タイトル未定2026/10/01 23:34
時間がしばらく過ぎ、疫病神と呼ばれている少女が静かに目を覚ました。見覚えのない見知らぬ天井に戸惑い、辺りを見回して自分の部屋ではないと察すると、慌てて起き上がろうとする。
「あっ、目が覚めましたか?」
ベッドの傍らで夏が優しく声をかけた。少女は混乱した様子で視線を泳がせる。
「えっ……? どうしてあなたがここに? 私、確か図書館にいたはずじゃ……」
「図書館で倒れていたらしいの。何があったか、何か思い出せる?」
「……倒れてた? もしかして、あなたなの……? あの時の仕返しに、私をこんなところへ連れてきたの? どうしてそこまでするの……」
怯えを孕んだ問いかけに、夏は首を振って打ち消した。
「違う、そんなことしてないよ! 私がそんなことするなんて、あり得ない」
「どうやって信じろっていうの……? 現に私はここにいるのに、そんなの嘘よ……」
「本当に私じゃないんだよ」
不安に震える少女を見かねて、傍で見守っていたククリスが間に入った。
「私が保証する。夏の仕業ではないよ。君は意識を失って倒れていたところを助け出され、ここで匿ってほしいと運び込まれたんだ。それに……君が倒れていた近くには、死体があったらしい。何か心当たりはないか?」
「死体……? 何を言っているの? 知らない……そんなの知らないわ! それよりも……私、部屋に戻ってもいい?」
ククリスは静かに、しかし毅然とした態度で告げる。
「知らないか……。部屋に戻したいのは山々だが、それはできない」
「……知っているんでしょう、ククリス先輩。私のことを。なら、私を早く部屋に戻した方がいいことだって分かっているはずです! なのに、どうして……? 私が誰かに狙われているなら、むしろ好都合よ。そのまま……そのまま私を殺してくれればいいのに」
投げやりな言葉にククリスが思わず怒鳴り散らそうとしたその瞬間、夏が勢いよく少女の肩を掴み寄せた。
「ふざけないで!! 殺してほしいだなんて、そんなバカなこと言わないでっ!! 疫病神なんて呼ばれてるからって、自分を捨てないで! それに……あなたのその力は、発動なんてしてないんだよ!」
突然の喝破に、少女は目を丸くする。
「えっ……? 発動してないって、どういうこと……?」
「夏、それは一体どういう意味だ?」
ククリスも困惑を隠せない。夏はゆっくりと少女から手を離すと、まっすぐな瞳で二人を見つめた。
「……言葉通りの意味です。彼女はその力を発動させていません。だから、彼女が疫病神と呼ばれることなんて絶対にあり得ないんです。彼女が意図的に力を発動させたなら別ですが……」
少女は震える手で左腕の袖をぐっと捲り上げた。そこには、禍々しいどす黒い痣が浮かび上がっている。声をもつれさせながら、少女は夏に問いかけた。
「あなたは……この痣について何か知っているの……? この痣は何なの……? 私の体には、他にもこれと同じ痣があるの……」
その異様な痣を目にしたククリスも顔を曇らせる。
「私も、そのような痣は見たことがないな……。夏、なぜそんなことを知っているんだ?」
二人の視線を一身に浴びながら、夏は心の中で内なる存在――鈴へと語りかけた。
(……ごめん鈴、話がややこしくなっちゃって)
(そうね。とりあえず、どうするつもりなの一体?)
(……本当のことを全部は言えないけれど、これだけは譲れない)
夏は意を決し、二人に向き直った。
「……ごめんなさい。これ以上詳しいことは言えません。でも……私が言ったことは絶対に真実です」
ククリスは納得のいかない表情を浮かべたものの、夏の真剣な眼差しに気圧され、短く息を吐いた。
「……分かった」
少女もまた、腑に落ちない様子で胸の内で葛藤しながらも呟く。
「……そう。でも、本当に……私と一緒にいて大丈夫なんですか……?」
「ええ、心配しなくても大丈夫だよ! それよりも……あの、お名前を教えてもらえませんか? まだ名前を聞いていなかったので」
夏が柔らかく微笑むと、少女は少しの間を置いてから、ポツリと己の名を口にした。
「……彼岸セツナ」
「彼岸セツナちゃん……すごく綺麗なお名前だね」
夏がほっとしたように笑みを浮かべると、セツナは戸惑ったように視線を伏せた。自分の名を呼ばれ、しかも褒められることなど、いつ以来か思い出せなかったからだ。
一方で、ククリスは腕を組みながら真剣な面持ちで考え込んでいた。
「彼岸セツナ……。拓海が握っていた『証拠』の写真と、夏が言う『力は発動していない』という事実。そして図書館で発生した不可解な事件……。どうやら誰かが意図的に裏で糸を引いて、セツナを孤立させようとしている可能性が高いな」
「あの勧誘が凄かった人が……? でも、どうして私なんかが……」
不安そうに体を強張らせるセツナの手に、夏はそっと自身の手を重ねた。セツナは一瞬びくっと肩を揺らしたが、夏の手から伝わる温もりに引き寄せられるように、そのまま拒絶することなくじっと耐えている。
(……本当に、私に触れても何も起きない。私、誰のことも傷つけてない……?)
冷え切っていたセツナの心に、小さな希望の光が灯り始めていた。
「セツナちゃん、しばらくはここで一緒に過ごそう。ククリスもいるし、ここなら絶対安全だから」
「……本当に、私……ここに居てもいいの……?」
「うん! もちろん!」
夏のまっすぐな優しさに触れ、セツナの瞳から一筋の涙が溢れ落ちた。長らく「疫病神」として蔑まれ、暗闇の中にいた少女が、初めて温かい居場所を見つけた瞬間だった。
しかしその頃、学園の闇の中では、転移させられた副部長と魔族の女性、そして彼らを陰から操る新たな影が、着々と次の罠を張り巡らせ始めていたのだった――。




