昔がたりと、エゴの行く先
8/6更新 2/5
「そもそもさ」
悠太君は、いっしょになって悩んでくれているような、そんな表情をしている。
「なんで料理なんだ?」
「え? なんでって?」
これまた意外なことを聞かれてしまった。
呼吸と同じぐらい当たり前に料理をつくってきたし、これからもそうするだろうと思っていたから、まっすぐ聞かれると思ったよりとまどう。
「オマエ、料理以外のことだって詳しいだろ? しらねえけど、他の白神がみんなそういうわけじゃねえと思う。それがなんで、向こうでも料理人やってたんだ?」
それはさすがに、過大評価だとおもう。
僕にあるのは飲み屋の雑学で、専門的かつ体系的な知識なんかなにひとつ持っていない。
きらきらしたものを集めたがるカラスみたいなもので、無駄な豆知識をためこむのが好きなだけ。
でも、そうだな。
どうして料理だったのか。
あらためて考えてみれば、答えは一つしかない。
「僕が、救われたからだよ」
それはごく退屈な話でしかないから、短く語ろう。
ばかな少年が、十五の夏休みに、家出した。
いま考えるとちょっと信じがたいバイタリティだけど、ひたすら歩きつづけた結果、町田市をスタートして四日後、埼玉と群馬の県境にたどりついた。
その間、口にしたのは水とチーズ蒸しパンだけ。
記録的な猛暑と飢えに苦しめられて、ついに僕は一歩も動けなくなった。
駅前にある、ねぎをかたどったオブジェにもたれかかって、自分の葬式がやってくるのを待っていたら。
少年は、初老の男性に声をかけられた。
警察に突き出されると思いこんで、敵意むきだしの目でにらんだその相手は。
「やせすぎだろおまえ。うちでめし食ってけ」
世界のすべてに愛想をつかしていた僕に対して、笑いながらそう言った。
埼玉というのは、とにかく広い。
僕に声をかけてくれたのは、居酒屋の店主だった。
弟さんが県内で経営している牧場から直送された素材を使っており、近所でも食べログでも評判は上々。
『朝採り白モツ』という、さわやかなのかまがまがしいのかよく分からない響きのメニューは、ばつぐんだった。
あのとき食べた鶏がら雑炊の味は忘れられない。
座敷席にあぐらをかいて、背をまるめ、ひたすらかっこんだ。
鶏がらのうまみ。
醤油だれの塩気。
卵の甘み。
ほんのわずかそえられたわけぎの、控えめな香り。
かために炊いたごはんがほどよく吸ったスープ。
いまでも、すべてを思い出せる。
「噛んでくえ。死ぬぞ」
十五歳の家出少年が、そんなもっともらしい言葉に聞く耳をもつわけがない。
食べて食べて、おかわりして、また食べて。
さしむかいで座った店主は、鶏がらからほじった肉を、マヨネーズと黒こしょうで和えたのなんかつまみながら、ゆっくりと焼酎をのんでいた。
「よし。食ったな。お代はおまえの身の上話だ。さっさと払え」
とても優しくて、その優しさをかくすのが得意な人だった。
だから僕はすべてを話した。
父親が(何度かの臨死体験と『死んだら驚いた』式冗談の果てに)死んだこと。
その直後に、母親が再婚したこと。
義理の父親が、とにかくろくでもなかったこと。
どれぐらいろくでもないかと言えば、まず端的にいって詐欺師だった。
アパートを所有している地主に声をかけ、防音補強工事を請け負う業者だととうそをつき、言葉巧みに預金を引き出して。
壁をめくってまたくっつけたり、ペンキをぬりなおしたり、なんとなくそれらしいことをしてから、とんずらする。
地主は、本物の業者がやってくるまでだまされ続ける。
とまあ、当時やっていたのはそんなことだった。
「すげえ頭いいな。そんなん思いつくならふつうに働けよな」
店主はげらげら笑った。
僕は十五歳で、あまりにも潔癖で、父親のしたことがゆるせなくて、その罪が僕の罪のようにも思えていて。
