3―8・苦悩と執念
フィーアの待つ家に風花と帰宅させる。
其処には看守の如く、フィーアとジェシカが仁王立ちしていた。
風花は申し訳なさそうに、ごめんなさいと小声で呟いた。
「遂にやってきたか、反抗期が」
「まあまあ、ジェシカさん。先ずはお風呂に入れないと………」
フィーアは窘めて、ジェシカは風花を風呂場に連れていく。
しかし朗らかなフィーアもその眼差しが何処となく辛辣だった。
数日が経って普段通りの生活に戻り慣れてきた頃
忘れ切っていた疑問を思い出し、圭介はフィーアに問いかけた。
「そういえば風花は、何故にあの場所に居たんですか?」
2人のデスクは隣同士だ。
上半身だけ此方に向けて言えば、フィーアは複雑な心象に包まれる。
ものの、何気なく圭介の言葉に耳を傾けながら思いながら、
表向きの言葉を脳裏で変換していく。
(あの話をする事自体が、ある意味、大罪だわ)
圭介はまだ事情を知らない。否、知るべきではない。
あの場所は、
風花にとって罪悪感、贖罪、後悔を抱きながら、
北條家で蔑ろにされ生きる中での、たったひとつの唯一の居場所だ。
「今に始まった事ではありません。
ただ無意識的に足が向いたのでしょう。
北條家の次期当主は北條家の人間が眠る墓地を訪れ、
祈りを捧げる義務があるんです。咄嗟にそう思ってしまったのでは?」
「そうなんですか」
理由を付けて、はぐらかした。
青年は神妙深く頷いて、そのまま納得したようだった。
話に深入りして来ない事に何処となく安堵感を覚えながら
フィーアは目を伏せる。
(他者には、荷が重たいわ)
まだ話す事ではない。
北條家に呪縛させられながらも、彼女の唯一感情が蘇る場所を。
華鈴には会った様だが、
あの当主には会っていないみたいだ。
風花にとってあの北條家の墓地が大切なのではない。その墓地に眠る
____たった一人の人が大切で忘れられない人なのだ。
その人の為だけ。他はどうでもいい。
風花は呆然自失と、色褪せた写真を見ていた。
北條家に来てから、写真というものを一枚も撮られた記憶はない。
ただ求められるものは跡継ぎとしての責任のみ。
けれどこれは、たった一枚だけ。
自身と、大切な人が写った写真だった。
今とは大違いの純真な微笑みを浮かべる少女が此方に向けて写っている。
遠い目で、呆れた目で、
自身を軽蔑しながらを見詰める一方で、
隣にいる人物を複雑味を帯びた面持ちで、風花は写真を見詰めた。
(……ごめんね、直哉)
心の中でまた
詫びを呟きながら、風花はその写真を自身の机に仕舞った。
昼間に訪れた筈なのに、夕暮れ時に差し掛かっている。
茜色に染まるコントラストは、何故か情緒を揺さぶるらしい。
ジェシカは、北條家へ来ていた。
元々ジェシカは北條家の使用人で、厳造とは旧知の仲だ。
風花が実家を出た今
彼女自身も今となっては
北條家に尋ねるのは厳造の元へ訪れるのが“ある目的”だけだが、
その前に、2階に上がり
誰も居ない居間へと立ち寄る。
(__ここだけは、あの日のまま)
哀傷に包まれたもの。
モデルルームの様に殺風景な部屋に対して、床に転がるものは異様だ。
其処には数個のトロフィー、
額縁に納められていた筈の表彰状。
額縁は色褪せて、それは何処か哀愁の物悲しさを語っている。
それらには、必ずこう刻まれていた。
____北條 風花。
才色兼備かつ文武両道、天性の才能は
北條家の人物達を圧巻させる実力も持ち合わせていた。
幼少期から教え込まれたものは一度で覚え、相手が抱く期待をその倍にして返す。
けれども。
(ただ、紙に記されているだけで
北條風花を褒めた人間なんて、この家には誰もいない)
その才能故に
北條家の次期当主として注がれるのは“期待と軽蔑”。
それでも少女は北條家の娘として
恥じぬ様に数々の習い事、コンクールに出場しては
全て上位の成績に修め、北條家の名誉を保ち続けてきた。
元々、内気で物静かなし
ジェシカは何処か物憂げじみた眼差しで、微笑みながら
その証であるそのトロフィーを綺麗に並べ直し、
今にも落ちそうな表彰状を額縁の中へと納める。
綺麗に並べ直しながら、ジェシカの脳裏にはある記憶が蘇った。
『全部、この家のせいよ………』
3年前、
家を出て行く直前に風花がこの自身に与えられた、
表彰を全て雪崩の様に倒して、今まで抑え閉じ込めていた感情を露わにした。
そんな中で、ジェシカは痛感した。
全ては間違いだったのだと。
