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第四章(5)

 レイアが出て行って、気まずい沈黙が部屋に訪れる。

 まさか、魔族と神族の王が二人そろって来るなんて思わなかったのだ。しかも、その二人と部屋に取り残されるなんて、さらに予想だにしていなかった。


(仲良くしてねって……どうやって?)


 目の前の二人は対照的な表情だ。にこやかな神王と仏頂面の魔王。しかし、その体から発される気はかなり威圧感がある。ただそこにいるだけなのに、だ。

 戸惑っているリーファを見かねたのか、アースが右手を差し出した。それを恐々握り返しながら、ふとその手の甲についた黄金の目に視線を奪われる。


「これは、確か未来を見るっていう」

「正確には『見せてくれる』ですよ。よくご存知ですね」

「あ、まあ。一応魔導士だから」


 魔道に関することを勉強する際、他の種族についても学ぶ。この世界に存在する種族で特殊なのが霊魂族と魔族と神族。中でも、この二人の存在はかなり特殊だったはずだ。


(確か、存在するために絶対条件があったよな……)


 他の魔族や神族が、正と負の感情が動植物などに取りついて生まれるのに対し、彼らは正と負の感情が寄り集まって生まれた存在だ。力も絶大、寿命もない。ただその代わり、存在し続けるために絶対条件があり、それを破れば消滅する。リーファはその条件を思い出した。


 神王は、決してその両眼で光を見てはいけない。そして魔王は、決して個人を愛することも、愛されることも覚えてはいけない。


 神王は目が見えるはずなのに、目隠しを取ることは許されず、一生世界をその目で見ることができない。

 逆に魔王は、魔族から尊敬され、他種族から畏怖されることはあっても、誰か個人を愛することも、愛されることも味わってはいけないのだ。


 それを思い出すと、リーファはちらりとアウリュを見た。相変わらずの仏頂面。だが、そんな彼がレイアを見る目は、どこか切なげで、悲しげだったように思う。


「何だ?」

「いや……魔王と神王が、いくらアレネスの女王だからって、こんな気軽に会いに来ると思わなかったからさ。何かあったのかと……」


 レイアを呼びに来たマルファスの様子も気になる。それと同時期にこの二人の訪問。もしかしたら、何かとんでもないことが起こってるんじゃ、と嫌な予感がよぎった。


「私達は昔からの知り合いですから。ただ不意に顔が見たくなったのですよ」


 そうアースは言うが、一度生まれた疑念は消えない。二人の表情から何か読み取れないか、と顔を上げて、リーファはこちらをじっと見る視線に気づいた。

 魔王の、どの魔族より深い紅色の目が、リーファの心の内を探るように見ている。


「な、何?」


 眉を顰めて問えば、アウリュは何かをこちらに投げよこした。銀色の小さなそれは、綺麗な放物線を描いて手の中に納まる。


「指輪?」


 それは小さな指輪だった。紅色の宝石がつき、銀の輪には草花が掘り込まれている。


「お前にやろう」

「え? えっと、これ、え? 魔法具だよな。でも、魔王に魔法具? 買ったりしないよな。自分で作ったとか? 魔王って意外に貧乏性なのか?」

「拾ったんだ……」


 一目見て、何やら強力な魔法がかかった物だと分かった。だが、魔王が魔法具に頼るわけもなく。導き出した答えを言えば、彼は少し口をひくつかせて訂正してきた。その隣で、アースが耐え切れずに噴出している。


「す、すいません。でも魔王が貧乏性って……ふふっ」


 何やらつぼに嵌ったらしいアースは、アウリュに睨まれながらも笑い続けている。


「まあ、貰える物は貰っておくけど」


 リーファは指輪をはめようとするが、女性用なのか小さい。小指にすらはまらず、仕方なくポケットに仕舞いこんだ。


「良いの? 初対面の俺にこんなの渡して」


 リーファは人間の中では強い方だし、アフィルメスでは高位に属していた。だが、魔王などから見ればちっぽけな存在だろう。そんな自分に、なぜ彼が拾い物とはいえ物をくれたのか分からない。


「お前には、知ってもらわねばならんからな」

「え?」

「その時、それが必要になるだろう」


 意味の分からない言葉。ただ、それが良い内容でないことは自ずと知れた。先程生まれた疑念と不安が、しだいに大きくなっていく。


「その、黄金の目が見せた未来に……関わりがあるのか?」


 魔王が言うのだ。からかっている顔でもない。何か重要なことが起こり、リーファがそれに関わることを望んでいるように見える。

 リーファが知らなければならないこと。考えて一番に浮かぶのは、アフィルメスのことだ。宰相の手に落ちそうなあの国。あそこに、何か最悪の事態が起こるというのか。


「貴方は、それが辛い現実だとして、受け入れられますか?」

「受け入れる? 冗談じゃない。辛い現実ならそれを変えようとする」

「変えられないなら?」


 アースとアウリュ。交互に告げられる言葉に、リーファの頭は困惑した。何が言いたいのか分からない。だが、分からなければ後悔するのだと言われているようで――


「何が起こるっていうんだ? その目はあんた達に何を見せた!」


 一歩足を前に踏み出したリーファは、アウリュの目にハッとした。ほんの少し前に、レイアを見た時と同じ目だ。


「まさか……レイアに何か起こるっていうのか?」


 アフィルメスとの諍いのことだろうか。それとも、他の何かが彼女の災いとなるのか。


「もうすぐ、時は満ちる」

「どうか、目を逸らさないでください。たとえそれが、どんな現実でも」


 苦しげに呟いた二人の姿が、少し薄くなる。


「ちょ、待っ……!」


 リーファが言い切るより早く、二人の姿は来た時と同様、一瞬にして掻き消えていた。伸ばした手は空を切り、ひらりと白と黒の羽根が舞い落ちてくる。それを拾い上げ、リーファは強く握り締めた。


