25話 特級探索者戦
でけぇ屋敷だ。それが鈴鹿の感想だった。
いったいどれほど稼いできたのか。非合法な行いで稼いで建てた豪邸とはいえ、これほど立派な建物を壊すのは気が引ける。中が見えないほどの木造の塀に囲まれた家。塀の上から顔を出す立派な松を見ると、きっと庭園も整えられているのだろうということが外からでもわかる。
これを作った職人には申し訳ないが、この立派な庭園も今日で終わりを告げることだろう。周囲に被害が行かないように気を付ける必要があるが、無駄にでかい分十分暴れられるだろう。
【ここが蜥蜴の代表の家?】
【でっか。ザって感じの屋敷だな】
蜥蜴の代表が住む屋敷は、尾道組からは歩いてすぐだった。これから今まで好き放題生きてきたツケを支払ってもらう予定だ。
灰ヶ峰が探索者法に則って殺しても問題ないことを話し続けてくれたため、安心してぶっ殺すことができる。正直横で聞いていてもドン引きするほど悪いことをいっぱいしていた。コメントもお通夜モード。灰ヶ峰はコメントが一つ質問したら、聞きたくないことを3つ答えてくれる始末。
蜥蜴の代表はいい歳した老人とのことだが、躊躇せず殴れそうだ。むしろこの世から一秒でも早く消すのが人類のためとすら思える。
とはいえ、相手は特級探索者。二回存在進化を経た人間だ。片や鈴鹿はまだ存在進化を一度しか経験していない。それでも十分戦えると踏んではいるが、余裕がどこまであるかは読めない。
灰ヶ峰からは事前に代表について情報を仕入れていた。もちろん戦い方とかスキル構成とかは聞いていない。そんな面白くない情報はいらないのだ。
必要なのは代表のコンプレックス。煽りに煽り散らして恥辱で憤死してほしいと思うからこそ、なんかいいネタはないかと聞いたのだ。
返ってきた答えは弱さ。蜥蜴の代表は特級探索者であるが、自分の弱さがコンプレックスだと灰ヶ峰は言う。特級に至れるだけで並みの探索者では立ち向かえないほど強いと思うのだが、何とも哲学的な回答であった。
まぁ事情は分からないが、自分の弱さが嫌ならば話は簡単だ。終始圧倒し、自分がいかに矮小な存在なのかを魂に刻み込んでやればよい。
「さて、じゃあ行きますか」
そう言って、鈴鹿は屋敷へと向かってゆく。こんなヤクザな邸宅に襲撃をかけるのは、正直ビビる。
これはモンスター相手とは別のベクトルだ。モンスター相手であればもはやリアル感も無くてゲームのように立ち向かえた。何度も戦うことでモンスター相手に戦うことに違和感も怯えもない。だが、ヤクザは違う。
元の世界にいた鈴鹿はただの小市民である。ただただ普通に生きてきた。ヤンキーとも関わらず、飲み屋街のやんちゃそうな者たちとは距離を空け、ヤクザとなんて遭遇したことも無い。
尾道組にカチコミした時は蜥蜴の構成員が大勢いたから不安はなかった。灰ヶ峰と初対面したときは招かれた側の立場であり、映画みたいとワクワクしたと同時に大なり小なり緊張した。今回は灰ヶ峰がいるとはいえこちらから一方的に突撃するのだ。少し緊張するのもしょうがないだろう。
そんな思いを胸に、鈴鹿は屋敷の入口へと立った。
「八王子やッ!!! 扉開けぇ!! 早よ開けんかいゴラァ!!!」
インターホンを何度も押しながら、ドアが歪むんじゃないかと思えるほどの強さで何度も扉を叩く鈴鹿。一秒でも早く扉を開けさせようと、『早よ開けんかい!!』と怒鳴り続ける。
「おい。おい狂鬼」
「なんだ灰ヶ峰。お前も早く加われ。チェーンソーとか持ってないか?」
「何言ってるんだ? 普通に侵入して仕留めるわけじゃないのか? こんな大きな音立てたらただ警戒されるだけだぞ」
