エピローグ
サムさんと教会を出て、私は一緒に馬車へ乗る。
乗せられた馬車は、内装も彼の国の王家の馬車に負けず劣らずの豪華仕様だった。
仕事の途中で抜けてきたので、気になって「司祭のお仕事はいいのでしょうか?」と尋ねたところ、「全く問題はない」とサムさんは笑顔で言い切ったが、本当に本当だろうか。
馬車の中で、約束通りサムさんが髪飾りを着けてくれた。
「よく似合っている」と目を細めて嬉しそうに話すサムさんを見ていたら、外に漏れ出たのではないかと心配になるくらい自分の鼓動が跳ねる音が聞こえた。
やはり胸の治療が必要ではないかと、そろそろ不安になってくる。
サムさんに連れてこられたのは、教会と同じ町内にある大きなお屋敷。
私たちを出迎えてくれた執事さんに見覚えがあると思ったら、村でサムさんへの言伝役をしてくださった商会の執事さんだった。
案内された応接間のソファーに、いつものようにテーブルを挟んで向かい合って座るのかと思っていたら、サムさんは初めて私の隣に座った。
お茶とお茶菓子の用意が整うとサムさんはすぐに人払いをしたが、その所作がとても手慣れていて、私の中にある疑問が浮かぶ。
(もしかして、かなり身分の高い人なんだろうか?)
このお屋敷といい、あの馬車といい、以前私が思っていた『良いところのご子息』どころではないような気がしてきた。
「また、こうしてエルさんとお茶ができるなんて、夢のようだ……」
紅茶を飲みながらしみじみと語っているサムさんを、私は隣から眺める。
もう二度と会えないと思っていた人がいま目の前にいるのに、一緒にいることがまだ実感できなくて、つい横顔をまじまじと見つめてしまう。
「あまりエルさんに見つめられると、俺に穴が開いてしまうかもしれないな」
「じろじろ見てすいません。でも、私の隣にサムさんがいることが、どうしても不思議で……」
司祭服から着替えたサムさんは村にいたときよりも上等な服を着ているが、変わらず、私の名を『エルさん』と呼んでくれる。
司祭服のときは言葉遣いは丁寧なのに、着替えると崩れてしまうのも変わっていない。
翡翠色の瞳は相変わらず綺麗で、見ていると吸い込まれそうになる。
「サムさん……」
「どうした?」
「私……胸の病気をきちんと治したいんです。サムさんなら治療できますか?」
「ゴホッ!ゴホッ!ゴホッ!」
何時ぞやの時のようにサムさんは噎せたが、今回は被害が出てしまった。それも、かなり甚大に。
異空間からハンカチを数枚取り出した私は一枚をサムさんへ、残りを後処理に使う。
「大丈夫ですか?」と背中をさすりながら尋ねるとサムさんはコクコクと無言で頷き、その仕草がまるで幼い子供のようで思わず笑ってしまう。
ハンカチを汚してしまったから新しいのを贈ると言われたので、サムさんの目の前で女神Dさま直伝の生活魔法でハンカチを綺麗にしたら、口をあんぐりと開けて固まっていた。
サムさんには私の正体が知られているからと遠慮なく魔法を行使したが、今後は自重した方がいいのかもしれない。
「それで、さっきの話だけど…治療するというか…症状を緩和させるのなら…その…俺とずっと一緒にいるのが一番なんだが…エルさんにそれは可能なのか?」
「こちらにずっといることは難しいですね。任務が終われば、あちらへ帰らないといけませんから」
「今回の任務は髪飾りの受け渡しだったから、エルさんは……もう帰ってしまうのだろう?」
「いえ、任務は複数あるんです。すべてを終えるまでは戻るなと、女神Aさまから言われています」
「そうか……良かった」
サムさんはホッとしたように呟いた。
私もサムさんと一緒にいたいので、まだ帰らなくていいのは素直に嬉しい。
「任務は、他に何があるんだ?」
「詳細は本人に確認するようにと言われていますので、サムさんの願いごとを教えてください」
「俺の願いごと?」
「はい。サムさんの願いごとをすべて叶えるのが、今回の任務ですので」
「!?」
一瞬にして、彼の顔色が変わった。
「どうしました?」
「……それは、女神アデルさまが仰ったのか?」
「そうですけど……」
サムさんは困惑気味に手で顔を覆っているが、よく見ると覆いきれていない頬や耳が真っ赤に染まっている。
「エルさんはそれでいいのか? すべての任務を終えるには、相当時間が掛かると思うが……」
