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【コミカライズ配信中】康太の異世界ごはん  作者: 6k7g/中野在太
第五章 大商人の料理番

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古典派経済学者の見た夢

「じょ、嬢、耳は! 耳はおやめください! うひゃひゃははっひゃ!」


 奇声をあげてもだえるミリシアさん。

 執拗にもふもふするピスフィ嬢。

 いいなそれ。

 僕もやってみたい。


「目をはなすと、みどものことを誇張してまわる。やれ賢いだのやれ素晴らしいだのと、あきれてしまうわ。みどもがなにか、ことを為したわけでもなかろうに」

「しっ、しかし嬢のすばらししゃひゃひゃひゃひゃひゃ! ひとさし指と中指のあいだにはさんでくりくりするやつうぅひゃひゃひゃひゃいきっ息がっひゃひゃひゃひゃ息ができっひゅひゃっいきがっひゅひゃっ!」


 ひとさし指と中指のあいだにはさんでくりくりされると弱いんだ。

 いいなー。


「とはいえ、ここまで話しておしまいというのでは、興も削がれよう。続きは、みどもの口から語ろうか」


 ピスフィ嬢は、息もたえだえのミリシアさんを、床に転がるまま放置した。


「こうたよ。みどもの出した答えは、まちがっておるじゃろうか?」

「間違っていないと思います。食料生産と戦争。この二つが富の偏りの原因となっているというのは、僕もなにかで読んだことがありますから」


 これは、踏鞴家給地にもあてはまる問題だ。

 土地が足りず、食料生産がどこかで頭打ちになるため、人口が増やせない。

 

「では、どうすればよい? どうすれば、多くの人々が幸せになれる? 白神の世界に、その答えはあるか?」

「幸せになる、か。それって、金持ちになるってことと同じなのかよ?」


 と、悠太君。


「その二つは、おおむね同じことじゃろう?」

「……まあ、そりゃ、しらねえけどさ。あんたらとちがって金持ちじゃねえしな、オレ」


 切りかかった悠太君、精一杯の皮肉を口にしながら、あっけなく退散。

 なんかピスフィ嬢に苦手意識が生まれてるっぽい。


 しかし、どうすれば幸せになれるか、とはなあ。


「その問題は、僕には大きすぎます。白神の世界だって、誰もが幸せだったわけじゃありませんから。

 だけどピスフィ嬢には、なにか確信があるんですね」


 嬢の瞳には、はっきりと、印が浮かんでいる。

 白い灰になるまで決して立ち止まれない道を歩む者だけが持つ、その印。

 夢や才能に呪われたひとびとの、刻印。


「みどもには、どうしても叶えたい夢がある。生まれ落ちたその時より、そのことだけを願って生きてきた。そのために、力をたくわえてきた。

 ばかげていると、わらってくれ。

 みどもの夢はの、世界平和じゃ」


 迷いも照れもなく、背筋を伸ばして胸を張って、ピスフィ嬢は言い切った。


「貿易こそが、その力となってくれる。だからみどもは、大商人になってみせると誓った。誰よりもやさしい大商人になってみせる。富める者と貧しき者の間に立って、お互いが望むものを、みどもが届けるのじゃ」