ぐう正論である。だが鈴鹿はそんなこと聞きたいわけじゃなかった。ヤクザの親玉にカチコミに行くんだぞ? これをやらずに行くわけにはいかないだろう。
【狂鬼さんどうしたの?】
【どっちがヤクザかわからん】
【灰ヶ峰のいう通りこれじゃ不意打ちできないじゃん】
「あ、そうか。まだ有名じゃないのか」
灰ヶ峰がノリ悪いわけじゃなかった。2010年ではまだこのネタは通用しないようだ。悲しい。
「仕方ない。行くぞ」
そう言って、鈴鹿は扉を開く。どんな力の掛け方をしたらそんな綺麗に破壊できるのかと思えるほどあっさりと、掛けられていた施錠部分が破壊され扉が開いた。体術スキルの妙である。
蜥蜴の代表の屋敷に踏み込むと同時に、鈴鹿は存在進化を開放する。鈴鹿が来たよと教えるために。
「お邪魔しま~す。10秒以内に出てこないと雷魔法でお家更地にしま~す」
そう声をかける。すでに鈴鹿の気配察知によって代表がいることはわかっている。逃げるなら追うだけだ。
だが、ここに至っては逃げるという選択肢は取らないようだ。気配は玄関へと動いていき、扉が開けられる。
そこから出てきたのは和装に身を包んだガタイの良い老人だった。顔の側面には存在進化の影響かちらほら鱗が見え、肌も黒い。日焼けしたような色ではなく、寒色系の黒さは存在進化の影響だろう。特級に至っただけはあると思える程度に面も整っており、短く刈り揃えた白髪とあごひげが渋みを出していた。
「灰ヶ峰よぉ。随分な訪問じゃねぇか」
纏う空気が違う。灰ヶ峰のような合理性を煮詰めた裏の人間が纏う空気とも、剣神のような強さの果ての空気とも違う。
海千山千の裏社会を生き抜き一大組織にまで拡大させた男が発する空気は、周囲から酸素を奪うような息苦しさを感じさせるものだった。
当然このシーンもダンチューブにて生配信している。コメントも緊張しているのか鳴りを潜めていた。
そう。鈴鹿が顔出し配信に踏み切ったのは、このためだ。もちろん、顔を覚えてもらって関わらないようにしてもらおうとも思っている。ただ、鈴鹿は普段顔の認識を阻害するように気配遮断を発動している。だから顔を出したところで鈴鹿に群がることなど一定以上のレベルの探索者しか無理な話なのだ。顔を覚えてもらったところで関わろうにも関われない。それでも顔を出した本来の目的はこれ。
鈴鹿は蜥蜴の代表との戦闘を配信するつもりだった。相手に許可も取らず、家に押し入り勝手に撮影するのだ。とんだ害悪ムーブである。相手が極悪人だとしても、さすがの鈴鹿も自分の道義に反する行いだった。
じゃあ配信を止めろという話ではあるが、これは必要なことなのだ。たとえ東のギルドが検挙に二の足を踏むような蜥蜴の代表だろうとも、鈴鹿に喧嘩を売ればこうなるぞという前例を作るために。鈴鹿に手を出せば、蜥蜴の二の舞になるぞと。特級探索者だろうとも構わず鈴鹿は喧嘩を仕掛けるぞと。そのためにはわかりやすく動画配信した方が馬鹿にも伝わるだろうと思ったのだ。
だからこそ、せめてもの礼儀として鈴鹿も素顔を晒した。俺も晒したからお前も晒していいよなという謎理論である。これから殺す相手にそんな配慮必要かと問われたら首をかしげるが、鈴鹿は自分の中の道理から外れたことはできないのだ。
「無視か灰ヶ峰。答えんかい」
「あ、凄んでるところ失礼。えーと、あなたは尾道組と一緒にあくどいことをして回ってる日本の癌、蜥蜴という組織の代表の大久野さんでよろしかったでしょうか?」
「あぁ? なんやこのガキ。バラされたいんか」
凄い。鈴鹿の圧を感じつつも受け流している。それだけ強いということだろうか。正直強いのはわかるが剣神クラスとは思えない。何の余裕だ?
