ミリシアさんの昔がたり
「ああ、美味い……やはり素晴らしい味だ。腐乳も、慣れてみると旨みが分かるよ」
「どんくさいお酒と強烈な発酵食品って、すごい合うんですよねえ」
僕もちゃっかり、腐乳でどぶろくを呑んでいる。
どぶろくの強い酸味と、腐乳の強烈な旨み。
これがもう、いくらでもいけちゃうんだよなあ。
「さて、どこから語るか。そうだな……
私は身につけた魔述を買われ、幼き頃から商人の旅に同行する機会を多く得ていた。門閥同士、ピーダー家の世話になることが多かったな」
「『株』とか『合同会社』っておっしゃってましたよね。いくつかの家の出資で会社を興して、ひとつの航海ごとに株の精算と会社の解体をする仕組みですか?」
「その通りだ。しかし、見てきたように言うな」
「僕の世界でも、初期の会社はおおむねそんな感じでしたから」
それこそ、ヴェネツィアとかね。
「とある航海から帰った折、引き合わされたのがピーダー嬢だ。まだ三つにならぬというのに、その当時からすでにノーブルらしい聡明さと美しさを身につけていた」
ノーブルが生まれるのは、ものすごく珍しいことらしい。
ピーダー家ではさっそく、次代の当主としてピスフィ嬢を育てていこうという話になった。
さて家庭教師を、という話になったとき、若くして経験豊富なミリシアさんに白羽の矢が立ったというわけだ。
「ピーダー家の頼みとあれば、断れるものではない。旅に疲れてもいたからな。しばし根を張るのも悪くなかろうと、軽い気持ちで家庭教師を引き受けたよ」
ピーダー家での、初顔合わせ。
わずか三歳のピスフィ嬢は、まずミリシアさんに、こうたずねたという。
「主ゃはこれまでの旅で、何を見てきた?」
ミリシアさんは、ピスフィ嬢の言葉を慎重に吟味した。
これが無邪気な問いかけではないことを、理解したからだ。
この質問で、自分の本質が暴かれる。
「恐怖したのは事実だよ。射すくめるような視線、鋼のように迷いのない言葉、わずか三歳の童女が、全くもって板についた振る舞いをするのだからな。
陽光が差し込み、ライムの香りで満たされたアトリウム……だというのに、冬のただ中にあるようだった」
だがそこでミリシアさんは、負けるわけにはいかないと思ったらしい。
家庭教師が生徒におびえていたら、話にならない。
「それにそもそも、私は負けず嫌いだからな」
「なんとなく分かりますよ。さっきからこっそり、僕と呑むペースを競ってますよね?」
「おや、見抜かれていたか」
「とはいえ僕も、お酒にかけてはゆずれませんからね」
「それは困るな。ろれつが回らなくなる前に、思い出話を終わらせるとしよう」
ミリシアさんは苦笑して、話を続ける。
「価値判断をせず、ただ、直近の旅で起きたことを、語るのみとした。質問の打ち返しだな。私の話を聞いてどう感じるか、問いかけてやろうと思ったのさ」
「なるほど、そういう手がありますか」
「今にして思えば無茶をしたものだよ。ピーダー家に嫌われては、ネイデル家とてやってはいけんのだからな」
ミリシアさんが語ったのは、主無き諸国における奴隷売買についてだった。
「奴隷、ですか」
いよいよ、ものものしい話になってきた。
「ああ。主無き諸国の深き南の地には、フェアリーの一大群落がある」
「フェアリー」
「フェアリーだ」
おうむ返しを繰り返してしまうほどファンタジー。
「エルフの南方適応型だと、嬢は言っていた。私には似ていると思えんのだがな。体の大きさが、私の肘から先ぐらいしかないのだから」
うとうとしはじめた榛美さんに目をやる。
ちいさい榛美さんか。
すごいかわいいんだろうなあ。
「そしてフェアリーたちは氏族同士で、果てのない争いを繰り広げているのだ」
なんてことだ、ちいさい榛美さんたちが戦いをはじめてしまった。
やめるんだ榛美さん、争いはなにも生まないよ。
「列強が植民地化でもしたんですか?」
主無き諸国は、僕の中の世界地図でアフリカに相当している。
アフリカで内戦が絶えないのは、国境線がめちゃくちゃに引かれたから、というのは誰でも知っている話。
「そうではない。非常に説明が難しいのだが……フェアリーには、ある特性があってな。集まると賢くなるのだ」
「……ええと?」
なんだそれ。
「私も詳しくは知らん。嬢に聞いてくれ。とにかく、数が多ければ多いほど、賢くなる。知識を共有……というか、まあ、つまりその、よく分からん」
ううむ、群体とか、そういう考え方でいいのかな。
ちいさい榛美さんが、多くなればなるほど、理にかなったことを言い出すのか。
『康太さん、この村の平均的なカリウム摂取量を考えれば、お鍋の塩分はこれで適切だと思いますよ』
みたいな。
うわ、想像しただけですごくおもしろい。
「フェアリーには、自分たちの氏族を賢くしようと、別の氏族を襲って奴隷を集める性質がある」
アフリカの奴隷狩りというのは、傲慢な白人が無力な黒人を追い立てて連れ帰った、みたいな単純な構図ではない。
奴隷を得て白人に売りつけていたのは、強い力を持つ現地の氏族だからだ。
