優しさの文法-1
いつもの夜、いつもの榛美さん家。
「康太よ、おめえ、おれぁおめえ、一発で惚れちまってよおめえ」
「はい、はい、分かりますよ。そういうのってありますよね」
「なあ! あるよなおめえ! 康太、康太よぉ……そういうことがあるんだよ!」
「あります。わかる、うん、わかるなぁ。足高さん、ほんと、それ……分かるなぁ……」
飲み食いする人たちの中、僕と足高さんは、どぶろく片手に、あつく語り合っている。
「つまりだなおめえ、その、おめえ……笑うんだよ。その、笑い方が、おめえ、まゆげが持ち上がっておめえ、口が持ち上がっておめえ、目じりが下がっておめえ……」
「ああー分かる! それすごいわかる! いや、ほんと、足高さん、それ……分かるわ……」
なにをあつく語りあっているかといえば。
足高さんがかつぎたいという、女性のことだ。
「ああー、分かる、すごい分かる……あ、ちょっと腐乳たべますね」
「食え食え! おめえそれだっておめえ、あいつぁ、湖葉はおめえ、腐乳だの作らせたらぴかいちでおめえ、豆腐の神さんに愛されてるっておめえ、ほうぼうでほめられてなあ」
「湖葉さんっていうんですね。ああ、もう名前がいいもんなあ。いや、ほんと、もうそれ、それは足高さん、そんなのもう……分かるわ……」
「分かるよなあおめえ! 康太おめえ、康太ならわかるよなあ!」
「あ、ちょっとどぶろく飲みますね」
お察しのとおり、二人とも、べろべろに酔っぱらっています。
「けどよおめえ、どうしたっておめえ、もう、近づくだけでおっそろしくておめえ、声もかけらんなくってよぉ……」
「分かるわ……」
「分かるよなあ!」
「分かるけど、分かるけど……スタンダップですよ足高さん!」
「酔っぱらいすぎだろ、オマエら」
横で聞いていて、イライラの限界に達したのだろう。
悠太君がくちばしをはさんできた。
「えー? 酔ってないですけど? まだぜんぜん、あれだ、ほら、その、よ、よい、宵のあれですけど?」
「おっさんの想い人が湖葉さんだってことに、まずぎょっとしたけどな。堅葉さん家の湖葉さんだろ。あの、なんか、ちゃきちゃきっとした感じの」
「そりゃおめえ、その湖葉以外にどんな湖葉がいるってんだよおめえ」
「湖葉さんって、まだかつがれてなかったのな」
あ、無視された。
悠太君に無視された。
「そっか、最近帰ってきたから、ユウは知らないんですね」
どぶろくのおかわりを僕のカップに注いでくれながら、榛美さんがやってきた。
「ほら、湖葉さんの弟さんって、体が弱いでしょ? 葛乃さんがかつがれちゃったから、堅葉さん家で面倒を見られるの、湖葉さんだけなんですよ。
それで誰も、湖葉さんをかつごうって気になれないみたいです」
「ああ、そういや捧芽、川に入るだけで腹を下してたからな。葛乃さん、どこにかつがれたんだ?」
「幅木さんのところですよ」
ぜんぜん分からない地元トークが始まってしまった。
「それがまたおめえ、湖葉のおめえ、その、そういう苦労を見せねえところがおめえ……けなげじゃねえかよお!」
感きわまったのか、おいおい泣きはじめる足高さん。
「むずかしいですよねえ……湖葉さんのところは、お母さんがはやくに亡くなっちゃってますから」
「親父さんもだろ? 堅葉の家は気の毒だよな」
悠太君がそう言うと、榛美さんも、足高さんも、だまってしまう。
「ったく、情けねえ男ばっかりだ。おっさん、すぱっと担いでやれよ」
「そ、それができりゃあおめえ、苦労はねえってんだよおめえ!」
ふむふむ、なるほど、事情がのみこめてきたぞ。
足高さんが懸想する、湖葉さん。
湖葉さんをかつげば、病弱な弟、捧芽くんまで抱え込むことになる。
農作業に出られない男手を抱え込むのは、ちょっと苦しい。
給地の農作物は、ここに集まっておおざっぱなごった煮になっているけれど。
それはそれとして、肩身が狭かったり、周りの目が厳しかったり、いろいろあるのだろう。
そんなところかな。
「おもしれえ話をしてんじゃねえか、お前ら」
そこに、讃歌さんがやってきた。
「こんばんわ、讃歌さん。腰はもう大丈夫なんですか?」
「おう。白神様の作ってくれたメシな、よく効いたぜ。前より具合よくなったぐらいだ。ありがとうな」
「それはよかったです」
「親父な、あれから、オレに昼メシ作らせてるんだぜ。信じられるか?」
「てめえがヒマしてるからだろ、ドラ息子。たまには役に立て」
え、なにそれ、悠太君が讃歌さんのごはん作ってるの?
