踏鞴家給地のいまむかし
“中つ国諸国”による十字軍遠征は、“魔王領”の焦土作戦によって、あまりにもみじめな失敗に終わった。
彼らが『取り返した』のは、砂漠のふちにあるちっぽけな村が一つで、それすら、魔王領の徹底的な破壊によって単なる焼跡と化していたからだ。
それだけに、すばらしい働きをしたものに対しては、恩賞をあたえなければならなかった。
ずたぼろに敗北した上、うしなったものへの補償さえないとくれば、次にはじまるのは内戦だ。
ひとりのドワーフがいた。
辺境から王都にやって来たドワーフは、魔述の才を認められ、カイフェ王家専属の刀鍛冶となっていた。
彼の鍛えた剣は、百の鎧を貫き、千の肉を削ぎ、万の骨を割り、それでも刃こぼれ一つしなかった。
その功績を称えられ、踏鞴の姓を与えられたドワーフ。
今は鉄じいさんを名乗る、踏鞴賽なる若きドワーフ。
彼にも、恩賞が与えられた。
それはカイフェの対外政策だった。
よき働きをした者には必ず報いる、カイフェはそれだけの国力を保持している、そういうアピールだった。
実際のところ賽が手に入れたのは、山間にある、エルフの村の跡地でしかなかったのだから。
◇
「それがまァ、百年も前のことよ。
なんもねェ場所だったぜ。木と河と坂道と岩くればっかりでなァ。
畑一枚起こすのに、どンだけ苦労させられたか……」
悪態をつく鉄じいさんの目は、けれど、なつかしげに細められている。
この場所も、鉄じいさんにとって、また、郷なんだろう。
そういう風におもわせる表情だった。
◇
多くのエルフは、寒さに耐えかね南下し、姿を消していた。
賽と領民は、わずかに残っていたエルフたちと手に手を取りあい、村の開拓を進めていった。
もち種の米と黒豆はエルフからの授かりもので、これによって領民は生き延びた。
踏鞴家給地の誕生から二十年もしたころ、賽と、火稟なるエルフの女性が契りを結び、子をもうけた。
月句という名は、いかにも森に住まうエルフらしい詩情だ。
踏鞴月句は祝福のうちに生まれ、愛されて育った。
(ここで少し注釈がある。
鉄じいさんは『百年前』を『大昔』ぐらいの意味でつかっているけれど、のちのち、実際に踏鞴家が封じられたのは百五十年前だったことが発覚した。
つまり、踏鞴月句は御年百三十歳ということになる。
うひゃあ、だね。
カイフェ王家の資料収蔵室でひどい目にあった話については、いずれ語る機会があれば)
火稟は賽に、エルフの宝物のありかを語った。
その土地のエルフの言葉で『淡雪』と呼ばれる、とある木からなる林だった。
新芽は目を奪われるような赤紫。
初夏に萌黄色の小さく可憐な花をつけ、陽が長くなると、その花が更に咲いた。
◇
「更に咲く、ですか?」
「あァ。なんてェ喩えたもンかな……白くて、ふわふわとして、そう、カピバラの尻尾に似てるッちゃァ似てたなァ……」
想像がつかない。
「秋になりゃァ、淡雪林はそりゃァ見事な紅葉よ。澄んだ紫色の葉が風にそよいで……その頃は、この辺りにも雪が降ったもンさ。
紫色の葉に、早い初雪が積もりゃァ、なんともきれいで、この世のもンたァ思えねェ光景だったぜ。
かみさんと月句の手を引ィて、雪見酒としゃれこンだもンさ。思えば、あれが俺の人生、一番の時だッたなァ……
けどよ、『淡雪』の価値ってェのは、それだけじゃァなかった。
そのことに気付いちまったのが、全部の間違いの元さ」
鉄じいさんの話を聞くに、『淡雪』は、産業植物だったらしい。
葉から採れる液体と鉄をあわせれば、インクになって。
幹からは、染料が採れて。
それが給地にどういう結果をもたらしたかといえば。
「その頃、海向こうの王国でちょうど大流行だッた、黄土色の染料さ。
『淡雪』から採れた染料は、給地にとンでもねェ富をもたらしやがッた。
インクもそうさ。くっきりして消えねェってンで、ばかみてェに売れたもんだ」
黄土色の染料。
おそらくは、タンニンと硫酸鉄でつくる没食子インク。
これらが作れて、花が特徴的だとすれば。
「…………スモークツリーか」
スモークツリーはウルシ科の植物で、温帯だったらそれほど場所を選ばず育ってくれる。
そういえば、月句が着ていたぼろぼろの服も、黄土色に染められていた。
『淡雪』の正体は、スモークツリーでまちがいないだろう。
◇
