第1話 ままならない道行き
第三章開始となります。
お付き合いいただけると嬉しいです。
月のない夜。
街灯も少なく薄暗い町の中で、さらに深い闇に紛れて、一人の少年が潜んでいた。
外見は、少年から青年へと成長する途中といったところだ。赤毛の短い髪に、芯の強そうな目をしている。
赤毛の男ーーゼファンは、ずっと目の前の大きな屋敷を見張っていた。
門にはやはり何人かの男が立ち、周囲にも巡回している者たちがいる。
彼らは正規の兵士などではない。
この屋敷の主が雇っている私兵だ。
この屋敷の主は、この町では有名な裏組織の一つのボスだ。
薬物や盗み、恐喝などが日常茶飯事のこの町で、人身売買を手掛けているという情報を、ゼファンは一年かけてつかんだ。
しかし、いくら見張っても隙が見当たらない。
潜り込もうとしても、すぐさま捕まる結末しか見えない。
そのため、出入りする人間を見張り、あわよくば知っている顔が通らないかと、わずかな期待を抱きながら見張り続けるだけだった。
しかし、ここにたどり着くまでに一年が経っていた。
どう考えても、すでにここには彼の探している者たちはいないだろう。
ロイ、レオン、エド、そしてオーリ。
自分の弟分や妹分だったやつら。
ある日、仕事から帰ってくると、ねぐらはもぬけの殻だった。
荒らされた形跡もある。
明らかに、誰かに連れ去られたのだ。
ゼファン一人では、上納金を納めながら四人の面倒を見るのは無理だった。
それでも見捨てられないゼファンは、町の三大組織の縄張りではなく、緩衝地帯に隠れるようにして住んでいた。
上納金を納める必要がない代わりに、誰も守ってくれない。
そのリスクを実感したときには、すでに取り返しがつかなくなっていた。
人身売買は、この町では取り締まる者がいないが、この世界では非常に問題視されている。
場合によっては、ただでは済まないこともある。
そのため、さらってきた人間は商品であると同時に、自分たちの犯罪を裏付ける証拠にもなってしまう。
捕まえて連れてきた人間は、すぐに別の場所へ移され、商品として売られると考えるのが妥当だ。
それでも、手がかりはもうここにしかない。
ゼファンは、わずかな希望を胸に、ただひたすらに開かない門を見張り続けていた。
セイラスとノエルが自分たちだけの旅を始めて、一週間が経った。
本来なら、それだけの時間があれば、北端のハンターたちの町に到着しているはずだった。
しかし、予定はあくまで予定であり、何事も思い通りにはいかない。
四頭立ての乗合馬車は、マルタご自慢の馬車とは比べ物にならないほど遅い。
とはいえ、それは仕方ないだろう。
十人近くの人間を乗せた、車輪付きのただの荷台を四頭の馬で引っ張っていくのだ。
速度は、せいぜいセイラスが歩くより少し速い程度だった。
セイラスは三十分程度でへばるので、座っていられるだけましではあるが、車輪が石を踏んだり轍にはまったりして荷台が大きく揺れるのには辟易した。
そんな中、さらに問題が続いた。
最初は、魔物が出たという話だった。
どうやら豚型の魔物が数匹、近くで目撃されたらしく、安全が確保されるまで足止めとなった。
魔物を討伐するために、ハンターを呼んだようだ。
とはいえ、前線や大きな町であっても、ハンターギルドが常に置かれているとは限らない。
たまたま近くの町に滞在していたBランクのハンターがいたため、依頼して討伐してもらうまで二日かかった。
セイラスたちなら、(実際に戦うのはノエルだが)自分たちで倒してしまうのが一番手っ取り早いと考えていた。
しかし、この乗合馬車には、ハンターとしてではなく、せっかくマルタからもらったのだから、ということで行商人として乗っていた。
そのため、セイラスたちには討伐の依頼が来なかったのだ。
大した労力でもないため、ノエルに倒してもらおうと思って御者に声をかけた。
だが、すでにそのBランクのハンターに依頼してしまっており、今から横から手を出すと揉め事になる恐れがあると断られてしまった。
仕事の横取りになってしまうということだ。
仕方なく、セイラスたちは宿場町で二日ほど足止めされることになった。
次に、セイラスたちの足を止めさせたのは天気だった。
魔物によって足止めされた宿場町を出て一日移動し、次の宿場町に着いた頃から雨が降り始めた。
雨は三日間降り続き、今もなお屋根を叩く雨音が聞こえてくる。
「暇だな」
セイラスが、何度言ったかも分からない言葉を繰り返す。
「暇ですね」
そのたびに、ノエルが律儀に同じ言葉を返す。
外では、灰色の空から細かな雨が絶え間なく降り続いている。
宿場町の道を歩く人影もほとんどない。
屋敷にいた頃なら、いくらでも本があったので、きっと本を読み続けていただろう。
しかし、今、手元には熱中して読める本など持っていない。
ただでさえ荷物をノエルに持ってもらっているので、かさばる本を持ち歩くのは気が引ける。