自炊男子だ。
なんかずるい。
僕も悠太君になんかつくってもらいたい。
なんだろう、このもやもやする気持ち。
「それはともかくよ。足高、てめえ、まだぐだぐだ言ってやがんのか。さっさとかついじまえ。雨の時期だぞ、ぐずぐずしてたら間に合わなくなるっちまうだろ」
「だ、だからってよぉ……お、おれぁおめえ、堅葉の旦那におめえ……」
「うるせえな。そんなこた、どうだっていいんだよ」
堂々めぐりだ。
こればっかりは、本人の気持ち次第だからなあ。
「ちょうどいいや。明日は葛刈りだろ? 足高、手伝ってやれ」
「あ、な、なにっ!? おめえ、おれがおめえ、女の仕事をするってのかよおめえ!」
「仕事に女も男もあるか。田んぼに出なくていいっつってんだ、喜んで行きやがれ、このいくじなしが」
「あ、う、あう……でもよお」
讃歌さんが一喝すると、とたんにちぢこまってしまう足高さん。
「でもじゃねえ、行け。行ってその足でかついで来いってんだよ。ぶっとばされてえのか」
尚もぐずる足高さんに対して、讃歌さんがすごむ。
足高さんは、さらにちぢこまった上、ぷるぷると小刻みにふるえ始めた。
「足高さん、お膳立てしてもらったんだし、行きましょうよ」
声をかけてみたら、足高さんは、やにわにがばっと立ち上がり、
「うわああああああ!」
絶叫すると、榛美さん家を飛び出して、夜の中に消えていってしまった。
「……なんだありゃ」
目を丸くした悠太君が、もっともなことを言った。
「やれやれ、困ったもんだぜ。なんかありゃあ、すぐに逃げ出しやがる」
讃歌さんは、開けっ放しの引き戸をながめながら、頭をかいた。
「そうなんですか? 率先して飛び出してくるイメージがあるんですけど」
ミリシアさんが榛美さんを台所に連れ込んだとき、鎌をにぎりしめ、物騒なことを言っていたし。
僕が領主館に行ったときも、鎌をにぎりしめ、飛び込もうとしてくれたのは、足高さんだ。
「ああ。そういう奴でもあるさ。増水した川で子どもが流されたときも、真っ先に飛び込んでいったりな。
なんつうかなあ……心根は強えんだが、その出しどころがうまくねえんだ」
「不器用なんですねえ」
「不器用なんだ。なかなか、周りにゃあ分かっちゃもらえねえ。
だからよ、葛刈りでも手伝って、ひとつ良いところを見せてやりゃあな。女衆にほめられりゃあ、自信もつくだろうと思うんだがよ」
「葛刈りは女性の仕事なんですね」
「ああ。夏が来る前に、まとめて刈っちまうんだ。ついでに葛布も織るぜ。三日四日は、村中が青臭くってたまらねえのさ」
「そっかあ、もうそんな季節なんですねえ……わたしも行こうかなあ?」
と、扉をしめて戻ってきた榛美さん。
讃歌さんはそれを聞いて、苦笑いをうかべた。
「榛美ちゃんはやめとけ。どう考えても、ろくなことにならねえから」
「えー? なんでですか、讃歌さん」
「転んで泣かれたら、誰が榛美ちゃんをあやすんだ」
「むうう! ころばないし泣かないのに!」
「僕があやしますよ。泣いてるお子さんをどうにかするの、得意なんです」
「康太さんまで! ひどすぎる!」
たしかに、夏の葛は、べらぼうによく茂る。
ちょうどつるも堅くなって、繊維を取り出すのには、いい時期なのだろう。
「讃歌さん、それ、僕も行っていいですか?」
たずねてみると、讃歌さんは、きょとんとした。
「かまわねえけどよ。たいして面白いもんじゃねえぞ」
「絶対に面白いです」
