第百二十六章 モルヴァニア~国境付近~ 1.モルヴァニア軍国境監視部隊
その日、またしてもテオドラム王城の会議場は荒れていた。偶然にモルヴァニアとの国境付近を飛行していた飛竜兵が、モルヴァニアの国境監視部隊の陣地がいつの間にか強化……というか、井戸や耕作地、牧場までも備えた規模の拡大――と、生活水準の向上――を果たしている事に気付いて報告したためである。
時間を少し遡ってみると、事の経緯は次のようなものであった。
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「馬が来るというのは本当ですか?」
「あぁ。とは言っても、冬も近いし数頭だけだがな。牧草も問題無く育っているようだし、本国は次の段階に移るべきだと判断したらしい」
「次の段階……というのは、水質試験の事ですか? それとも、テオドラムに対する挑発の事ですか?」
「両方だろうな」
マーカスとテオドラムが、「災厄の岩窟」に侵入した冒険者の捜索を巡ってある意味喜劇的なやりとりを演じている頃、シュレクのダンジョンを監視するという名目で国境から少し離れた位置に陣取ったモルヴァニアの国境監視部隊――公式にはダンジョン監視部隊――は、水質検査の目的で掘った多数の井戸を大いに活用して、陣地周辺の耕作地化、更には家畜の飼育までも始めていた。その結果兵士の生活水準を大いに向上させる事はできたが、本来の目的は別のところにある。すなわち、現地の水を使って栽培あるいは飼育された作物や家畜への、そしてそれを食した者への影響調査である。勿論その事については、予め兵士に周知してある。
井戸水に砒素が含まれていない事が確認されて以来、監視部隊は――カービッド将軍らの幕僚部を含めて――井戸水を飲用に使用しているが、健康への影響は出ていない。試験栽培用にと最初に持参してきた種子から育てた苗にも、井戸水による影響は出なかった。
それならばというので、監視部隊の兵士の交代に合わせて作物および牧草の種子と、部隊の食糧および残飯整理を兼ねて小型の豚が送られてきたのである。既に豚の一部は影響を調べるために屠殺され、屍体は責任ある立場の有志が進んで実食試験を行なった……報告書には美味であったと記載されている。
それから二ヶ月半、播種した牧草――乾燥に強い種類を選んで持ち込んでいる――も、ほとんど無給水ながら順調に生育した今、本国は次の段階、すなわち大規模な草食家畜の飼養実験に移るべきだと判断したらしい。
これらの決定と試験の実施は、概ね兵士からも好評を得ている。上の目的が何であれ、駐屯地の生活水準が向上するのは歓迎すべき事だからだ。お蔭でこのところ兵士に加わるストレスは激減しており、最初に交代させた新兵からは不公平だという声も上がっていると聞く。いずれ再度の交代を行なう必要があるかもしれない。
これら一連の動向は、テオドラムには全く気付かれる事が無かった。理由は簡単で、シュレクに凶悪なダンジョンが出現したためにテオドラムの偵察部隊が国境に近寄れず、遠くからの観察でしかその動向を察知できなかったためである。
モルヴァニアの監視部隊も馬鹿ではないので、試験栽培用の畑はテオドラムから見えない側に作ってある。逆に見せびらかして挑発すべきではないかとの意見も出たが、それよりはこっそりと準備を進め、万端整ったところで一気に大規模な畑を作った方がテオドラムに対するショックは大きいだろうとの意見が大勢を占めた。ついでに、夜陰に紛れてこっそりと兵力も強化してあるのはここだけの話である。
やがて密かに運ばれてきた軍馬は、柵で囲われた牧草地に放されると、何の警戒も示さずに牧草を食べ始めた。
運ばれてきた軍馬は都合五頭。騎兵一個分隊にも足りない数だが、乗馬のできる兵士を選んで乗せれば、即席の騎馬隊は作れるかもしれない。ただし実験班からは、試験動物に余計なストレスを与えないよう強く要望されている。
その後三ヶ月近くが経過し、当初は五頭だった軍馬も十頭にまで増えている。最初に来た分の馬は次の補給時に王都へ戻し、より詳細な検査と観察を受ける予定だ。
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このようなモルヴァニア部隊のヴェールが剥がされたのがつい先日。偶然に国境付近を飛行していたテオドラムの飛竜兵が、いつのまにか畑や牧場まで備えるほどに拡大していたモルヴァニアの国境監視陣地の全容を目撃したのであった。