でもそのとき、店主の笑いで、なぜだかすごく救われた気がした。
それからの日々は幸せだった。
たった三ヶ月だったけれど、住み込みではたらいて。
僕はそこでさまざまなことを教わった。
料理の技術、料理人としての振る舞い、経営者としての生き方……
いかにしてか母親が僕をみつけ、貴重な労働力として家に引きずりもどしたとき、もう決めていた。
ごはんを作って、生きていたい。
ごはんで誰かを、幸せにしたい。
その生き方が正しかったのかどうか。
そのせいで傷つけてしまった人も、たくさんいる。
遠くにあるものばかり見て、近くにあるものは見落として……だから、ほのかのことを、ひどく傷つけた。
その自覚がどこかにあって、だから、僕の言葉は、たしかにただしく言い訳だったんだろう。
悠太君が見抜いたように、この異世界でなにかを変えてしまうことを、そのせいで誰かが傷つくことを、おそれている。
それでも僕は、僕が救われたように、誰かを幸せにしたい。
できることなら、僕のごはんで。
世界のすべてに、愛想をつかされたとしても。
「思ったより長くなったね」
昔語りを終えて、言葉を切る。
悠太君はためいきをついて、首を横にふった。
「うすうす分かっちゃいたけどさ。榛美も気の毒だよ、お前の夢はでかすぎる」
「……僕は、この村を出た方がいいのかもしれないね」
思い返して、語ってみて、ふと、そんなことを思いついた。
流れの料理人として、行く先々で料理をふるまう。
僕に合っているのは、そんな生き方なのかもしれない。
「無駄だな、絶対ついていくに決まってんだろ。あいつこの村のことなんて全部ほうりだすぞ」
「そうかなあ……」
異性の感情が手に取るように分かるほど、経験を積んでいるわけじゃない。
「けど、オマエの事情は分かったよ。そんで、あらためて聞くぞ。
踏鞴様の料理番になる気はないのか? いや、そこまでは言わない。ただ、踏鞴様と話す機会を持つだけでもいいんだ」
「……それは」
食い下がるねえ、悠太君。
でも、思いとどまる理由がちょっと多すぎやしないか、その選択肢。
「あのな、ティエルタルとエールロンの話、おぼえてるだろ」
まごまごしていると、悠太君がいきなり話をきりかえた。
「うん、もちろん。それがどうしたの?」
神話を読み解いたら油が採れたという、この世界の新しい故事成語をつくった時の話だ。
あれは面白かったなあ、今でもちょっと思い出し笑いしちゃうもんなあ。
「あのあと、覚書のなかにある、エルフの神話をいくつか読んでみた。そしたら、冬と寒さにまつわる話が多く出てきたんだ。
今日はもともと、そのことを話すつもりだったんだけどな」
ティエルタルとエールロンの話では、『厳しい冬』と、それに対応するためのアブラナ、そしてかまどの起源が語られていた。
「つまり、エルフたちにとって、冬と寒さは非常に重要なファクターだったってことだね」
そういえば榛美さん、『エルフだからことのほか寒さによわい』と言っていたっけ。
あれは榛美さん特有のなんかよく分からないやつじゃなくて、種族的な特徴だったのか。
悠太君はひとつうなずくと、
「冬に関する神話の中に、『南へ行く船を作る』っていう描写を見つけてさ。それでな、思ったんだ。
エルフがいなくなったのは、この村に、厳しい冬がやってきたからなんじゃねえかって」
仮説としては、なかなか興味深い。
エルフが踏鞴家給地から消えた理由は、たしかに謎だ。
神話を採集しているのだから、交流はあったはず。
追っ払ったのか、エルフたちが消えたのか。
「エルフって、人との交流を好まなかったりするの?」
「は、なにそれ? 人それぞれだろそんなん」
そうでした。
この世界では『茶色い豆としわのよった豆』式に異種族が生まれてくるんだったっけ。
集団が単一の種族で構成されている場合、それは淘汰やら遺伝やら、あるいは述瑚とやらのしわざなのだろう。