「お、おお……それならそれで、いいんだが」
葛を刈って繊維を取り出し、布にする。
そんなに面白いイベントを、見逃すわけにはいかない。
足高さんの想い人を見る機会でもあるし。
ついでに、葛といえば、あれですよ、あれ。
あれが手に入れば、あれをああして、夏にぴったりのあれができちゃうわけで。
「んふふふふ……」
「俺も分かってきたぜ、悠太。白神様の『ダメな時の顔』って、これのことだろ?」
「ああ。こうなっちまったら、もうどうしようもねえ。好きにさせとけ」
「ちがいますよ! これは、康太さんがかわいいときの顔ですよ!」
「なるほど。こっちもこっちで、ダメなわけだな」
「察しがいいじゃねえか、親父。そういうことだ」
なんとなく、許可はえられたみたいだ。
「じゃあ白神様、悪いが、足高の面倒はたのんだぜ」
「任せてください! おいしいもの作っちゃいますよ!」
「たのしみにしてますね、康太さん!」
「……悠太?」
「オレに助けを求めんなよ」
うわー、明日がすごい楽しみになってきた!
景気付けにもう六杯ぐらい呑んどくか!
して、翌日の朝。
涼しく湿った風が吹き抜ける、ほのかに薄暗い夏の朝。
とおい陽の光は、暑くなる予兆をはらんで、早くも肌にひりひり痛い。
里山の斜面には、給地の女性たちがあつまっていた。
小さな女の子から、妙齢の女性まで、体を動かせる人たち総動員だ。
みんな、なんとなくかたまりになって、大声でおしゃべりしている。
ほとんどは、あそこの家の誰がこうした、彼がどうした、みたいな噂話だ。
僕と足高さんはといえば、女性たちの輪にぜんぜん入っていけず、ちょっと離れた場所に、二人でぼけーっと立っていた。
「足高さん、ほら、足下に、ツチイナゴみたいなのいますよ」
「お、おお……土色だな」
「土色ですね」
「おめえすげえ土色じゃねえかよおめえ」
「すごく土色ですねえ。そろそろ行きますか?」
「いや、そ、おめえ、そりゃあ、おめえ、まだ早いってもんだぞおめえ」
「潮時ってものがありますものね」
「そうだおめえ、潮時ってもんがあるんだおめえ」
実はこのやり取りを、すでに五回ほどくりかえしている。
いつまでたっても、潮が満ちそうにない。
女性陣は、こちらの存在に気づきつつ、がんばって力いっぱい無視している。
だれにとっても、いたたまれない状況だ。
「よし、足高さん、いま潮が満ちました。そういうの僕には分かるんです、いきましょう」
「なっ、だっ、おめえ、だからおめえ、あそこには湖葉がいるんだぞおめえ」
「だから行くんじゃないですか。かっこよく葛を刈って、その勢いでかついじゃいましょうよ」
「あかっ!」
足高さんは、蹴飛ばされたにわとりみたいな声をあげると、
「かっ、かっ、かつっかつぐって、おめえ、かつ、かつ、か、あ」
なんか、こわれてしまった。
「かつっ、かつっ、あ、うわああああああ!」
急速反転して、ものすごいスピードで坂道を駆けくだっていく足高さん。
その姿は、あっという間に見えなくなってしまった。
「おおー……」
あんまりにも速すぎて、止めるひまもなかった。
意外な一面だなあ。
どうしよう、これ。
「ぎゃあああああっ!」
「えっ?」
とほうにくれていると、遠くから足高さんの悲鳴が聞こえてきた。
「は、はなっ、んな、おめえ、はなっ、はなせっ!」
どうやら何かにつかまったらしい。
この辺りに、そこまで危険な野生動物はいなかったと思うんだけど。
