手紙
『優しいね』
『優しいからさ』
『助かった! ほんと優しいわ~』
『あなたが、優しかったから』
俺は『優しい』が嫌いだ。
dislike(嫌い)というよりもhate(憎い)のニュアンスだ。
表には出さないが、この言葉を耳にしたときの苛立ちはかなり強烈なものだ。
もちろん、悪意を持ってこの言葉を発する人間はごくわずかだろう。
だがそのあまりにも軽すぎる善意の言葉が、俺はどこまでも嫌いだった。
ただのひねくれ者だって?
そうともいえるな。
だがこの言葉、相手の親切心にあやかり、何の労力をかけることなく利を得たことに対する感謝という名の免罪符だ。
こちらの集中力という名のリソースは有限だ。
切れてしまえば作業の効率はガクンと落ち、他の作業にまで影響を与えてしまう。
しかしそんなもの知らないとばかりに土足で頭の中を踏み荒らし、申し訳なさそうな顔とありがとうの言葉を添えるだけ。
旅は道連れ世は情け、袖振り合うのも多生の縁。
それはリソースを裂く側の言葉だ。
こちらの手間とお前の入手した情報は等価か?
こちらが時間をかけて用意した情報を、お前はA4の資料の隅っこに入れただけ。
いや、そうとは限らないか。
だが兎も角にも『優しい』という言葉の罪の重さを考えると、どれだけの人が――
「おまたせしました~! 源ちゃんステーキ1人前でーす!」
おっと、くだらない思索はここまでにしよう。
閑散としたホールに響く元気なウエイトレスの掛け声とともに、机には黒いプレートが置かれ、ジュウジュウと香ばしい香りをそこら中に振りまく肉塊が登場した。
ステーキハウス源一郎
秋葉原から徒歩40分、住宅地の一角にひっそりとたたずむ個人のステーキハウス。
名物は熟成された国産赤身肉500グラムの源ちゃんステーキだ。
まず驚くべきはその値段。
たったの2499円(税別)である。
昨今の物価高を加味せずとも嘘のような金額であり、劣悪な外国産を疑うくらいだ。
だが味は嘘をつかない。
これはよく高級店のA5ランクを謳う、脂で味を濁した旨みではない。
臭みが一切感じられず、噛めば噛むほどに牛のポテンシャルを最大まで引き出した旨みが染み出すこの肉は、首都圏に出張があれば多少無理をしてでも食べる価値があると断言できる。
例え外国産であったとしても、美味ければそれでいいのだが。
「おごちそうさまです」
「ありがとうございました! またお越しくださいね!」
月曜の昼間には似合わない爽やかな笑顔に見送られ、再び鬱蒼な日の光に照らされる。頭上の太陽に手をかざすと同時に、腕時計の針に目を細めた。
今は・・・11:30ぐらいか。
そろそろいい頃合いだろう。
スマートフォンを取り出し、いつもの連絡先の呼び鈴を鳴らす。
「はい、技術開発グループです」
若い声、後輩の香村だ。
「お疲れ様です。伊東です。課長は今いらっしゃいますか?」
「あ、出張お疲れさまです。山田さんですね、ちょっとお待ちください」
♪~~
聞きなれた保留音。
4月も過ぎたとはとはいえ、課長もまだ忙しい時期だ。
打ち合わせのスケジュールは確認していなかったが・・・。
「はいはい、山田です」
「課長、お疲れ様です。伊東です」
「おお、義行か。お疲れ様。展示会はどうだった?」
「事前調査で調べたところ以外にも面白そうなところはありましたが、いかんせん設立2、3年のベンチャーばかりでして」
「う~んやっぱりか・・・」
「一応名刺と資料は頂きまして、導入についてのお話もできるそうですが、どういたしますか?」
「いや、そっちはもういいよ。また費用だけ持ち逃げってのも勘弁願いたいからね」
「承知しました。それと、事前調査でマークしていたケイエンスのスキャナーについてですが、解析ソフトのデモも併せてやっていただけるそうです。日付は追って連絡するそうです」
「お、それは収穫だな。じゃあ帰ってからの報告もよろしくね」
「はい、承知しました」
「今日は、もうフリー?」
「そうですね、16時過ぎの便でそちらに戻る予定です」
「せっかくなら、ゆっくり観光でもしてきなよ。東京出張なんて、滅多にないんだからさ、はっはっは」
「はは、それではお土産、期待しておいてください」
「おお、待っているよ。それじゃあ、気を付けてね~」
