ニーバーの祈り
一夜明け、榛美さんとのんびり鍋の残りをつつく、朝のしあわせな時間。
そこに今日は、二人ほど新しい顔ぶれが。
ひとりは、悠太君。
もうひとりは、讃歌さん。
床几をはさんで、四者面談みたいな恰好だ。
「ついてこなくていいっつったんだけどよ」
悠太君がてれくさそうに言った。
「バカ言うんじゃねえ。白神様に迷惑かけどおしで、どうせ俺が見てなきゃ悪態ついてんだろうが」
「見ててもつくけどな」
「ドラ息子が」
「ってえな!」
げんこつをくらって、半べそになりながらどなる悠太君。
反抗期だねえ。
「ご覧の通りだ。甘やかしちまったんだろうなあ、こんなガキに育っちまった。いや全く、白神様には迷惑のかけ通しで……」
讃歌さんが深く頭をさげる。
「ああいえいえ、そんな。悠太君にはいろいろ助けていただいて……」
おもわず、学生バイトの親御さんにご来店いただいたときみたいな対応になってしまった。
「早く済ませろ。俺はお前と違って忙しいんだよ」
「だからついてくんなっつったろ。田んぼ行けよはやく」
「ああん?」
「はああ?」
おやこげんかがはじまった。
「ユウ、お父さんをだいじにする。讃歌さん、まぜっかえさない」
「あ、お、おう……」
「う、うん」
榛美さんがぴしゃりといって、二人をだまらせた。
すごいたのもしい。
これが村人の胃袋を握るということなのか。
いやちがう、榛美さんお酒呑んでるよ。
いつの間にかお酒呑んでるよ榛美さん。
さては、なんか気まずくなりそうだから逃避したな。
で、いいあんばいに酔ってちょっと強気になってるな。
僕と悠太君と讃歌さんはすばやく視線を交わしあい、
『酔いどれエルフはおいといて』
というところでコンセンサスをえた。
あらためて、悠太君が僕に向き直る。
「……あのな、白神」
「うん」
「オマエさ、昨日、言ったろ。大人になるって、変えることのできないものごとを、だったっけ?」
「変えることのできないものごとを受け入れる落ち着き、だね」
『ニーバーの祈り』の一節だ。
冗談のつもりだったけど、わりとまじめに捉えられてしまったらしい。
よくよく考えるまでもなく、こんな冗談が異世界の人につうじるわけもない。
こういう、どこにも届かない冗談を言い続ける病気にかかっているんじゃないかと、ときどき不安になる。
「だとしたら、オレは大人にはなれねえなって、思ったんだよ。オマエの料理を食わせてもらったからこそ、納得いかないんだよ。
この村には本があって、“覚書”があって、法律があって、昔は栄えてて、今だってなんでもあって、麺だって作れて……
なのに、こんな風に、一年中畑を耕して終わるのかよ? 栄えもせず衰えもせず、ある日凶作か流行り病で全滅するまで、永久にこんな感じなのかよ?
そう思ったら……オマエの話が、聞きたくなったんだ」
悠太君は、知り合ってたった二日で、まっすぐな目をするようになった。
榛美さんをかつぐだのなんだの門前でわめいていたあの朝とは、みちがえるようだ。
「昨日からコイツ、ずっとこんな調子でな。病気がぶり返したかってんで、白神様のところに連れてきたんだ」
と、讃歌さんは頭をかいた。
やれやれ、大人ぶるのは好きじゃないんだけどね。
「そうは言いますけど、讃歌さんも、気づいているから僕と悠太君をこうやって引き合わせたんでしょう?