踏鞴家給地は、淡雪のもたらす富によって栄えた。
畑がつぶされ、目抜き通りが整備され、商人が訪れ、季節労働者を大量に迎えいれた。
川向うはおおいににぎわった。
◇
「ちょうどその頃さ。それまで沼のほとりにあッた領主館を、川向うに移したのはな」
「沼のほとり?」
「あァ。俺の住んでるあのこぎたねェ掘っ建て小屋さ。何しろこっちに移り住んだ時は、金もねェ、金を作る余地もねェでな。使えそうな土地はみンな田畑にしちまッたンで、領主の住む家をあンな場所に建てるしかなかった」
鉄じいさんは、ため息をついて、あごひげをしごいた。
「なンもねェ場所でなァ……かみさんにも月句にも苦労をさせちまッた。だからなンだろうなァ。俺も人の親で、息子に楽をさせてェ一心でよ」
苦々しげな顔をして、鉄じいさんは、語りつづける。
◇
踏鞴家給地の跡取り息子、一粒種の踏鞴月句が、やがて、成人し。
輿入れの話は、ひきもきらず。
カイフェ王都に本邸を置く、家柄よき貴族の娘が給地にやってきた。
水雉と月句がちぎりを結び。
それがちょうど百年前、踏鞴家給地の全盛期。
「俺もかみさんも、そりゃァ喜んだもンさ。王都の貴族と結ばれりゃァ、踏鞴家の将来も安泰だ。いずれは王都にでっけェ屋敷を抱えて、土地なンぞ誰かに任せてよ。ややっこしくて意味のねェ社交界なンざに関わっていくもンかと、甘い夢を見ちまった」
初代領主は引退し、余暇を鉄打ちにはげみ。
月句は王都と給地を忙しく往復し、人脈づくりと政治にあけくれ。
月句と水雉の間に生まれたうるわしい男の子は、綸路と名付けられ。
なにもかも、全てがうまくいくかと思われた。
けれど賽の家柄にはもちろんのこと由緒なく、政治のことなど知らぬ鉄打ち。
その息子にも、教育など施されているわけはなくて。
それがそもそも、悲劇のはじまりだった。
◇
「白神よ。てめェの世界では、姦通ってのはどの程度の不面目なンだ?」
「えっ? あ、ええと」
なんだ、だしぬけに。
「場所によりますけど、僕の住んでいたあたりでは、離婚調停……なんて言ったらいいかなあ。婚姻関係を解消して、姦通した側がお金を払うのが一般的でしょうか」
「そりゃァまた、寛大なこッたな。カイフェの流儀じゃ、姦通ッてのは夫の恥よ」
「ということは、つまり」
「あァ、やられちまッたのさ。水雉、由緒正しき家柄の娘は、そのために送り込まれたンだ。
あいつらにしてみりゃァ、ばかでけェ武器を担いだろくでなしどもが、ばか面下げて押し寄せてくるよりャあ、平和なやり口ッてことさ」
鉄じいさんは皮肉っぽく言って、神経質でかわいた笑い声をあげた。
◇
月句はその場面を見てしまったのだという。
あるいは、水雉が見せつけたのか。
ふたつの肉が、自らの寝床で絡み合っている、そのさま。
夜ごとに触れたその膚が、夜ごとに愛したその熱が、知らぬ男にむさぼられている、そのさま。
水雉は、給地に打たれた、くさびだった。
カイフェの社交界において、寝取られ夫の政治的な地位はないも同然。
人脈が断ち切られ、派閥から放り出され、たったひとり孤立すれば、たやすく食い物にされる。
ありもしない罪を着せられ、因縁をつけられ、難癖をとばされ、やがては領地を巻き上げられる。
そのような絵図が描かれていたし、そのことに気づくだけの政治的才覚など、給地の誰も持ち合わせてはいなかった。
「飢えてる時はだァれも手を差し伸べねェで、肥えてる時は誰もが手を伸ばしてきやがる。それが金持ちの倫理ッてやつよ。
俺ァ馬鹿だった。なンにもしらねェで、のぼせあがって、このざまさ」
鉄じいさんは肩を落として、首を横に振った。
◇
たかだか染料とインクを得るために、実の娘を犠牲にする。
それは狂気じみた富への執着といえよう。
狂気に対して、月句はいかに応じたか。
――彼もまた、狂気に身を浸すことで。
再び、月句と水雉と間男の場面に立ち戻ろう。
月句は、先ほど昼食に鶏のあぶり焼きをばらしたばかりで、未だに脂したたるナイフを抜くが早いか、間男を速やかに刺し殺した。
そして、水雉を抱きしめた。
強く強く抱きしめて、彼女の両足の腱を、左右まとめて両断した。
鶏の脂と間男の血と妻の血を滴らせたナイフを手に、寝室を出ると。
月句は、水雉の家につらなる者を皆殺しにしてまわった。
一人残さず、徹底的に殺し尽くした。
