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返事


「はあっ、はあっ、はあっ、はあっ・・・ 」


 何度振り下ろしたのか。


 平和だったリビングは、今や血に侵されていない場所を探すことの方が難しい程の惨状であり、怪人の首はあらぬ方向に曲がり千切れかけていた。


 緊張の糸が綻び、心が体を離れようとする。

 心地よい睡魔が襲い、全身から力が抜けつつあった。

 だが、まだだ。

 まだ、あと少し・・・・・・。


 リビングの奥で横たわるヒロ。

 左腕は肩から失われており、血溜まりは広がりきっていた。


「ヒロ、もう・・・大丈夫だぞ・・・」

 浅いが息はある。

 しかし左腕の出血が止まっているとなると、心臓がもう限界だ。

 早く病院へ・・・。

 この異界にそんなものがあるはずが無い。

 だがそれしか考えることができなかった。


 ヒロの体を起こそうと手を伸ばすが、背後に気配。


 まさか?!


 振り向いた直後、前掛けのように垂れた逆さの頭部と目が合い、反応しきれず押し倒された。

 衝撃に怯む俺の体の上、大質量の肉が居を構えている。


 先程とは形勢逆転。俺が下で、このデブが上。

 原形を留めていない逆さ首からは血涙に染まった眼球が覗いていた。

 まさに首の皮一枚繋がっている、という状態か。


 しかしすぐに攻撃をしてはこなかった。

 その腕力があれば、1人でも嬲り殺しにできるだろうに。

 赤い眼球がギョロギョロと目を動かす。

 何を探している?

 ビタッと動きが止まり、怪人の右腕が伸びた先には俺のノコギリ鉈。

 まずい。

 もうあれを避ける体力も、受け止める命も残っていない。

 かといってノコギリ鉈のような重いものを持つ膂力も尽きてしまった。


 俺も、もう終わりか・・・。

 さっきのはまぐれだ。本当に意識が飛んでいた。

 だがなぜか左足が勝手に動いた。お陰で命拾いしたが、今度はそうもいかない。

 ちょうど腰を抑えられ、足による抵抗は不可能。

 先をつく武器も無い。


 全て出し尽くした。


 降参でもしようか?