「はい、お疲れ様です。それでは、失礼します」
目の前の住宅に向かって軽く会釈をし、通話の終了ボタンを触る。
ふう、これで一通りの仕事は完了だな。
今日は会社に導入する新しい計測器の下見と情報収集として、福岡から飛行機に揺られ東京の技術展示会を訪れていた。
仕事の目的はそうなのだが俺には別の目的、いやこっちが本命ともいうべき目的のために、正午を迎えずして展示会を切り上げた。
さあさあ、これから2時間とちょっと、どれだけ周れるか・・・。
メモの入った地図アプリを開き、速足で目的の地に向かった。
「ン~~♪ンン~~♪♪」
まだまだ静かな住宅地で、下手な鼻歌を流している薄手の黒ジャケットを羽織った成人男性が、1人。
誰がどう見ても不審者そのものであるが、これには訳がある。
原因は手に下げた紙袋の中身。
機動勇者ダンガー 復讐のジョア
MB 04 ザザビー
ビギナーズモデル(ハイクオリティver)
国民的ロボットアニメの映画「機動勇者ダンガー 復讐のジョア」の限定プラモデルである。親世代の映画だが、今でもこうして新しいプラモデルが出ているくらいには人気の作品だ。
これは2年前に発売されたもので、初心者向けのビギナーズモデルにスポーツカー顔負けの美しいワインレッドのコーティングが施された、どの層に向けて発売されたか分からない商品であったが、定価3000円にしては非常に出来のいい良キットとなっている。
発売当初は転売ヤーの餌食となり、プレミア価格10000円越えとなっていたが、まさか一番最初に訪れた小さな模型店に売られているとは。
しかもシュリンク未開封の新品であり、値段も税込み3200円と良心的。
これも早めに展示会を切り上げてきた甲斐があったというものだ。
時刻は12:17。
まだまだ時間に余裕がある。これなら駅前の店舗も全て見て周れるだろう。
まだまだ欲しいプラモデルはあるのだ。観光客の連中が手にする間に回収せねば。
今日のために下ろしてきた現ナマ10枚。
今が使い時だ。
なれば善は急げ!
意気揚々と走り出した瞬間、身体が何か大きな力に持ち上げられる。
「うぉっあっつ! ・・・っととと、・・・?」
踏み出した一歩は前ではなく右側に体を蹴飛ばし、なんとか転ばないよう態勢を立て直す。
すぐそばで不発弾が爆発したと言われても信じられるほどに、あまりにも強烈な熱風。
唐突すぎる状況に、頭が思考を停止させる。
発生源と思われる目の前の路地は静かに薄暗い影を映しているのみであり、風も熱もあの一瞬限りで、今は春先の太陽がゆらゆらと身を焦がしていた。
「な、なんだったんだ?今の・・・」
なんとか立ち直り、足先から腰回りをぐるっと見回す。
強風による砂が黒の生地をわずかに汚しているが、払えば落ちる程度だ。
それよりプラモデルが心配だ。
袋の底に手を当て、舐め回すようにじっくりと目を凝らす。
特に穴は開いておらず、紙袋は無事なようだ。
盛大に転ぶようなことが無くて本当に良かった。これでもしこいつを下敷きにしてでもすれば、折角の楽しい東京旅行、じゃなかった出張が台無しになるところだった。
落ち着きを取り戻し、袋の中を確認する。
ビニールに包まれたプラモデルが1つと紙切れが1つ。
はて、なんだこのごみは。レシートは貰わなかったはずだが。
袋の中に見慣れない、黄ばんだ紙切れが入っている。
さっきの風でたまたま入ったのか。入れておくのも癪だ、とっとと元の持ち場に戻るんだな。
紙切れの端をつまみ上げ、そのまま路地に放り出そうと袋から取り出す。
そのまま放り投げるだけでよかったのだが、不意に目に入った意匠に手が止まる。
大きく描かれた「Zダンガー」の文字。
隣には機動勇者Zダンガーの主人公機体である、ダンガーZの透かしが描かれていた。
45年前に放送された機動勇者ダンガーの二作目であり、宇宙船に変形する奇抜な機構とは裏腹にシャープなデザインであるダンガーZは、今なお人気の高い機体である。俺も作ったことがあるぐらいには好きなデザインの1つだ。
あの企業Dもこんな小物を作るんだな。
まじまじと薄汚れた紙切れを眺める。
細かい皺が寄り、泥汚れも多少あるが珍しい機動勇者シリーズの小物から手を離すのが惜しいと感じてしまう。
ん? 何か書いてあるような・・・?
