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【コミカライズ配信中】康太の異世界ごはん  作者: 6k7g/中野在太
第四章 踏鞴の一統

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踏鞴の一統

8/6更新 4/5

 顔や腕には、無数のあざや擦り傷。

 やぶれた皮膚から、とろとろと流れる、どすぐろい静脈の血。


 僕の血じゃない。

 床を染めているのは、松切り番さんの血だ。


「どうして? あ、ちがう、消毒……水、そうだ、蒸留酒が……!」


 まずい、混乱してる。

 置かれた状況となすべきことの順序が、ぐちゃぐちゃになっている。


 感染症という単語が、頭をぐるぐる回っている。

 医者すらいないこの村で、傷口から細菌が入りこめば、死に至るまではあっという間だ。

 蒸留酒をもってこないと。

 度数は高くないけれど、ないよりはましだろう。


「た、踏鞴様には、松切り番は、いわなかったのよ……」


 松切り番さんは、走り出そうとした僕の足に指をかけて、うめき声をあげる。


「なんですか? そんなことより、消毒しないと!」

「踏鞴様は、ひどく、怒ったのよ……唐揚げを見て、ひどく、ひどく……カイフェのものではないと、怒ったのよ……

 かまどの炙りでつくらない料理は、カイフェのものではないと……

 だから、松切り番は、いわなかった……白神がつくったと、言えば、白神が怒られるとおもったから……」


 膝から力が抜けて、そのまま、へたりこんでしまった。

 はやく体を動かして、村に戻って、蒸留酒を取ってこなければならないのに。

 圧倒的な事実にうちのめされて、僕は、動けなくなってしまった。


「すまない、白神、すまない……松切り番のせいよ。松切り番が、白神を、巻き込んでしまったのよ……」


 ちがう。

 ちがう、そうじゃない、これは、僕のせいだ。

 こうなったのは、すべて、僕のせいだ。


 イギリスで二十世紀初頭まで開放式のかまどが使われていた理由。

 木材が豊富だから、だけじゃない。

 その頃にはコークスだってガスだって存在していた。

 開放式かまどに向けられていたのは、一種の信仰だ。

 炙り以外の調理で美味しく仕上げることはできないという、信仰。


 何事につけ、カイフェ式にこだわる領主。

 その信仰を、僕は、踏みにじった。


 松切り番さんから話を聞いただけで、分かった気になって。

 なにかできるかもしれないなんて、付け上がって、踏み込んで。

 そして、白神だからというだけの理由で、許された。


 カイフェの様式と天秤にかけて、白神の方が重かった、それだけの理由で。

 許されるどころか、歓迎すらされた。

 その影で、松切り番さんが、罰を受けた。


「ああっ……あああああっ!」


 体が震えて、全身が氷みたいに冷たくなって、歯茎が痺れて。

 口からは意味のない悲鳴がもれて。


 だめだ、こんなことをしている場合じゃない。

 悔いるのは後だ。

 いいから体を動かせよ!


「少し待っていてください。すぐに治療します」


 立ち上がろうとして、何度もつまづきながら、這いすすむ。

 落ち着いて、なすべきことを順序だてるんだ。


 ありったけの蒸留酒で、傷口をあらって。

 煮沸した葛布をあてて。

 それからどうする?

