第四章(4)
カタンッと小さな音をさせて窓が開いた。微かに身を震わせる冷気が、カーテンを揺らしながら部屋の中へと入ってくる。
どこまでも鉛色の空。まるで自分の気持ちを空にぶちまけたようだ、とカルロは思う。
「僕の敵は、僕自身……」
一ヶ月前、あの原初の一族の女王に言われた言葉。気に留めていないつもりが、気づけばすぐにその言葉が頭の中を回る。
聡明な女王だった。あのザーグの口八丁にも騙されず、毅然とした態度を崩さない。カルロの醜態を目の当たりにし、罵倒された後ですら彼女は笑顔を見せた。
(リーファが傍につくだけはある、か)
リーファは馬鹿が嫌いだ。身も蓋もないが本当にそうだ。彼に話す価値すらない、と判断されれば、あの美貌で絶対零度の微笑を向けられる。そのリーファが、ほんの少しの時間で認め、傍にいることを厭わなかった女王。
「それに比べて僕は……」
彼らが帰った後、冷静に考えた。どうしてリーファを責めたのか。多少恨み言があったことは否めない。それでも、今考えればリーファの行動をあそこまで拒絶する必要はなかったと思う。
唐突だったとは言え、アフィルメスとアレネスが手を結ぶことに利もある。今は時期ではないが、将来的に手を取り合えるよう、繋がりを持っていて損はないはずだ。
今更こんな考えが浮かぶ。頭にかかっていた靄が、あの女王の言葉で少し晴れたと言っても良い。
リーファのことだって、アフィルメスにいられなくとも、アレネスからこちらに働きかけ、力を貸してもらうことはできたはず。連絡さえつけられれば、助言も貰えたはずだ。
「何で、あんな風に言ったりしたんだ」
あの時の自分の行動と言動に、カルロは舌打ちしたくなった。
「……カル、ロ」
ふと風にまぎれて聞こえた声に、カルロは弾かれるように振り返った。天蓋のついたベッドの中、人影がわずかに身じろぎする。
「父上!」
天蓋をまくり、カルロはベッドの横に片膝をついた。意識も朦朧としていた父が目を開き、カルロに向かって手を伸ばしていたのだ。その震える手を握り、カルロは久しぶりに見た父の目を覗き込んだ。
毒の摂取を止めて以来、昏睡から目が覚めることも稀にある。しかし、やはりもう体力がもたないのだろう。日に日に父は死への道を歩んでいた。
「無理に起き上がらないでください。どうかそのまま」
「すまない……」
そういった父の目に涙が浮かんだ。きっと、これまでのことについて言ったのだ。ザーグを止められなかったこと、毒を盛られたこと、カルロを助けてやれぬこと。それら全てに、彼は謝罪したのだ。
「いいえ……いいえっ。僕も貴方を助けられなかった。王子という地位に甘んじ、貴方に頼りきりだった。どうか、そんなに御自分を責めないでください」
そう、王子という地位に、そして彼の生徒という地位に甘んじ、何もしてこなかった。今一人なのも、苦しんでいるのもそのツケが回ってきたのだ。
「ザー、グを……」
「分かっています。あいつは必ず止める。この国は、僕が守ります」
手に力を込めて誓いのように握ると、父は少し笑ったようだった。その時、乱暴に部屋の扉が叩かれる。
カルロは父の手を布団の中に仕舞うと、天蓋を戻し、入るよう促す。姿を見せたのは、いつもの冷静な顔を強張らせたバランだった。
「どうした?」
「各地に定期視察のため行かせた監察士の護衛兵なのですが、どうやら、それぞれの国に行かせた後、一箇所に集められているようなのです」
「何だって?」
戦争の勝者となってから、アフィルメスの属国になった国には定期的に監察士を赴かせ、不正などがないか調べている。その際、反乱分子に襲われても困るから、と護衛兵もそれなりにつけている。
今回の視察もいつものことで、カルロが直々に命じたものだ。だが、その後一箇所に集まれ、などという命は出していない。
「どこに集まっている?」
「……サビス国の東のはずれ…………あの山脈の樹海の中です」
「サビス国……まさか!」
サビス国。それは、大陸の西側で、もっとアレネス国に近い国の名前だった。
※ ※ ※ ※ ※
「うん、そこであんまり手綱を引き過ぎないように。馬が驚くからね」
リーファに言われたとおり軽く手綱を引くと、馬は数歩行って緩やかに止まった。ふうっと息をつくレイアを尻目に、リーファは馬の首を撫でて労わっている。
「しっかし、馬に乗るのが初めてって言うからビックリしたな」
「う~ん、召喚獣に乗ったりはしてたんだけど、ちゃんとした馬は縁がなくて……」
リーファとの蟠りが解けてから、レイアは時間を見つけては彼といるようにした。アフィルメスについて話したいのもあるが、本音は自分が彼の傍にいたいだけだ。
そんなリーファから、『遠乗りに行かないか?』と誘われて、レイアは初めて馬に乗れないことに気づいた。仕方なくそう伝えると、彼は教えてくれると言ったのだ。
アレネス国の西側に広がる草原。そこまではリーファと二人で乗ってきた。そして、今は彼に教えられつつレイア一人で乗っている。
「馬って結構背が高いのね」
「まあ、足も長いし。特にこいつは名馬だからな。他の馬に比べて大人しい割に長距離にも優れてる。俺の相棒だよ」
今レイアが乗っているのは、リーファがアレネスに来た当初から乗っていた馬だ。毛並みはとても綺麗で、瞳は澄んだ色をしている。馬もリーファに懐いているのか、彼に鼻を摺り寄せたりしていた。
「少しは慣れた?」
「うん。でもまだ一人で走るのは怖いわね」