「大丈夫です。それが私、女神Lの任務ですから」
「本当に、後悔しないか?」
「はい!」
長く時間が掛かるなら、それだけサムさんと一緒にいられる時間があるということ。
また一緒に食事をしたり、町の散策にも行ってみたい。
考えただけで楽しくなってきた私は、鼻歌を歌い始めた。
前回の任務中に、冒険者ギルドのレナさんから教えてもらった流行歌だ。
「エルさん……いえ、女神リュシーさま」
突然、サムさんは私の前に跪く。
いきなりの『リュシー』呼びに、何事かとびっくりした私の鼻歌が止まった。
「サム……さん?」
「矮小なる人の身でありながら貴女さまにこのようなことを申し上げるのは、大変おそれ多いことだと重々承知しております」
「???」
状況についていけずあたふたしている私の手を恭しく取ったサムさんは、綺麗な翡翠色の瞳で私を見つめる。
「初めてお会いしたあの日から、私はあなたに心惹かれておりました。あなたのいない人生など考えられません。心からあなたを愛しています。どうか私、サミュエルの妻になっていただけませんか?」
それは、突然の求婚だった。
◇
サムさんの願いごとは三つあった。
一、もう一度、私に会いたい
二、髪飾りを渡したい
三、叶うのなら、私と添い遂げたい
『添い遂げる』とは、天寿を全うするまで共にいるということ。
だから、サムさんは時間が掛かると言ったのだ。
私の答えは、もちろん「はい」。
返事をした途端サムさんにまた抱きしめられたので、私も背中に腕をまわした。
やっぱりサムさんに抱きしめられると、温かくて……落ち着けて……安心する。
これは『恋人同士の抱擁』になりますか?と尋ねたら、彼は小さく頷いたのだった。
◇
お茶のお替りを持ってきてくれた執事さんへサムさんが報告をすると、彼は涙を流して喜んでくれた。
「よろしゅうございましたね、サミュエル殿下。爺も我がことのように嬉しいですぞ……」
(えっ? 今、『殿下』って聞こえたような……)
部屋を出て行く執事さんを戸惑いながら見送った私を、サムさんが申し訳なさそうな顔で見る。
「実は……もう一つ、エルさんに黙っていたことがあるんだ」
サムさんことサミュエル司祭はこの国の第三王子殿下で、『女神教』発祥の国だから代々王族が聖職者を兼ねているのだとか。
サムさんに王位を継ぐ意思はなく、自分の商会を興こし、今は臣籍降下後の事前準備をしているとのこと。
「俺が王族だと知って……嫌いになったか?」
私が彼の国の王子たちから受けた仕打ちを聞き、サムさんは余計に言い出せなかったようだ。
「いいえ。あなたが『村人その一』でも、『王子その三』でも、私にとっては『サムさん』ですから……」
不安な表情を見せていたサムさんは、私の答えに大きく目を見開いた。
彼の手がゆっくりと私の顔に近づき優しく頬をなでると、再び抱きしめられる。
遠慮がちに額にそっと口付けをした彼は、私からすぐに離れた。
サムさんがしてくれたのは、想いの通じ合った男女が交わす『口付け』というもので、口付ける場所は、手、額、頬、それから……
資料に記載されていた記述を思い出しながら、今度は私がサムさんへ顔を近づけていく。
私の唇が彼のそれに軽く触れると、私もすぐに離れた。
「エ、エルさん、これは……」
口を押えたサムさんの顔は真っ赤で、なぜか体も震えている。
「想いの通じ合った男女が交わすのが、口付けなんですよね? せっかくですから、サムさんとは違う場所にしてみたのですが……ダメでしたか?」
「いや、ダメではないが……」
どうやら、私はまた何かやらかしてしまったらしい。
しばらくの間頭を抱えていたサムさんは、はあ……とため息を吐いた。
「今後の喫緊の課題として、エルさんが認識している『人の生態と常識』を、俺のと擦り合わせたほうが良いと思うのだが……」
「わかりました。私ならいつでも大丈夫ですよ!」
元気よく返事をした私を、苦笑しながらサムさんが見つめている。
ふと窓の外を見ると、白い物が空からたくさん降っているようだ。
これが『雪』だと教えてくれたサムさんが、「今夜は積もるかもしれないな……」と呟いた。
ご覧いただき、ありがとうございました。
この話をサム視点で書いた短編『司祭さまは、最愛の人と結ばれたい』という作品もございます。
そちらも、よろしくお願いします。