 もう遅いとは思うがな、ははっ・・・。

 悪い冗談をいうところまで来てしまった。


 カラカラカラ


 デブがノコギリ鉈を手に取ったらしい。

 俺の命も、あと数秒ってところだな。


 短い人生だった。

 大体四半世紀。まだまだやりたいゲームもあったし、作りたいプラモデルもあったな・・・。

 あ、でも最後にヒロとザザビーを作れたのは良かったな。

 すごく、幸せなだった。


『じゃあ、約束だよ?』


 ごめんな、ヒロ。

 守ってやれなかった。

 やっぱり俺は、約束すら守れない糞野郎だったよ。


 振り上げられるノコギリ鉈。

 首がない分、その凶刃はいつにも増して恐ろしい。


 最後の悪あがきに顔を背ける。

 なんでこう、往生際が悪いかねえ・・・。


 背けた視線の先には、ヒロのカバンの中身が散らばっていた。

 ザザビーのプラモデル、Zダンガーのメモ帳、短い鉛筆。


 そして・・・


『それもプレゼントするよ。いっぱい作りな』


 俺が渡した、切れ味の良いニッパー。

 買ったばかりの銀色の小刃が俺に訴える。


 手は伸びていた。

 すでに鉈は振り下ろされている。もう遅いかもしれない。

 でもやってみる価値はある。

 なんせ俺は、自分勝手で人のことを欠片も心配しない糞野郎で・・・。


 ニッパーに手が届く。

 太刃が迫る。


 上半身を起こし、目一杯捻る。

 刃が顔の横を通り過ぎる。


 胸ポケットに入った柑橘餅の箱が餌食となる。捻った体の勢いをそのままに、ニッパーの小刃を突き出す。




 刃が床に落ちる。









 諦めが悪いからな。









 一閃が最後の一枚を断ち切った。


 生首がゴチッとフローリングに墜落し、ごろごろと転がっていく。

 首無しの巨体はフラフラと揺れ、やがて部屋を揺らしながら倒れていった。






「ヒロッ・・・! しっかりしろっ、ヒロ・・・」

 最後の力を振り絞り、脱力しきった小さな体を背負う。

 氷を担いでいるのかと言わんばかりの冷たさ。

 急がなければ。


 一歩・・・。


 一歩・・・。


 一歩・・・。


 足を引きづりながらも、玄関に向かって歩みを進める。


 何やら玄関の外が騒がしい。

 顔を上げてみれば、外が眩い光を放っている。


 人の声、車の排気音。

 出口だ。


「ヒロ・・・さぁ、帰ろう」


 両側には最初に見た灰色のブロックと白い壁。

 最初に見た犬のミイラは無かったが、ここがあの日、足を踏み入れた場所だと安堵した。


 フッと全身から力が抜ける。

 駄目だ、ヒロがいるんだ。

 もうちょっとなんだ。

 ここで倒れるわけには・・・。


『ヨシさん、ありがとう』


 軽くなっていく背中。

 ヒロの言葉が霞んでいく。


「ヒ・・・・・・ロ・・・」


『―――――――――』


 瞼は言うことを聞いてはくれず、頭をぶつける衝撃と共に、俺の意識は微睡みに落ちていった。





『ん? おい、誰か倒れてるぞ!?』


『誰か救急車と警察! あと消防も?』


『おいあんた大丈夫か? しっかりしろ!』
















 腕が痛い。

 足が痛い。

 脇腹が痛い。

 頭も痛い。


 ギリギリと締め上げられる鈍痛。

 意識はもうはっきりしている。

 だが目を覚まそうにも、瞼が重い。

 光が瞼を貫き、赤なのか黒なのか白なのかはっきりとしない万華鏡を作り出し、また痛みが全身を蝕む。


 ああ、もうどうでもいいや。

 誰も俺に起きろなんて言わない。

 痛みこそあれど布団も枕もフワフワで心地いい。

 もう一度思考が止まり、夢に落ちるまで羊でも考えていようか・・・。


『じゃあ、約束だよ?』

 小さな指を絡め、子供ながらの他愛のない契りを交わす。


『ゆーびきーりげーんまーん、うそつーいたーらはーりせんぼんのーますっ』

 わらべ歌のリズムに合わせ、冷たい手を上下に振りる。

 ああそうだ、約束だ。


『ゆびきった!』

 少年は笑顔で小指の縛りを解き放つ。

 元の世界に変えれたら・・・な・・・。



『バイバイ、優しいお兄さん』

 別れを惜しむ、悔いの残る声。

 だが少年は笑っていた。

 屈託のない笑顔を向けていた。


「——————!!!」


 包み込む光は次第に彼の表情を隠し、彼を呼び止める声もまた、光に溶けていった。



「ヒロっ!!!」

「うおぉびっくりしたぁ!」

 突然の覚醒は微睡みに委ねた身体を飛び上がらせ、ついでに傍に居た誰かも驚きの声を上げた。


 ここは?

 とりあえずと周囲を見回す。

 白と木目が重なり合う壁と3段の棚、横には質素な空色のカーテン。

 陽の光が差し込む窓際には口を半開きにした看護婦らしき人がいた。


「お、お目覚め、のようですね・・・。お体の具合は、いかがです?」

「え? あ、ああはい、なんとも・・・」

 冴えた頭が体調報告を反射的に答える。

 両腕には粗い網目のネットが巻かれており、その下にはこれでもかと冷気を放つ湿布が張られている。

 足元からも同じ冷気を感じることから、両の足も概ね同じ状況だろう。左足だけ少し軽く感じるのは、気のせいだろうか。

 それにしても頭の後ろの方が痛い。酷い目覚めはこれのせいか?


