優しさの文法-3
「女衆は水浴びしてくるからさ、悪いけど、先に戻っちゃくれないかな」
お腹もくちくなったところで、湖葉さんが言った。
「もちろんですよ。いきましょう、足高さん」
「悪いねえ、白神様に苦労かけさせちゃって」
「いえいえ。みなさんが戻ってくるまでに刈り尽くしておきますから」
「あははっ、たのもしいことだ」
涼しい川っぺりをはなれて、蒸し暑い斜面に戻る。
足高さんは、積み上げられた葛の山に、思いっきり倒れ込んだ。
「こ、康太、康太よお、康太おめえ、おれぁおめえ、おれぁもう、死んじまいてえよお……」
「はい、もう、気持ちはすごく分かります」
「あああ、なんだっておめえ、おれぁおめえ、いつだって情けねえことばっかり……」
足高さんは、もぞもぞと動き回って、葛の山に頭をつっこんだ。
「湖葉さんはきっと、気にしないと思いますよ」
「だからだよお! だから情けねえってんだよおめえ! おれぁ、おれぁ、湖葉の気を、なんとか引きたくてよぉ。
なんだってこう、おめえみてえに、うまくできねえのかなあ……」
「好きな人相手には、うまくいかないものですよ。それに、僕は居酒屋の店主ですから。ある程度の人付き合いは、得意な方なんです」
うまくいえないけれど、世の中には、優しさの文法、みたいなものが存在すると思う。
どう振る舞えば、他人に、優しいとか、気づかいがあるとか、思ってもらえるのか。
そういう文法だ。
それはあくまで文法であって、振る舞っている本人がどう思っているかどうかなんて、実は、問題にもしてもらえない。
本当に心根のすばらしい人でも、優しさの文法を身につけていなければ、気遣いがあるとは思ってもらえない。
ものすごく極端なたとえになるけれど、室内で地震が起きて。
そこには、器用な人と、不器用な人と、助けられる人Aさんがいたとしよう。
分厚いコンクリート製の壁が、コントのセットみたいに、こっち側に倒れてきた時。
器用な人は、とっさに、Aさんをかばう。
不器用な人は、壁に立ちはだかってしまう。
勝てるはずなんてないのに、壁をなんとかしようと思ってしまうのだ。
たいていのAさんが感謝するのは、たぶん、わかりやすく自分をかばってくれた、器用な人だ。
不器用な人は、そのまま壁に押しつぶされて、誰にも省みられない被害者の一人として、埋もれてしまう。
それが、優しさの文法だ。
「足高さん、僕は知ってますよ。
榛美さんのために、ヘカトンケイルの賓客と、戦おうとしていたこと。
僕のために、誰よりも先に、飛び出してくれたこと。
その話を聞いたとき、僕はほんとうにうれしかったんです」
「……ありゃおめえ、おれが、ばかなだけだ。勝てるはずもねえもんにおめえ、考えもなしでぶつかってよ」
葛の山に頭をつっこんだまま、足高さんは、ぼそぼそとつぶやいた。
「でもきっと、気づいてくれる人はいます。僕も讃歌さんも、みんな、足高さんが優しいってこと、知ってるんですから。増水した川に飛び込んで子どもを助けるなんて、そんなこと、ふつうはできません」
勝てるとか勝てないとか、そういうことじゃなくて。
ただただ芯から、誰かのことを助けたいと思って、どんな相手にでも立ち向かえる。
それがどれぐらいすごいことなのか、どうやったら、足高さんは分かってくれるだろうか。
「ありゃりゃ、なにやってるんだい?」
声をかけられないでいると、湖葉さんがもどってきた。
しっとり濡れた髪を葛布でがしがしとぬぐいながら、首をかしげている。
葛の山に体を半分つっこんだ足高さんと、それを困ったように見下ろす僕。
たしかに、なにをやっているのか、全く分からない。
「なんでもねえ」
葛から頭をぼさっと引っこ抜いた足高さん。
の、顔がなんか、変なことになっている。
右のまぶたが、めちゃくちゃ腫れているのだ。
「……足高さん」
「なんでもねえ」
虫にくわれたか。
「なんでもなかないでしょうよ。まったく、ほんとに何やってんだかねえ」
「なんでもねえ」
「はいはい、なんでもねえんだね」
湖葉さんは苦笑した。
「しょうがないねえ。ちょっと待っててねっ!」
ちゃきちゃきっと里山を駆けていき、戻ってきた湖葉さんは、なんかの葉っぱを手にしていた。
「オオバコですか」
