2―6・絶望の先にある少女
痛覚という感覚だけに襲われて、どれぐらい経ったのだろうか。
血に染まったコンクリートの上で、フィーアは顔を上げた。
弱り切った虚空の眸とは真逆に思考が目覚める。
その刹那。
身体中が激痛に支配され、思わず呻いた。
痛みをこらえながら、仰向けのまま首だけを動かし辺りを見る。
(………終わったの?)
男の姿はもうない。
部屋に佇むのは寒々しい静寂だけで、
仲間が倒れているのがあの暴力沙汰の後だという証拠を示している。
痛みを受け続けていた結果、
自身は気絶してしまったようだった。
異様なようでも、フィーアにとっては“抗う事の出来ない日常の一部”。
今まで暴力によって、失った仲間を幾度となく見てきた。
そして痛みを、傷を分け合う様に慰める。それらが繰り返す日常だった。
この目が覚めると同時に、覚えていた感覚が走る。
錯覚の筈なのに体中に痛みが走り続け消えて行かない。
それは___男達が下した容赦のない暴力の証拠。
きっと、そのせいだ。
けれど、こうも長く続くと
恐怖に慣れてしまった自分自身がいる。
この部屋にいる限り、この儀式が止まない事を、フィーアは悟っていた。
見上げても辺りは一面の暗闇。
フィーアは再びちらり、と視線を向けた。
他の皆は大丈夫だろうか。生きているだろうか。
身体中の激痛を覚え堪えながらも、フィーアが身を起こした瞬間にあることに気付いた。
(…………あれ?)
脚が動かない。脚の感覚がない。
ふと脚を見れば、白い脚は紫色に染まりつつあった。
打撲の痣だらけで、己の身体ながら、思わず引いてしまう。
昨日の暴力のせいだと気付きながらも、
必死で脚を動かそうとしたが、脚は動かないままだ。
腕を使って這いながら移動し、仲間の元へと着いた。
「ねえ、大丈夫……?」
幼い顔見知りの少女にそう呼びかけて、少し体を揺すった。
けれど、彼女はそのまま倒れ伏せて
うつ伏せになったまま動かない。
フィーアの手には、その身体の冷たさがただ広がっていくだけ。
まさかと思いながらも、
認めたくなくて何度もその冷たい体を揺すった。
____解っている、頭の中では。
でも 思考が追い着いていかない。
他の子供達も同じだった。
誰かを守る様に、そんな姿勢で倒れている者。
その幼子も虚空の眸を見開いたまま、動かない。
折り重なる様に倒れ伏せている者達、壁に寄りかかり項垂れている者。
まるで、
棄てられた人形の如く、あちこちに倒れ伏せていた。
うつ伏せのまま微塵も動かずに。
その瞬間、フィーアの心に絶望という感覚がひっそりと蝕み続けていく。
それでも彼女は皆に呼びかけ続けた。
けれど皆、同じで身体は冷たく呼吸すらない。
「_____嫌…………」
事実を悟った瞬間に眸の奥が熱くなり
少女の瞳が潤み、それは雫となって頰を伝う。
涙を飲む中で、不意に聞こえた声。
(_____いつかは、来ると思っていたじゃない?)
冷たい声。
不意に振り向くが、自身以外に生きている者は誰もいない。
誰の声の声だろうかと思ったが、声の主にすぐに気付いた。
そうだ。
こんな極寒の場所で、不衛生で
皆、栄養もまともに取れず、弱り細っていた。
連日続いてしまったら、体力は持たないに決まっている___。
生きている事自体が、不思議なくらいだった。
日々の激しい暴力の末、
いよいよ皆の力が尽きてしまった。
とうとう全員が力尽きてしまったのだったのだ。
静かに涙を流す、
少女に容赦なく襲いかかる絶望。
生きているのは自分だけ。生き残ったのは自分だけ。
どうすればいい。皆、力尽きて死んでしまった。
そのまま開かずの扉を見詰める。
絶望に瀕した虚空の眸と心は呆然としていて、
其処からの記憶は途切れ途切れだ。
男達が居ないのを見計らい、
腕を使って開かずの扉を抜け、そのまま地上へと出てきた。
(暑い………)
太陽が眩しい。
あの極寒地だった地下とは違い、今度は焼かれる様な痛みが走る。
怜悧な暗い地下室にいたせいで、身体も眼も慣れていないのだ。
___地上はこんなにも光りに溢れていて暖かい場所なのか。
地下で身を隠され生きてきた自身には初めての事だった。
その瞬間に我に返り、震える。
(どうして、地上まで来たのだろう)
どうして? 無意味なのに。
もう自身には何もない。仲間も、脚も失ってしまった。
用捨なく身を焼く様な熱いアスファルトの上に
身を佇ませながらフィーアは力尽きる。
_____このまま、この連鎖を繰り返す日々が続くのなら。
いっそうのこと。
「…………終わりたい」
ぽつり、と呟いた言葉。
____その瞬間だった。
「______死にたいの?」
冷情な、声音。
弱り切った絶望の眸で、見上げる。
(………綺麗)
水色のキャンバスの下、風に靡いたロングストレートの黒髪。
それは骨董品と変わらない繊細な、人形の様に整った顔立ち。
屈んでいる彼女はどこから来たのだろう?
飾らない雰囲気と質素なワンピースを着、
全てが整えられ、まるで絵に描いたような少女が
自身を見て佇んでいる。
彼女は無情な瞳のまま、
何も言わず静かに此方を見下ろしていた。




