後編
「ソーちゃん謝りなさい。女の子になんて事言うの」
「うん、ごめんね姉さん。汚物に触れられそうになって吐き気がしたものだからつい口が滑ったよ」
誰が私に謝れといった。
誰が更に罵れといった。
あああ………私の可愛い弟が…………
爽やかと近所で評判のあの子はいずこ?
激しく嘆く私のダメージは相当なものだったが、汚物とまで言われた優奈ちゃんは完全に固まってしまった。
うちの弟が本当にすみません!
「それより姉さん、俺あれほど行くなって言ったよね?」
「あ、いや……気になって、つい」
もう一度叱ろうとしたのに逆に叱られ勢いが削がれる。
実は弟に怪しいメールが来たことを一応相談していた。
そして行くのを止められたのだが、気になって我慢出来ずに結局行ってしまったので決まりが悪い。
「無鉄砲にもほどがあるよ。こんなんじゃ片時も目が離せない。今度やったら家に閉じ込めっから」
「う、うん……うん?」
最後の言葉だけやたらと低く鋭い声で囁かれた。
弟よ、もしや反抗期突入ですか?
「まぁ、汚物の尻尾をようやく掴んだと思って油断した俺も悪かったけどさ。ホラ見て、よく撮れてるでしょ」
弟が自慢気に突き出したのは一枚の紙。
そこにプリントされていた写真に驚愕する。
「っ!? こ、これ………」
「この女の犯行写真だよ。姉さんからメールのこと聞いて、張るだろう罠を逆に利用してやろうと思ってね」
優奈ちゃんが自分の教科書に楽しげにハサミを入れている写真。
そこにはハッキリと狂気が写っていた。
「この女、姉さんから嫌がらせを受けてるとか言って毎日風紀の俺の所に来てたんだよ。証拠を見せろと言った次の日に姉さんへ不審メールだ。バレバレだろ」
うんざりした様子の弟。
ゲームの中での私達姉弟は確執があり、弟は全面的に主人公の味方で嫌がらせ発覚後冷たく私を切り捨てていた。
だからこの世界の弟も味方に出来ると思ったのだろう。
「いい絵が撮れて呑気に印刷しに行ってたら、姉さんが騒ぎの中心に居るって聞いてマジ焦った。あ、まだ沢山印刷したから良かったら君達もどうぞ」
ニコッと爽やか笑顔で周辺の人間に写真を配り始めた。
狂気の籠った禍々しい写真を見て騒然とする周囲。
中には見た途端小さく悲鳴を上げる者も居る。
生徒会の子達の顔色も相当悪い。
「そう言えばさっきの体育、優奈暫く居なくなってたよね………」
会計の呟いた言葉に他の子達もハッとし、そして更に顔を青くした。
「あは、は、なにこれ? 私こんなの知らない。蒼太くん、なんでこんな事するの?」
私が先程向けられた何倍もの侮蔑、そして恐れや奇異の視線が優奈ちゃんに突き刺さる。
彼女はそれに竦むこともなく笑顔だ。しかし口端は上に固定されているが目は血走って笑っていない。
「黙れ目障りなんだよ、汚物が。お前なんか」
「ソーちゃん!」
思わず弟の話を遮る。
「私の為にしてくれたって事は分かる。それは嬉しいよ。でもね、こんなやり方は良くない」
「なんで?」
「なんというか、スマートじゃない。こんな大勢の前で汚い言葉で糾弾するのは違う。
一人で対処せず先生や私にこっそり教えて欲しかった」
「……分かったよ姉さん」
「私も心配させてごめんね。ありがとう」
不満気ではあるが渋々頷いた弟の頭を背伸びして撫で回す。
すると途端に照れたようなハニカミを見せてくれるので可愛くて堪らない。
本当は優奈ちゃんが周囲からどう思われようが、どうでもいい。
たとえそれが教師を目指す者失格だろうが。
弟には彼女と関わって欲しくないから。
過保護だと言われそうだが、君子危うきに近寄らずでいて欲しい。
彼女のゲームに巻き込まれる必要なんてないよ。
「あと、写真撮るのにサボったでしょ。授業は真面目に出なさい」
「ごめんなさい」
ムギュッと頬をつねったのに、弟は更に嬉しそうに笑う。
「違う違う違う違う違う……こんなの違う………間違ってる」
私達がほのぼのとしている横で優奈ちゃんの空気がより深く暗く鬱蒼としてくる。
その雰囲気に圧倒され、誰もが半歩下がり優奈ちゃんの言動に固唾をのむ。
そんな中で彼女は私だけを見つめた。
「私は主人公なのよ。あんたは脇役、分かる?」
「うん、分かるよ」
「私はみんなに愛される存在なの。あんたは意地悪でみんなから嫌われる存在。分かる?」
「うんうん、分かるよ」
