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1.喪失の始まり

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 王都を包む春の陽気は、かつて僕たちを祝福する光そのものだった。


 学園の庭園のベンチに座り、アルヴィンはよく僕の髪に触れながら『ニコラス、愛してる』と面と向かって愛を囁いてくれた。


 恥ずかしかったけど、いつもストレートに言葉をくれるアルヴィンの誠実さが嬉しかった。


 周囲の目が全く気にならなかったわけじゃない。


 いくらこの国で同性婚が法的に認められているとはいえ、貴族の義務である跡取りを作ることを放棄する選択は決して歓迎されるものではなかったからだ。


 僕はリンモッド伯爵家の長男で、アルヴィンはドラクロワ侯爵家の長男だったから尚更。


 それでもアルヴィンの隣はいつも温かく、僕を包み込む力強さに満ちていた。


 周囲にどう思われようが、アルヴィンとなら大丈夫だと思った。


 あの日、馬車の衝突事故が起きるまでは……。





「……お前は誰だ?」


 教会が運営する大病院のベッドの上、頭に白い包帯を巻いたアルヴィンは息を切らせた僕を見て顔をしかめた。


 アルヴィンの今まで見たことない表情だった。


「僕はニコラス・リンモッド。君の婚約者で……」


「婚約者? どう見ても男のお前が?」


「っ」


 冗談かと思ったけど、アルヴィンの態度から僕はアルヴィンの記憶の中から消えてしまったことを嫌でも悟った。


「おいおい、冗談だろう? この俺が男と婚約だと? 美人ならまだしも、お前のような地味で陰気臭い男が俺の婚約者にふさわしいわけがない」


 アルヴィンは信じられないと言わんばかりに鼻で笑った。


 その声色の冷たさに、僕の心臓は凍りつく。


「頭部に強い衝撃を受けたことによる一時的な記憶喪失でしょう」


 医師からはそう説明を受けた。


 僕は悲しくて泣きたかったけど、耐えた。


(アルヴィンは今、事故の影響で記憶が混乱しているだけ)


(事故に遭って、一番大変なのはアルヴィンだ)


(僕がしっかりしないと!)


 記憶が戻れば、優しくて僕を愛してくれたアルヴィンに戻るはずだと何度も自分に言い聞かせた。





 けれど、現実は厳しかった。


 退院して学園に復帰したアルヴィンは、僕を“目障りなストーカー男”として扱った。


 アルヴィンにつきまといをしたわけでも、しつこく声を掛けたわけでもないのに僕はそういう立ち位置になってしまった。


 それだけならまだしも、アルヴィンは記憶喪失になる前だったら絶対にしなかった行動をとり始めたのだ。


 華やかな令嬢を何人も侍らせ、甘い言葉を囁く。


 かつて僕の手を握り、『ニコラス以外の誰にも触れたくない」と言った男の面影はどこにもなかった。


「おい、見ろよ。またあの伯爵令息がアルヴィン様を見つめているぞ」


「婚約者面して図々しい。アルヴィン様は記憶を無くされて、ようやく正常に戻られたというのに」


 学園内を歩けば、アルヴィンの取り巻きたちの嘲笑と令嬢たちの冷笑が突き刺さる。


 アルヴィンは彼らの中心で、先ほど見掛けた時とは違う令嬢の肩を抱きながら僕を一瞥して顔をしかめた。


 僕がよく見るアルヴィンの表情になった。


「気持ち悪い。ストーカーの視線は不愉快だ」


 その言葉が僕の胸を深く抉る。


「なんだ、あいつら」


「あんなの気にするなよ」


 少数だったけど、僕を擁護してくれる生徒がいたことは救いだった。


 アルヴィンにどんな態度をとられようが、僕は信じていた。


 記憶が戻ったアルヴィンが、手を差し伸べながら笑顔で僕を迎えに来てくれる。


 そうやって、一筋の光に縋っていたんだ。


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