月句が何を思いそうしたのかは、まったくのところ、誰にも理解できない。
あるいは、頼れる者を奪い去れば、水雉の目が自分に向くとでも思ったか。
しかしながら、社交界における地位を維持せんとの意図があったとすれば、これ以外の方法はなかっただろう。
姦通の事実は誰からも漏らされず、水雉の家につらなる者は、みな、はやり病で死んだことにする。
水雉も病に伏せっており、当分のこと、外出はできぬ。
そのように、事態は動いた。
(再びここで注釈を。
この悲劇的なでたらめがいかにしてまかり通ったのか、疑問を持たれる方は少なくないだろう。
しかし事実として通ってしまったのだし、それにはれっきとした理由がある。
踏鞴家給地には、劇症化すれば死にも至るような風土病が存在した。
よそから来た人間がばたばた死ぬのは、それほどおかしいことでもなかった、ということだ。
風土病に関しては、のちのち詳しく語る機会があると思うので、注釈はこれぐらいで)
月句は、歩くことのできなくなった水雉の傍らに侍った。
誰か近寄ろうものなら、狂犬のように吠え、わめき、ナイフを振り回した。
血を分けた息子たる綸路に対してすら、痩せ犬の目つきを向けた。
眠らず、食わず、水雉に寄り添い続けた。
水雉もまた、眠れず、食えず、月句の傍らにとらわれ続けた。
やがて二人の衰え方は、まるで対を為すかのよう。
痩せて縮んで枯れ木のように、ただ朽ちるのを待つばかり。
賽にも火稟にも、我が子の狂気をなだめる術はなく。
ただ遠くから、朽ち木となるべく定められた息子と娘を眺めるのみ。
そんな日々が一年も続き、転機はしかし、あっけなく訪れた。
ある日、賽が領主館の広間で見つけたのは、ぼろぼろのローブを裸身にまとい、昏倒している月句の姿。
目覚めた月句が語ったのは、驚くべきかな、綸路が月句を打ち倒し、水雉をさらって給地を逃げた、との事実。
オイディプスのように父を殺し母を奪い、その後、綸路の行方は、ようとして知れない。
息子に殺された――精神を、魂を、命の拠所を殺された――父は、全てをはぎ取られ、ぶざまに取り残された。
虚脱した月句にかわって、賽が再び立ち上がった。
水雉が実家に戻らなかったことを確認し、訃報を打つ。
『療養むなしく水雉は落命し、遺体はドワーフ流に炉で荼毘に付し云々――』
月句が社交界で得た知己のあちらこちらに、牽制の文を飛ばす。
『水雉の後を追うように綸路も倒れ、月句もまた心労著しく政務遅滞の状況なれば、前領主たる賽が領主代理として給地を治め云々――』
その働きによってか、あるいは王家の、かつて専属刀鍛冶であった賽に対する温情か。
踏鞴家給地は奪われることなく、過去最悪の時代を乗り切った。
綸路の失踪から半年もした頃、ある涼しい秋の朝、月句は政務に復帰した。
賽に対して、もうろくジジイは鉄でも打っていろ、と、悪態をつく元気さえ戻っていた。
色々ありはしたけれど、いまや全ては過去のこと。
いくらでもやり直せるものだと、賽も火稟も安堵した。
賽と火稟は沼のほとりの旧領主館に戻って、ふたりの暮らしをはじめた。
鉄を打ち、かまどに立ち、気が向けば鍛造した剣や鋳造した鍋を商った。
ようやく人生におとずれた平穏な日々を賽と火稟は楽しんだ。
だから、見落としたというより、目を背けていたのだろう。
領地経営に復帰した月句は、賽と火稟が表舞台から去るなり、これまでのやり方を全て変えた。
税が現金で徴収されるようになった。
どこからともなく、ちんぴらまがいの手下を連れた徴税請負人があらわれ、四つ角に、辻に、のさばった。
淡雪による染料とインク事業を、急拡大した。
運悪く給地を訪れた季節労働者は、ほとんど奴隷同然の扱いを受けた。
逃亡は許されず、徴税請負人の手下に働きぶりを監視され、日が昇る前から日が暮れた後まで働かされた。
これに怒りをぶつけたのが、今や数少ないエルフたちであった。
エルフたちとて焼畑農法を知る身の上、事業が持続可能なものでさえあれば、むしろ間伐や世話の手間が省けるものだと、歓迎の意があった。
これまで染料事業に口を出さなかったのは、そのためだ。
しかし、月句のやり方を放置すれば、エルフの宝たる淡雪は、わずかな時間で死に絶えてしまう。
看過できるような問題ではない。
エルフたちは旧領主館に押し掛け、賽と火稟に、そう訴えた。