鈴鹿は尾道組から配信を開始している。横浜でも動いているし広島でも動いているのだ。動き出してから時間にして数時間かもしれないが、さすがに西のギルドも詳細はわからずとも何が起きたかくらいは把握しているだろう。狂鬼チャンネルで生配信もしているのだ。ここまでして事態を把握できていないわけがない。
そして、鈴鹿は配信で蜥蜴の代表である大久野の家に今から向かうと発言もしていた。蜥蜴の内部は掌握しているから情報が行かないにしても、猛虎伏草を始めとした西の連中が大久野に情報共有くらいはしていてもおかしくないのだが。
「ん? 俺のことわかる?」
「おい灰ヶ峰。なんだこの茶番は。いつからお前はガキのおもりするようになったんだ」
無視である。これは大久野が大物なのか馬鹿なのか判断ができない。
「話になんない。何コイツ」
「今朝からこの一帯に電波障害を発生させている。恐らくそれが原因で今何が起きてるのかもわからないのだろう」
なんと。仕事ができる灰ヶ峰は大久野が逃げない様に電波障害を発生させていたようだ。もちろん電波法違反の犯罪行為であるが、こいつらの犯罪歴から見れば可愛くすら感じられる犯罪だ。
スマカメで生配信ができているということは、鈴鹿の到着に合わせて電波障害も解除したのだろう。しごできだ。あとで褒めてやるか。
「おい。いい加減にしとけよ灰ヶ峰」
「じゃあ何。この滑稽なおっさんが大久野で合ってるの?」
「ああ。そいつが蜥蜴の代表、大久野だ」
その途端、大久野が蹴り飛ばされる。入ってきたドアをぶち抜き、盛大に家屋を破壊しながら家へと戻っていった。老人であろうとも関係なく鈴鹿は蹴り飛ばす。相手は外道だ。グダグダおしゃべりをしたい相手でもない。
「いやぁ、皆ごめんごめん。ヌルッと始まったけど、これから特級探索者戦だ。対人戦闘だし多分手加減できないから最悪なことにもなりかねない。だから、苦手な人はブラウザバックしてね。またダンジョン配信でお会いしましょう」
吹き飛ばされた大久野の圧力が一気に増す。恐らく存在進化を解放したのだろう。それでも鈴鹿は恐怖を感じない。見た目は怖いが強くはない。そんな印象だ。
「ガキが……殺すッ!!」
家の中から存在進化を解放した大久野が鈴鹿に突っ込んできた。その見た目は黒い鱗に覆われた蜥蜴。太い尻尾が生えており、顔も人間の面影がないほど蜥蜴に寄っていた。
一式装備を装備したのか、身を包むのは見るからに強力な防具。恐らくレベル200以上のエリアボスからドロップするレベルの防具だろう。強力な性能を持っているはずだ。防具から溢れる圧がこちらまで伝わってくるほどである。リザードマンと言えば強固な鱗が身を護るために防具は少ないイメージであったが、大久野は全身が装備に覆われていた。
そんなフル装備の大久野が、これまた様々な効果が付与されてそうな片手剣を掲げ鈴鹿へと襲い掛かった。
だが、まるで巻き戻しでも見ているかのように再度家の中へと吹き飛ばされる。鈴鹿は自身に向かって振り下ろされる片手剣を簡単に避けると、胸当ての防具を殴りつけて家へと帰してあげた。
「えぇ、雑っ魚。何コイツ。殺す!! って誰をですかぁ? こんなクソ弱ぇボクちゃんにそんなことできるかなぁ?」
とりあえず吹き飛ばされた大久野に言葉を投げかけておく。
鈴鹿の言葉通り、大した手ごたえがなかった。殴りつけた拳がではない。大久野の強さがだ。
初撃も今も鈴鹿は大した威力にならないように攻撃した。どれぐらいの強さなのかいまいちわからないから、様子見のために吹き飛ばすことを重視した攻撃だ。その攻撃がすんなりと簡単に通る。今の片手剣の攻撃は控えめに言っても大したことは無かった。練鱗淵の番の方が圧倒的に強いと感じるほどだ。