「じゃあこの状況はなんなのよ! 全部あんたのせいなんだからね!」
「うん、そうかもね」
優奈ちゃんの言葉に素直に頷く私は端からは、狂人を宥めているように見えるだろう。
はちゃめちゃな主張に肯定するのは優奈ちゃんを刺激しないようにという意味もあるが、でも一番は彼女の言葉が強ち間違っていないからだ。
私から綻びが出たのは間違いないだろう。
「でも、ここは現実だから。ゲームとは違うんだよ」
私だって年下の少年に相手にされてないのに浮かれまくる寂しい女子大生になんてなりたくないよ。
悪役なんて御免蒙る。
「嘘よ! ここは私の為の世界よ! 違う違う違う違う違う!」
未だゲームに囚われたままの優奈ちゃんの姿は哀れでならなかった。
「これが噂のゲーム脳か………こわっ」
誰かがそんな事を呟いた。
必死に首を横に振っていた優奈ちゃんの動きがピタリと止まる。
「なによ………なによなによなによ! なによその目! あんた達全員私の為に存在してんだからね! 感謝しなさいよ!」
血走った目で怒り狂う優奈ちゃん。
それを見つめる数多の目には憐れみが浮かんでいる。
その姿からはゲームの中の主人公を欠片も感じられなかった。
もうこれ以上見ていられない。
とにかく優奈ちゃんをどこか静かな場所へ連れて行こうとするが、弟に慌てて止められる。
確かに私が何かすると余計に逆上してしまいそうなので、仕方なく他の女性教師を呼び保健室へと連行された。
今後、担任から彼女の親へとカウンセリングを勧める連絡がいくそうだ。
あとはもう、早くゲームから出て来るのを願うことしか出来ない。
なんだかとても濃くて大変な一日だった。
放課後に教員の方に詳しく事情を説明したり、教材研究に時間を使い学校を出る頃にはすっかり日が暮れていた。
「姉さん、お疲れ様」
校門の前に弟が待ってくれていた。
それに思わず顔を緩めて駆け寄ると、そこには弟以外の人影が。
「「「「お疲れ様」」」」
「みんな待っててくれたんだ」
生徒会の子達四人が揃って声をかけてくれるという意外な光景に思わず驚く。
「俺が姉さんを待っていると知って無理矢理ここに居るんだよ。学校にでも泊まり込んで滞った仕事済ませりゃいいのに」
忌々しそうに彼らを睨む弟だったが、生徒会が機能していない間、風紀委員長としてこっそりサポートしていたのを先生方から教えて貰っているので微笑ましく見える。
「あ、あのな、その………」
笑いを堪える私に気まずそうに声をかけるのは会長の子だ。
続く言葉を待っていたが、あーとかうーとか唸っているだけでなかなか先に進まない。
暫くそれを観察している内にあることに気付く。
「ほら、サッちゃん。ネクタイ曲がってる。生徒会長なんだからシャキッとしなきゃ」
会長の子の前に立ちネクタイを結び直す。
「よし、出来た。うんイケメンイケメン」
胸元をポンと叩き笑って上を向くと顔を真っ赤にさせ口をパクパクする会長の子。
毎日弟にやっているので慣れていたけれど、流石に高校生にもなってネクタイを直してあげるのは恥ずかしかっただろうか。
「……狡いです」
小さく上がった声の方をみると、副会長の子が眼鏡をクイッと上げ鋭い目付きでこちらを睨んでいた。
「そういえばシィちゃん。眼鏡の度、合ってないでしょ」
「っ、なんでそれを?」
眼鏡の奥の目が丸くなる。
「だって目付きが険しいよ。ちゃんと合ったの買いなよ」
「しかし、これは………大切な家宝で……」
え? それ私が中学の入学祝いに贈ったものでしょ?
確かに割りといい値段はしたけど家宝にするようなものじゃないよ。
そんなに気に入っているのならレンズだけ交換すればいいのに。
あ、でも――――
「あのね、この前買い物してたらシィちゃんに似合いそうな眼鏡を見つけたの」
この眼鏡もいいが、違うデザインの眼鏡をかけているこの子も見てみたい。
そっと彼の顔から眼鏡を取り、自分に掛けてみる。
うぅ、度が強すぎて視界が歪む。
「良かったら今度見に行かない? 気に入りそうならプレゼントするし。どうかな?」
「は、は、は、はぃぃぃ!」
なんだか素っ頓狂な声が上がったが、副会長の子の顔が歪んで見えないので眼鏡をお返しする。
外した今も頭が少しぼんやりするのだが、副会長の子は私よりも更にぼんやりとしており、なんだか遠くを見つめたまま意識が帰って来ていない。
口っ! 迷探偵、口開いてるよ!