あのね、悠太君。多分だけど、君はいま、はじめて、自分の頭でなにかを考えようとしているんだと思うよ」
「自分の、頭で?」
「ヘカトンケイルに行った頃の君には、なんの目的意識もなかった。ただ単に、なんでもいいから新しいことを知りたくて、やみくもにつっこんでいった。
だから心が折れて、ずたぼろになって帰ってきたんだ。失敗からなにか拾い上げることもなく、ただ単に打ちのめされた事実だけをかみしめて」
悠太君は黙って頷いた。
「だけど、今、君の知識と好奇心はかたちを持ったんだ。それが怒りや苛立ちだとしても、君は今、自分の進むべき道を見つけつつあるんだと思う。
それが正しかろうと間違っていようと、容易かろうと困難だろうと、奇跡だろうと呪いだろうと、もう君はその道を、わき目も振らずに進むしかない。
それ以外に、君の人生を、君の心を満たす方法はないからね。経験則から言って、だけど」
夢も才能も、呪いのようなものだ。
ひとたび夢にとらえられてしまえば、なにもかも犠牲にすることを、すこしもためらわなくなってしまう。
悠太君には才能があり。
そして今、夢を抱いた。
この村を変えたいというのは、とても大きな夢だろう。
おそらく、悠太君が生きている間にはかなわないほどの。
それでも、気づいてしまったからには、燃え尽きるまで絶対に引き返せない。
美しく白い灰になるまで、絶対に立ち止まれない。
だから、僕は悠太君のことを祝福しよう。
灰になるまで続く道を走り出した君のことを、心から祝福しよう。
「あのね、悠太君。さっきの、変えることのできない云々っていうのは、僕の世界の祈りの言葉なんだ。ほんとはもうちょっと長いんだよ。
宗教とか、神とかっていう概念はここにある?」
「一神教みたいなはっきりしたもんはねえよ。土着の信仰ぐらいだな。酒を造るときは材料を妊婦に見せないとか、魚の骨は川に返すとか、そんなんだよ」
神棚も寺も神社も教会もモスクもシナゴーグもないしね。
自然信仰と、風土記レベルの神話があるぐらいかな。
とはいえ、一神教の概念があるのならば、ニーバーの祈りに込められた思いも理解できるだろう。
ニーバーの祈りは、カート・ヴォネガットの小説『スローターハウス5』の冒頭に引用されているので知った。
それ以来、僕は、自分の人生になにかろくでもないことが起きるたび、目を閉じてこの祈りを思い浮かべる。
「祈りの言葉はね、こんな風に続くんだ。
神よ願わくばわたしに
変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと
変えることのできる物事を変える勇気と
その違いを常に見分ける知恵とをさずけたまえ」
それはまったく、祈るしかないほどむずかしいことだ。
どういうわけだか僕たちは、変えることのできないものごとばっかりやっきになって変えようとするし、変えることのできるものごとは変えようとはしない。
だから、祈るしかない。
信じることより、少し遠くて。
願うことより、ちょっと近い。
祈りのような距離感で、この言葉を呟きながら、進んでいくしかない。
「…………オマエと話せてよかった」
悠太君が、ほんとうに小声で、つぶやいた。
僕は何もいわず、だまって話の続きを待った。
「オマエの横に、いさせてほしい。オマエが何を知っていて、これから何をするのか、横で見させてほしい。
オレは、オマエから、多くのことを学びたい。それが、オレの人生を決めてくれる気がする」
僕ごときが人生の教師になれるとは思わないけれど。
とはいえ、悠太君の真摯さには、応えてあげたいと思った。
これでも、大人のはしくれだからね。
「うん、もちろ」「だめです!」
「えっ」
「えっ」
「えっ」
三つの「えっ」は、僕と讃歌さんと悠太君のものだ。
そうなると、この信じられない横紙破りをしたのは、消去法で――
「だだだだめですっ! それってつまり、ユウがここに住むってことじゃないですか! そんなのだめです!」
手をぶんぶん振り回しながらわめく榛美さん。
いきなりどうした。
「はあ? 誰がそこまで言ったんだ……ははあ」
急に悠太君は、年相応のずるがしこそうな笑みをうかべた。
「そうだよなあ。オレがいたら、白神と二人きりになれないもんなあ」
「は、はあああ!? なななにっなにがですか!?」