根っこが同じなので、異種族にたいする考え方は、地球における人種問題と簡単に比較できない、ってことか。
そうなると、環境的要因によって、寒さによわいエルフが南下した、という可能性はおおいにありえる。
地球の歴史上にも、ヨーロッパ全土をガラガラポンするきっかけとなった、フン族の大移動なんかがある。
「こないだオマエから、ケッペンの気候区分について聞いたろ? それから、天気について考えるようになってさ。
そしたら、神話と天気が結びついたんだ」
「つまり、気候変動の可能性を想定しているんだね」
悠太君はうなずいた。
「なんだ? ふたりはなんの話をしている?」
気づけば松切り番さんがおいてきぼりに。
「ああ、すみません。簡単にいえば、すごく寒い冬がくるかもしれないってことです」
「そりゃあ……大変なことなのかよ?」
「当たり前だろ。冬にばかみたいに雪が降れば、豆は育たねえ。豆が育たなきゃ、税金も払えねえ。それどころか、そういう年が何年も続けば、飢え死にだ」
「うえじに!」
松切り番さんはとびあがった。
「そ、それは大変なことなのよ! うえて死ぬのは、それはそれはつらいことに決まっている! 松切り番はうえじにしたくねえ!」
「いや、誰だってそうだろ」
そうか、そういう可能性があるのか。
まるで考えていなかった。
多雨地域とはいえ、ここはおそらく温帯気候。
多少の寒冷化ではへこたれない熱帯とちがって、飢饉が起きることは、おおいに考えられる。
そのとき、まっさきに滅びるのは、交易網からはずれたこの村だ。
「そういう記録って、残ってないの?」
「“覚書”は日記じゃねえからな。オレたちの殆どは文字も知らねえし」
無文字文化だと、百年前のことを知っている人間はひとりもいない。
それが何を意味するのか、考えればすぐに答えは出る。
仮に、百年の周期でものすごい寒冷化が起きるとしてみよう。
そのあたりに住んでいる人たちは、百年周期でべらぼうにひどい目に遭うはずだ。
いきなりぐっと寒くなるけど、誰も理由を知らないから、備えなんてしているわけもなく。
根こそぎ枯れつくした作物を前にして、とほうにくれながら、飢えと寒さでばたばた死んでいく。
「どうなんだ? 天気って、そんなに急に変わったりするもんなのか?」
「僕の世界でもたくさんあったよ。気温が下がったおかげで、大陸まるごと飢饉におそわれたりね」
実際、周期的かつ急激な寒冷化、というのは『無文字文化が滅ぶ理由あるある』のひとつだったはず。
「そうか……ありえるってことなんだな」
悠太君は、踏鞴家給地のことを、真剣に考えている。
一度も飢えたことのない人間が、飢饉を想像するというのが、どれほど困難か。
本気で未来を見通そうとしていなければ、考えが及ばないはずだ。
「そうなったらさ、この村だけじゃ生きていけねえよな」
「まちがいなく、滅びるね」
給地の生活が安定しているのは、いまの環境にぴったり適応しているからだ。
いってみれば、熱帯の小さな島にだけ住んでいる、変わった生き物みたいなもの。
環境が少しでも変われば、あっという間に全滅するだろう。
必要なのは、外部との交流、つまり、交易網への参加だ。
今みたいに、足りないものがあったら榛美さんが出かける、みたいな小規模なものではない。
村ぐるみで、相互に依存しあわなくてはならない。
「うん、そっか。なんとなく、悠太君の言いたいことが分かってきたよ」
僕がそう言うと、悠太君は、うつむいた。
「……オレだって、こういう言い方が卑怯なことは分かってるよ。
でも、オレにはなにもできない。親父にもできない。村の人間じゃあ、どうにもならないんだ」
この村を変えたい。
そのためには、領主にはたらきかける必要がある。
だけど村人に、そんな力はない。