眺めていた紙切れに文字のようなものが書かれていることに気が付いた。
た す けて
一見すると皺と汚れによる錯覚と思ったが、間違いなく鉛筆で書かれた文字だった。
今にも消えてしまいそうな、弱弱しい線。
誰かが助けを求めている。
命からがら、かろうじて残せたSOS。
自然と手を差し伸べたくなる、そんな文字。
いやいやいやいやいや。
そんな訳ないだろう。
ベッドタウンとはいえ、監視カメラもバッチリついている東京の市街地だぞ?
スラムもない、ホームレスもいない。
いるとすれば俺と遠くで散歩をしているご老人夫婦のみ。
こんなのどかで平和な場所で、誰が助けを必要としてるんだか。
『え? ああ、お礼は、また今度すっから。サンキューな!』
『あんたに助けてもらいたいわけじゃねーし』
助けたって、俺が何かを得られるとは限らない。
むしろ損する可能性の方が高い。
最近じゃ、わざと倒れたふりをして女性を襲うやつもいるって話だ。
こっちも用があるんだ、無視だ無視!
『ほんと、お忙しいのにわざわざありがとうねえ。この歳じゃ、地図も見えなくてねえ』
『ほんんっとに、ありがとうございます! この書類なくしてたらクビになってるところでした・・・!』
・・・・・・。
何を迷うことがあるのか。
見ず知らずの人間を助けても、何にも・・・。
歯を食いしばり、過去の自分と向き合う。
己の弱さを思い出す。
誰かを助けても、何か謝礼を貰うことは無かった。
ただ「優しい人」だの、「ありがとう」だの。
言葉を返され、その背を見つめることしかなかった。
何かを得られた事など、一度たりとも無かった。
じゃあなんで俺は悩んでいる?
なんで苦しんでいる?
なんでこの足は、ここから立ち去ろうとしないんだ?
『優しいあなたのままでいてね、約束よ』
・・・・・・わかったよ。
足が前に一歩。
ちょっと見て、何も無かったら引き返す。
もう一歩。
そしたら駅前に急ぐ。ダッシュだ。
影の手前で踏みとどまる。
それだけだ。
立ち止まった先は、灰色のブロックで囲まれた、路地裏という言葉が似あう空間。
人の気配は無く、苔と雑草が少しばかり背伸びしているだけの、少し明るい影の世界。
変なものは・・・少し先にある犬?ぐらいか。
塀と地面の境に寝転ぶ犬。
犬だった「何か」。
「犬」と認識できたのは、毛皮の剥けたマズル付きの頭部と首輪のおかげである。
事切れて既に数か月は経っているのか、異臭を放つことなくただ水分を失い、カサカサと風になびいている。
口元には最後の晩餐だったはずの、長い2本の骨。
だが今は犬に情をかけている場合ではない。
一刻も早く、この路地裏からの手紙の正体を突き止めねばならない。
何事も無けりゃ、それでいいんだから。
早まる鼓動。
不安なのか、好奇心なのか。
心配なのか、呆れなのか。
裏の世界に、踏み込んだ。