 領主館から、どこかに松切り番さんを運ばないと。

 領主の手の届かない場所に、逃げないと。


「康太様、いかがされましたか」


 開けはなしの扉の前に、河笊さんが立っていた。

 感情を見通せない、無表情で。


「あ、いや、あの……蒸留酒を、お酒が……」


 河笊さんを見上げて、口からは、言葉が出てこない。


「ぶどう酒の用意がございますよ」

「そ、そうじゃなくてっ! 松切り番さんが!」

「あの男は、踏鞴様に対して、康太様の存在をかくしました。私があの男の動向を見ていなければ、この村にとって大きな損失が出ていたところです。

 当然の報いだとは思いませんか?」

「ちがう! 松切り番さんは、僕にまで害が及ぶのを、食い止めようとしてくれていただけだ!」


 総毛立つような怒りが、全身に満ちて。

 僕は立ち上がり、目の前の男をにらみつけた。


「そこをどいて下さい。松切り番さんには、治療が必要です」

「ご安心下さい。私は心得ています。松切り番一人でしたら、用立てるのはたやすいこと。ましてこれより料理番は、白神様が引き受けられるのですから。そうでしょう?」


 怒りで目の前が真っ白になって。

 きづけば河笊が、地面に倒れ、うめいていた。

 硬くにぎった拳が、じんじんとしびれている。

 それで、僕が殴り飛ばしたんだと、気づいた。


 利き手で人をなぐったのは、たぶん生まれてはじめてのことだ。


「松切り番さん……」


 振り返って、松切り番さんを見る。

 動かしていいのか、それとも、安静にしておいた方がいいのか。


「河笊さん、松切り番さんに、少しでも手を触れたら、僕は……いいですか、約束します。

 白神として、ありったけの知識と力を使って、あなたたち領主館の人間を害します。必ずです」

「奇妙な話ですね。どうしてそこまで思い入れるのか」


 河笊は、平然とした表情と声音だった。

 答えず、僕は走り出した。


 目の前に、白刃がきらめいた。


 前髪が数束、切り裂かれ。

 僕は立ち止まり、立ちはだかった男を睨み付ける。


 領主、踏鞴たたら月句げっくその人が。

 たいまつの灯りを背負って。

 刃の分厚いナイフを手に、立っていた。


「なにか行き違いがあったようじゃの。河笊にはきつく言い含めておく。康太よ、わしはなにも」

「邪魔しないでください」

「話を聞け」


 切っ先を僕の額につきつけ、月句は短く鋭く言った。


「むろん、松切り番は治療させよう。その為に必要なものを知っておれば、康太よ、わしに教えるのじゃ。

 それは給地の力になるじゃろう」


 月句は、ナイフを僕に向けたまま、顔をそむけ、人さし指で額をこつこつと叩きはじめる。

 交渉のつもりか?

 そんなくだらない駆け引きを遊んでいるひまなんかないんだ。


「わしはの、求めておったのじゃ。わしに力を与えてくれる、白神のごときものを……

 のう、康太よ。お前はわしの力になってくれるじゃろうな?」


 違和感をおぼえるほど、明るい声だった。


「ふざけないで下さい。こんなことをする人間を、信じられると思いますか?」

「もちろん。お前はわしに従うとも、康太よ。村に大事な者もおろう?」

「なにっ……なにを、何を言いたいんだ?」


 榛美さん、悠太君、鉄じいさん、讃歌さん、給地のみんな。

 僕を受け入れてくれた人たちの顔が、頭に浮かぶ。


「河笊が、どのような手を用いてでも、お前を逃がすべきではないとわしに申してきたのじゃ。いかにも、その通り。この数十年のまどろみで、腰が抜けておったわ」


 河笊の入れ知恵か。

 月句があの通りだったから、油断していた。

 ふぬけの領主に、頭の切れる邪悪な宰相。

 まったくファンタジーの定番すぎて、かわいた笑いが浮かんでくる。


「のう、康太よ。わしはの、多くの者に捨てられてきたのじゃ。みな、わしを捨て、どこかに去っていったのじゃ。

 お前はそうはならぬと約束できるな? そうじゃろう、康太よ。お前はわしを捨てぬよな?」


 一転して、すがるような声。


「そうじゃ! よいことを思いついたぞ。お前はわしの子となれ。そうであれば、お前もわしを捨てたりはせぬじゃろう?」


 そして、ねこなで声。

 何を考えているのか、まったく理解できない。


「康太よ、お前には、樫葉かしばの名を授けようぞ。生まれてくるはずじゃった、わしの子の名じゃ。

 樫葉の母たる女も、ろくでもない女じゃった。水雉くいな綸路りんじと同じく、わしを捨てて消えおったのじゃ。

 もはや名も覚えておらぬが、ろくでもない女じゃった……」


 震える切っ先にこめられた感情は、なんだ。

 憤激か、慨嘆か、その両方か。

 長い時間をかけて蓄積し押しかためられた、複雑な地層のような感情が、冷たい鉄を通して、流れ込んでくるようだった。


「そうじゃ。樫葉となれ、康太。白神として、わしの傍に、常にあれ。言ったじゃろう、お前の求めるものを与えようと。

 さすれば給地は、力を得る。わしが諦めておった、その力があれば、かならず、水雉も、綸路も、帰ってくる……」


 だめだ、呑みこまれている場合じゃない。


「そんなことはどうでもいい! とにかく、松切り番さんを助けてあげてください!」

「であれば、約束しろ。わしの傍にあると約束するのじゃ。樫葉よ、踏鞴家給地の力となれ。お前の力で炎を振り撒き、他の給地を我らがものとしよう」

「は、あ? なにをっ……? 炎、炎だって?」

「そうじゃ、炎じゃ。わしは一度、しくじった。それもこれも、みながわしを捨てた故のこと。じゃが、白神と共にあるのならば、それは違う。

 豊かな村からはその豊かさを奪い、広き村からはその広さを奪い、踏鞴家給地をなお一層のこと、強き鋼のごとく鍛えよう!

