糖分の恐怖
さて、まずはたっぷりのお湯ともち米を火にかけて、五分粥をつくろう。
粥をことこと煮立てている間に、発芽小麦の出番だ。
すり鉢にあけて、ひたすらごりごりする。
いつもの『ひとりかふたりの人間がくたびれるまで』式だ。
なめらかな粉になるまで、丹念にすりつぶす。
できあがったお粥は火からおろして、熱をとる。
ほどよくさめたところで、発芽小麦もだいたい具合よくなっているはずだ。
鍋の中のおかゆに、発芽小麦をほうりこむ。
この瞬間が大好きだ。
とろっとしていたお粥が、さっと水っぽくなって。
お米のつぶが、またたき一つの間に、かたちをうしなって。
小麦の香りがふんわりと立ちのぼってきて。
汁を少しなめてみる。
うん、しっかり甘いな。
糖化がはじまっている証拠だ。
発芽小麦には、麹みたいに、でんぷんを糖に変えてくれる成分がふくまれている。
ここから作るのが小麦ビールだけど、まあそれは今後のお楽しみ。
榛美さんがいちばんよろこんでくれるのは、きっと、甘いものだろうから。
魔述でとろ火にしてもらったかまどに鍋をかけ、しばらく様子をみてみる。
指をつっこんでみたけど、保温状態は理想的だ。
あとは数時間ほったらかしにして、粥の中のでんぷんが全て糖分に変わるのを待つだけ。
もしご家庭で作りたいのであれば、炊飯器を使うとはかどるよ。
発芽小麦はなかなか手に入らないけれど、製菓用品店に行けば、『モルトパウダー』なんて名前で、発芽大麦を粉にしたものが売っている。
発芽大麦にも糖化作用はあるからね。
閉鎖式かまどと魔述の相乗効果で生じる最大の利点は、火の番をしなくても済むことだ。
いいだけ柴を放り込んで、あとは仮眠を取っていられる。
というわけで、少しだけおやすみなさい。
目をさませば夕方で、すでに客間はにぎわっていた。
ありゃ、けっこう寝ちゃったな。
「康太さん、おはようございます」
「おはよ、榛美さん」
身を起こして、背中にくっついた砂を払う。
「お鍋、なんだかぬるいですけど、これでいいんですよね?」
「うん、ありがと。見ててくれたの?」
「はい。すごくいい匂いがして、でも、味見したら、あぶらの時みたいにまたわらわれちゃう! って思って、もうたいへんです」
そういって榛美さんはわらった。
いつもの榛美さんだ。
大きくのびをして、立ち上がる。
「もうちょっと待っててね」
「はい」
「味見もがまんしてもらえると助かるかな」
「うううー……してないのに」
むくれる榛美さんのほっぺをひとさし指でつっついて、さあ、もうひとがんばりだ。
鍋の中身をのぞいてみれば、うん、いい感じ。
さらさらした半透明の汁の中に、かつてお米だった、いまやなんだか分からないかけらが、たよりなく浮かんでいる。
てきとうな鍋と、煮沸消毒した、目の粗い葛袋を用意して、と。
葛袋の中に汁の中身をだばっとあけて、あら熱をとったら、ぎゅうぎゅうしぼる。
やけどしないようにね。
あんまりやっきになって絞りすぎると、できあがった水飴にえぐ味がでるので注意だ。
こうして得た汁をどうするかといえば。
なんと、ふたたびとろ火にかけて、長時間煮詰めるのだ。
悠太君だったら皮肉のひとつも飛ばしているところだろう。
糖分というのは、摂氏百六十度を越えるとキャラメル化して色が変わり、百八十度を越えると焦げる。
つまり、がんがん強火にかけてしまえば、ここまでの苦労が水の泡だ。
じっくりゆっくり、焦らずにつくろう。
冬に作るのだったら、ストーブの上においておくのが一番はかどるよ。
木さじでひたすらかきまぜ、温度を均一に保つ。
あくがぽこぽこわいてくるので、丹念にすくう。
もったいないと一瞬でも思ったら、そこで負けだ。
えぐ味のない水飴をつくるために、少々の犠牲はやむをえないと心得よう。
木さじで底に『の』の字を書いて。
それがちょっとの間、かたちをたもつぐらいになれば、ようやく小麦水あめのできあがり。
ああ、たのしかった!
