第百九十三章 思惑と誤解 4.ウォーレン卿(その2)
そんな碌でもない感想に浸りながら、ふと気になった。――小麦の件は何に対しての反応なのか。
直近に原因となりそうなⅩの動きが見当たらなかったのと、Ⅹ以外が原因である可能性も捨てきれなかったため、今まで腰を据えての検討はしなかったのだが……
ウォーレン卿は改めて幾つかの報告書を手に取った。
イスラファンに派遣したダールとクルシャンクは――調査内容が盛り沢山のため、小麦の件については片手間の訊き込みしかできなかったようだが――少なくともイスラファンの商人たちの間では不作や凶作の噂は無く、テオドラムが小麦の流通を絞った事に首を傾げているとあった。マナステラやマーカスに派遣した密偵からの報告でも、不作や凶作の気配は窺えないと結んでいた。
――では、テオドラムは何が原因で、あのような行動に出たのか。
(……現時点で小麦の出荷引き締めを行なっているのはテオドラムだけ。だとすると、そうする理由があるのもテオドラムだけという事になりますか……)
この時点で、天候不順による不作云々という可能性がほぼ棄却される。テオドラムが画期的な天候予測技術を手にして、いち早く不作の兆候を見抜いた――という可能性も無くはないが、差し当たってこの可能性は無視していいだろう。
テオドラム固有の条件で、なおかつ小麦の収穫に影響しそうなものと言えば水資源であるが、
(……「災厄の岩窟」で水源地を得たという話もありますし、何より「誘いの湖」なんてものが……!)
ここへきて、ウォーレン卿は「誘いの湖」成立による水条件の改善が、農作物以外の生物に及ぼす影響に思い当たった。荒れ地が緑化される事で、バッタやネズミなどの害虫害獣までもが増殖したら? そして、それらがテオドラムの農地に侵入したら?
「……いや……だとしても、こうも早手廻しに飢饉が起きた時の準備なんて、始めますかね?」
同じ有能な軍人だけあって、ペーターが気付いたのと同じ事にウォーレン卿も気付く。大発生が起きるにしても来年以降ではないのか。それに第一、バッタやネズミの大発生が懸念されるのは、「災厄の岩窟」もしくは「誘いの湖」に近接した地域だけの筈。一国を挙げて穀物備蓄に走るほどの事態になるだろうか。
暫し考え込んでいたウォーレン卿であったが、取り敢えず三つの可能性に思い至った。
「第一は、Ⅹが大発生を促進する可能性ですね。どうもⅩはテオドラムの全面的な崩壊を望んでいない節がありますから、実際にこの手を使うかどうかは疑問だとしても……テオドラムとしては最悪の事態に備えない訳にはいかないでしょうし」
ダンジョンマスター或いはダンジョンと言えば、ダンジョンモンスターであり、またスタンピードである。凶悪化したバッタやネズミの群れを差し向けて、テオドラムの農地を蹂躙するぐらい、Ⅹにとっては造作も無い事だろう。
そして、最悪の事態と言うなら……
「……ネズミが疫病を媒介するという話がありましたね」
この可能性も無視はできない。農地の破壊と疫病の蔓延が揃い踏みとなった日には……想像するのも遠慮したい話だ。テオドラムが食糧備蓄に躍起となっている理由には充分だろう。
そして三つ目は……
「……これらを大義名分として、テオドラムが戦備の充実を図っている可能性――ですか……」
テオドラムが戦備の充実を図る気なら、入手先の最右翼はアムルファンの筈である。ダールとクルシャンクはまだアムルファンには至っていないが、もしもそんな動きがあれば、隣国であるイスラファンの商人たちにも何らかの噂は聞こえてくる筈。しかし、そのような兆候は掴めていない。
「とすると……少なくとも年内の開戦という事は無さそうですね。とは言え、油断はできませんか。例の『テオドラム軍備レポート』の件もありますし、軍事技術の開発能力は高いようですからね」
その一方で、兵糧の確保が意味するものは、打撃力ではなく継戦能力の充実である。穀物はその性質上、国内から随時徴収できるというものではない。……国民の生活を破壊するつもりなら別であるが。
開戦に備えて兵糧の備蓄を図るとしても、その動きが周辺に伝われば、警戒を招くだけである。……しかし……兵糧ではなく食糧の備蓄を是とせざるを得ない大義名分があったとしたら……?
「……テオドラムは二正面……或いは三正面作戦の覚悟を固めた――という事でしょうか……」
〝大山鳴動して鼠一匹〟の空騒ぎになるかもしれないが、かと言って無視できるような話でもない。
ウォーレン卿は上司に報告するために立ち上がった。