 のう、樫葉よ、白神よ! お前とわしとの二つの炎で、給地を鋼のごとく鍛え直すのじゃ!」


 月句がナイフを水平に振った。

 たいまつを支えていた木の支柱が、なんの抵抗もなくまっぷたつになって。

 赤黒く燃えさかる炭が、地面に転がった。


 下草が、くすぶり、燃え上がり。

 風に巻かれて炎が地面をはしり。

 あっという間もなく周囲にわきあがった炎と煙を見て、月句は、いっそ無邪気にも見えるような笑顔を浮かべた。


「炎じゃ。わしとお前が炎となって、焼き尽くし、鍛え上げる! 煙は必ずや水雉と綸路に届こうぞ!」


 今にしてようやく、ミリシアさんの言葉が理解できた。

 この男は、どうかしている。


「どうした? 何ゆえ答えぬ? 樫葉よ、応と言え。それだけのことじゃ。そうでなければ、わしはお前をこの場にて斬り捨てる。

 そこの男とともに松林に撒いてやろう! おお、そうじゃの! 白神の屍とあれば、必ずや松林は強くなるぞ! 『淡雪あわゆき』は帰ってくる! お前の血と肉が、『淡雪』を再びこの地に呼び戻すのじゃ!」

 

 炎と煙を見つめる月句の目は、ぎらぎらと不気味にかがやいていて。

 うわごとじみた言葉には、もはや脈絡すら存在しない。

 この状況を切り抜けないと。

 でも、どうすればいい?

 言葉で言いくるめられるような相手ではない。

 だからって僕に、なにか武器があるわけではない。


 ミリシアさんの言葉を、もっとしっかり、胸に刻んでおくべきだった。

 あの人は、正しく、誠実で、そして、僕の料理を評価してくれた。

 ちがう、だめだ、感傷的になっている。

 死ぬ覚悟をしようとしている。

 そうじゃない、考えろ、考えるんだ、松切り番さんも、僕も、生きてこの場を切り抜けられるような……



 ――今後、もし路頭に迷うようなことがあれば、遠慮なくヘカトンケイルのネイデル家を頼ってくれ



 思い出す、ミリシアさんの言葉。

 頼るような状況に陥るまえに、僕はここで、死ぬか、よその村を滅ぼすか、どちらかを選ばされている。


 ああ、いや、待て。

 ミリシアさんは、他にもなにか……


 ――ネイデル家と言えばヘカトンケイルに知らぬ者なき門閥の一員。どこであれ、その印章はお前の力になることだろう。



 ポケットに、手を突っ込む。

 指先に、冷たい金属の感触。

 迷うことなくつかみだし、かかげてみせる。


「なんじゃ、それは? どういうつもりじゃ?」

「こちらはヘカトンケイルの門閥市民、ネイデル家のご印章です」


 踏鞴月句が、目をみひらいた。


 ミリシアさんがくれた、印章付の指輪。

 僕に残された武器は、これだけだ。


「こちらは、ネイデル家のミリシア様に宴を饗した際、賜ったもの。私の身分は、ピーダー家のピスフィ嬢に、改めて定められることになっています。

 それまでの間を、あなたの料理番として働くことは考えもしましょう。

 しかし、意に沿わぬ行いをさせること、私の友を害すること、いずれもひいてはピーダー家のお怒りを買いましょう。

 それでもあなたは、私をこの場で切り伏せるおつもりですか?」


 どの程度の効果があるのかなんて、分からない。

 はったりだろうと、言い切るしかない。

 隙をついて、松切り番さんを連れ、逃げ出す。

 残された道はそれだけだ。


「……ヘカトンケイルのアオサギどもが!」


 踏鞴月句は、ナイフを地面に叩きつけた。


「何故じゃ! 何故、お前もわしを捨てる! 何故、みな、わしを捨てる! わしはただ、取り戻したかっただけ……水雉と綸路との日々を、取り戻したかっただけじゃ!