「それはよかったです。今、先生を呼んできますね」

「え、あ、あの・・・」

 声をかける間もなく、看護婦は足早にカーテンの向こう側に行ってしまった。

 ドアの開く音と同時に、また誰かの声が病室に入る。


「うわあっ、って、警部さん」

「これはこれは、驚かせて申し訳ない。」

「いえいえ。あ、義行さん、つい先ほどお目覚めになられましたよ」

「おお、本当ですか」

 低いとも高いとも取れない、深みのある男の声。

 しかしかなり活気のある声だ。


「じゃあ、先生をお呼びしてきますので、失礼しますね」

「ええ、お願いします」



 青と白の境界から姿を現したのは、茶色のスーツを羽織った恰幅のよい男だった。

 背は俺と同じくらいで、そこまで高いわけではない。

 だが小皺の奥に据わる眼光は、この者が並々ならぬ人物であることを暗に示していた。

「いやー、目が覚めてよかった。1週間毎日見舞いに来た甲斐がありましたな、はっはっは」

「は、はあ、それは、どうも・・・」

「おっと失礼、申し遅れました。わたくし、警部の森川と申します。以後お見知りおきを」

 森川と名乗った男は、金色の治安維持組織の紋章をこちらに見せ、またすぐに懐に戻す。

 警察がなんの用だ? ただのサラリーマン相手に・・・。


 ズギッ


「・・・くぅ」

 またこの痛みだ。

 張られた湿布は何のそのと、痺れるような痛みが四肢に走る。

 思い出せと、言わんばかりに。


「ああ、大丈夫ですか?」

「は、はい・・・大丈夫・・・です」

 なんで俺は怪我をしている?

 なんで俺はベッドで寝ているんだ?

 俺に何を、伝えているんだ?


 ズギッ


『約束だよ?』


「なら結構。では単刀直入にお聞きします。あなたの身に――」

「ヒロは!? あの子は、どうなったんですか?! 酷い怪我をしていたんです、無事なんですか?!」



 血だまりの中に横たわるヒロ。


 太った怪人の頭に何度も、何度も。


 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。


 獲物を振り下ろした。


 ・・・・・・。


 左腕を失ったヒロを背負い、光を放つ玄関を飛び出して・・・。


 それで・・・。


 記憶が痛みとなって頭に染みる。



「落ち着いてください義行さん」

「ヒロは・・・! うう・・・」

 森川警部に肩を抑えられ、なすすべなく頭を垂れる。

 脂汗が浮く痛み、だが今はヒロの無事を確認したい。


「義行さん、ヒロ君のことですね?」

「・・・はい、無事・・・なんでしょうか」

 力強い掌が肩から離れ、警部の顔つきが曇りをみせる。


「では、そうですね・・・。結論から申しましょう」

 発した言葉は衝撃的であり、納得のいくものでもあった。


「あなたがヒロ君と呼んだ、その少年は――」













「40年前に失踪しています」












「あなたが発見された路地の奥にある空き地、そこで白骨化した谷瀬ヒロ君の遺体が発見されました」

 なんとなく、分かっていた。


「40年前、あのあたりはかなり治安の悪い場所でして、臓器売買を目的とした海外マフィアや暴力団による子供の誘拐事件が相次いでいました」

 あの部屋に入って。


「事件当時、彼の左腕だけが発見されましてね。しかし肝心の本人の姿は、警察の必死の捜索でも見つけることができませんでした」

 いや、それよりももっと前。


「事件の主犯である2人組は、あの一帯で起こった大規模火災によって死亡が確認されましてね、ヒロ君の居場所を知るものは、誰もいなくなってしまいました」

 約束を交わした、あの時から。


「行方不明となったあなたが発見されてすぐ、周辺を確認していた警官のひとりが、崩れたコンクリートの床から姿を現した彼を、発見したのです」

 冷たい指が教えてくれていた。

 ヒロが、この世のものじゃないって。


 俺はうなだれたまま、黙って警部の話を聞いた。



「なぜあなたが、自分が生まれるよりも遥か昔に姿を消した少年の名を口にするのでしょうか」

「・・・・・・」

「お話を、伺っても?」

「・・・・・・・・・」

「義行さん!」

「・・・きっと、信じてもらえないでしょう」

「いいえ・・・、そんなことはありません」

 何かに縋るような、慈悲を斯うようにも聞こえる。


「きっと、何か変な薬でも飲まされたんです。ほら、オーバードーズとか、最近よく言うじゃないですか。おかしな輩に捕まって、一週間も失踪して、記憶を飛ばすために、何か薬を飲まされたんですよ。だから、俺が経験したことは、何か悪い夢か、薬が見せた幻覚なんですよ。じゃなかったら・・・あれは・・・ヒロは・・・」