___後悔し、悔恨に包まれた。
なんて取り返しの付かない事をしてしまったのだろう。
ずっと北條家の責任に押し潰されそうになった感情が爆発し、
そして“あの出来事”を引き摺っているのだと。
「_____ここに居たのか」
滑稽な声に眉を潜める。
ジェシカはトロフィーや表彰状を集めてテーブルに並べていた。
「ええ。見栄えが悪いですから。こうした方が良く見えるでしょう?」
杖を突きながら、此方に来た厳造にそう行った。
あの少女が音も立てずに、この家を飛び出してもう3年。
ジェシカは厳造の方へに向き直ると、内心で険しい面持ちで向き合った。
否。皆、少女に甘え過ぎ盲信的になっていたのだ。
弱みを見せない、
完璧な少女に、安泰にこの家の理を任せられると。
北條家も、そして心の何処かで自分自身も___。
それが間違いだと
思い知らされたのは、少女が出て行った日だ。
“全部この家のせい、北條家のせい”
出て行く間際に、風花が押し殺していた
今までの感情に触れた時、大罪を犯したその重みを思い知る。
ジェシカは風花にそう言われても、当然の事だと思った。
そして
目の前にいる当主は。
(貴方は、私の意思と願いを無視した人_____)
今でも忘れない。
あの日とあの光景を。
焼け野原になった場所で、私が見つけたのは。
当主の自室。
厳造とジェシカは向かい合わせに座る。
清寂な中中で何処となく不穏な雰囲気が立ち込める。
厳造は相変わらず眉間に皺を寄せていつも通りに怒った面持ちだ。
北條家の当主を見据えつつ、
用意された焙じ茶を嗜んだ。
「____風花はどうだ?」
「何時も通りに過ごしています。あの子は何時だって冷静ですもの」
そう言えば
先日 此方に風花が帰省したとお聞きしましたが」
ジェシカは、風花の世話役だ。
厳造に風花の近況報告を任されている立場でもある。
彼女の小さい頃から北條家で、風花を世話してきたのはジェシカ。
そんな風花の様子を聞いた厳造は険しい眼差しになる。
ジェシカが風花の事をあまりにも優雅に伝えるものだからだ。
(それらが甘やかしている、だから風花は戻ってこない)
そう思っている。
彼女は何時だって優美な振る舞いを見せるけれども、
それは裏を返せば、真意は読めないという事になる。
問われた瞬間、
眉間の皺を濃くしながら不機嫌そうに語り始めた。
「家に帰って来いと言ったんだが、あの小娘は聞かなかったんだ。
まだ未熟者と知らず、このわしに大口を叩きよって………!!
全く情けのうない」
「……今は帰らないでしょう。
風花は立派になってから帰ると決めています」
「だがな、考えてみろ。
この本家に次期当主の娘が居ないという恥晒しを」
「いいえ。風花にとって今の自身を恥晒しと考えている様です」
何が恥晒しだ。
風花に自らの強欲を、何もかも押し付けてきた人間の癖に。
そしてジェシカの願いも厳造は聞き入れずに、自分勝手に生きてきた。
それに全ての事実を知った今、
もう風花はこの家には帰らない事だろう。
「ふふふ」
華鈴には嘲笑を浮かべる。
そして、あの北條家の当主が言っていたこと。
『まあいい。
そう言えば風花に新しく教育係が付いたという噂が』
『ジェシカが言うに、若い青年のようだ』
風花にはジェシカ以外に、新しい教育係付いたと。
青年の教育係という事は聞いて居たが、
誰なのかはまでは分からなかった。
けれど先日、
風花を迎えにきたあの青年がきっと風花の教育係なのだろう。
教育係がいると知った瞬間。
華鈴に生まれたのは、羨望と嫉妬心。
北條家の次期当主という
あの待遇が腹が立って許せなかった。
周りから秀才と呼ばれて何でも祖父の言う通りに答えてきた少女。
あの立場で、平然としているのも気に食わない。
本当ならば、“あの立場に居るのはあの小娘じゃないのに”。
許せない、悔しいと思いながら歪んだ華鈴の心が思い始めたのは。
(____取り上げてしまえ)
奪ってしまえ。
あの風花から新しい教育係を。
昔から風花に与えられたものは奪いたくなる。
略奪心が華鈴には根付いていた。
___それらは全て羨望と、嫉妬心から。
今度はあの青年を、自分自身の側に付けてしまえばいい。
略奪なんて簡単な事だ。その自信は華鈴にはたっぷりとあった。
自身には武器は沢山あるのだから。
(覚えてなさいよ、風花)
目の前にあった、
風花の隠し撮り写真をハサミで切り裂きながら華鈴は再び嘲笑った。




