第百五十三章 モルヴァニア 1.モルヴァニア王城
一連の出来事の発端は昨年末、シュレクのテオドラム軍の陣地を探るために放った斥候隊の報告から始まった。
「およそ歩兵二個中隊、騎兵は無し、か」
「どうにも判断に困る内容だな」
斥候隊から上がってきた報告を前に、モルヴァニアの国務卿たちは難しい顔をしていた。
「一体、この砦の目的は何なのだ?」
「それだ。我らに対する備えだとしても、この規模の砦にしては、兵員の数が多いような気がせんか?」
「うむ。数の割に騎兵がいないというのも、歪な編制だ」
「我らの監視陣地も他人の事は言えぬが……あれは半ば実験部隊のようなものだからな」
「待て。そもそもこの報告の信憑性はどうなのだ? 村人たちが妙に好意的……というのとも少し違うようだが……少なくとも協力的であったとあるが……」
「欺瞞情報の可能性か?」
「いや……数組が砦に近づいて調べた結果も、住民たちの証言と矛盾せんそうだ」
「ふむ……理由は判らんが……住民はテオドラムに反感を抱いているのか?」
「……とりあえず、その件は措いておこう。今のところは住民からの情報に偽りが無いものと仮定して……」
「ふむ、状況の分析に取りかかるか」
「で、改めて聞くが……テオドラムは何を狙っているのだと思う?」
再びう~むと腕を組み、頭を抱える国務卿たち。
「騎兵がおらぬという事を考えるなら……防衛陣地という事か?」
「だが、砦の規模に比して兵員数が多いというのは、どうなる?」
「いや……縦深をとるために前方に陣地を構築する予定というなら、おかしくは無いのではないか?」
「前方? ……まさか!?」
「やつら……村を陣地にするつもりか?」
「ダンジョンの真ん前だぞ? 正気なのか?」
「ダンジョンマスターに喧嘩を売る事になりかねんぞ?」
「いや……ダンジョンの真ん前だからこそ――かもしれん。我らとてダンジョンまで巻き込んでの戦は避けたいからな」
「むぅ……しかし、だとするとやつらも積極的な攻勢には出られん事になるぞ?」
「あのダンジョンを刺激するのは下策だろうしな」
「なら、ダンジョンは万一の場合の備えという事になる。本命は別だろう」
「別……?」
「ダンジョンでなければ我々だ。消去法ではそうなるだろう」
違う。
寧ろテオドラムの方こそ、モルヴァニアの陣地を警戒して増援に踏み切ったというのが実情なのだが……その辺りの事情まではモルヴァニアには判らない。なので、テオドラムの増援は自分たちに対する攻撃意図の表れであると解釈していた。
――こういうのを疑心暗鬼という。
「そうすると……やつらの狙いは我々の監視陣地か?」
「他に戦術目標となるものはあるまい。いくらテオドラムでも、まさか二個中隊で侵攻は企てんだろう」
「だが、我らの陣地とて二個中隊余りが駐屯しているのだ。むざと落とされるとは思えんが?」
「……落とすつもりは無いのかもしれん」
軍需卿の呟きに、居並ぶ国務卿たちが鋭い視線を送る。
「……どういう意味かな?」
「いや……陣地を潰すとかいうのではなく、馬を追い払うとか、井戸に毒を投じるとか……そういうやり方もあるのではないかと思ってな」
「破壊工作というやつか……」
「ついでに言えば、テオドラム軍として攻撃するかどうかも怪しい。盗賊や……甚だしい場合はダンジョン兵のふりをするかもしれんぞ」
「破壊工作を仕掛けておいて、白を切るというのか……」
「面倒な事を企みおって……」
――企んでなど、いない。
それどころか、テオドラムはモルヴァニアとまでややこしい関係になっては堪らないと、くれぐれも自重するように指示を出しているのだが。
普段の行ないが行ないだけに、信じてもらえないのが哀れである。
「破壊工作があり得るものとして対策を立てねばならんが……それ以外の可能性は無いかな?」
「直接攻撃は無理だろう。同規模の軍勢がぶつかり合うのなら、簡単なものでも陣地に籠もれる我々が有利だ」
「投弾機は……いや、射程が足りんか」
「国境から数十キロ離れているからな。それより先に進出すれば、いやでも監視に引っ掛かる。発覚を承知で遮二無二力攻めという策も考えられぬではないが……抑それ以前に、あの陣地に投弾機は配備されておらん」
「飛竜兵はどうだ? 例のレポートに拠れば、対地攻撃能力も侮れんようだが」
「同じだ。シュレクの砦に飛竜はおらん。やって来るとすればウォルトラムかニコーラムからになるが、それなら友軍の飛竜も間に合う」
「ふむ……ならば暗兵のみを警戒すれば良いか」
「だが、具体的にはどうする? 監視を強化すると言っても、今更増援は送れんぞ? 時期が時期だけに難しい」
「防寒具や食糧を送るのはどうだ? テオドラムに対する牽制にもなるだろう。今なら橇が使えるのではないか?」
「そうだな……年が明けて、もう少し雪が積もれば、橇で補給ができるだろう」
……これが昨年末の事である。