「ああ、俺も一人で走らせるのは怖い」
からかうようにそう言うと、リーファは一声上げて後ろに乗った。とても身軽に乗る姿は様になっているし、ピッタリと背に感じる温もりは何だか恥ずかしい。
「レイア、どうかしたのか?」
赤くなった頬に気づかれないように、レイアは勢いよく首を振った。後ろから噴出したような声が聞こえたけれど、この際無視した方が良いと思う。
「でも、その、リーファって先生に向いてるよねっ」
照れ隠しに言った言葉が妙に自分の中でも当てはまって、レイアはリーファを振り返る。
「教え方は上手くて丁寧だし、とても分かりやすいわ」
「先生ね。まあ、確かにカルロの家庭教師はしてたし、魔導士の部隊でもものを教える立場にはあったけど……レイアは素直だからな。俺も教えやすいんだ。強情な奴とか、聞く気がないともっと厳しくなるぞ」
唇の端を上げて笑った顔は、ちょっと意地悪気だけど見惚れてしまう。レイアはさらに赤くなる頬を止められなかった。しかも、分かっていてリーファは覗き込もうとする。
「レイア、顔赤いぞ」
「じょ、乗馬で動いたから熱いの!」
ぷいっと顔を背けると、やはり後ろから笑う声が聞こえる。こういった時、自分はまだ子供で、彼は年上なんだと思い知る。
何とかやり返せないだろうか、と考えていると、空から舞い降りてくる鳥に気がついた。マルファスの召喚獣だ。腕に止まったそれは伝令用で、レイアは額をつけて内容を読み取る。伝えられた言葉に、にんまりと笑った。
「ねえ、リーファ。城に貴方に会わせたい人達が来てるの。戻っても良い?」
「俺に? かまわないけど……」
リーファは、少し残念そうに手綱を引いて城へと馬を進める。辿り着くと、その場にいた兵に馬を任せ、リーファをぐいぐいと奥へと連れて行った。
「ちょ、レイア。この先、俺も行って良いわけ?」
おそらくマルファスか誰かにこの先に行かないように言われていたのだろう。リーファが焦りながらレイアに声をかけてくる。
「私が一緒だから平気。それに、会わせたい人はこの奥の部屋にしか顔を出さないの」
進んでいく先にあるのは祭壇がある部屋。この城でもっとも重要な祈りの間だ。荘厳な扉に手を触れ、部屋への道を開く。多少及び腰になっているリーファの背を押し、レイアは中へと入った。
「ここは……」
「祈りの間。原始の王達へ祈りを捧げる場所」
壁に描かれた絵画、そして、祭壇とそこに置かれた四つの装飾品を見つけ、リーファが興味深そうに辺りを眺める。
「それで、俺に会わせたい人って……」
「来たわ」
祭壇を見るレイアの目に、ひらりと舞う白と黒の羽が見えた。次の瞬間、先程まで誰もいなかったそこに、対照的な人影が現れる。バッと部屋に広がるのは、彼らの白と黒の翼。
「こんにちは、レイア」
その片方、全身を白で覆ったアースがにこやかに声をかけてきた。それに答えながら、レイアはリーファの隣に並ぶ。彼は、目と口を開けて珍しく固まっていた。
「レ、レイア……」
「紹介するわ、リーファ。こっちの白いのが神王アーストレリアダイジェリオ。こっちの黒いのが魔王アウリュルシードよ。アースとアウリュって呼んでね」
「勝手に略すな」
「だって長いし噛むんだもの。改名できないって言うから略すしかないじゃない」
憮然と言い放つ黒い方――アウリュに、レイアは頬を膨らまして言い返した。その間も、隣からは『え? 白い方黒い方ってそんな言い方? いや、っていうかこんなあっさり出会えるもんだっけ?』などと、異常に混乱した声が聞こえていた。
「二人とも、こっちはリーファ。アフィルメスの魔導士で、今はうちに滞在してるの」
「ああ、貴方が」
「レイアがしつこく自慢する魔導士か」
「ちょ、余計なこと言わないでアウリュ!」
言わなくて良いことを言ったアウリュに少し慌てたが、未だにリーファは固まっていて、聞こえていないようだった。
「リーファ、大丈夫?」
驚かせてやろう、とは思ったが、ここまでとは予想外だ。気になって声をかけると、彼はハッとしたようにレイアに笑顔を見せ、二人に向かって頭を下げた。
「リーファ・エルリストです。お初にお目にかかります。魔王殿、神王殿」
「嫌だな。そんなに畏まらないでください。普通に話してくれてかまいませんよ」
「気を使われるのは面倒だ」
そう言った二人に、リーファはようやく肩の力を抜いたようだ。それでもまだ硬い。もう少し仲良く慣れれば、とレイアが声を上げようとした時、扉が開いた。
「レイア様、申し訳ありません。至急お耳に入れたいことが」
マルファスが、アウリュ達の前にも関わらずおざなりな挨拶でそう言った。こちらを見る目が真剣で、さらには焦燥のようなものが見え隠れしている。
心臓が、スッと冷えていく感覚を覚えた。
「あの、ごめんなさい。仕事みたい。せっかく二人が来てくれたのに……」
「良いですよ。顔が見たかっただけなんです」
アースはそう言い、アウリュはしばらくこちらを見つめた後、一つ頷いた。
「ごめんね、リーファ。好きなだけここにいてくれてかまわないから」
「でも、レイア……大丈夫か?」
こちらの表情から何か悟ったのだろう。心配げに頬に触れてきたリーファに、レイアは笑みを見せる。
この温もりがあるなら、頑張れると思った。
「平気よ。二人と仲良くしてね」
リーファの手に触れ、レイアは踵を返して部屋を出た。背後で扉が閉まる。その音を合図に、レイアは女王の仮面を顔へと装着した。