 頭に浮かぶのは、アフィルメスでの出来事。先程のマルファスの顔。黒と白の王が残した意味深な言葉。そして、綺麗に微笑んだレイアの顔。その顔が、何か黒いものに消されてしまう予感がして、リーファは何かに突き動かされるように駆け出した。


(レイアに災いが降りかかるとしても……)


 ギリリと唇を噛み、リーファは強く思った。


「俺が全部払いのけてやる!」


 ようやく見ることのできたあの笑顔。失うつもりなど、リーファには毛頭なかった。




   ※ ※ ※ ※ ※




 マルファスの報告を聞き、同時に外界の情報を持ってきたディルスの言葉を聞き、レイアは何かに耐えるように瞳を閉じた。


「そう、ではやはり本当なのね」

「数はこちらの二倍ほど。すでにその半分は樹海の攻略にかかっております」

「油断してた。少人数でサビスに来て、その後もその人数での行動だったから……」


 自分を責めるように拳で机を叩いたディルスに、レイアは首を振った。


「ディルスのせいじゃないわ。私も、こんなすぐに動くなんて思っても見なかった。あの宰相は、予想以上に蝕まれていたのね……」

「レイア?」


 訝しげに名前を呼んだディルスを、レイアは笑みで誤魔化した。そして、もう一度地図でアフィルメスの部隊の位置を確認する。


「樹海と言えど、越えられないわけじゃない。それに、彼らにはあの魔石がある。結界も、霧も、万全の防備とは言えないわね」

「すぐに兵の準備をし、俺達が出る。この国に近づけさせるわけには……」

「ダメよ」

「レイア!」


 出兵を許可しないレイアに、ディルスが食ってかかった。だが、レイアもひるまず彼を睨み返す。


「アレネスの兵は、戦い慣れていない。とくにここ二、三代の御世は魔族との争いもなく、訓練以外で武器を持ったこともほとんどなかったはず。対してアフィルメスは先の戦争でも魔導士を上手く使い、大勝を収めた国よ」

「だが、根本的に力に差があるはずだ!」

「力に差があっても、それが上手く使えなければ意味はないわ。それに、アフィルメスと戦えば、また大陸に戦争が広がる可能性だってある。原初の一族がその原因になるなんて」

「だったら……お前は俺達に滅べって言うのか!?」

「ディルス殿!」


 騎士の物言いに、マルファスまでもが声を荒げた。

 分かっている。民を守るのが女王としての役目だ。それはレイアも分かっている。だが同時に、原初の一族としての役目もある。


(やっぱり、避けられない未来なのね……)


 レイアは笑った。それはリーファが嫌いだと言った笑みだけれど、今はそれしかできなかった。

 思い出すのは、父と母が死んだ直後に見たある夢。ストレカッツァを守護王に持つ自分が見た予知夢。


「マルファス。カルロ殿下への書状は?」

「既に出しました。しかし、止めてもらえるとしても、間に合うかどうか……」


 彼が少しでも正気を取り戻し、冷静になってくれていれば可能性はある。だが、それでももう時間はない。


「今回のこと、正と負のバランスが崩れ、その影響で狂気に陥った者が増えたのも原因だわ。あの宰相も、おそらく兵士も、殺すことに喜びを見出してるかもしれない。だから、原因を絶てば、すぐには無理でも、この横行は止まるわ」


 静かに解決法を述べるレイアを、ディルスは強く睨んだ。怒りとも、焦りとも言える感情が表に出ている。


「だったら、そこまで分かってたなら、どうしてもっと早く守護王のストレカッツァを呼ばなかった! 均衡が崩れれば、世界が危うくなることぐらい、お前だって分かってただろう!」


 肩を掴み、揺すぶるディルスの腕を、レイアはやんわりとはずした。

 知っていた。世界がどうなるか、それを知らないわけがない。だが、レイアがそうと気づいたあの時には、もう――


「ディルス、守護王だけでは……もう、無理なのよ」

「え……?」


 レイアの顔をジッと見ていた彼は、その言葉に表情をなくした。唇が震え、けれど何も言えず、理解した事実に愕然としている。


 ちょうどその時、ディルスを正気に戻すかのように、大きな音をたてて扉が開かれた。


 息を切らして立っているのは、アウリュとアースの羽根を持ったリーファ。部屋の様子に眉を顰め、ディルスの顔に何を感じたのか、レイアを勢いよく振り返る。

 そんなリーファに笑おうとして、レイアは奇妙な表情を作ってしまう。何とか取り繕おうと力を込め、咄嗟に女王の仮面を被った。


「リーファ……」


 冷静になった頭が、一つの言葉を紡ぎだす。


「アフィルメスが、攻めてきます」


 それが、今目の前にある、逃げることのできない現実だった。


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