第18話:平和の為のアドバイス〜計略って何それ??〜
「う、氏真様……! 申し訳、ございませぬ……っ!」
ガタガタと音を立てて開いた襖の向こうから現れたのは、文字通り『ボロボロ』になった家康くんだった。
鎧は引き裂かれ、顔は煤と涙と泥で汚れ、生きた心地がしていない。
天下人(予定)の見る影もないその凄惨な姿に、俺は手に持っていたお菓子を落とした。
「え……ええええええええええええええっ!?!?!?」
俺の脳内で大パニックが巻き起こる。
(ちょっと待って。
なんで負けてるの!? 徳川家康だよ!? 将来、関ヶ原で勝って江戸幕府を開くはずの完全なる主人公だよ!?
戦国最強って噂の武田信玄が強いのは知ってたけど、こんな木っ端微塵にボコボコにされるなんて聞いてない!
やっぱり、ここは歴史通りの日本じゃないんだ……!
予定調和なんてない、いつ首が飛ぶか分からないガチのパラレル世界なんだ……っ!)
背筋に極寒の戦慄が走る。
勝ち馬に乗ったつもりが、その馬が今にも絶命しそうになっているのだ。
打算、大崩壊である。
「私の不甲斐なさゆえ、多くの忠臣を失い……武田の大軍勢に、完膚なきまでに叩きのめされました……!
もはや、氏真様とご家族をお守りする資格など、この家康には……っ!」
床に両手をつき、悔し涙を流しながらガタガタと震える家康くん。
大名のプライドも何もかもを失い、恐怖と情けなさに打ちひしがれている。
そんな、かつての可愛かった弟のボロボロな姿を見ていたら、俺の脳内の「打算」は一瞬で消え去った。
ただ純粋に、この不憫な弟を慰めてやりたいという、兄としての優しい情だけが溢れてきたのだ。
俺はそっと家康くんの肩に手を置き、穏やかな声で語りかけた。
「気にしないでいいよ、家康くん。
もう、無理して抵抗しなくていいんだ」
「う、氏真様……?」
「全部を受け入れよう。ね?
浜松城の門を全部開けてさ、暗がりの奥までぜんぶ見えるように、かがり火をたくさん焚くんだよ。
相手にこちらの様子を、包み隠さずすべて晒してしまうんだ」
「な、何を、おっしゃって……!?
そんなことをすれば、武田の軍勢が容易く雪崩れ込んで参ります!」
家康くんは驚愕して目を見開いた。
だが、俺の考えは違う。
これ以上無駄な抵抗をして籠城戦なんてやったら、城内の人間は全滅だ。
それなら、最初から
「降伏します!
何も隠してません!」
と全面降伏のポーズを取った方が命は助かる。
「いいんだよ。
そこまで全てを晒し出す奴に対して、あの武田信玄だって、逆に無茶なことはできないはずだよ。
人間、何もかも筒抜けの相手を襲うのは逆に怖いものだからさ」
(だから、もう戦うのはやめて大人しく降伏しよう?
命さえあれば丸儲けだよ!)
俺は誠心誠意、命を最優先にする「臆病者の優しさ」でそう伝えた。
「――っ!!!」
その瞬間、家康くんの身体に電流が走った。
涙に濡れていた家康くんの目が、驚天動地の大衝撃を受けたようにカッと見開かれる。
(そうか……! あえて城門を全て開き、かがり火をこれでもかと焚いて城内を晒す。
普通ならあり得ぬ暴挙。
そんなことをすれば、あの猜疑心の強い武田信玄は
『これは徳川の罠だ。城内に強力な伏兵がいるに違いない』
と、余計に何か裏があると勘ぐって、警戒して攻め込めなくなる……!)
絶体絶命の状況で、あえて敵の心理の裏をかく究極の心理戦。
家康くんの脳内で、氏真の「降伏勧告」は、天才軍師の狂気の計略『空城の計』へと完璧に変換されていた。
(氏真様は……この大敗北の極限状態にあっても、一瞬で武田信玄の心理を見抜き、徳川を救うための策を授けてくださった。
なんという恐るべき、深謀遠慮の主……!)
「分かりました……! 氏真様の仰せの通りにいたします!」
家康くんはガタッと立ち上がると、すさまじい覇気を取り戻して部屋を飛び出していった。
「みなの者、城門を全て開け放て!
かがり火を大いに焚き、城内を全て晒し出すのじゃ!!!」
という家康くんの怒号が城内に響き渡る。
「え? え? ちょっと家康くん、話通じてる!?
降伏の準備だよ!?
なんでそんな元気になってるの!?」
俺の必死のツッコミは、慌ただしく動き出した徳川家臣団の足音にかき消された。
◇
数時間後、浜松城の直前まで追撃してきた武田軍の先鋒(山県昌景ら)は、不気味にライトアップされた浜松城の姿を見て、完全に足を止めていた。
「な、何だ、あの城は……。門が全て開いている。警戒の兵すらいないぞ……」
「かがり火の明かりで、奥まで丸見えだ。
……馬鹿な、徳川は三方ヶ原で全滅しかけたはず。
これではまるで『入ってこい』と誘っているではないか」
そこへ、本陣から武田信玄の伝令が走る。
『御館様(信玄)より伝令!
浜松城に今川氏真あり、奴を甘く見るな!
罠には極めて注意せよ!』
信玄のからの伝令を受け、山県昌景は思案した。
(あやつは駿府を捨てた時も、掛川で籠城した時も、常に我らの裏をかいてきた。
此度のあまりに不自然な構え、必ず城内に伏兵、あるいは織田の隠された大軍勢がおる!
深追いせず、直ちに退くが正解!!)
「やはり、今川の龍の計略か……!
退け! 全軍撤退じゃ!!」
武田の大軍勢は、氏真の『底知れぬ影』に勝手に恐怖し、まんまと引っかかって蜘蛛の子を散らすように引いていったのだった。
「氏真様ぁぁぁ!!
武田が引いていきました!
氏真様の策のおかげで、浜松城は守られましたぞ!!!」
夜明け前、酒井忠次ら家臣団を従えた家康くんが、再び俺の部屋に感涙しながら転がり込んできた。
「はえ……? 武田が……引いた……?」
お気に入りのねり餅を口にくわえたまま、俺は完全に呆然としていた。
降伏しようと言い出したら、なぜか戦国最強の武田軍がビビって逃げ帰っていった。
意味が分からない。
怖すぎる。
そんな俺の様子を見て、酒井忠次ら徳川の宿老たちが一斉に平伏した。
「今川氏真殿……。
貴方様の神懸かり的な智謀、この酒井忠次、魂の底から感服いたしました。
これからは殿だけでなく、我ら徳川家臣団一同、貴方様を『大恩人』として終生お支えしていく所存にございます!」
「ちち上、家康くんが泣いてるよ?」
「ねー、みんなでねり餅食べようね」
きな粉まみれの子供たちの無邪気な声だけが、勘違いで熱狂する浜松城の一室に、のんきに響き渡るのだった。
とりあえず第三章終了です。
浜松城での空城の計略は実際にはどうだったかは分かりませんが、割と有名な話だそうです。
徳川からの評価が爆上がりの氏真ですが、これからどうなっていくのでしようか?
次回は11月6日午後8時頃更新します。
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