「うん、なんだって、こいつが一番きくからね。おばあちゃんが教えてくれたのさ。ほら、足高さん、すわって」
「なんでもねえ」
「いいから座るのっ!」
なんでもねえを繰り返しながら、その場にあぐらをかく足高さん。
横から見て、涙をこらえているのが丸わかりだ。
いくらなんでも、ここまで何もかも裏目っていうのは、ひどすぎるんじゃないだろうか。
この世界にファンタジーっぽく神様がいるのなら、今すぐ足高さんを救ってほしい。
「足高さんは、なんていうか、うちのお父ちゃんみたいだよ」
手の中でオオバコの葉を揉みつぶし、親指で、足高さんのまぶたにぬりつけていく。
足高さんは、今すぐ死にたそうな顔のまま、おとなしく座っていた。
「お父ちゃんも、まあ情けない人でさ。いっつも何かにびくついてて、雨の音にまでびっくりしちゃうぐらいだった」
「堅葉の旦那はおめえ、でもよお……」
「お父ちゃんはほんと、間の悪い人だったからねえ。死に際にだって、家族に一言もないぐらいさ。せめてそれぐらいは頑張ってほしいもんだったなあ。
……はい、できた。さわったらだめだよっ」
湖葉さんは、足高さんの頭をぺしっと叩いて、にっこりほほえんだ。
「お、おうっ」
「それじゃあ、続きをやっていくよっ! 紺屋さん、しっかり頼んだからねっ!」
「僕らにやらせときゃ、もうあっという間ですよ」
「あはは、いい加減なこと言って。紺屋さん、あんた面白い人だねえ。白神様っていうからには、もっとややこしいお方かと思ってたなあ」
「ばれちゃいましたね。実は適当なんです」
湖葉さんは僕たちに手を振り、ちゃきちゃきっと歩いていった。
「さ、僕らもがんばりましょうか」
「おう……」
足高さんは、鎌を手に、弱々しく立ち上がった。
二人して肩をならべ、葛刈りを再開する。
「足高さん、さっき、湖葉さんのお父さんについて、何か言いかけませんでした?」
「ああ? そうだったかあ?」
「堅葉の旦那は、どうしたこうした、みたいな」
足高さんは、しばらく、返事をしてくれない。
「おめえ、堅葉の旦那が早くに死んじまったこたぁおめえ、聞いてるよな」
「はい、昨日」
「堅葉の旦那はおめえ、おれを助けて、死んじまったんだ」
「ああ、それは……そうだったんですね」
「そうさ」
足高さんは、淡々と葛を刈りながら、言葉を続ける。
「ありゃあおめえ、十年も前のことだ。その頃おめえ、ちょうど、おれの母ちゃんが死にかけててよ。まあ、それはおめえ、しょうがねえことさ。
でもよお、おめえ、その死にかけの母ちゃんにおめえ、おれの採った鮎が最後に食いてえって言われちゃあよお」
「ええ」
「だからおれぁおめえ、網を打ちにいったのさ。雨の時期でよおめえ、川は茶色で、化けもんみてえにおめえ、ごうごう、うなっててよ。その年の川はおめえ、暴れまくっておめえ、堤がぶっ壊れちまうほどでなあ」
給地の川は一応護岸されているけれど、葛布の土嚢をつんで、その上の土を踏み固めただけだ。
長雨であちこち、腐りかけの葛布が露出している様をよく見かける。
川に暴れられたら、ひとたまりもないだろう。
「それでも、網を打ちにいったんですね」
「おれぁ死んでもいい、母ちゃんに鮎を食わせてえっておめえ、その一心でよ。いつものことだ。勝てねえもんにおめえ、考えなしで突っ込んじまってよ。そしたらおめえ、川に入ったとたんに、水が襲ってきやがるじゃねえかよ」
上流側で、土砂崩れでもあったのだろう。
天然の鉄砲水に、ちょうど居合わせてしまったというわけか。
「あっちゅう間もねえ、気がつきゃおめえ、泥水ん中を、おれぁぐるぐる回ってた。水をがぼっと呑んじまっておめえ、体もあちこち、川の底だの岩だのにぶっつけてよ。
こりゃ死んだなって思ったところで、目が覚めたらおめえ、なんでか、家にいてよ。母ちゃんも、讃歌の旦那も、湖葉も、みいんな、泣いててよお……
おめえ、ありゃあ、忘れようたっておめえ、忘れらんねえよ……」
その時、足高さんと一緒に、堅葉さんも横たえられていたという。
堅葉さんは、雨の中、湖葉さんの弟、捧芽君のために、熱さましの野草を摘みにいっていたのだという。
鉄砲水で流された足高さんのために、ためらいなく川に飛び込んで。
自分もずたぼろになりながら、足高さんを引き上げて。