確かにステータスは目を見張るものがある。装飾品も整っているのだろう。二回目の存在進化も済ませていることで鈴鹿よりも高いステータスに強化が加わり、さらにアイテム類によるバフがのっている。単純なステータス依存での戦いであれば鈴鹿はやられていた。
だが、圧倒的にレベルもステータスも上の敵と鈴鹿は嫌というほど戦ってきた過去がある。そしてそれらの屍を越えて今ここにいるのだ。たかだかステータスがちょっと盛れたところで、鈴鹿を凌駕することはできない。
「う~ん。ちょっと弱い者いじめになっちゃうかもなぁ。ねぇ、灰ヶ峰。本当にこのカナヘビさんがボスなの? オオトカゲとかの方がまだ強いんじゃない?」
わざと振り返って灰ヶ峰に声をかければ、大久野が鈴鹿を殺さんと再度片手剣を振るう。光に染まる清浄な輝きを残光に、鈴鹿の首をはねる様に片手剣が横なぎに振るわれた。力任せの一撃。弱くはないが強くもない。
ステータスのおかげか速さだけはあるが、駆け引きもない速いだけの攻撃は鈴鹿には通らない。様子見のために数合回避する。
老人にしては頑張るなぁと思いながら、これ以上の手がなさそうなので殴ることにした。今までの二回の攻撃から、体力と防御が高いことはわかっている。恐らくタンク系のステータス構成なのだろう。ならば割と本気で殴ってもいいはずだ。
夜天に星々を煌かせる鈴鹿の毒手が、大久野へと迫る。大久野は鈴鹿の攻撃に反応を見せ左手の盾を間に挟んだが、その程度の動きで鈴鹿を止められるわけがない。盾を避けて殴ることもできるがあえて盾ごと殴りつけ、これから殴る威力をお知らせしてあげる。
鈴鹿の夜天の毒手と大久野の盾が衝突した。やはり防具も相当ランクの高い代物なのか、かなりの衝撃が吸収される。だが、十二分に盾を貫通して腕へと衝撃が届いたことだろう。その結果に、大久野が目を見開く。
恐らく現役時代はモンスター相手のタンクとして頑張っていたのだろう。モンスターにもよるが、ただ殴りつけてくるだけの敵であればインパクトを綺麗に盾で受け止めることもできるはずだ。タンク職としての自負が大久野にもあり、その力で特級まで至ったのだろうから。
しかし相手はモンスターではない。鈴鹿である。体術のスキルレベルがカンストし、武神まで発現した鈴鹿が相手なのだ。本職のタンク相手であろうとも、インパクトのタイミングをずらすことなど造作もない。ましてや相手は現役を退いてどれほどの時が経ったのかわからない相手だ。そんな者が鈴鹿相手に立ち回れるわけがない。
タンクとしての意地か、鈴鹿の攻撃を受けてなお盾を維持したのはさすがの一言だが、完全に動きが止まっている。まるで殴ってくれと言っているようなものじゃないだろうか。仕方ない。お望み通り殴って差し上げようじゃないか。
ステータスで上回る大久野は鈴鹿の動きについて来ようとするが、全然動きが合わせられていない。タイミングが合わないのだ。鈴鹿が大久野のテンポからずれるように動くことで、完全に防御が間に合っていない。
結果、大久野は鈴鹿の連撃をモロにくらうこととなる。顔面を捉えたかと思えば腹部を強打され、衝撃でノックバックしようが見えざる手で胸ぐらを掴まれ強制的に引き戻される。殴る時にイメージするのは筋繊維の断裂。ステーキ肉を下処理で叩くように、皮膚の下で肉がグズグズになるように、瞬きの間に打ち込まれた何十発もの打撃が大久野の身体を破壊する。
だが、存在進化を2回も経た上に装飾品や最高クラスの防具による底上げは絶大なようで、想像以上に硬い手ごたえだ。まるで硬質なゴムの塊を殴っているかのように、殴りつけた衝撃が分散吸収されているように感じられた。