 認めたくなかった。

 証拠は揃っている。

 この警部の話は本当のことだろう。

 納得もしている。

 けれど、口に出してしまえば。

 言葉にしてしまえば。

 認知という名の濁流に飲み込まれてしまう。

 俺は、それに耐えられない。


「・・・分かりました。今日は目を覚まされたばかりなのに、無理を言って申し訳ありません。また後日お伺い、おっと失礼」

 退室の言葉は携帯電話の僅かな振動にとって代わり、続く言葉は面会の終わりを告げるものではなかった。


「あなたに、是非お会いしたいという方がいらっしゃいます」





 警部の通話から数分後、新たに3人が面会に加わった。

 1人は白衣を着た男。

 主治医と言ったところか。

 そして夫婦と思われる2人の老人。

 70近いであろう警部よりも更に一回り老けて見える。

 夫人の手にはハンカチが握られており、旦那は震える彼女の手を握っていた。


「あの、この方々は?」

「こちらは、谷瀬夫妻。ヒロ君のご両親です」

「・・・・・・!」

 ヒロの、親。


「えっと、はじめま」

「ヒロに会ったんですか?」

 俯いていたはずの母親がベッドに上体を乗り出し、かすれた声で問いかける。

 頬はひどく痩せ、生気の感じられない目は微かに潤んでいた。


「奥さん」

「警部さんに見せてもらいました。あれはヒロの字です。あなたは、何かヒロのことを知っているじゃないですか・・・?」

「ミチエ、やめなさい」

 父親の枯れた指が母親をそっとなだめる。

 ヒロが消えた後、この2人に何があったのか、想像に難くなかった。


「義行さん、でしたかね」

 重い空気中、父親が声を発した。


「谷瀬マコトです。警部さんから話は聞きました。ヒロの、あの子の書いた手紙と・・・あの子が、見つかった・・・と・・・」

 手紙・・・。

 あの、路地裏に入るきっかけとなった、あの紙切れのことだろうか。


「これが、倒れたあなたの胸ポケットに入っていたそうです。何か心当たりは?」

 警部が懐から透明な袋を取り出し、俺に差し出す。


「これは・・・。 ・・・!!」

 まじまじと眺めたことのある、ダンガーZの透かしが入ったメモ帳。

 あの時と変わらない皺と汚れのついた、ゴミクズ同然の紙切れ。

 今にも消えそうな“たすけて”の文字が書かれている。

 しかし、書かれている文字はそれだけではなかった。




 ヨシさ ん た  す けてくれ て

 あ りがと う




 相変わらず弱弱しい、一目で理解できる短い文章。


 手紙が大きく歪む。


 胸が痛い。


 ビニールが水滴を弾く。


 目が熱い。


 息がうまくできない。


 胸が潰されてしまう。


 せき止めていた感情が、一気に動き出す。


 男がひとり、すすり泣く声。


 誰も、何も言うことなく。


 溢れた感情が落ち着くまで、じっと待っていた。






「・・・・・・すみません」

「いいえ、気が落ち着いたのであれば結構です。それと、あなたにもう1つ」

 警部は小さな紙袋を差し出す。

 何か、立体物が入っている感触。

 折り曲げられた口を広げると、ワインレッドの光沢が目に映る。


「通報した人によると、うつぶせに倒れたあなたのそばに置いてあったそうです。指紋はあなた以外検出されませんでした」

 手に取ったザザビーには左腕が無かった。

 肩の軸は切れ味の悪いニッパーで無理やり切った時と同じく、白く濁っている。


「あなたが失踪直前、それを購入していたのは分かっています。しかし行方をくらませてまでプラモデルを作るような狂人には見えない。何か、思い出せましたかな?」

 警部の許可を得ることなく足の装甲の隙間に指を入れ、外装を取り外す。

 パチッ

 布団に上に落ちた装甲の裏側には傷が入っていた。


『やったなヒロ、上手にできたじゃないか』

『ヨシさんが手伝ってくれたおかげだよ!うわ~かっこいいな~!』

『よし、じゃあそれはもうヒロの物だから、名前でも書いておくか』

『こんなに綺麗なのに名前なんて書けないよ!』

『違う違う、装甲の裏にだよ。ほら、足のバーニアの裏なんかどうだ?』

『そっか!う~ん、鉛筆でもいいかな~』

『どうせならそのニッパーで掘ったらいいんじゃないか?鉛筆だと誰かが消しちまうぞ?』

『それも・・・そうだね。よし!』

 

