挿 話 商人セルマイン
今回から二回程は挿話です。
マーカスとテオドラムの国境に突如出現したダンジョンとやらが巷を賑わせていた頃、マナステラに本拠を構えるエルフの商人セルマインは別の事で頭を悩ませていた。イラストリアのエルフたちから打診を受けた砂糖の販売についてである。
当初はマナステラとイラストリアでの販売を予定していたのだが、テオドラム発の世情不安――良くない事は大概あの国が発端だ――に影響される恐れが出てきたのである。
栄養価の高い砂糖ではあるが、一般にはまだまだ嗜好品・贅沢品の扱いである。一部では栄養補給の効果に目を付けて医薬品として扱う向きも出てきたが、そのような例は決して多くない。要するに、生活必需品ではない砂糖は、今のように不安定な世情では売りにくい商品なのである。
とは言っても、全く需要が無い訳ではない。品揃えとして砂糖が不可欠な一部の食料品店や料理店、菓子店などでは、テオドラムからの砂糖の供給が途絶える、あるいは値上がりする事を警戒して、備蓄を進める動きも出てきている。ただし、現時点ではその動きも小規模なものであり、既存の供給ルートで賄える範囲に収まっている。既に確立している需給関係を乱してまで砂糖を売り込むつもりのないセルマインとしては、そっち方面への売り込みはあまり考えていなかった。
今回はあくまでテオドラム糖の独占体制を揺るがすのが目的であり、流通や小売りに関与する商人に影響を及ぼす事は避けるべきと考えていた――正確には連絡会議の判断に同意していた――のである。
(とは言っても……市場がこうも冷え込んだのではな……)
手頃な値段の砂糖の売り込み先として、当初の計画ではやや裕福な市民層を想定していた。日用品とまではいかないにしても、偶の贅沢として家庭で砂糖を使った簡単なデザートを楽しむ事ぐらいできそうな階層。そこから砂糖の利用文化を浸透させて、ゆくゆくは大きな市場へと育てる。そんな事を考えていたのである。そのための家庭料理のレシピ――クロウが提供したレモネードやコンポート、ジャムなどのレシピ――も準備してあったのである。
それがこの騒ぎでポシャったのだ。
所もあろうにマーカスとテオドラムの国境線上に新たに出現したダンジョンは、両国の緊張を煽るのかと思いきや、ダンジョン自らが黄金だの銅像だので世間をきりきり舞いさせており、そのたびに世情は不安と楽観の間を行ったり来たりと振り回されている。安心して消費生活を楽しもうという雰囲気ではない。畢竟、嗜好品贅沢品である砂糖の需要が大きく伸びるのは望めない……。
(……イラストリアへの売り込みは当面諦めて、マナステラだけに絞るか……)
商人としてはそれも一つの手ではあるが、今回の砂糖の販売はテオドラムへの影響第一で立案された計画である。テオドラムと国境を接していない、従って交流も盛んではないマナステラだけで販売しても、テオドラムの反応は鈍いだろう。かと言って、マーカスやモルヴァニアは国境は接していても国交は無い。あれこれ考えると、イラストリアで販売するのが一番なのである。
(いっその事、軍需物資として売りつけるか? 栄養補給用と言えば筋も通るだろう。堅焼きパンなどより少量で、しかも即効的な栄養補給が期待できるしな)
売るとしたらイラストリアの一個大隊くらいが相手になるか? 当面動かす可能性のある戦力はそれくらいだろう。だが……全員分に行き渡るほどの量は……難しいな。むしろ、士官などの個人用として売るべきか?
セルマインは商人としての視点でいろいろと考えるが、適当な打開策は中々に思いつけない。
(テオドラムが持つ砂糖という交渉カードの価値を下げるために使うのだから、収益性を気に病む必要はないと言われているが……売り込み先そのものが見つからないのではな……)
思案投げ首のセルマインであったが、軍や兵士への販売というところから連想して、駄目元程度の売り込み先を一つ思いつく。
「いっその事、冒険者ギルドに話を持っていくか?」
栄養補給という点では即効的な上に、携行性も高い。おまけに換金性も――恐らく――高いから、旅先での物々交換や換金目的でも使えるかもしれない。最初のうちはギルドに少量を卸して、冒険者たちの興味を引ければ上々か……。




