第百九十三章 思惑と誤解 5.商人たち
「どうだった?」
「駄目だ。どうも値段がどうとかじゃなくて、上層部は小麦を売るつもりが無いみたいだな」
ここはアムルファンの商都ソマリク。難しい顔付きで話し込んでいるのは、アムルファンでも指折りの商人たちである。
テオドラムが急に小麦の売買を手控えたため、煽りを喰って困惑している者たちであった。
「……テオドラムは我が国との交易を止めるつもりなのか?」
そう言った男の脳裏に浮かんでいるのは、セルキアの商人がテオドラムの贋金貨を咎めたという話であった。商人としては当然の行為であると納得できるが、その余波がこっちまで及んだとなると、これは甚だ面白くない。
「いや、完全に取引を止めるつもりは無いようだ。来年の取引の事をにおわせていたからな。だが……謂わば定数外の余剰分については、暫くの間はあまり期待しないようにと釘を刺された」
「暫くの間?」
「あぁ、恒久的なものではないらしい」
その話を聞いて一同は考え込む。
態々〝当分の間〟と言うからには、何らかの目的を達した後は、取引量を元に戻すという意思表示だろう。言い換えるならテオドラムの目的は、数年でほぼ確実に達成できるものという事になる。
「……単純に考えるなら、食糧の備蓄だろうな」
「だが、今になって改めて備蓄する理由は何だ? 凶作の兆しなどは無いそうだぞ?」
「となると……戦の準備か?」
「どこを相手に? テオドラム以外でおかしな真似をしている国は無いし、テオドラムの動きに過敏に対応している国も無い。言い換えると、開戦準備をしている国が無いという事だろう」
「テオドラムが機先を制して……いや……それなら態々取引量を絞って、気取られるような真似をする筈が無いな」
理由が判らず一同困惑の体であったが、
「……理由については後廻しにするしかないだろう。今は目先の問題を考えるべきだ」
「……だな。テオドラムの小麦が手に入らないとなると、我々の商売は上がったりだぞ」
「うむ。安値で大量に確保できるのを当てにしておったからな」
この商人たちが話しているのは、安価で流通しているテオドラムの小麦の事であるが……少々説明を補足する必要があるだろう。
二年ほど前に「毒麦」の件が露見して以来、テオドラム小麦の取引量は底を割る勢いで下がり続けた。危機感を覚えた各国は穀物の自給率を高める方針に転じ、そしてそれは一定の成果を収めたのだが、やはり完全に排除する事はできなかった。〝安かろう悪かろう〟のテオドラム小麦だが、その安さと供給の安定性は、それなりの評価を得ていたのである。
そして、現在の所テオドラム小麦の大口顧客となっている――或いはなっていた――のが、ここにいる者たちのような……
「しかし、どうする?。安価なテオドラム産の麦が手に入らんとなると……少なくともウチでは、例年と同じ値で水飴を供給する事はできんぞ?」
「少々の値上げなら、ウチの利幅を減らせば小売値は維持できる。需要が減る事の方が拙いからな。ただ……抑、小麦は手に入るのか?」
「さぁな。値上げで済むなら御の字だろう。……エールはどうだか知らんが」
「こっちはこっちで微妙な状況なんだ。どうも、テオドラムでもエールの増産はしておらんようでな、品物さえあれば少々高値でも売れる見込みなんだが……」
「肝心の原料が手に入らん――か」
――そう、彼らは小麦を加工原料として取り扱っている業者なのであった。
先述したように、各国が食糧自給率の向上に励んだ結果、食糧としての小麦の自給率は改善していた。完全な自給は達成できなかったが、少なくともテオドラムに食糧供給の生命線を握られるという事態は回避できたのである。
各国首脳部はその結果に満足していたが、その煽りを喰らった者たちがいた。ここにいるような、小麦を原料として加工しているような業者や、その流通を担う商人たちである。
自国産の小麦は優先的に食糧へ廻すという方針が功を奏して、懸念されていた低所得層への影響は抑える事ができた。ただしその結果、謂わば贅沢品に分類される水飴やエール、菓子などの原料は払底気味となったのである。そして、その不足分を埋めていたのが、首脳部が忌避したテオドラム小麦なのであった。
なのに、ここへきてそのテオドラム小麦の流通量が絞られるという事態になっている。彼らが揃って浮かぬ顔をしているのも、蓋し当然なのであった。
そして、事態はそれだけでは収まらず――
「軍用や冒険者用の堅パンはどうだ?」
「今のところはまだ大丈夫だが……このままの状況が続くようだと苦しいな」
軍や冒険者の携帯食料の供給が乱されそうな事態になってきていた。
各国の首脳部は、まだその事に気付いていなかった。