『ん~と、漢字がいいかな?』

『ヒロ、なら片仮名がいいんじゃないか? 曲線は難しいだろう』

『わかった!』

『ちょっと危ないから、俺が手を添えよう。一緒にやるぞ』

『うん!!』



 はっきりと刻まれた「ヒロ」の2文字。

 あの子がこれを作った。

 ヒロが、そばにいた。



 夢なんかじゃなかった。




「・・・今からお話しすることは、俺の・・・妄想かもしれません」

 ヒロの両親はゆっくりと頷く。


「信じてくれなくても構いません。でもあの子は確かに、ヒロは・・・確かに俺と・・・約束をしてくれました」

 2人の眼差しにしっかりと向き合う。



 ヒロ、お別れだ。





 あの奇妙な路地裏のこと。


 化け物犬のこと。


 ヒロと出会ったこと。


 あの化け物犬の大群から逃げたこと。


 ヒロが手当てをしてくれたこと。


 のっぺらぼうに襲われたこと。


 ヒロが助けてくれたこと。


 手を繋いで水路を歩いたこと。


 一緒にプラモデルを作ったこと。


 ヒロの部屋に入ったこと。


 そして・・・。


 ・・・・・・。


 ヒロと、約束したこと。



 2人の涙は止まらなかった。

 でも前を向いていた。

 愛する息子の姿を、言葉だけでも留めるために。


 俺もぐちゃぐちゃだった。

 それでも話すことだけは止めなかった。

 友の生きた証を、綴るために。




「あの日、あの子はいつものように、近所の模型屋に行っていました」

 ぽつりと父親が零す。


「会社が倒産し、日雇いでの苦しい生活が続きました。おもちゃの1つすら買ってあげることができず、息子は毎日、買えもしないプラモデルを見に行っていました・・・。ですが、あんなことに・・・なるなんて・・・。私は・・・ひどい父親です・・・」

「あなた・・・」


「違います」

 それだけは、絶対にない。

 悲しみにふける父親に、ヒロの言葉を伝える。


「ヒロは話していました。朝早く家を出て、遅くに帰って、また陽が昇る間に家を出て。家族のために、必死に働いていたと。しかも今度の日曜日、映画に連れて行ってもらう約束をしたと、笑顔で語っていました・・・。あなたは、立派な父親です」

「そんな・・・ヒロ・・・うぅ・・・・・・」

 悲しみとはまた異なる涙。

 我が子を失った呪いが、解かれつつあった。



 肩を抱く母親とも目を合わせる。瞳には輝きが戻っていた。

 この人の呪いも、解いてあげなくては。

「火遊びで火傷したとき、ものすごく怒られたそうですね。火傷で泣いている自分よりも心配してくれていたと、言っていました。怪我の多い自分に、手当の方法を教えてくれたこと、たくさん叱ってくれたこと。嬉しかったと、恥ずかしそうに話していました。お母さんのおかげで、元気に生きていると。・・・戻ったらちゃんと、お礼を・・・言わなきゃって・・・」