 それだというのに、どうしてお前も、理解せぬ!」

「理解なんて――うわっ!」


 背中になにかがぶつかって、その場に倒れ込んだ。


「踏鞴様、心をお静めくださいませ」


 地面にころがった指輪をつかもうと、伸ばした手が、かかとで踏みにじられる。

 激痛がはしって、口から、声にならない声があふれる。


「白神一人がこの場で死んだとして、何になりますか。村の者に言い含めておけば、ヘカトンケイルの者とて引き下がる他ありますまい」


 悠々と指輪を拾い上げ、淡々と語るのは、河笊。


「おお、河笊よ……そうなのか?」

「その通りです。踏鞴様、あなたこそが踏鞴家給地の正統なる支配者。あなたはただ、その力を揮えるように揮うのみです」


 あごを蹴りあげられ、仰向けになる。

 痛みで涙がにじんで、視界がぼやける。


「迷わず、お斬り捨てなさい。白神のことなどお忘れになって、恙なき日々に戻りましょう」


 胸倉を掴まれて、むりやり、立たされる。

 突き飛ばされて、木に背中をぶつけ、その場にへたりこむ。


 河笊は、僕を見下ろすと。


「愚かな男だ」


 ものすごくきれいなフォームの前蹴りを、みぞおちに叩き込んだ。


「あっがッぇっ……!」


 肋骨がきしんで、心臓が跳ね上がって、肺の空気が口からぜんぶ逃げ出した。


「まっとうに居丈高に、ただ驕っておけばよいものを。祀り上げられて無邪気に振る舞う程度が、白神の価値なのだから。

 無力なままで誰かを救おうなどとは、それこそ驕りだ。惨めな驕りなのだよ、白神」


 メトロノームみたいに淡々としたリズムで、一定の力加減で、河笊の蹴りが僕の体に降ってくる。

 暴力の中にさえ、感情が読み取れない。

 