誰が本当に悪いと言えるのか、公平に判断できる場は、今やどこにも存在しない。
踏鞴家給地を奪わんとした、水雉か、水雉の家か。
狂気に身を浸すことを選んだ月句か。
見て見ぬふりを選んでしまった賽か。
淡雪が滅ぶ手前まで何もしなかったエルフたちか。
とにかくその日、それが起こった。
領主自ら淡雪の幹にナイフを打ち込む、その背中に、賽と火稟が声をかける。
賽と月句の、最後の話し合いがはじまる。
月句のもくろみとは、かきあつめた現金にて私兵を雇い、他の給地を侵略すること。
踏鞴家給地がもっと豊かで、もっと広ければ、水雉が他の男に奪われるようなこともなかった。
豊かな給地からはその豊かさを、広き給地からはその広さを。
むしりとり、奪い去り、そうして強くなった踏鞴家給地に、水雉と綸路は必ず戻ってくる。
月句の壊れた精神を支配する、それこそ、あまりにも分の悪い希望だった。
そして月句は、心底から自分の言葉を信じていた。
口論が激化して、月句がナイフの切っ先を賽に向ける。
応じて賽は、手斧を振り上げる。
斬るしかない、と、賽は感じていた。
とうに自分の息子は、引き返せない場所まで来ていた。
このまま災厄を振りまき、周囲の人間全てを際限なく不幸にするのであれば。
化け物を産み落としてしまった責任は、自分で取らねばなるまい。
賽が手斧を振りかぶり、月句は目を見開く。
幼子が、生まれてはじめて裏切られ、泣くことすら忘れ、呆けている。
月句は、そういう表情をした。
そのとき、早い初雪が降りはじめたのだという。
美しく紅葉した淡雪の葉に、雪の結晶が落ちかかるさまを、賽は、見てしまったのだという。
それは、火稟と月句の手を引いて眺めた、あの光景そのままで。
賽の手は止まった。
一方で、月句の腕は動いていた。
ナイフはまっすぐ、賽の喉をめがけていた。
賽とナイフの間に、火稟が割って入った。
月句のナイフは、エルフの細く白い喉を掻き裂いた。
火稟は血泡を吐きながら、縦に裂けたおとがいを反らした。
噴き上がる血が、なまぬるい雨のように降り注いだ。
血塗れの月句が逆上に吠え、ナイフを振り回した。
賽は、腕と胸を数カ所切り裂かれるまで、なにもせず、その場に突っ立っていた。
それから我に返ると、みじめったらしくうめきながら、旧領主館まで逃げ延びた。
その後の給地に何が起きたか。
染料事業は、需給バランスの崩壊によって、大きく値崩れした。
値下がり分を補填しようと更に生産速度を上げた結果、淡雪は、あっという間もなく全滅した。
丸裸になった斜面からは土壌が失われ、やがて、どこからともなくやってきた松が茂った。
エルフたちは一人残らず土地を去っていった。
川向うの人々は姿を消し、季節労働者も寄りつかなくなった。
徴税請負人たちですら、さっさと姿をくらました。
他の給地を征服するという月句の野望は、あまりにもあっけなく頓挫した。
産業を失い、交易網からはじき出された給地に、食指をのばすものは二度と現れず。
領主は経営を放棄して、日がな領主館にて呆け。
やがて、村一番の古老でさえも悲劇の記憶を持たぬような、長い長い時が流れ。
今に至る道筋は、このようにして、給地に刻まれた。
◇
「踏鞴家給地のいまむかし、ッてやつさ」
そんな言葉でしめくくられた、鉄じいさんの長い話がおわったとき、空はもう白みはじめていた。
誰も口をひらけず、絶句してしまう。
給地に封じ込められていた歴史は、僕たちを、やりきれないほどむなしい気持ちにさせていた。
うつむいた鉄じいさんが、両手で目をおおい、長い息を吐く。
突然しぼんでしまったみたいに、弱々しい姿だった。
「言ったろ。つまらねェ話さ」
「鉄じいさん……ああ、いや、前領主様」
讃歌さんが口をひらく。
「なんだってあなたは、ここに留まってくれたんですか?」
「……まァ、罪滅ぼし、なンだろうよ。手前ェをいじめてみたところで、誰が報われるッてわけでもねェけどな」
凄惨な記憶とともに、一人きりで百年もの時を過ごす。
それがどんな体験なのか、想像もできない。
やけに焦燥感をかきたてる朝日が、格子戸のすきまから差し込んできて。
次になにをしたらいいのか分からず、いやな緊張感のある沈黙がおとずれたその時。
「ふわぁああああ……」
大あくびとともに、榛美さんがめざめてしまった。




