第十八話 王太子は天才の実力を目の当たりにする。
「まあ、そういうわけなんで、これを見せてもらいますね」
アドリアンはシルヴェストルから視線を外し、そっと魔術具に触れる。すると、今まで見えていなかった何重もの魔法陣が浮かび上がった。
アドリアンは魔法陣を描く専用のペンで、それらを一つずつ確認していく。シルヴェストルたちはその様子に興味を惹かれ、次第に彼の側へと寄っていった。しかし、アドリアンは気にする様子もなく手を止めない。
そして数十秒後、アドリアンの手が、ひたりと止まった。
「これです」
アドリアンは内部の多層構造から、目的の魔法陣だけを引き抜いて皆に示す。
「『平準』の魔法陣。魔力の流れを一定に保って、今回のような不具合を防ぐためのものです。これの端っこが欠けています」
示された魔法陣を、シルヴェストルは目を凝らして見る。確かに、右端の一部分だけが不自然に欠けていた。
しかも、欠けているのはそこだけではない。その周囲にある魔法陣も、ところどころ輪郭が薄くなっている。今にも崩れてしまいそうなその様子を見ていると、よくこれまで魔術具が正常に動いていたものだと思う。
アドリアンはペンで欠けた部分をササッと書き直す。あまりにも手際が良い。まるで、最初からそこに描かれていたものをなぞっているだけのように見えた。
「他にも『蓄魔』と『保護』……魔力を溜めておくものと、これらの魔法陣が壊れないように守るものも傷付いています。多分、この『保護』の魔法陣が必要強度に達していなかったからですね。僕達の想定よりも損傷速度が速い」
「想定よりも速いって、どうしてなの?」
眉を寄せるアドリアンに、今度はルシファーが問いかけた。しかし、アドリアンはすぐには答えなかった。ペンを指先でくるりと回しながら、修復したばかりの魔法陣へもう一度視線を落とす。
「確実なことは言えませんが……恐らく、僕達が想定していたよりも魔法陣に対する衝撃が多かったんでしょうね」
そこで一度、アドリアンは顔を上げた。
「例えば、一度にメッセージを大量に送ったりしてませんか?」
「……そんなにはしていないつもりだが」
シルヴェストルは少し考えてから答えた。言われてみれば、最近は以前よりもこの魔術具を使う機会が増えている。側近候補たちと連絡を取るために使っているからだ。しかし、だからといって故障するほど酷使した覚えはない。
「そうですか。まあ、原因の究明は今出来ることじゃないので」
あっさりと話を切り上げると、アドリアンは再び魔術具へ手を伸ばした。そのまま、魔法陣を魔術具の中に戻す。
「これで大丈夫です。ここにいる皆さんの魔術具はまだ修理する必要はありませんが、不安なら宮廷魔法師団へ相談したら良いですよ。では、僕はこれで」
踵を返すアドリアンに、シルヴェストルは慌てて声をかけた。
「待て、其方はもう帰るのか?」
「はい。用は終わりましたから」
「……本当に、其方はこれだけの為だけにここへ来たのか?」
シルヴェストルは胡乱な視線を向ける。視界の端では、マエルが顎に手を当て、何やら考え込んでいる。いや、アドリアンの目的はこちらにとって良いのか悪いのか教えてくれないと困るのだが。
そうシルヴェストルが思った途端、ラファエルがニコリと爽やかな笑みを浮かべた。
「用事が終わったなら良かった。くれぐれも、この場所については周囲に話さないでね」
「分かりました」
アドリアンはあっさりと頷いた。そのまま涼しい顔で扉をくぐっていく。シルヴェストルがその背中を目で追っていると、ちょうどその瞬間、廊下の向こうから足音が近付いてきた。どうやら誰かがこちらへ向かって来ているらしい。
そして、アドリアンが外へ出るのと入れ違うように、見知った顔が生徒会本部へと入ってきた。
「すみません、遅れちゃいました!」
「ああ、少し遅いぞジュー……」
言いかけた言葉は、途中で切れてしまった。
「えっと、本当にわたくしがここに来て良いんでしょうか……?」
「大丈夫。ジュードが招いたのですから」
ジュードの後ろから、二人の女子生徒が顔を覗かせていたからだ。
「ナディア嬢! ……と、クレマンス嬢」
「ふふっ、お久しぶりでございます王太子殿下」
「あ、いや、すまない」
ふんわりと笑うクレマンスに、シルヴェストルは慌てて謝る。本来なら、ナディアよりも身分が上のクレマンスの方を先に呼ぶべきだったのに、思わずナディアの名が口を突いて出てしまった。
ベルローズ伯爵家の次女であるクレマンスは、図書委員長を務める高等部二年生。ここにいる生徒の中では最高学年であり、一番の先輩にあたる。
「大丈夫ですよ。お気遣い感謝します」
またふふっと笑うクレマンスと対照的に、ジュードは珍しくおどおどとした様子で謝る。
「申し訳ありません。ナディアをここに案内する途中でクレム……クレマンスに見つかってしまって」
「あら、わたくしの〝婚約者〟が、何やら女子生徒を人のいないはずの生徒会本部へ連れて行こうとしていましたもの。問い詰めるのは正当な権利です」
クレマンスは頬に手を当て、にこやかに告げる。その笑顔だけを見れば、穏やかな会話をしているようにしか見えない。しかし、ジュードの表情は明らかに引きつっていた。
「それは本当にごめんって」
「ごめんで済むなら騎士団は要りません」
「すまない、クレマンス嬢。ジュードにナディア嬢を連れてきてくれと頼んだのは私なのだ」
ジュードに浮気の疑惑がかけられていたことを知り、シルヴェストルは擁護に回る。流石にジュードが理不尽すぎて可哀想だ。
「ええ、ジュードから理由は聞きました。わたくしが言っているのは外聞の方なのです」
「だから俺は、周りに誰もいないところを狙って声をかけて、道中も見られないように細心の注意を払っていたのに……」
「あのわたくしが気付けるほどの隠蔽が細心ですか。よろしい、久しぶりに特訓でもいたしましょうか」
「と、特訓!? ていうか、クレムよりも魔法の才能がある人なんて片手で数えられるくらい少ないでしょ!」
ジュードが素っ頓狂な声を上げる。どうやらクレマンスの言う「特訓」は、普通の特訓ではないらしい。会話から推測して、魔法関連だろうか。
「ぶつくさ文句を垂れない。あ、すみません、王太子殿下。突然お邪魔してしまいましたが、わたくしがここにいてもよろしいでしょうか?」
「ああ、勿論良いが……」
「待ってシル様許可出さないでくださいよ!?」
お助けを〜! と嘆くジュードに、シルヴェストルは微妙な表情になった。こっちに助けを求められても困る。そもそも、ここで自分がクレマンスを追い返したところで、ジュードの身に降りかかる災難が消えるとは思えない。むしろ、下手に口を出せば自分まで巻き込まれそうだ。そう考え、シルヴェストルはそっと視線を逸らした。
そんな彼らのやり取りを眺めていたナディアが、ふと首を傾げる。
「それで、何故わたくしはここに呼ばれたんでしょうか?」
不思議そうに、ナディアは聞いてきた。




