フロアモルテッド
それはなんというか、あまりにもジャストインタイムな目覚めだった。
ちょっとわざとなのかとうたがったぐらいだ。
「んんん……?」
口をくにゅくにゅさせながら、しょぼしょぼした目で、きょろきょろする榛美さん。
僕たちの間に、先ほどとはまったく別の意味で緊張が走った。
ねぼけたエルフの娘さんがどう動くのか、まったく想定できない。
ふたたびの絶句が客間を包み込む。
榛美さんは集まった人たちを順ぐりに見回したあと、真横の僕に目をとめて。
「ん!」
ちょっと強い語調でうなると、その辺の床を両手でぽんぽんたたいた。
「ええと?」
「ん!」
わからないよ榛美さん。
「んー……!」
榛美さんはもぞもぞとうごいて、僕の胸を両手でぐいぐい押してきた。
ぐいぐいに、なんとなく『はやく横になれよこのうすのろ』みたいな含意を感じたので、すなおにあおむけになってみたら。
「えへへ……康太さんですね。おやすみなさい」
僕の腕をひっぱって枕にすると、ふたたび眠りこんでしまった。
僕たちはみたび絶句した。
「……ものが違うわ」
悠太君がしみじみと言う。
まったくその通りだと思う。
あと、はやくも僕の腕が湿ってきたよ榛美さん。
「んじゃオレ、帰るから。親父も、もういいだろ」
「あ、ああ……それじゃあ、その。白神様、しっかり休んでくれよな」
「はい、そうさせてもらいます」
立ち上がった悠太君に続いて、村人たちもぞろぞろと帰っていく。
榛美さんの、すべてをぶち壊す力はおそろしい。
そのことをあらためて認識させられた。
客間には、困ったようにわらう、鉄じいさんだけが残った。
「すげェもンだな、榛美は」
「ほんとに、そう思います。そういえば、お二人はどうしてこんなに早く戻ってきたんですか?」
領主館での大立ち回りは、ふたりが旅だってから五日後のこと。
たしか、買い出しには十日ぐらいかかるって話だった気がする。
「あァ、榛美の夜泣きが止まらねェでな」
「夜泣きですか」
「夜泣きだ」
三歳児か。
「あンまりにひでェからよ。周りにも迷惑だッてンで、戻ってきた。土産なンざ初ッぱなに買うから悪ィってンだよ」
「おみやげ?」
「あァ、とびきりの土産を見つけてな。はやく渡してェだの、きっと喜ンでくれるだの、そりゃァ大はしゃぎだッたぜ。そのせいで、里心がついちまッたンだろォよ」
そのおかげで、僕の命がすくわれた、というわけか。
「ありがと、榛美さん」
ねむっている榛美さんに声をかける。
榛美さんは「ふにゃ……?」とか言ったあと、薄目をあけた。
「康太さんの声ですか?」
「ごめん、起こしちゃったね」
「ううん、いいです。あ、そうだ!」
やにわに立ち上がる榛美さん。
「あのね、康太さん、買い物しておいでって言ったじゃないですか。だからわたし、買ってきたんです。なにがいいかなって思ったんですけど、やっぱり、わたしだけじゃなくて、康太さんもよろこぶものがいいなって」
いきなり元気いっぱいで、しゃべりながら外に飛び出し。
引きずってきたのは、籐編みの長持だった。
おみやげって、僕へのものだったのか。
自分の好きなものを買ってくればいいのに。
榛美さんのきもちが、うれしくて、なんだかむずがゆい。
「これですよ! あのね、康太さんが言ってたこと思い出して、それでこれにするしかないっておもったんです! この箱もすごくすてきですよね、康太さん!」
「うん、籐編みっていいよね。僕も籐編みの旅行かばんを使ってたよ」
「やっぱり! 康太さんもすてきだなって思ってくれるって、みたときすぐ分かっちゃいましたからね!」
ぱかっと長持のふたをあける榛美さん。
その表情が、急転直下、満面の笑顔からものすごくしょっぱい表情になった。
「榛美さん?」
立ち上がった榛美さんは、おぼつかない足取りで台所に向かうと、火打ち石を両手にもどってきた。
長持のふたをあけて、何をするかと思えば。