堅葉さんの帰りを待ちきれず、外に出た湖葉さんが、それを発見して。
「それでおめえ、堅葉の旦那はおめえ、一目みりゃあ、助からねえって分かるような有様でよ。だってのにおめえ、おれを見て、このまぬけなおれを見て、笑ったんだ」
『よかった』、の、たった一言。
それが、堅葉さんの、最期の言葉だったという。
湖葉さんが言った通り、家族にはなんの言葉もかけず。
ただ、足高さんを気遣って、それで、亡くなった。
「それでおめえ、死んじまった堅葉の旦那が、手になにかぎゅっと握りしめて離さねえんだ。なにかと思って、開かせたらおめえ、堅葉の旦那はおめえ、てっ、手に、葉っぱを握りしめててよお……」
足高さんは、下くちびるを強くかみしめた。
その手から、鎌がすべりおちた。
「不器用な……不器用な人だったんだ。捧芽のために摘んだ葉っぱを、はなせねえでいたんだよ。おれなり、葉っぱなり、どっちかあきらめてくれりゃおめえ、死なずに済んだかもしれないってのになあ……」
ふるえる手で鎌をにぎりなおした足高さんは、葛を刈りはじめた。
「おれぁおめえ、もう、死んじまいたかった。こんな立派な人が、おれなんかのために死んじまうなんて、おめえ、そんなおかしな話があってたまるかよ。
おれぁおめえ、情けねえ話、もうわけもわかんねえぐらい泣きはじめちまった。
そうしたらおめえ、湖葉がおめえ、おれの胸を、こぶしで殴りつけたんだ。目になみだをいっぱいにためて、おれのことをおめえ、力いっぱい、何度も何度も、なぐってきたんだ」
「湖葉さんが……」
「しょうがねえさ、おれが堅葉さんを殺しちまったようなもんだって、おれぁそう思った。でも、湖葉はおめえ、そうじゃねえ。そうじゃなくって、おれに向かって、こう言ったんだ」
『泣くなっ、泣くんじゃないよ、みっともないっ!』
『お父ちゃんは、あんたが生きてて嬉しいって言って死んだんだよっ! そのあんたが泣いてたら、死んじまったお父ちゃんがばかみたいじゃないかっ!』
『足高さん、あんたは生きるんだよ、お父ちゃんの分も、生きなきゃだめなんだよ!』
「おれぁおめえ、なあ、信じられるか? 目の前で親父が死んじまって、殺したも同然の男に、どうやったらおめえ、そんなに優しくできるってんだ。
それで、それでおめえ……生かされて、人をひとり殺しちまって、そのくせおめえ、おれぁ、そこで湖葉のこと、好いちまった。
生きてえと思っちまった。
生きて湖葉のそばにいてえって、思っちまった」
昔がたりを終えた足高さんは、だまって葛を刈り続けた。
まるで、裁かれたがっているみたいな表情で。
「よそものの僕に、何が言えるわけでもないですけど。
だけど、誰も足高さんのことを、悪いだなんて思っちゃいませんよ」
昨日の夜、讃歌さんは、そんな話をおくびにも出さなかった。
責めることも、かばうこともせずに。
それどころか、そんなことはどうでもいいとまで言って。
ただいつもみたいに怒鳴って、足高さんにはっぱをかけた。
その気遣いのなさこそ、逆説だけど、讃歌さんなりの気遣いなんだろう。
「けどよ、おれはおめえ、堅葉の旦那を、殺しちまったんだ。ひとごろしが、殺した相手の娘を、好いちまった」
「足高さん。そんな風に考えているのは、足高さんだけですよ」
「……そうか」
「そうです」
足高さんは、わらってくれた。
「……康太、ありがとうなあ」
「いえいえ。さあ、どんどん刈っていきましょう。このままじゃ僕たちのせいで、いつまで経っても終わらないですよ」
「お、おう! いそがねえとおめえ、女衆にどやされちまうな!」
それからはひたすら葛を刈り続け、日も傾くころになって、ようやく一面がすっきりした。
「いやあ、刈りも刈ったねえ! うんうん、すっきりしたよっ!」
風通しのよくなった斜面に立った湖葉さんが、大きく手を広げる。
「みんな、もう一頑張りだからねっ!」
はーい、と和やかに返事をして、みんなが動き出す。
刈り取った葛のうち、柔らかいつるや、茎の部分など木っ端を、地面に敷く。
葛のつるは、一抱えほどの量を、三カ所でたばねる。
それを、敷いた葛の上に積み上げていく。
積み上げたつるの上に、たっぷり木っ端をかぶせる。
川から汲んできた水を何度もぶっかけて、作業はおしまい。
