか。
(小さくてもかけがえのない幸福を……)
そう望んだのに。どんなに小さくても良いからと、そう願っていたのに。
「それすらも、レイアには許されないってのかっ。原始の王よ!」
強く、恨みすら含んだその声は、吹きすさぶ雪に吸い込まれていった。