火打ち石をかんかんやって、火口めがけて火花を散らしながら。
「炎よ、炎……」
お土産を、長持ごと焼きつくそうとしはじめた。
「うわ、待って待って! なに、どうしたの!」
あわてて駆け寄り、長持の中をのぞいてみると。
「……もやし?」
小ぶりのもやしみたいな物体が、大量に、ぐったりしていた。
「雨に打たれて芽が出やがッたか」
鉄じいさんが、僕の肩越しに長持の中身をのぞきこんだ。
「言ったろォがよ、適当な袋に詰めとけッて。見た目なンざ気にするからこうなるんだ」
鉄じいさんのお叱りを、聞いているのかいないのか、榛美さんは死んだような目をしている。
「榛美さん、ありがとう。今日はおいしい炒め物つくるね」
もやしか。
これはうれしい。
腐乳と味噌と酒で調味料をつくって、さっと炒めてあてにしたらですよ。
もうどれだけお酒のめるんだって話ですよ。
「……てめェも大したもンだぜ、白神」
「え? なにがですか?」
なんか皮肉をいわれながら、もやしをつまみあげてみて。
「あれ? もやしじゃない?」
先端が、なんていうかこう、もみがらっぽくて、これは、その……
「麦?」
「……小麦です」
死にたての死体みたいな声で、榛美さんが言った。
「あの、康太さんがまえに、パンを作れるって言っていて、そのときの康太さんが、すごく、たのしそうな顔だったから……
だから、康太さんに買ってきてあげたら、よろこんでくれるかなって……」
ぐったりとうなだれた榛美さんの瞳に、涙が浮かぶ。
「そ、それで、すごくすてきな、このかごを見つけて、こっ、これに、入れたいなって……だってすごくすてきで、康太さんにも、すてきだなって、思ってほしくて……」
榛美さんはぐずぐずと鼻をすすりだした。
「ご、ごめんなさい。わたし、ばかでした。いつもこうです。ちゃんとしたいのに、いつもまちがえちゃって……」
榛美さんの半泣きが、本泣きに切り替わりつつあった、そのとき。
ぱちーん、と、やけに景気のいい音がなった。
榛美さんと鉄じいさんが目を丸くした。
つまり、消去法でいって、景気のいい音は僕がならしたものだ。
「こ、康太さん……? な、なんで、自分のほっぺをたたいたんですか?」
口はんびらきの榛美さんが、もっともなことをたずねる。
「いやあ、ちょっとね」
あぶなかった。
今のはあぶない瞬間でしたよかなり。
うれしすぎて、榛美さんを抱きしめるところだった。
ほっぺをひっぱたくという決断を下した、自分の状況判断力をほめてあげたい。
僕と榛美さんが、おんなじことを思っていた。
パンを作る、だなんて、なんでもないことを。
はなれた場所で、おんなじことを思っていた。
「あのね、僕も同じことを思っていたんだ。
榛美さんに、パンをつくってあげたいなって」
鼻をすすりながら、榛美さんが僕をみる。
信じたいけれど、信じきれない、そんな顔をして。
「…………ほんとに?」
「本当だよ。まあその、だから今、こんな風に満身創痍なんだけどね」
天然酵母を得るため、松林に向かったてんまつを話すと。
「康太さん……」
榛美さんが、低い声で僕の名前を呼んだ。
これは怒られても仕方ない。
「ごめん。もう少し考えて動くべき」
「ごめんなさい!」
言葉をさえぎる勢いで、榛美さんがさけんだ。
右耳がしばらく使い物にならないぐらいの大声だった。
「ごめんなさい! わたしのせいです! わたしのせいで、こ、康太さ……ふ、ふぐっ、ふええええええぇ……」
「待って、榛美さんはなんにも悪くないよ。僕が勝手にやらかしたんだから」
「ちがっ、ちっ、ちがいます! わたし、だって、わたしが、いっしょに、ほんとは一緒に行きたかったのに!」
めちゃくちゃに泣きはじめてしまったので、鉄じいさんに、視線で助けを求める。
「あー……まァ、なンだ。女の気持ちなンざ、ジジィの口から聞くようなもンじゃねェたァ思うがな」
「そこをなんとか」
「ふぶぇ、ひぐっ、ふぐぅううう……!」