 商人が仲立ちすることで、遠い国のひとびとが、自分たちの持っている何を望んでいるのか、理解できる。

 そうして、生産者になれる。

 自分たちが望むものを、商人が遠い国から届けてくれる。

 そうして消費者になれる。

 生産と貿易によって、ひとびとは豊かになる。


 貿易によって世界をつなぎ、大きな市場を作り上げる。

 誰もが作り、誰もが得られる状態、それこそが世界平和。

 ピスフィ嬢が言っているのは、そういうことだ。


 それは全く、古典派経済学者のみた夢だった。

 平和的商業活動ドゥ・コメルスがもたらす、世界市場の夢。


 実際に世界市場が現実化したとき、なにが起きたか。

 それを僕たちは、よく知っている。

 僕たちの世界が今どうなっているのかなんて、語るまでもない。


「こうた。みどもは、まちがっておるかの」


 それなのに僕は、ピスフィ嬢の言葉に、瞳に、惹かれている。

 あまりにも現実味のない稚気にあふれた夢を語る、言葉の一つ一つに、揺さぶられている。


「あの、康太さん? だいじょうぶですか?」


 榛美さんだけが気づいていた。

 呪われた少女の美しさに呑まれはじめている、僕の愚かしさに。


「……僕には、分かりません。さっきも言いましたけど、手に余りますよ。

 だけど、ピスフィ嬢。あなたの考え方は、とても素晴らしいことだと思います」

「ありがとう、こうた」


 ピスフィ嬢は、わずか無邪気にほほえむと、すぐに怜悧な表情をうかべた。


「ここまで多くを話して、よくわかった。ミリシアがこうたを求めるのも当然のことじゃな。みどもも、主ゃのことがほしくなってしまった」

「ほしい、ですか」

「そうじゃ。主ゃは必ずやみどもの力となる。みどもの料理番として、かたわらにあってほしい。だめか? 望むままに報いるぞ」

「あ、いや、それ、それは」


 言葉が出てこない。

 青い瞳から放たれる視線が、僕の精神に切り込んでくるような感覚。


「こ、康太さん……」


 榛美さんの手を探して、僕の指が床を掃く。

 どうしてだろう、僕には、夢と才能に呪われたひとびとのことが、いつも美しく見えてしまう。

 悠太君のことを、そう思ったように。


 ようやく僕の指先が、榛美さんの手をさぐりあてた。

 指先で、手の甲に触れて感じるそのあたたかさが、僕を安心させてくれる。


 さてさて、ひとつ深呼吸して、と。

 ついこないだ、初対面の知らないおじさんにちょっと気を許したら、生きたまま皮をはがされそうになったからね。

 経験を生かしていこう。


「そう言っていただけるのはありがたいことです」


 軽い調子で返事をすると、ピスフィ嬢は、さほど残念でもなさそうにうなずいた。


「手ごわい相手じゃの、ミリシア」

「康太はかたくなでありますよ」

「なにしろ、主ゃほどの女をむげにあしらったのじゃからな」

「全くであります。あれはリーリ嬢の悪態ほどに辛辣でした」


 冗談を飛ばしあって、場の空気がゆるむ。


「まったくだぜ。白神様を持っていかれちまったら、二度とうまいもんが食えないじゃねえか」


 讃歌さんも、すかさず冗談をつなげてくれる。


「あ、今のはわたしでもわかりますよ! 讃歌さん、それ皮肉ですよね! 康太さんがいつも言ってるやつだ!」


 皮肉の対象にされたというのに、なぜかうれしそうにする榛美さん。


「あれ? でも今のって、もしかしてわたしへの皮肉じゃありません?」

「お、見抜くじゃねえかよ。長いこと白神様のそばにいるだけあるな」

「ひどすぎます!」

「はっはっは、冗談だよ、冗談。俺らが美味くもねえもん喜んで食うかって話だ」

「もおお! 讃歌さんひどいですよ! ひどいですよね、康太さん!」

 

 かと思ったら、すぐにぷんすか怒りだす榛美さん。

 ああ、なごむ。

 榛美さんがいてくれてよかった。

 またわけの分からない方向に走り出すところだった。

 

「どれ、ではみどもらは、ふて寝でもするとしようかの?」

「ええ。こういう時はふて寝が一番であります」

「違いねえな。俺もそろそろ帰るぜ。悠太、どうする?」

「オレも寝るわ。じゃあな、白神、榛美」

「うん、おやすみ、悠太君」


 立ち上がってのびをした悠太君、讃歌さんが、榛美さん家を出て行って。

 ミリシアさんは、寝息を立てはじめたピスフィ嬢を抱き上げ、客間を見回す。


「寝床はあるか?」

「いま踏んでいるそれですよ」


 指さした先にある、すりきれたござを見て、苦笑するミリシアさん。


「その地に触れ、その地になじむ、か。嬢にも、綿のない寝床というものを経験してもらう良い機会になろうな」

「なにごとも経験です。僕はすぐ慣れました」

「あ、でも、康太さんのうでをまくらにすると、すごくちょうどいいんですよ。なにしろ首のところにぴったりですからね!」

「ありがとう榛美さん。首のところにぴったりできてよかったよ」

「えへへ、わたしも、康太さんのうでが首のところにぴったりできてうれしいです」


 ミリシアさんは僕を見て、榛美さんを見て、それからまた僕を見た。


「そういうことか」

「なにがですか?」

「錨をおろした船は、風にも波にも動じぬものだ。嬢が理解するには、いくばくかの歳月としつきを必要とするだろうがな」


 なんか、かんちがいされてる。

 まあいいや、納得してもらえたみたいだし。

 なんて、ほっとした矢先にやってくれるのが、エルフの娘さんというものだ。

 榛美さんは、純然たる善意の表情を、ミリシアさんに向けた。


「そうだ! ミリシアさんも康太さんのうでをまくらにしますか? 首のところにぴったりするかもしれませんよ」


 ミリシアさんは榛美さんを見て、僕を見て、榛美さんをまた見るかとみせかけ僕を見た。


「……そ、そういうことか」

「……な、なにがですか?」

「いやなに、嬢にもまだ脈がありそうだと思ってな」


 やってくれたね榛美さん。

 でもその百パーセント親切心に満ちあふれた笑顔はとてもすてきだよ榛美さん。


「腕枕は遠慮しておくよ。いつか――この様子ではいつになるかわからんが、喧嘩のねたにされてはたまらんからな」


 皮肉までいわれた。


「あれ? もしかして今のって、皮肉ですか?」

「うん、議論の余地なくね」

「やっぱり! 最近のわたしは分かっちゃいますからね! 康太さんのおかげです!」


 うれしそうにする榛美さんを見ていると、なんだか全てが丸くおさまるような気がして。

 長い夜のしめくくり、カシミアの毛布みたいにやわらかい眠気が、僕を心地よくくるんでくれた。


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