あまりやりすぎてもなと思い、適度なところで解放する。締めとして顔面を強打し、老人サンドバッグという字面最悪な行為を止める。大久野は地面をバウンドすると、広い庭を転がりやがて停止した。
「……思った以上に弱い。こいつほんとに特級か?」
【いや、狂鬼さんが強いだけじゃ……】
【ちょっと可哀そうに思えるわ】
【足らなすぎるだろ。こいつがどれだけの不幸を生み出したと思ってんだ】
ステータスは特級相当だろう。装備も一級品。だが中身が伴っていない。木偶の坊。独活の大木。大男の殿。総じてどんくさい。
弱いわけではないが、鈴鹿が想像する特級相当かと問われると首をかしげる。なんなら灰ヶ峰の方が強いんじゃないだろうか。灰ヶ峰の纏う雰囲気は、どんな手札を持っているのか悟らせない不気味な強さを感じる。戦うなら灰ヶ峰の方がやりにくいだろう。
だから言葉にして伝えてあげる。思ってるだけじゃ伝わらないからな。
「独活の大木ってまさか言葉通りの人間がいるなんてね。どうやって特級になったの? つおいつおいお仲間でもいたのかな? 良かったねぇボク。いい仲間に恵まれてさ。さぞやお仲間は大変だったろうに。大男総身に知恵が回りかね。君にぴったりな言葉だよ」
老人を殴りつけ吐くセリフとは思えない罵詈雑言を浴びせながら、鈴鹿は考える。どうやって終わらせようかと。
当初の予定だともっと苦戦するはずだった。特級探索者とは鈴鹿よりもレベルが高い相手ということだ。接戦を想像するだろう。そんな中、大久野は強さにコンプレックスを持っているというのだ。それを刺激してあげるためにできるだけ余裕を持ってあしらう必要があったため、鈴鹿も頭を使う戦いになるだろうと思っていた。
しかしふたを開けてみたら呆気ないものだった。うん。これなら強さにコンプレックス抱くかも。そう思える仕上がりだ。年齢的にも以前会った不屈の藤原と近いと思うが、強さは雲泥の差がありそうだ。
特級の最下層。それが大久野であろうと思える。
内臓がやられたのか吐血しながらも何とか立ち上がる大久野。それに対し手拍子しながらあんよが上手と応援する鈴鹿。なんともひどい絵面だ。自分でやっていても引く。だが、こいつの構成員は地獄を見ているはずなのに、ボスである大久野が楽に死ねるなんてあってはならない。だからせめてもの煽りを鈴鹿は行う。
「は、灰ヶ峰ぇ。早くコイツ殺せ……」
タンク職ということもあって防御も体力も高いはず。まだまだ瀕死とは言えないだろうが、大久野は灰ヶ峰に助けを求めた。
それを見てさらに興ざめする。やはりダンジョンから退いたら探索者とは呼べなくなるんだな。この状況で灰ヶ峰が手を貸してくれると思っているのだろうか。
鈴鹿の圧に対して初め強気だったのは、耄碌していたからだろう。恐らくこいつは猿山の大将でいることが長すぎたのだ。西の猛虎伏草を始めとしたトップギルドと癒着し、裏社会を支配し、強い部下に囲まれ、それでいて一応は特級のためその辺の一級探索者よりも強い力を持っている。
そのぬるま湯に浸りすぎたのだ。
だから鈴鹿に強く出れた。なんか知らんやたら強そうなガキが来ただけ。裏社会のボスたる自分にとっては路傍の石ころ。逆らえばばらしてダンジョンに吸収させるか瀬戸内海に沈めればいいだろと。
なんともしょうもない相手だ。戦う価値もなかったかもしれない。初手から滅却の力をのせた雷撃で家ごと更地にしてあげたらよかっただろうか。それだと救いか。
「代表。今の今まで俺が手を出していない時点でわかってるだろ。組織は今日を以て崩壊した。尾道組も一足先に地獄で待っている」
灰ヶ峰が変わらぬ淀んだ赤い瞳で大久野を見る。そこに蔑みも哀れみも怒りも温情もない。いつも通りのなんの感情も見せない無機質な瞳。
