第7話 ソウルプラザ(その1)
いつの頃だったか日本で「上場企業の社長の電車通勤は美徳」の記事が載った。
それが韓国で紹介されると「金持ちがなぜ金を使わない」と、疑問の声が出た。
事ほど左様に、国によって美徳は違うが、それが狭い海峡を挟んだお隣なのだ。
藤原が鈴木の話を聞いている頃、技術部の矢部はソウルのプラザホテルにいた。戦前日本の陸軍参謀本部があったビルの真正面、ロータリーを挟んで24階建てのホテルである。
L/Cを韓国に送って2週間、矢部が責任者として訪韓しながら何も進展していない。
金英社の金社長はハングルしか喋らず、すべてはオリオンの朴部長を介しての話。だが矢部は、相手の要求を聞こうともしない。
矢部としてはL/Cを切ったのだから、材料や金型代は金英社が一切払えと言う。それはある意味正しい。だが金栄社は零細企業であり、潤沢な資金もなければL/Cを担保に融資を受けることもできない。
要はそんな会社だから安値でベルトを受けたのであり、他の韓国企業からすべて断られた結果である。だが矢部は一切妥協しないのだった
「矢部さん、何とか材料費と金型代を先に送金してくれませんか」
「駄目だ、何度言ったら分かるんだ、朴さん、そんな話は日本じゃ通用しないよ」
静かなロビーに矢部の甲高い声が響く。
矢部の目線が宙を舞っている。
興奮すると誰彼なしに食って掛かかる、矢部の悪い癖。
ソウルプラザといえば一流ホテル、そこで日本人が韓国人を罵倒するかのように、矢部は大きな声で叫んでいる。彼に朴の誇りを考慮するような気配は微塵もなかった。
「まあ矢部さん、話は食事しながら……」
朴は矢部に抗うこともなく、ひたすら矢部をあしらいながら外へ出ていった。
それから4時間ほど経ったであろうか、深夜のロビーに矢部1人が戻ってきた。
「おかえりなさいませ……」
カウンターの支配人が日本語で声をかける。
閑散としたロビーに、矢部の神経質そうな靴音だけが響いていた。
「君っ――警察を呼びたまえ。警察呼んで、あの二人を連行するよう言ってくれ」
「お客様……、どうなさいました」
「君はすぐ警察を呼べば良いんだ」
矢部が赤い目で、口の隅に泡を溜めながら、酒臭い息を吹き掛けながら叫ぶ。
「ちょっと待ってください……」
そう言って支配人は矢部の肩越しにロビーを見る。
すると回転ドアの陰に男が二人、立って中を見ている。
服装からして韓国人である。
支配人は、手招きして彼らを呼んだ。
「ヨボセヨ――、アジシー」
「おい誰を呼んでるんだ。俺は警察を呼べと言うんだぞ、日本語が分からんのか」
「私が話します。少しここでお待ち下さい」
支配人が毅然と言い放つと、矢部は黙った。
元々身体の大きな矢部ではない。
それに比べて相手は、武道でもやっていそうな厚い胸板。
不承不承、矢部は腕組みして突っ立った。
(つづく)
以下、明日に続きます。
よろしくお願いします。
船木