そうなれば答えは一つ、頼れるのは白神だけ。
それなのに悠太君は、僕のことを、利用したくない。
そう思ってくれているから、悠太君は、何も言えないでいる。
それが、僕には、すごくうれしい。
だって悠太君が、僕のことを友達だと思ってくれている証拠だから。
でもね、悠太君。
僕の、やりたいこと。
僕のエゴ。
しまいこもうとしていたそれを引っ張り出したのは、悠太君だよ。
ミリシアさんは納得してくれた。
悠太君は泣いてくれた。
鉄じいさんは謡ってくれた。
松切り番さんは笑顔になってくれた。
そして榛美さんは、いつも、よろこんでくれる。
その達成は、白神という下駄をはかされたからこそ、なのかもしれない。
それでも、僕の達成だ。
「僕の力がどこまで及ぶのか、それは分からないよ。だけど一度、領主様とお会いしてみようと思う。
その上で、もしこの村を変えられるのならば、そうしたい。
白神として、それができるのであれば……僕は、この村を救いたい」
床几の上に投げ出された、悠太君の拳。
かたくにぎりしめられ、ふるえている。
「……オレ、最悪だな」
悠太君は、うつむいたまま。
「そうじゃない。これは僕のエゴだよ。僕がそうしたいんだ。たとえそれで、僕が傷つき、榛美さんが傷ついても」
夢というのは、呪いみたいなものだ。
ひとたび囚われたら、もう立ち止まることはできない。
灰になるまで、走り続けてしまうほか、道はない。
そして僕は、悠太君もそうであるように、呪われている。
そのために、どんな犠牲を払ってもおしくないと、思っている。
この呪いを解くことは、きっと誰にもできやしない。
だからこれは、徹頭徹尾、僕のエゴだ。
「つまり……白神が、踏鞴様の料理番になるってことなのか?」
「そういうことになるかもしれません。今日のところは、踏鞴様の出方をうかがいたいと思います」
なにしろ領主の評価は、『百点満点中ゴミでも食ってろ』だ。
予断をゆるさず、ことに当たりたい。
まずは敵情視察から。
「おお、おお、そうかよ! それなら松切り番は、その手伝いをする!」
「お手伝いですか? それはありがたい話ですけど……その、大丈夫なんでしょうか」
「平気よ、松切り番は心得たものよ! まずはご機嫌伺いよ。唐揚げを持って行って、踏鞴様がおよろこびになられたら、白神の名前を出す。そうしたら、踏鞴様は大よろこびで白神のことを迎えいれてくれるのよ!」
理にかなった作戦なのかどうか、ぜんぜん分からない。
すくなくとも松切り番さんの株はあがるのかな。
ちらと、悠太君に目をやる。
「踏鞴様は、少なくともお気に入りには優しいって話だ。しらねえけど」
「そうよ、その通りよ。異国の商人だのを、踏鞴様は大好きなのよ! 隅にもおかねえ扱いでちやほやするのよ!」
うーん。
ミリシアさんの言葉とだいぶ食いちがいがあるけど、本当のところはどうなんだろう。
いや、まずは会ってみて、話してみて、糸口を探すんだ。
目標は、よその村との交易網を確立すること。
そこに照準をあわせて、ぶれずに進んでいこう。
「それじゃあ、新しいのを揚げましょう。できたてを持っていった方が、心証はいいでしょうからね」
立ち上がり、エプロンのポケットからフェルトハットをとりだし、かぶる。
「それはいいことよ! 今からなら、夕餐の時間にちょうどになる! 踏鞴様もよろこばれるにちがいねえ!」
「それじゃあ、いっしょに作りましょうか」
「もちろんよ! 松切り番は、おいしい唐揚げを作れるようになる!」
ふたりして肩をならべ、台所に向かう。
「……悪い、白神」
悠太君の、ちいさな、ふるえる声。
「あやまることなんてなにもないよ。
これが、僕のやりたいことなんだ。
これが、僕のエゴなんだ」
はっきりと言い切る。
しびれるような焦燥と不安は、消えていた。