見ての通り、榛美さんは赤ちゃんぐらい全力で泣いてるし、事情がわからなければ慰めようもない。
「……都市の女を、てめェに見せたくねェんだとさ」
「へ?」
あまりにも意味がわからない。
「だ、だって、み、み、ミリシアさんが、みり、み、ふぶっ、ひっく、ぶええええ!」
「え、なんでミリシアさんがそこで出てくるの?」
「き、きれいな、ひっく、きれいな服で、いい、匂い、がして、わ、わたしと、ぜんっ、ぜんぜんちがっ、ふくっ、ひっく、ひっく」
しゃっくり出てきちゃった。
「白神よォ、てめェもまったく、たいがいだぜ。これ以上、誰の口から言わせるつもりだよ、えェ?」
「…………あ!」
納得するのと、ほぼ同時。
今度は、ご自慢の状況判断力もまるで役に立たず。
僕は衝動的に、榛美さんを抱きしめていた。
「ふぇ? わ、あ……えっ? えっ?」
「えっ?」
「ち、ちっ、ちかい! 康太さんがちかい!」
「えっ? うわあ榛美さんが近い!」
「康太さんがちかい!」
「うわあああごめん!」
あわてて飛び退いたら足をすべらせ、後ろざまにぐるっと一回転してしまう。
首筋が死ぬほどいたい。
「わあああ康太さんだいじょうぶですか!」
「うわあ榛美さんが近い!」
「えっ? うわあああ康太さんがちかい!」
「……何やッてやがるンだ、てめェらは」
鉄じいさんのあきれ声で、ようやく、われにかえり、一気にあおざめた。
なにをしているんだ僕は。
頭でもおかしくなったのか。
「ご、ごめん、榛美さん」
「あ、い、いえ、その、だ、だいじょうぶです」
沈黙がべらぼうに気まずい。
「俺ァ帰るぜ。あとは好きにやンな」
頭をがしがしとかいた鉄じいさんが、立ち上がり。
「え、ちょっと待ってください」
僕と榛美さんの声が、完全にぴったり重なって。
「好きにやンのがはやすぎるンじゃねェか?」
強烈な皮肉をくらってしまった。
「てめェら見てたら、全部がばかみてェに思えて来たぜ。
……ありがとな」
鉄じいさんはちいさな声でそう言うと、やけにまぶしい朝日の中、しゃんと背を伸ばして歩いていった。
そして、取り残される気まずいふたり。
「康太さん、その」
「榛美さん、あの」
「あ、ごめんなさい! なんですか、康太さん」
「いや、ええと……」
まさか、ありえない。
僕に限ってありえないし、そんな資格もない。
見目うるわしいエルフの娘さんは、おがむぐらいの距離感でいないと。
よし、もう一発いっとくか。
「うわあ康太さんがまた自分をたたいた! なんなんですかそれ!」
「ああ、これは僕の故郷のなんかでね、そういうなんかがあるんだよ。
もう大丈夫だから安心して。それで、榛美さんはなにを言いかけたの?」
うん、だいぶ邪念が消えた。
顎関節症まったなしだけど。
「あ、あの、その……こ、小麦は……」
ものすごく切り出しにくそうに、ぼそぼそとつぶやく榛美さん。
よほど引っかかっているんだなあ。
すごくうれしかったのに。
「あのね、榛美さん、僕がなんのために料理好きなのか、わかる?」
「ふにゃ」
榛美さんの頭をなでながら、立ち上がる。
「発芽した小麦で、すごくおいしいものを作るためなんだよ」
長持の中のもやしを一すくい、手にとってながめる。
うん、ちょうどいい発芽具合だ。
適度な水気とくらやみのおかげで、フロアモルテッド法による発芽みたいなことになってる。
ここからパンやお菓子をつくるのは、不可能だろうけれど。
「すごくおいしい……? どういうものですか?」
さっそく口はんびらきになってるよ榛美さん。
「それはできてのお楽しみ。ちょっと時間がかかるから、榛美さんは寝てていいよ。
ああ、かまどをとろ火にしておいてくれると助かるかな」
「はい。それは、もちろんですけど」
なんとなく釈然としない表情で、かまどの炎に魔述をかけてくれる榛美さん。
読んでてよかった『斉民要術』。
つくっちゃいますよ、小麦水飴。