 骨がきしんで肉が削げ、内臓が悲鳴をあげている。

 身体を丸め、右手をしまいこんだ。

 冗談じゃない、死ぬにしたって利き手だけは残してやる。


「情けない。お前はこうやって死ぬのだ、白神」


 ようやく蹴りの雨がやんで、冷たい一言がふってくる。

 咳込みがとまらなくて、息が吸えない。

 全身は恐怖に冷え痛みに燃え、頭は割れるようにいたい。


「の、のう、河笊。お前が言うたのじゃろう。白神は、給地に力を……」


 月句のその言葉を、河笊は鼻でわらった。


「意に沿わぬ力は、害でしかないと存じます」


 月句が放り捨てたナイフを、河笊が拾い上げて。

 切っ先が、僕の喉に押し当てられる。

 冷たい刃が、僕の体温で、ゆっくりとあたためられていく、おぞましい感触。


「皮を剥ぎ、村に晒します。ご安心ください。私は心得ています」


 ろくな生き方をしてこなかったから、ろくな死に方をしないだろうとは思っていたけれど。

 まさか、『知らないおじさんに、生きたまま皮を剥がされる』という結末をむかえるとは思わなかった。


 ごめん、榛美さん。

 どうやらここで死ぬみたいだよ。



「構いませんね、踏鞴さ――」

「うわああああああああああ!」


 甲高い絶叫がしたと思ったら。

 いきなり、河笊の頭がぶれた。

 カメラの手ぶれみたいにぶれた。


「ぐぇ」


 短く鳴くと、河笊は、糸の切れた人形みたいに、その場に倒れ込んだ。


「ああああああああっ!」


 またも甲高い絶叫。

 よく分からないけれど、なにかしらの棒みたいなものが、河笊の体に、何度も振り下ろされている。

 なんだろう。

 なんか、すごくすごく、みおぼえのある棒なんだけど。

 そのしなり具合、何度も見たような気がするんだけど。


「おィ、そンぐらいにしとけや。死ぬぞ」

「当たり前です! 死ぬようになぐってるんですから!」


 聞き覚えのある、あまりにも懐かしく感じる、声だった。


「榛美さ――」


 ひどく重たい顔をもちあげ、目の前の人に、声をかけようとして。


「えっ誰?」


 笹編みの笠を深くかぶって、ごっわごわの蓑に全身つつまれて。

 そして、人を叩くのにちょうどいい長さの棒を手にした、なんかよく分からない生き物が目の前にいた。

 こういう妖怪いそう。


 妖怪が、笠を脱ぎはなって。


 涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにした榛美さんが、そこに立っていた。


「康太さん……康太さん!」


 泣きながら、僕に抱きついてくる榛美さん。

 蓑のちくちくが痛いよ榛美さん。

 打撲傷にものすごく痛いよ榛美さん。

 リンパ液出ちゃうよ榛美さん。


「康太さん、康太さん! こう、康太さ……うわあああああん!」


 抱きついたまま、榛美さんはめちゃくちゃに泣き出した。


「おかえり。思ったよりはやかったね」


 頭をなでようとしたけれど、手が上がらない。

 なにかを察したのか、榛美さんは僕の手を持ち上げ、頭にのせた。

 助かるけど、左腕がものすごく痛いよ榛美さん。


「ううううう! ばか! 康太さんのばか! なんでですか! なんでこんな! ばか! ばか!」

「ごめんね。就職しようと思ってさ。そしたら、意外に圧迫面接だったんだ」

「なにいってるかわかんないです! ばか! 康太さんのばか! で、でも、生きてて、生きてて、よ、よか、ふ、ふぇえええええ……」


 僕の胸に顔をすりつけ、脇の下に鼻づらをつっこみもぐりこもうとし。

 かと思ったら、僕の首筋にほっぺをあてて。

 榛美さんがせわしない。


 ようやく身体のしびれが取れてきたので、蓑のちくちくに耐えながら顔をあげると。


 松切り番さんに肩を貸し、鉄じいさんが、月句と対峙していた。


「よォ。久しぶりじゃァねェかよ。なンだってこンなことになッてやがる?」


 月句は、鼻を鳴らした。


「踏鞴の一統が、揃い踏みか。つくづく白神というのは、騒ぎを巻き起こさずにはいられぬようじゃの」

「あァ、まさか俺も、生きて再びドラ息子の顔を拝むことになるたァ思わなかッたぜ」


 ……ドラ息子?

 どういうことだ?

 月句は、鉄じいさんの息子?