「ヒロ・・・ヒロ・・・・・・」

 最期の言葉が、母親の憑き物を払い落とす。


 嗚咽だけが静かな病室に響き渡った。






「本当に、ありがとうございました」

「あなたのようなお優しい人に会えて、ヒロも報われるでしょう。ありがとうございました」

 全てを出し切った谷瀬夫妻は、目を腫らしたまま病室を去っていった。

 ザザビーのプラモデルは夫妻に渡すことにした。

 ヒロの名前が入った最後の品、形見のようなものだ。

 家族の下に戻った方が絶対に良い。

 当然の判断だ。

 ただちょっとばかり、ほんの少しだけ、あれを手放すのは惜しいと思ったのは内緒だ。


「それでは、私もおいとましましょうかね。また日を改めてお伺いしますよ。調書を取らねばなりませんから」

 警部も病室を去ると、やっとかと言わんばかりに主治医による検査が始まった。

 血液検査CTカウンセリングMRI視覚聴覚反射テストその他もろもろ。

 特に後頭部表皮下の出血がひどく、脳に異常が無いかを徹底的に調べられた。

 四肢は斑模様の深い内出血だらけであり、ある程度治癒が進むまでは入院ということになった。

 左足だけ治りが異常に早いのには皆首を傾げていたが、何があったかは秘密にしておくことにした。

 現代医学よりも死人が巻いてくれた包帯の方が治りが良いなんて、また面白くもないカウンセリングの時間が伸びるだけだ。


 夕方には長崎の実家から両親が見舞いに駆けつけてくれた。

 東京で1週間行方が知れず、見つかってからも3日は意識不明だったためかなり心配していたようだったが、存外に元気な姿を見て拍子抜けしたのか説教交じりの労りの言葉をかけてくれた。

 息子の無事を確認し安心したのか、さっさと東京観光に切り替えたい両親をなんとか引き留め、いくつか買い物を頼んだ。


 夕食前に電話で山田課長と大島部長に無事の連絡を伝えると、一気に疲労が押し寄せ、睡魔に誘われるままに意識が途切れた。


 夢のひとつすらない、深い眠りだった。








 結局、目覚めてから退院するまでに2週間以上かかってしまった。

 東京を離れるのは、出張に来てから実に1か月後のことだった。


 退院してすぐ、俺はあの路地裏へ向かった。

 警部も一緒に来てくれた。

 あの日と変わらない影の空間。

 花と贈り物を供え、手を合わせる。


 こんなにものどかな町でも凄惨な爪痕が残っている。

 そして塞がった傷は今も、多くの人を苦しめている。

 けれど・・・。

 けれど1人でも多く、救われる人がいれば・・・。


 祈りは誰も救いやしない。

 それでも祈らずにはいられなかった。

 人の意思が、名も知らない誰かを救うことができたのなら。

 俺は・・・・・・。





「すいません、飛行機まで用意してもらっちゃって」

「いえいえお構いなく」

 今は首都高、警部が運転する車の助手席に座らせてもらっている。

 入院中、警部は調書のために毎日のように面会に来ており、当時の状況を事細かく聞かれた。

 しかし幽霊に手を引かれて異界に迷い込んだ、などと報告するわけにもいかず、結局「特定暴力団の拉致被害に遭った。犯人の足取りは現在も捜索中」というなんとも不適当な結論に落ち着いた。


「あの、警部さん」

「はい、なんでしょう」

「警部さんはあの、谷瀬夫妻とはお知り合いだったんですか?」

「・・・まあ、色々とありましてな」

 そこから警部の半生の語りが始まった。

 個人情報や機密情報もあるだろうに、独り言として聞いて下さい、と半ば強引に話を聞くことになった。



 40年前の連続行方不明事件では警察の全力を上げた捜査が行われ、あの地区では実に20を超える子供達の無惨な亡骸が出てきそうだ。

 売り物になる臓器を抜かれた肉体は解体され野犬の餌となり、いたるところで未発達の人骨が発見された。

 今でも遺体が見つからない子もいると言い、被害者の数は未だ分かっていない。


 語りは怒りと諦めが込められた口調に変わる。

「時間切れ、というやつですよ」

 ヒロをはじめ、まだ数すら把握できていない子供たちの捜索は、途中で打ち切りとなった。

 聞けば都市の再開発の妨げになるという言い分で、上からの圧力があったという。


「大変ショッキングなニュースでしたが、事件は大々的に広まることなく、東京の発展という炎に巻かれ、すっかり消えてしまいました。事実、火の不始末が原因となった大規模火災によって、あのあたりの区画は一新されました」

 運転席の窓を開け、おもむろに煙草を咥えだす。

 今となっては珍しい紙タバコに火が灯り、一息で半分が灰色に変わる。


「その不審火の正体については、もう知る由もありませんがね・・・」

 やり場のない気持ちが白い煙となって車内に充満した。


「若かった私は正義感に駆られ、打ち切りが通達された後も独自に捜索を続けていました。被害に遭われたご家族への対応も続けていましな、谷瀬夫婦とお会いしたのも、その時です。息子さんの左腕が見つかった後、特に奥様の荒れ具合は見ていられませんでした・・・」