顔まっかで目の中ぐるぐるになってるよ榛美さん。
「ちちちがいますけど? そういう意味じゃないですけど? そうじゃなくてここがわたしの家だからですけど?」
「ああそう? わりいな、勘違いしてた。榛美は別に白神と二人きりじゃなくてもいいってことか」
「ぐ、ふぐっ、むうううう…………!」
榛美さんは変な声を出すと、両のにぎりこぶしを自分の腰にぽんぽんたたきつけた。
やり場のない怒りの表現らしい。
かわいい。
「ええと、榛美さん」
「なんですか! ふたりきりじゃだめっていうんですか!」
「だめってことはないけど、悠太君が言ったのはそういう意味じゃないと思うよ」
「じゃじゃじゃじゃあどういうことですか! 逆に康太さんがユウの家に行くってことですか? やだ……やだそれ! やだぁあああ!」
泣き出しちゃった。
朝からお酒呑むからだよ。
「だいじょうぶだよ、悠太君の家に行くわけじゃないから」
「ふぐぅうううう……」
めちゃくちゃ泣いてるので、頭ぽんぽんしてあげる。
榛美さんは僕の脇に鼻面をつっこんできた。
うわ、もぐりこもうとしてくる。
実家で飼ってた小型犬みたい。
あーあー、せっかく良い感じに大人をできたと思ったのに、もうめちゃくちゃだ。
「悠太君のせいだと思うよ」
「面白かったからいいだろ」
「面白い面白くねえで榛美ちゃん泣かすんじゃねえ」
「いってぇ! っざけんなクソ親父!」
「うるせえぞドラ息子」
こっちでは親子げんかがはじまるし。
……お酒のもっと。
で、なんやかんや、なぜかお昼までみんなでだらだら呑んだあと。
「昼間、悠太君に文字をおしえてもらう。悠太君は、聞きたいことをなんでも聞く。
朝と夕方以降は、榛美さんと一緒にいる。
タイムラインはそんな感じでいいよね?」
「いやまあ、オレはなんでもいいんだけどよ」
「わたしも、それなら文句ないです」
「では、このような形で進めさせていきたいと思いますので、ひとつよろしくお願いいたします。以上をもちまして本日の会議は終了、ということで」
ようやく決着がついた。
悠太君の家をおとずれたそもそもの目的であるところの『この世界の文字を知る』点についても、ちゃっかり盛り込んでおいた。
三方一両損にて一件落着なり。
讃歌さんは、貴重な働き手が家庭からうばわれて明らかに丸損なんだけど、なんだか終始にこにこしていた。
子どもがいる大人にしか、分からないことってあるんだろう。
「んじゃ、オレ帰るわ」
会議が終わり、悠太君は讃歌さんと一緒にあっさり帰っていった。
「はあ……なんだかどっとつかれた」
長いためいきをついて、ぬるい酒をすする。
のみすぎて、ちょっと頭がいたい。
このまま寝たら二日酔いまちがいなしだ。
どうせなるなら、もっとのんじゃおうかな。
いやいや、大人としてその判断はどうなの。
「ううー……酔いがさめてくると、すごくはずかしいです」
榛美さんは床几につっぷしている。
「酒はのめどものまれるな。大人のたしなみだね」
「おとな、かあ」
榛美さんが顔をあげ、顎を床几にのせて僕をみあげた。
「康太さん、どうやったらおとなになれるんですか?」
「またすごいことを聞くね。大人になりたいの?」
「うーん……もしおとなになれたら、今までよく分からなかったことが、分かるかもしれませんから」
それは、卵が先かにわとりが先か、みたいな話じゃないだろうか。
ふっと、いたずらごころがわいて、こんなことをたずねてみた。
「榛美さん、二日酔いになったことってある?」
「ないです。わたし、どんなに酔ってもすぐけろっとしちゃうのがじまんですからね」
「そっか、それじゃあまだまだ大人にはなれないね」
「ええー? なんでですか。二日酔いになると、なんでおとななんですか」
榛美さんはほっぺをぷくっとふくらませた。
「それこそ、『変えることのできないものごと』ってやつだからさ」
きょとんとする榛美さんを前に、僕はひとり、くすくすわらった。
それから、変えることのできないものごとを受け入れるため、もう一杯お酒をのむことに決めた。
第二章おしまい。
今後の予定について
まずは第三章をおしまいまで投稿します。その後、投稿済本文のフィードバック修正に一週間ほどいただいてから、四章開始します。
Q&Aコーナー
Q:大商人は?
A:まだです。