この世界でも、その辺の事情というのは、竹で割ったようにはいかないみたいだ。
「そこに目をつけたのが、ネイデル家だ。氏族間の争いに調停者として入ることで、報酬を得る。主無き諸国の珍品貴品をアロイカで卸す。
だいぶ儲けさせてもらったよ」
「という話を、ピスフィ嬢にしたわけですね」
「ああ。どう反応するのか、興味深くてな」
ミリシアさんの話を聞いたピスフィ嬢は、まず、こうたずねたという。
「多くの富をもつ者がしあわせになり、少ない富をもつ者が不幸になるのじゃな?」
「その通りですよ、ピスフィ・ピーダー嬢。フェアリーに限らず、それが世の理というものです」
「なぜじゃ?」
「なぜ、とは?」
「多くの富をもったり、少ない富しかもてない者がおるのは、なぜじゃ?」
これはミリシアさんにとって、強烈な質問だった。
富の不均衡というのは当たり前のことで、だからこそ商人が存在する。
あらためて考えるまでもなく、それはこの世界の前提だ。
「むずかしいのじゃな」
答えを出せずにいると、ピスフィ嬢がそう言った。
責めるのではない、むしろ、感謝と敬意が伝わるような言い方だった。
「ミリシア・ネイデル。ありがとう。主ゃはみどもが子どもだからと侮らず、誠実に接してくれた。みどもは、主ゃのことが好きじゃ」
そう言うピスフィ嬢の笑顔は、まったく年相応に無垢なもの。
分別や打算のない、純粋な好意をしめすもの。
怜悧さと無邪気を併せ持つピスフィ嬢という存在に、ミリシアさんが惚れてしまったのは、その時のことだった。
「それからの嬢といえば、恐ろしい速度で勉学に打ち込んだものさ。白神の世界の言葉を身につけ、百貨迷宮に流れ着いた本を渉猟し、各家を訪ねて多くを学び……一年の内に、私が教えて差し上げられることなどなくなってしまった」
「ノーブルというのは、そういうものなんですか?」
「わけても嬢は、意志の強さにかけて特別だったよ。休まずたゆまず、あらゆる知識を身につけていった。私たちの間で宙に浮いた、ただ一つの質問の答えを得るために」
どうしてお金持ちと貧乏人がいるのか。
富はなんで偏在するのか。
答えはとてもシンプルで、誰もが直感的に分かっている。
だけど、論理と知識を積み重ねてそこに至るには、たくさんの知見が必要だ。
それこそ、人類の発祥からこれまでの歴史を、あらゆる学問的見地から考えていくような。
しかしピスフィ嬢は、その難事をどうにかこうにか、やり遂げた。
六歳になった少女が出した答えは、こうだ。
「たまたま、なのじゃな」
「たまたま、ですか」
シンプルすぎて、言うにはばかられるような答え。
ミリシアさんが、最初に思いついたけど、すぐさま打ち消した答え。
「たまたまそこに生まれてしまった。それだけじゃ」
「はあ……」
ミリシアさんは、いまいち、ぴんと来ないものを感じた。
そんな、大人になれば誰でも分かるようなことが、答えでいいのだろうか。
「ミリシアよ。芋や、やしの木の汁を主食にしている者どもは、貧しいことが多いそうじゃ。なぜというに、麦や米ほど保存がきかず、人が増えないからだという。
人が増えれば、それだけ、新しい力を得る可能性が高くなる。新しい力と多くの人がおれば、戦にも強くなる」
「分かる話ではあります。民が多くいれば、中には賢い者もおりましょうから」
「家畜を持たぬ者どもは、やはり、貧しいことが多いそうじゃ。畑を耕してもらったり、家畜から伝染る病気に強くなれば、どうなる?」
「ううん……ああ、そうか、そういうことでありますね! 畑を耕せば、人が増える。家畜の病気があれば、そう、そうか! 戦に有利なんですね!」
ピスフィ嬢は、重々しくうなずいた。
「白神の世界に、そういう戦争があったという。病気のせいで国民が滅び、戦に負けたのじゃ」
ミリシアさんの肌が、ぴりっと、粟だった。
歴史に降り積もっていった数々のできごとが、やがて富める者と貧しい者を生んだ。
今ここに至るまでの、時間のたしかな重さ。
なんとなく分かっている答えにたどり着くための、はっきりとした筋道。
「だから、たまたまなのじゃ。それ以上のことは何もない。エルフ、ドワーフ、ヒト、竜人、ノーブル、オーガ、そしてフェアリー……たまたまそこに生まれた故、あるいは豊かになり、あるいは貧しくなる……」
「はい。今こそ、嬢の言葉がよく分かりました」
「……すごいな」
おとなしく眠っているピスフィ嬢に、視線が向く。
ときどき鼻をぴすぴす鳴らしている小さな女の子が、完全な独学で、地政学とグローバルヒストリーの手法にたどり着いたんだ。
「答えを出した嬢が、何を言ったと思う?」
と、ミリシアさん。
長い話も最後の直線にさしかかり、いよいよオチでしめるだけ。
ちょっと持って回った言い方になるのも、いたしかたなし。
身を乗り出して、ミリシアさんの答えを待っていると。
「少しお酒が回りすぎたかの、ミリシア」
「うひゃあ嬢!」
ピスフィ嬢が手を伸ばし、ミリシアさんのうさ耳をもふもふしはじめた。