「これで二三日放っておくと、葛が腐って糸が取れるんだ」
感心しながら作業していたら、湖葉さんが解説してくれた。
「なるほど」
大井川葛布という伝統工芸では、似たような工程を経て繊維を取り出すと聞いたことがある。
ただしそちらの場合、束ねた葛にかぶせるのは、イネ科の植物だ。
枯草菌によって発酵させているらしい。
異世界の葛の葉には、セルロースを分解するタイプの菌が住み着いているのかもしれない。
……納豆とか、これでつくれないかな。
「足高さんも紺屋さんも、おつかれさまっ! 今日はほんとにありがとね」
「いえいえ。たのしかったですよ」
それにこの後のお楽しみも、僕にはあるしね。
あれをああして、もちもちで透明なあれを……んふふふふ。
「あのさ、お二人はごはん、榛美ちゃんのところで食べてくのかい?」
「はい、そのつもりでしたけど」
「ねえねえ、紺屋さんって、料理人の白神様なんだろ? さっき女衆から聞いて、それで納得したんだ。だからあたしのごはんのこと、あんな風にすぐ見抜けたんだってさ」
「ええ、料理はまずまず得意な方だと思います。なんならなにか作りましょうか?」
「あー、いやいや、逆でさ。実はあたしも、榛美ちゃんほどじゃあないけど、ごはんを作るんだ。それでその、さっきみたいに、いろいろ聞かせてくれるとうれしいなって」
榛美さん、なんか知らないところですごく評価されてるよ。
『ごった煮しか作れないしそれ以外作る気すらない』と断言してはばからないエルフだとは、夢にも思われてないよ。
「うん、そう、そうだよ。あたしのごはんがどうなのか、白神様にたしかめてもらいたくって、それで、ほら、足高さんも来たらいいじゃない。どの道、どこでごはんを食べたって一緒だろ?」
さて、湖葉さんからのお誘いに対して、足高さんはと言えば。
「あ、えあっ、そ、それ、そりゃ、おめ、おめえ」
口をぱくぱくさせて、体をぷるぷるふるわせてからの。
「うわあああああああ!」
出ました、いつものやつです。
逃げるやつです。
「……そんなにまずかったかねえ」
見るからにしょんぼりする湖葉さん。
「そういうことではありませんよ」
「そうならいいんだけどさ」
「ぎゃああああああっ!」
「えっ?」
「えっ?」
なんか既視感を感じる、足高さんの悲鳴。
「な、何が起こったんだいっ?」
「湖葉さん、こういう時は、とほうにくれていると良い結果が出ますよ」
「はあ? 紺屋さん、何を言うのさ」
「ほら」
夕日を背負ってあらわれたのは、鉄じいさん。
もがく足高さんを小脇に抱え、のっしのっしとこちらに向かって歩いてくる。
「こんばんわ、鉄じいさん」
「おォ、あらかた終わッたみてェだな」
「は、はなせっ、後生だ、はなしてくれえっ!」
「おらよ」
「ぶぎゃっ!」
またも足高さんは、あごから落ちた。
「ッたく、まァた逃げやがッたか。なさけねェ男だぜ」
「だ、だってよぉ……」
「まァそりゃァ、どォでもいィこッた。白神よ、頼まれたもン、できあがッたぜ。榛美ん家に置いといたからよ、好きに使ッてくれや」
鉄じいさんがにやりと笑い、僕はその場でとびはねた。
「わあ、ありがとうございます! さすが鉄じいさんです!」
「かまわねェさ、俺も興味があッたからよ。今度なンか食わせろィ」
「もちろんですよ。おいしいものたくさん作っちゃいますからね!」
「足高よォ、よく研いだまさかりは持ってるかァ、えェ? なけりゃァいつでも作ッてやるぜ」
「ふげっ!」
ようやく立ち上がった足高さんの背中をばんばん叩いた鉄じいさんは、ガハハと笑って坂道をのぼっていった。
「んふふ……」
「紺屋さん、なんだかうれしそうだねえ」
「そうなんですよ。たのんでおいたものが、できあがったんです。んふふふふ……!」
「そうかい。それじゃあ、あたしの料理は後回しにしようかねえ?」
「なにを言ってるんですか、それは別です。僕は湖葉さんの料理をすごく食べてみたいんですから、ぜんぜん話は別です」
「あ、ああ、そ、そりゃあ、ありがとう……それで、足高さんは?」
「行きますよ。ね、足高さん」
「……お、おうっ」
不器用な『……お、おうっ』もいただいたことだし、お邪魔しちゃいましょうか、湖葉さん家。