「やっぱり、自分たちの馬車が欲しいな」
セイラスが呟く。
自分たちだけの馬車があれば、荷物をいくらでも詰め込める。
本だって、たくさん載せられるのだ。
ノエルに荷物を持ってもらうことへの引け目も感じずに済む。
「そうは言っても、この雨だと、どちらにしろ出発できませんよ」
ノエルの正論に、セイラスは黙る。
それに関しては確かにそうだ。
マルタの使っていた浮石の荷車があれば少しは話が変わるが、そもそも、それを買うには遠く離れた工業都市まで行かなければならない。
本末転倒である。
仕方ないと思いながら時間を潰していると、宿の食堂に一人の男が雨具を着たまま飛び込んできた。
濡れた外套から雨粒が床に落ち、男の焦った大声が静かな食堂に響く。
「大変だ! 崖崩れだ! 街道が塞がっちまった!」
「なんだって?」
途端に食堂中がざわつく。
セイラスも思わず、その男を見る。
「フィールドの町に続く街道の崖が崩れた! ありゃ、だめだ。巻き込まれたやつはいないが、土砂をどかすのにどれだけかかるか分からない」
その言葉に、食堂にいた者たちは皆、頭を抱えた。
そしてセイラスも、その中の一人だった。
「本当かよ……」
「困りましたね」
フィールドの町は、セイラスたちが乗っている馬車の次の目的地だった。
その町へ続く街道が塞がってしまったとなると、この先どうなるか分からない。
セイラスは頭の中で地図を描く。
この宿場町から次の宿場町へ続く街道を通れないとなると、北端の町へ行くルートが限られる。
一つは、街道を引き返して大回りするルート。
しかし、このルートでは、下手をすると三週間以上かかる。
もう一つは、治安の悪い町を経由するルート。
こちらの方が近道ではあるが、乗合馬車などが通っていない。
治安の悪い場所とはいえ、Aランクハンター級の戦闘力を持つノエルがいる。
基本的には、揉め事に巻き込まれても撃退できるだろう。
しかし、そこに行く手段がない。
試しに、周りにいる人間に、その治安の悪い町――犯罪都市と呼ばれる場所まで乗せていってくれないかと頼んでみる。
しかし、誰もが青い顔をして断った。
「あそこに行くなんて、とんでもない」
「あんたたちみたいな若いのがあの街に入ったら、出てこられなくなっちまうよ」
口々に引き止められる。
「困った……」
セイラスは天井を見上げる。
この小さな宿場町で馬車を手に入れるのは難しい。
犯罪都市までは、ここから歩いても一日で着く。
しかし、セイラスには一日歩き続けることができないのだ。
「荷車を購入して、私が引いていきましょうか?」
ノエルにそう言われ、本気で悩む。
小さな荷車くらいなら、ここでも手に入るかもしれない。
華奢に見えるノエルに荷車を引かせ、その上でふんぞり返っている自分。
絵面は最悪だが、一番現実的なようにも思える。
実際にそれを考慮し始めたとき、ふと声をかけてくる男がいた。
「あんたたち、あの街に行きたいのかい?」
人の良さそうな顔をした恰幅のいい男が、手を挙げて声をかけてきた。
「ああ、そうだ。何かあてがあるのか?」
「私もちょっと急いで北に行かないといけなくてね。あの町には行く予定なんだが、どうせなら一緒にどうかと思ってね」
まさに渡りに船。
とはいえ、セイラスたちは素直に運がいいとは考えなかった。
セイラスがさりげなくノエルの方を見た。
ノエルは目を細め、視線だけで返事をした。
これは黒だな。
また、そこで迷う。
この男は、エーテルの量を見る限り強くはない。
その程度では、そこらのBランクハンターにも勝てないだろう。
そうなると考えられるのは、他に仲間がいるか、あるいは薬などを飲まされて眠らされるかだ。
そうやってどこかで身ぐるみを剥ごうとするのが、最も考えられるケースだろう。
当然、ノエルが一人いれば、たいていの相手にはそうそう負けない。
しかし、何か特殊な薬を使われたり、自分が人質に取られたりすれば、どうなるか分からない。
いや、待て。
セイラスは考え直す。
エーテルを大量に保有している人間には、毒がほぼ効かない。
自分たちがハンターだと知っている者は、この町にはいないはずだ。
ノエルが高ランクハンターだとも思っていないだろう。
それに、自分が人質にされたとしても、目の届く範囲であれば、エーテルの盾でセイラスの身を守りつつ、炎の矢で何十人いようと一瞬で制圧できる。
ノエルならどうとでもできる。
一瞬でメリットとデメリットを計算し、セイラスはあからさまに怪しいこの男についていくことにした。
「では、よろしく頼む」
怪しい男にそう答えると、
「私の馬車なら大丈夫、安心しなよ」
と、まったく安心できない返事が返ってきた。
セイラスは男から目を外し、ノエルを見る。
(いざとなったら頼んだ)
目だけで合図する。
面倒なことを丸投げされたノエルは、苦笑しながら、
(仕方ありませんね)
と、目だけで頷いた。