 半分ほど残ったタバコを灰皿に押し付け、再びハンドルを強く握りなおす。

「自ら命を断とうとされたこともありました・・・」


 犯人は法の下に裁かれず、息子の体は見つからず。あの夫婦は、煮え切らない憎しみと悲しみを、誰に向けるでもなく、自分たちの中に押し殺していた。


「ご家族の苦しみは、想像を絶するものだったでしょう。せめて息子さんが見つかれば、あるいは・・・」

 ヒロは左腕だけでも見つかったのは幸運だったのか。何も見つからない方が、時間という名の病に蝕まれてしまうのではないか。


「だから、私は悔しかったんです。死んでもなおあの子たちを、家族のもとに帰してあげることができなかった。老い先短い私に取って、それが唯一の心残りでした」

 もう泣くことは無いであろう彼の瞳には、何が映っていたのか。


「ですから、あなたには感謝しています。ありがとう、義行さん」

 彼の歩んできた過去に、見つめる未来に、何を見出したのだろうか。


 彼にかかった呪いは計り知れない。

 だが彼の重荷の1つを無くすことができたのならば。

 俺のやったことに、何か意味があったと。

 心の奥深くに沈んでいた重荷もまた、消えていったような気がした。







『ドアが閉まりました。ここから飛行機は、離陸に向けて―――』

 結局、俺がこの出張で得たことは全身と痣と、不用意に人に優しくするなと言う教訓の2つだ。

 いや、2週間分の仕事も追加だ。

 電話では無理するなと言われたが、仕事は待ってはくれやしない。

 しばらくノー残業デーは無しだな。


「はあ〜~・・・」

 周りの人間などお構いなしの大きなため息。

 またいつもの、変わらない仕事の日々が帰ってくる。

 あんなことがあったが、結局俺は、優しい人間なんかにはなれていない。

 もう既に溜まった業務に気落ちしているようなやつだ。思いやりも、善性の欠片すらない、歪んだ人間であることには変わりないのだ。あんなにも、誰かを思う涙を目の当たりにしたと言うのに。

 そう簡単に、人間の心は変わらないようだ。


 そう、変わらないんだ。

 帰ったらまた職場に顔を出し、デスクの前に座る。

 仕事が終われば帰って食事と風呂、ソシャゲのデイリーをやって寝る。

 また朝を迎える。

 繰り返し、繰り返し。

 変わり映えのしない日々。

 自分が何を経験しようと、誰を助けようと。

 誰かが助かろうと。

 誰かが消えようと。

 社会は何事もなかったように廻っていく。

 そういうものだ。

 でもあの子は。

 ヒロは、どうなったのだろうか。

 何も変わらなくても、全部無駄だったとしても。


 せめて――


「間もなく離陸いたします。みなさまはご着席の上、ベルトをしっかりとお締めください」


 肘立てに腕を乗せ、頬杖をつく。

 視界に入った右手の痣は、まだギシギシと鈍い痛みを発していた。

 滑走路の凹凸が傷跡だらけの全身を揺すり、思わず目を細める。

 側から見れば商談でしくじった、敗走中のサラリーマンに見えるだろう。


 だが落ち込んでいるわけではなかった。

 今から飛び立つこの青空のように、どこまでも晴れ渡っていた。














 ヒロへ


 よう、久しぶり!

 覚えてるか? ヨシさんこと、義行だ。

 そっちは楽しくやれているか?

 今じゃ起動勇者ダンガーは45周年目だ。

 プラモデルも映画も数えきないほどにあふれてるぜ。


 手紙の返事なんて何を書けばいいか思い浮かばないんだが、

 プレゼントしたニッパーの調子はどうだ?

 刃先がうすいから、気をつけて使うんだぞ。


 それとプレゼントしたNEWダンガーはお気に召したかな?

 入院中で塗装ができなかったから、素組みになっちまった。

 ただゲート処理とかはちゃんとやったから、たくさん遊んでくれるとうれしい。


 今回はもう作っちまったけど、どこかで、また出会えたら。

 一緒にプラモデルを作ろう!

 半年後にプレミアムクラスのNEWダンガーが出るんだ。

 アルティメットverだから1/60スケールだ。

 でっかいぞ~!

 無事に予約できたから、待ってるぞ!


 じゃあ、風邪ひくなよ。

 元気でな!



 伊東 義行







 路地裏からの手紙 ~完~




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