「……そうか。まぁ、そうだろうな」
震える足で立ち上がり自嘲気味に嗤う大久野。裏社会に君臨する蜥蜴の代表の家が襲われている。それもこれだけ派手な戦闘音を上げてだ。それなのに横やりの一つもないということは、大久野も現状をようやく認識したことだろう。
「どうした独活の大木。でかいだけで何も詰まって無さそうな脳みそでようやく現状が理解できたか?」
「ガキが、ダンジョンで力を得て何か勘違いしちまったのか?」
黒い鱗に覆われた蜥蜴となった大久野が、鈴鹿を睨み付ける。
「ヤクザがケツ振って興奮しちまった愚かな男よりは幾分かマシじゃないかな」
「お前に俺は殺せねぇ。お前を殺した後はお前の家族も殺す。世界中どこに逃げても追い詰める。お前がやったことがどんなことなのかをわからせてやるよ」
「その捨て台詞って有名なの? 標語かなんか? 君の組織の人間みんな言うんだけど。そんな叶わない妄想抱きながらあの世でマスでもかいてなよ」
やっぱりこの組織は潰して正解だった。すぐに家族だ友人だと関係のない人間に手を出そうとする。なんともくだらない。だからこそのこの程度の強さなのか。興も冷めたし早く終わりにするか。
さすがに止めを刺すときは画角変えるかぁなんて思った時、大久野が一つのアイテムを取り出した。それは異質なデザインの面だった。
端的に言えばガスマスクである。ただ、デザインが古い。鈴鹿がガスマスクで想像するような、丸いフィルターが口の左右についているようなモノではない。隔離式と呼ばれるタイプで、正面の口の部分からホースのようなものが伸びたデザインだ。ただホースは数十センチ程度で千切れており、その先には何も繋がっていない。面の形状はムンクの叫びのように頬がこけているような気味の悪いデザインで、眼の部分は能面の翁のように細く弧を描いている。ゴーグルのように視野が広く確保されていないので、かなり視界が悪そうだ。
そんな面が大久野の手から離れて宙に浮いている。
注目するべきはその面から放たれる圧倒的な存在感だ。異質なデザインも宙に浮いていることも些事である。まるでエリアボスか何かかと思わせる圧が放たれていた。
「最近のガキは礼儀がなってねぇ。戦後の日本をここまで立て直したのは誰だと思ってんだ」
「少なくともカナヘビ君じゃないでしょ。蜥蜴なんて情けない組織立ち上げて周りの足を引っ張ることしかできない君では」
「あの地獄を知らねぇからそんな口が利けんだ」
「知らないね。知りたくもない。そんな地獄を後世に味わわせないために尽力した人たちの足を引っ張る行為に勤しむ馬鹿の事なんて、さらに知りたくもない」
戦後の復興は鈴鹿では想像もつかぬほど大変だったことだろう。さらにダンジョンなんて生まれた日にはこの世の終わりだと思ったことだろう。それでもここまで復興し、今の便利な世の中があるのは、偏に当時の人たちの尽力によるものだろう。
だが、そこにお前は含まれない。当時どれだけ苦労しどれだけ尽力したかもわからないが、蜥蜴を立ち上げたことで帳消しどころか大幅なマイナスだ。
「その面着ければ強くなるのか? ならとっととしろよ。お前特級の中でもダントツでクソ弱いだろ? やっぱ存在進化が蜥蜴じゃこんなもんかって感じ。龍に成れなくて残念だったね、カナヘビくん」
「……絶対にコロス」
直後、面の内側から黒い触手が大久野の顔に向かって伸ばされる。まるで大久野を乗っ取るために寄生するような動きで、面は大久野の顔に貼り付いた。
膨れ上がる大久野の存在感。どうやらここからが本番らしい。
「ようやく面白くなってきた」
奥の手を解放した大久野を見ながら、鈴鹿は黄金の瞳を爛々に輝かせながら獰猛に笑うのだった。