「狡いよっ! 俺にはぁ? 俺もデートしたい!」
副会長の子のぼんやり面に驚いていると、今度は会計の子から非難の声が上がる。
「俺ともデートして! 狡い狡い狡いよぉ!」
ピアスやら胸元のシルバーのネックレスやらがチャリチャリ言うほど身体を揺らして抗議する会計の子に溜め息が出る。
「デートもいいけど、その前に風邪を治しなさい」
「え? なんで分かるのぉ……?」
本当に驚いたらしく激しい抗議を中断させてポカンとしている。
「スーちゃん、たまにくしゃみしてたし、声少し渇れてるからずっと気になって遠くから見てたの」
声を掛けようか迷ってたけど、鬱陶しがられそうでなかなか踏み出せなかった。
「お洒落さんなのも素敵だけど、体調管理も大切だよ」
ノーネクタイの大きく開いた胸元に触れると、ビクリと会計の子の身体が揺れる。
しまった、指先が冷たかっただろうか?
「そうだ、これ巻いておきなさい。風邪は首元から来るんだから」
私は自分のしていたマフラーを外すと会計の子に問答無用で巻き付ける。
お洒落は台無しかもしれないが、ネギを巻かれないだけマシと思って諦めて欲しい。
「へへ、あったかい」
案外気に入ったようで頬を赤くしてマフラーに顔を埋める会計の子。
その様子を微笑ましく見守っていると、クイクイッと袖を引かれる。
「お姉、ちゃん………」
そこにはウルッとした目で私を見下ろす巨体が。
喋るのが苦手な書記の子は何か言いたそうにしている。
「どうしたのセイちゃん?」
「う……おれ、俺、は?」
「ん?」
「俺にも、何か、して?」
いや何かと言われても、何をしろと?
私が戸惑い動けないでいると書記の子の目が更にウルウルし始め、今にも泣きそうだ。
「ちょ、たんま! 私今何も持ってないよ!」
「物は、いらない、もん」
もんとか可愛いが男子高校生は言ってはいけない気がする。
「俺のこと、嫌い?」
「そんな訳ないよ! ああ、もう、えいっ!」
とうとうホロリと涙が一筋頬に伝うのを目にして、思わずギュッと胸辺りにに抱きつく。
これ以外この子を泣き止ませる方法を知らない。
「ほら、泣かないで」
「グスッ、うん……」
「泣き虫直さなきゃね」
「嫌、ずっと、このまま」
「折角大きくて格好良く成長したのにもったいないよ」
「俺、格好いい!?格好いい!?」
「う、うん……っむぐぐ!?」
書記の子が私の頭を思いきり抱き締めた。
息出来ない! しかも頭を渾身の力で締められて孫悟空の苦しみを強制体験させられている。
「離せ、俺の姉さんだぞ」
段々意識が危うく遠退く瞬間、弟が私達を引き離してくれた。
「ガキ臭い嫉妬で姉さんにあんな態度取っておいて今更馴れ馴れしくするな」
「なっ!? 元はと言え蒼太のせいだろうが!」
私が疲労困憊、肩で息をしている横で言い争いを始める子供たち。
「言っとくけどお前らなんて知り合いの少年くらいにしか思われてないから」
「それを言うなら蒼太だってただの弟ですよね」
「弟でも良いんだ。俺が一番だって言ってくれるからな。彼氏よりいつも俺を優先してくれるし」
「彼氏!? なんで止めないの!?」
「成人してんだぞ? そのくらい居て普通だろ」
「イヤだ、絶対ヤダ」
「今だけだ……まだ学生だから……大人になれば俺だって……」
「だからお前弟だろ」
争っているのか仲がいいのか。
何やらヒソヒソと揉めているがそこには親しさが滲む。
こんな時は絶対私は仲間外れ。
男の子同士の話というものらしくお姉ちゃんは少し寂しい。
全員が揃うのは本当に久々なので是非とも仲間に入れてもらいたいものだ。
「ところで四人ともちゃんと生徒会の仕事始めたんだよね。先生方も安心してたよ」
四人に笑いかけると、それぞれがハッとして真剣な目で真っ直ぐこちらを見つめる。
「その、悪かった。心配かけたのに、あんな言い方して」
「迷惑をかけた方達にも謝罪をしてきました」
「これからは今までの分まで頑張るねぇ」
「だから、一緒に帰ろ?」
心配そうな顔の四人に私は満面の笑みを向けた。
「うん、帰ろう」
「「「「うんっ」」」」
幼い子供のように輝く目がとても愛らしい。
だらける表情の私に弟は口をへの字に歪める。
やっぱりこの子が一番可愛い。
「はい、姉さん」
不機嫌ながらも差し出された手。
私の手をすっぽりと覆ってしまうほど大きく固いそれをギュッと握る。
「ソーちゃん寒くない?」
「うん、姉さんの手があったかいから平気」
薄い闇の中、姉弟仲良く寄り添う私達に続く四人が小さく呟いた。
「「「「だからお前ら姉弟だろ」」」」
あとから気付いたのですが、高校の教育実習って夏休み前か夏休み後ですよね。
マフラー出しちゃった……ま、いっか!
その日が異常気象か、特殊な学校だったことにしておいて下さると嬉しいです。
適当ですみません。
かなりくだらない話でしたが最後までお付き合い下さりありがとうございました。