挿 話 ビール狂躁曲~冷えたビールの影~
音楽上の「カプリチオ」の和訳は「狂想曲」ですが、「狂躁」の方が内容に即している気がしたので。
七月一日という日付は今年から、全てのドワーフにとって祝うべき、そして呪うべき日となった。
前者の理由は――五月祭での試験販売を経て――この日からビールが一般に販売されるようになったからであり、後者の理由はドワーフがその対象から――一般への販売分を圧迫するという理由で――外されたためである。ドワーフへの販売は二週間ほど遅れて七月十五日から開始され、そして残っていた全てのビールが売り切れとなって、販売者側の慧眼を証明する事になったのである。
更に呪うべきは、残量の全てをドワーフが買い占めたという事実をもって、これ以降のビールの販売においてもドワーフ向けは二週間ほど遅れる事が決められた事であろう――ドワーフ以外の者からは当然の処置と認識されていたが。
さて、ビールの販売が開始されたとは言ったが、ビールを各地に配送するのに必要な販売網・輸送網は、到底ドランの村では賄えない。ドランの杜氏たちが請け負ったのは、造ったビールを最寄りの町バンクスへ卸すまでであった。尤も、これとてエルフや獣人たちによる厳重な警備の上で運ばれたのであったが。バンクスでは酒造ギルドがそれを一括して買い付け、そこから各地の小売業者へ分配・配送する手筈を整えた。
初回販売分を巡っての狂奔――特にドワーフ向けが酷かった。入荷するやいなや在庫の全てが買い攫われていったのだ――を目にして、また、酒造ギルドからの納品追加の打診を受けて、ドラン一村では到底需要に応じきれないと判断した杜氏たちは、各地各国のエルフに呼び掛けて、ビールの醸造技術を教授する事を申し出た。これに関しては酒造ギルドとの取り決めもあって、少なくとも当分の間は亜人のみが醸造を行なう事に決定している。
そうして売り出されたビールは、前評判もあって瞬く間に売り切れ、大いに好評を博したのであったが……五月祭でビールを味わった者たちには満たされざる渇望を残したのも事実だったのである。
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「はぁ……」
ドワーフのギブソンは、ビールを充たしたジョッキを空にしつつ、何度目かになる溜息を吐いた。溜息の七割程は、二ヶ月ぶりにやっとありついたビールの美味さに対するもので、残りの三割は未だに満たされざる渇望に対するものだった。
「ギブソン、お主、先程から溜息ばかり吐いておるが……何が不満だと言うんじゃ?」
どうにも得心がゆかぬという顔付きで、呑み友達のボックが問いかける。だが、この想いは余人には理解できまい。あの五月祭でビールを味わった者以外には。
「いや……ビールの味に不満は無いんじゃ。……味に不満は無いんじゃが……もう一つ冷えておらんのが、どうにも惜しいでのぅ……」
「以前にもそんな事を言うておったが……冷えたビールというものはそれ程までに美味いのか?」
「美味いというか……冷えておらぬというのはビールに対する冒涜じゃ。あれ以来、儂はそう考えるようになった」
「ぬぅ……そこまで言うか」
冷えたビール。あの、キンキンに冷えたビール。ジョッキに露が付くほどに冷やされたビール。汗ばむ陽気の中で味わう、喉を冷やして五臓六腑に染み渡る、あの味わい。
あればかりは、あの味ばかりは、体験を共有した者以外には解るまい。
五月祭の楽日に偶々バンクスを訪れて冷えたビールにありついたギブソンは、冷えていないビールの入ったジョッキを傾けつつ、追憶の中の冷えたビールの味に想いを馳せた。
ボックは呑み友達の様子を眺めつつ、冷えたビールとやらはそれ程までに美味いのかと考える。仕事の都合でこの国を離れていなければ、万難を排してでも五月祭に駆けつけたものを……。
彼らが購入したビールは大振りの樽に入っている。現代日本のようなアルミ缶であれば、冷水に浸すなり水の蒸発熱を利用して冷やすなりして、冷たいビールを味わう事もできたであろう。しかし大振りの木樽に入っているとあっては、そういう方法も採れない……というか、抑思い浮かばない。斯くして二人は、生温いとは言わないまでも冷やし方の足りないビールを味わうしか無いのであった。
「のぅ、ギブソン。お主がエルフから聞いたという魔道具じゃが……譲ってもらう事はできんのか?」
「ボック、儂がそれを考えなかったと思うか? 真っ先にエルフに頼み込んだわい。……じゃが、駄目じゃった。あやつらもその魔道具は他人から借りたもので、自分たちでは造れんと言いおった」
「エルフたちが造れぬと……どれほど高度な魔道具なんじゃ……」
「考えてみれば当然じゃ。ビールをあれほどに冷やせる魔道具なら、当然ビール以外のものも冷やせる筈じゃ。あれやこれやを冷やしたまま運べるとあれば、食品流通上の革命じゃからな」
「むぅ……氷結の魔術とは違うのじゃな?」
「違うそうじゃ。氷結の魔術はものを凍らせる事はできるが、冷たい状態を保つのには向いておらんと、これは学院のエルフが言うておった。そして、そういう魔道具であれば、どえらく魔力を消費するのではないかとも」
「儂らドワーフには望めんか……」
「氷室でもあれば別じゃがな。ただ……」
「ただ、何じゃ?」
「いや……そのエルフじゃが……今思えば、何やら知っている事がありそうな様子じゃったな……」
「何じゃと?」
二人のドワーフは互いに顔を見合わせ……そして重々しく頷いた。重大な決意を秘めた者の目で。
「ギブソン、そのエルフをとっちめて、知っている事を洗い浚い吐かせるんじゃ」
「うむ、承知じゃ。あやつめ……舐めた真似をしくさりおって」
学院に勤務するエルフの魔術師が、猛り狂った同僚のドワーフに問い詰められて、酒造ギルドに冷蔵箱の概念図を届けた事を白状させられるのは、このすぐ後の事であった。
次回から本編に戻ります。