どうしようかと考えて、とりあえず、とほうにくれ続けることに決めること、しばし。
「やッてるじゃねェか」
ひょっこり現れたのは、鉄じいさんだ。
足高さんを小脇にかかえ、背負いかごを肩にひっかけている。
「事情はだいたい榛美から聞ィたぜ。足高、てめェ、逃げぐせが出たな」
「ぐへぇ」
鉄じいさんが手をはなすと、足高さんはあごから地面におちた。
「だ、だってよう……おめえ、そりゃあおめえ、おれぁおめえ、怖くてよう……」
地面につっぷしたまま、よわよわしくうめく足高さん。
「うまくいかねぇのもおめえ、う、うまくいっちまうのもおめえ、その、おめえ、怖くてよう……」
「気持ちはすごく分かります」
歳をとるにつれて、何かが変わることに対する恐怖というのは増していくよね。
恋愛や結婚なんていうのは、その最たるものだ。
「同情してンじゃァ世話ァねェや」
鉄じいさんは、鉄色の瞳で僕と足高さんを睨み付けると、鼻を鳴らした。
「ところで、今日はどうしたんですか?」
「おォ。ヒマすぎて、気まぐれの一つも起こしてよ。葛刈り用に、鎌を打ッて来たッてわけさ。おらよ」
「うわっとっと……」
投げ渡された背負いかごの中には、油紙で刃を包んだ、無数の鎌。
木の柄がはめこまれて、使いごこちもよさそうだ。
「鎌ッてェのはすぐダメになりやがるからな。刃が鈍ッたら持って来るよう、女どもに言ッておきな」
「ありがとうございます、鉄じいさん」
「届けるもンは届けたからよ、俺ァ帰るぜ。女どもに渡して来てやンな」
「もう帰っちゃうんですか?」
「ジジィ一人に畏まッてよ、それじゃァ女どもだッて、おもしろくねェだろ。たまの集まりぐらい、おおいに羽根を伸ばさせてやンな。ガキどもだって、布の織り方を覚えなくちゃならねェしよ」
ああ、なるほど。
葛刈りの目的でみんなが集まって、わいわい騒いで。
みんなで葛布を織って。
これは女性たちのお祭りであると同時に、技術継承の場でもあるのか。
「足高よォ、ドワーフが女をどう口説くか、教えてやるぜ。よォく研いだまさかりを用意して女のところに出向くのさ。勝てりゃァ抱けて、負けりゃァ殺される。分かりやすいもンだろォが、えェ?」
「ぐひゃあ!」
鉄じいさんは、足高さんの背中をバンバンたたき、ガハハと笑って、帰っていった。
足高さんの話が、広範囲に知れわたっている。
狭い村ってこわいね。
「それじゃあこの鎌、渡しにいきましょうか」
「こ、康太、おめえ、先に行ってくれよぉ。おれぁおめえ、後からこっそりおめえ、気づかれねえように行くからよぉ」
「気づかれないでどうするんですか。ほら、行きますよ」
「うひゃあっ後生だ、かんべんしてくれぇ!」
ぐずる足高さんの手を引いて、女性たちの輪に、ずんずん歩みよる。
わいわいしゃべっていた女性の一人が、僕たちに気づいて。
とまどった顔で、みんなに声をかけ。
それから、あいまいな表情で、ほほえみかけてきた。
榛美さん家の晩ごはんに集まっているのは、基本的に男性だ。
給地の女性とかかわる機会は、これといってなかった。
向こうにしてもそれは同じで、おまけに僕は白神。
警戒しつつも、悪くは思われたくないと考えつつも、自分からは近寄りたくない。
女性たちはみんな、そんな感じの表情をしていた。
「はいはいっ、ちょっとごめんなさいよ、っと」
そんな中、やけに歯切れのいい声がして。
ちぢこまる女性の輪をかきわけて、僕たちの前に、さっそうと、一人の女性があらわれた。




