第三章(5)
馬車に乗り込み、草原までの道を窓の外に見ながら、レイアはゆっくり瞳を閉じた。
「まあ、俺達がそう簡単に受け入れてもらえるわけはないと思ってたけど……実際に面と向かって拒否されると辛いなぁ」
ことさら明るく、同じ馬車に乗っていたディルスが声を上げた。彼なりの気遣いであることはすぐに分かる。
できればアレネス国を外の国々に受け入れてもらいたい。それはレイアにも多少なりとあった気持ちだ。すぐには無理でも、足がかりが見つかれば、とも思っていた。
アレネスの民を受け入れてくれる、そういう場所が欲しかった。
「もう少し時間が経てば、大々的ではないけど、あの王子はアレネスを受け入れてくれると思うわ」
「そうか? 何か知り合いだったはずのリーファの声も届かなかったぞ」
そう言えばリーファは大丈夫だろうか。後ろからくるもう一台の馬車に乗っているはずだが、乗る前に見た顔は沈鬱だった。
聞いた話では、幼い頃からの知り合いで、弟のようでもあったと言っていたから、あの拒絶の態度にリーファも衝撃を受けているのだろう。
「そうね……でも、あれは彼の不安を負が増幅させたようなものだから」
「負が? 確かに多かったが、人間に影響が出るほどの負がそこまで蔓延るか? 魔族が食ったり、神族が浄化してたりするだろ」
「うん……」
ディルスの疑問に、レイアは曖昧な笑顔で答えた。彼はその顔にまだ何か言おうと口を開きかけるが、それより先にマルファスがレイアに問うた。
「しかし、これからどうなさいますか? カルロ殿下はアレネスに今手を出す気はないようですが、あの宰相は違うでしょう。特にあの地下にあったもの。あれから作り出された魔石を使われては、国の結界や霧もどこまでもつか……」
「けれど、均衡を司るアレネスが戦争をしては意味がないわ。我々とアフィルメスが諍いを起こせば、他の国々もあの国に反旗を翻し、また西側全土で戦争が起こる。それは避けなければ」
アレネスの民は、世界の均衡を保つためにいるのだ。そのために原始の王達に作られた。その理を破り、争いの中心になればどのようなことが起こるかわからない。
「今はまだ様子を見ましょう。カルロ殿下が私の言葉に何か見つけられたなら、事前に打開策が打てるかもしれない」
「ですが、もしもの場合は……」
「その時は……」
言いかけて、レイアはハッと窓の外を見る。
「本番前に、警告っぽいものはあるみてぇだな」
ディルスが言うと同時に、馬車が止まった。そこは指定しておいた草原だ。だが、ドアを開けるために近づいてくる兵士達の気配が張り詰めている。殺気だ。
「レイア、下がってろ」
ディルスがレイアを下がらせ、床に膝を突き左手を剣に添え、右手は腰だめに構える。そして――
「雷よ!」
「があぁぁっ」
一瞬で魔法の構成が編みあがったかと思うと、次の瞬間ディルスの手からほとばしった雷が、馬車の扉ごとその前で剣を構えていた兵士を弾き飛ばす。次いでディルスは剣を抜き放つと、馬車に乗り込もうとしていた兵を切り倒し、外へひらりと飛び出した。
レイアもマルファスに促され外へと出る。兵の数はおよそ二十名前後。後ろにいた馬車も襲われたようだが、全員無事に外に出ている。その内の一人、リーファがこちらに気づき、敵を牽制しながら歩み寄ってきた。
「大丈夫?」
「ええ、どうやら警告のようね」
「これは……」
「カルロ殿下ではないでしょう。私はすぐ帰ったのに、兵の準備が早すぎる。宰相の方ね」
小声で会話しながら、レイアは兵士達に目をやった。数人倒したディルスの剣技を目の当たりにしたからか、レイアが睨みすえたからか、構えたまま動こうとしない。
ディルスが一歩前に出ると、彼らは三歩後ろに下がる状態だ。
「何の理由があって、武器を向けられるのです?」
比較的話ができるであろう兵士に向かって、レイアは声をかけた。彼は一度ビクリと揺れるものの、腹に力を込めて言葉を搾り出す。
「カルロ殿下と何を話された。同盟の話か」
「ええ。ですが宰相殿とお話しした時と同様の結果です。アフィルメスはアレネスを必要としていない、としっかり申されました」
「それはカルロ殿下の独断! 今は宰相ザーグ殿が国の意思とも言え……」
兵士の言葉が、不意に途切れた。レイアが、魔力を分かるように放出し始めたからだ。
魔法を使う前段階。細胞の一つ一つから滲み出すそれを、体内をめぐらし一つの大きな力として体にまとう。銀に近い、白い魔力のオーラがレイアを包む。
構成を編んではいない。だが、兵士達は硬直していた。レイアがディルスの前に出ても、襲うことも、引くこともできない。
ただレイアの魔力を見ただけで、勝機がないことを見抜いたのだ。もしかしたら、己の死を感じ取った者すらいるかもしれない。
「帰って宰相に伝えなさい。カルロ殿下はアフィルメスにアレネスは必要ないと言った。同様に、アレネスに貴方のアフィルメスは必要ない、と」
「あ……」
「そのために、貴方方を生かします」
レイアは兵を見たまま、毅然たる女王の顔で始めて殺気を向けた。
「帰りなさい」
ヒュウッと息を呑むと同時に、兵士達は武器を納めもせず駆け出した。
たった一言。レイアにとって、アレネスの女王にとっては、それだけで十分だった。
「レイア……」
辛そうな顔をしたディルスに肩を叩かれる。それに微笑を返しながら魔力を消すと、レイアの視界にリーファの姿が映った。
驚愕に目を見開き、真っ青になった彼。図らずも、それは先程の兵士達と同じ顔だった。
初めて向けられる、リーファからの恐怖と怯えという感情。
レイアは少しだけ目を伏せ、すぐに彼に笑顔を向けた。
「私達も、帰りましょう……」
どこに、とは言わなかった。言えば、彼が拒絶するような気がしたから。
今自分は、ちゃんと笑えていただろうか。
泣きそうになっていなければ良い。レイアはそう思った。




