第二話
少女が用意してくれた温かい食事で腹を満たしたあと、彼女は暖炉の火を見つめながら、静かにぽつりぽつりと語り始めた。
「……私はね、過去の器なの」
その告白に、少年は息を呑んだ。少女はどこか遠い世界を見るような目で、悲しい記憶を紐解いていく。
「昔……黒の器だった人と、恋人同士だった。出会うまでに半年かかって、それから半年間、追っ手から必死に逃げながら二人で暮らしたわ。でも、最後の日……私たちはついに捕まってしまった」
少女の声が、微かに震え始める。
「私は殺されるはずだった。でも、あの人は……私を守るために、自分の胸に剣を刺したの」
少年は思わず拳を強く握りしめた。胸の奥が、他人の過去とは思えないほど痛む。
「白の国の人間たちは、黒の器が死んだと思って歓喜した。でも……あの人は死ななかったわ。それを見た創造神は醜く笑って、世界に無数の魔獣を解き放ったの。そして……あの人はどこかへ連れて行かれた。私は……この滅び去った廃墟に、たった一人で取り残された」
少女の澄んだ瞳の奥に、深く冷たい怒りと、抑えきれない悲しみがゆらめいていた。
その横顔を見た瞬間、少年の胸の中に、理屈ではない熱い感情が突き上げてきた。少年は勢いよく立ち上がり、少女を真っ直ぐに見据えて言い放った。
「じゃあ……探しに行こう。お前の恋人を」
少女は驚いたように目を見張ったが、すぐに悔しそうに唇を噛んで首を振った。
「無理よ……この街の出口にある『門』には、悍ましい“龍”が巣食っているの。私一人の力じゃ、どうしても勝てない!」
絶望を口にする少女に対し、少年はふっと肩をすくめると、不敵な笑みを浮かべてみせた。
「なんだ、そんなことか。大丈夫だろ。これからは俺がいるんだからな」
根拠のない、けれど真っ直ぐな言葉に、少女は呆れたように、しかしどこか救われたような目を向けて、少しだけ唇を尖らせた。
「……ほんと、あなたって……バカなの?」
窓の外では、旅の始まりを拒むかのように、再び魔物たちの遠吠えが響き渡る。
食事が終わり、食器の触れ合う音が途絶えると、部屋の中には再びしんとした静けさが戻ってきた。
窓の外では相変わらず冷たい風が吹き荒れているが、暖炉の爆ぜる音だけが室内の空気を優しく温めている。スノーは椅子の背にもたれていた身体を座り直し、静かに少年の方へと向き直った。
「そういえば、まだ名前を聞いてなかったわね」
ふわりと白い髪が揺れ、彼女の透き通るような瞳が、まっすぐに少年を見つめる。
「私はスノー。……あなたは?」
その純粋な視線を正面から受け止め、少年は一瞬だけ言葉を探した。
世界を滅ぼすという神の理不尽な宣告、そして互いの国を背負わされた過酷な運命。そんな重圧の中にいるはずの彼女が、今はひどく小さく、儚げに見えた。
(この子を守りたい――)
胸の奥から、理屈ではない熱い衝動が自然と湧き上がってくる。少年はぐっと背筋を伸ばし、満面のドヤ顔を浮かべて言い放った。
「俺は……刀。龍を倒す、お前の刀だ!」
決まった、と確信した。
だが、スノーは一瞬だけぽかんと目を見開いたあと、すぐに口元を手で押さえてクスクスと笑い出した。
「ふふっ……あはは! キマってはないなー、それ」
「なっ……! 今のは完璧に格好良かっただろ!?」
真っ赤になって抗議する少年――刀に、スノーは首を横に振る。
「ううん、全然」
しかし、彼女の笑みはすぐに、これまでにないほど柔らかく穏やかなものへと変わっていった。スノーは微笑みながら、もう一度、刀の目をまっすぐに見つめた。
「でも……そういうところ、嫌いじゃないわよ」
じっと見つめてくる彼女の瞳。その奥底には、強大な魔法の力を持ちながらも、ほんの少しだけ――“誰かに頼りたい、甘えたい”という、少女としての切ない弱さが滲んでいた。
刀はその視線に隠された彼女の本音に気づき、再び胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。張り詰めていた彼女の心を、自分の言葉が少しでも解きほぐせたのなら、格好悪くたって構わない。
「じゃあ、刀」
スノーは小さく息を吐き出し、決意を秘めた声で言った。
「明日、龍の門まで案内するわ」
その言葉に応じるように、激しい吹雪の向こうから、遠くの魔物が飢えたように咆えた。
窓を打つ風の音はいっそう激しさを増していく。しかし、二人の心にはもう迷いはなかった。
白と黒の境界を超え、二人の過酷な旅路が、今確かに動き始めていた。




