第五十三章 波紋 1.エルフたち
講演会の影響は、ある意味では遺跡の発見そのものよりも大きかったりします。
エルフたちが森を離れて荒れ地に進出し、人間たちと共同生活を営んでいた。
ヴァザーリから戻ったエルフの商人たちが本国マナステラに広めた――マーベリック卿の講演内容とは微妙に違う――話は、マナステラのエルフたちに、獣人やドワーフたちに、そして人間たちにも、少なからぬ影響を及ぼしていた。
(千年前のエルフは人間たちと手を取りあって大難に立ち向かおうとしていたのか。それも、森を離れた荒れ地にまで出向いて。荒れ地に骸を晒す事も恐れずに)
森を住処とするエルフにとって、森の守りの届かぬ場所で死ぬという事は、恐怖以外の何物でもない。その恐れを振り切ってまで、人間たちとの生活を、人間たちを守ろうとしたのか。エルフたちが受けた驚愕は、やがて彼らを覆い包むほどの感動となって、エルフたちの間に広まっていった。
賢明なる読者はお気づきかも知れないが、エルフは概してロマンティックな性格が強く、物事をロマンティックな方向に感じ取る――時には曲解する――傾向がある。それゆえにエルフたちは抒情詩人として、また芸術家として優れた才能を発揮する。しかしまたそれゆえに、冷徹さが要求される国家管理や狡猾さが望まれる外交の素質は乏しく、エルフが国家を建設しない一因となっていた。今回はエルフのロマン主義的な性向が、一切の打算や戦略を蹴り飛ばす形で、人間や他の亜人との協調協力を進めようとする流れを生み出した。
そしてこの大きな流れは、国内に住む他の亜人や人間たちにまで、大きな影響を及ばずにはいなかったのである。
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ここはイラストリア、マナステラ、モルファン三国の国境にまたがる深い森。
エルフの商人たちがもたらした話は、この森に隠れ住むハイエルフたちのところにも届いていた。
「長よ、七百年前と言えば……」
「うむ、確かに数名のエルフが戦火を逃れてこの村に来たという記録は残っておるが……逆に言えばそれ以外の記録がないのじゃ」
恐るべき偶然のように思えるが、実のところそうでもない。戦乱を逃れたエルフが他の村へ疎開するのは不自然ではないし、個々の難民の事情など、特別な目的でもなければ記録に残したりはしないだろう。
「……目立たぬようにしていたと?」
だから、考え過ぎである。
「さて……彼らが意図的にやったものかどうか、今となっては確かめる術もない。結局彼らはこの森には居着かず、再びどこかへと旅立ったようじゃからの」
「仮に……その時のエルフたちが件の遺跡を造った者であったとするならば、何も言わずにこの森を立ち去ったのは……」
「……彼の建造者たちは、森を出て荒れ地での生活を選んだと聞いた。この森での生活は、建造者たちにとって退屈過ぎたのかもしれんな」
「退屈であったと?」
「トゥバよ、お主も若い頃、子供だった頃の事を憶えておろう。広い世界へ出て行く事を夢見なんだわけではあるまい。若い者は外の世界にあこがれるものじゃ。それは今も変わっておらぬ。儂ら老人が若い者を引き留めようとする事も同様にな」
「しかし、それは……」
「そうじゃ。儂らもかつては外の世界へ出て行き、そして夢破れて帰って来た。なればこそ、無鉄砲な若者が外に出ようとするのを諫めるのが年長者の務めじゃと思っておった。しかしのぅ、本当にそれでよかったのか?」
「…………」
「彼の建造者たちが何も告げずにこの森を立ち去ったのは、当時のエルフに失望したからではないのか? このところそういう事ばかり考えておってのう……」
トゥバと呼ばれた若いエルフは、長にかける言葉を持たなかった。
本作におけるエルフは、大なり小なり本文中に述べられているような傾向があります。だから、ホルンのような性格だと人一倍苦労する事になります。