 それじゃあ、鉄じいさんって――


「あああっ! そうか!」

「うひゃあ!」


 思わぬところで思わぬ話がつながって、思わず声をあげてしまた。


「ど、どうしたんですか康太さん! どこかいたむんですか!」

「うん、実は、さっきから蓑がささってすごく痛いんだ」

「わああああごめんなさい! ぬぎます! すぐぬぎますからいたい! 蓑が目にはいってすごくいたい!」

「だいじょうぶ? ゆっくりでいいからね」

「うわあああぬげません! ぬぎかたがぜんぜん分かりません!」


 榛美さんが蓑相手にわちゃわちゃしている間に、わかったことを整理しよう。


 思い出すのは、初夏の日、ふたりでぎこちなく会話をしながら歩いたあぜ道のこと。


 ――なんでも、寒村の鍛冶屋だった男が、“中つ国諸国”の“魔王領”への“十字軍遠征”に際して良質の鉄を供給した功績により、この土地に封じられたのだという。


 榛美さんから情報収集をしていたときに、ぽろっと出てきた話。

 ベンガラから、五足飛びぐらいのスピードで鋼を生成できる、鉄じいさんの魔述。

 良質の鉄の供給はたやすいだろう。

 鉄じいさんこそが、この地に封じられた領主様だったんだ。


「ぬぎました!」

「ぐぇあ」


 この「ぐぇあ」が、なんの「ぐぇあ」かと言えば。

 蓑を脱ぎ捨てるやいなや、ふたたび榛美さんがぎゅって抱きついてきて。

 その勢いたるや、レスリングのタックルぐらいきれがよくて。

 僕の肺から再び空気がぜんぶもれだしたときの「ぐぇあ」だ。


「うわああごごごごめんなさい康太さん! やりなおします! やりなおしますからっひゃあああぎゅってされた!」


 体温と、やわらかさが、すごく心地よくて。

 僕は、動くようになった腕で、榛美さんを、力のかぎり抱きしめていた。


「こ、康太さん?」

「すこしだけ、このままでいさせて」

「……はい」


 やさしい、うなずき。

 榛美さんの手が僕の背中にまわってきて。

 そっと、だきよせられる。


 心臓の音が、どっちのものなのか分からなくなるぐらい、しっかり抱きしめあって。

 榛美さんの温度が、恐怖で凍り付いた体に、ゆっくりとなじんでくる。


「だいじょうぶですよ」


 指先が僕の髪にふれる。

 毛並みとさかさまに、肌が指の熱を感じられるような距離で、ゆっくりとなでられる。


「わたしがいます。康太さんは、もう、だいじょうぶですよ」


 榛美さんの肩に額をおしつけて、静かに呼吸する。

 ふたりの体のあいだで空気があたためられて、榛美さんの香りが、花のように、お酒のように、ひらく。


 ずっとこうしていたいけれど、状況はそれを許さない。


「わしは貴様を、もはや父などとは思っておらぬ。貴様とて、わしを捨てたのじゃろう?」


 月句の鋭い声に、顔をあげる。

 鉄じいさんが、皮肉っぽく鼻を鳴らしていた。


「てめェがてめェで愛想尽かされたんだろォが。捨てただなンだ、弱い人間の言葉を使うンじゃねェや。

 そンなことより、だ」


 鉄じいさんは、松切り番さんに目を向けた。


「このガキ、いつ産ませた? 水雉に愛想尽かされた後のことだろォが?」


 月句は目をみひらき、あえぐように、なんども口を開いては閉じた。


「分かる、のか……」

「もうろくしたたァ言え、手前ェの血の色も分からいでかよ。コイツは、オレの血を引いていやがる。ドワーフの血と、エルフの血だ。踏鞴の血だ」


 なんだって?

 松切り番さんが、月句の息子?


「……村の女じゃ」


 力なくうなだれて、罪を告白するようなうしろめたい声で、月句が語る。


「もうどんな名前だったかも覚えてはおらぬが、ろくでもない女じゃった。結局のところ、わしを捨ておったのじゃからな」


 鉄じいさんはため息をついて、あごひげをしごいた。


「息子が見苦しく落ちぶれる様ッてェのは、見たかァねェもンだな。

 あの時、てめェのことを斬ッちまえばよかッたぜ」


 月句は、その場に膝をつき、顎が胸にくっつくぐらい、うつむいた。


「……もう、よい。もう、わしのことは、放っておけ。ただ、元通りになるだけのことじゃ。

 水雉も綸路も戻らず、日々が過ぎるのを待つ、それだけのことじゃ」

「あァ、そォかよ。好きにしやがれ、ドラ息子が。行くぞ」


 歩き出そうとした鉄じいさんの胸に、松切り番さんが、手を置いた。


「ま、松切り番は、い、行けない……」

「あァ?」

「松切り、番、は、ここ、ここに、残る……そうよ、踏鞴様のおそばに、の、残るのよ……」

「冗談じゃねェ。てめェ、こンなところにいたら殺されちまうぞ。知らなかったッてもてめェは俺の孫だ。

 孫を見捨てるジジィがいるかよ」

「それでも、ま、松切り番は、いけない……」


 鉄じいさんは、空いた手で、頭をがしがしと掻いた。


「あァ、そォかよ、好きにしやがれッてンだ。ッたく、どいつもこいつも、俺の血ッてェのはろくでもねェ種しか残さねェな」

「白神……」


 松切り番さんが、顔をこちらに向けた。


「すまない……悪いことをしたのよ。松切り番は、本当に、すまないと思っているのよ。

 台所の、さしかけ小屋に、きれいな瓶がある。それを、白神にあげる。持っていって、みんなで呑むといい。

 花の蜜と、松葉を、松切り番が集めたものよ」

「松切り番さん……」


 立ち上がろうとしたら、背中がぴきぴきと不吉な音を立てた。


「ああ、わたしがとってきます! 康太さんは待っててください!」


 榛美さんがあわてて駆けだした。


「踏鞴様」


 呼びかけるけど、返事はない。


「治療のために必要なものを、お持ちします。なるべくはやく、松切り番さんに使ってあげて下さい」


 がらすの瓶を手に榛美さんがもどってくる。

 雲の切れ間からさした、わずかな月光に瓶をかかげて、中身をのぞいて。

 瓶をくるくる回して、首をかしげ、不思議そうな顔をしてから。

 そしていつもの、口はんびらき。


 ああ、榛美さんだ。

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  か

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