「できあがりですか?」
「うん、わかる?」
うしろから声をかけられて、肩ごしにうなずいた。
「康太さんの体から、ふわーって力がぬけるのがわかったんです」
「ばれたか」
「はい! すぐ分かっちゃいますからね!」
「じゃあ、少しさましたら、味見してみよっか」
榛美さんは、首が取れちゃうんじゃないかってぐらいすごい勢いで、なんどもうなずいた。
木匙にすくった水あめは、冷えてとろりとしたあんばい。
まずは一口、なめてみる。
舌に触れた、その一瞬で脳がほどけるかと思った。
指先がつめたくなって、全身がしびれて、頭がくらくらする。
なんだこれ。
甘味ってやばい感覚なんじゃないかこれ。
「うああああ……」
榛美さんは、木匙をくわえたまま、へたりこんでいた。
「な、なん、な、これ、ああああ……」
上体がたおれて、おしりをつきだした四つんばいの恰好に。
「うわ、う、ふわああ……」
ほっぺをおさえて、土間の砂の上で、のたうちまわりはじめた榛美さん。
気がむけばコンビニでチョコを買える現代日本と、甘味が一切存在しない踏鞴家給地。
その差が、リアクションに出た。
「も、もっとください!」
木匙をこっちに向かって突き出す榛美さんは、砂まみれで、鬼気迫る表情。
「ほどほどにね」
「はい! いただきますうああああああ!」
げにおそろしきは糖分かな。
「なんかもうなんか……康太さん、これはもうなんか……」
「口の中、さっぱりしたもので洗い流そうか」
ここで登場、例の瓶。
「あ、それって」
「うん、松切り番さんから、いただいたものだよ」
「……あの人のこと、たすけようとしていたんですよね」
「失敗しちゃったけどね」
結局のところ松切り番さんは、領主館を選んだ。
どうしてなのかは、分からない。
『のらくろども』と月句を、てんびんにかけたのか。
月句が、父親だからなのか。
答えを知るためには、もう一度、月句と対決しなければならないだろう。
僕にそれができるのか、今はなにも思いつかないけれど。
「いただいてみようか」
「はい。で、でもその……これ、なんですか?」
榛美さんが、けげんな瞳を瓶に向ける。
なんとなく黄ばんだ液体の中、松の葉がぎゅうぎゅうにつめられて、見た目は不気味だ。
「松葉サイダーだよ。なかなかおいしいんだ」
松葉を瓶にぎゅうぎゅう詰めて、砂糖水を注ぎ、放っておく。
そうすると、松葉に住んでいる酵母が砂糖を分解し、二酸化炭素を吐き出す。
うまく二酸化炭素を水中にとらえてやれば、サイダーの完成。
ご家庭でやる際は、炭酸飲料のペットボトルを使うとはかどるよ。
爆発には注意だ。
それにしても、あらためて手に取ったこの瓶。
よく見ると、スクリューキャップがついてるぞ。
というか、あきらかに一升瓶だ。
松切り番さん、これをどこから手に入れたんだろう。
キャップをはずして、コップに注いで。
「……いただきます」
「わひゃあ!」
「えっ?」
榛美さんが、びっくりした猫みたいに、目をみひらいている。
視線の先には、手元のコップ。
「な、なんか、ぴりっとしました……若いお酒みたいです」
「ああ、よく発酵しているんだね」
どれ、こっちも一口。
うん、松葉の香りがしっかり移って、この複雑な甘みは、花の蜜からか。
酸味と、弱炭酸のぴりっとした刺激。
まちがいなく、サイダーの風味だった。
養蜂をしていない給地で、花蜜をあつめるのに、どれだけの手間がかかっただろう。
松切り番さんは、ひとりで飲むために、松葉サイダーを作ったんだろうか?
それとも、だれかのために?
「これ、なれたらすごくおいしいです! ぴりぴりするのがたのしいです!」
無邪気によろこぶ榛美さんを見て、ほほえみが浮かんでくる。
松切り番さんの作ったもので、こんな風に、よろこんでくれる人がいる。
そのことを、知ってもらいたい。
松葉サイダーを味わいながら、僕は、あらためて自分の気持ちを確認した。




