第88話 挨拶を裂く爪撃
昼過ぎ。
『万』学長室で哲夫を傍らに二人の男が相対す。
柊波瑠明と篤馬波論である。
「——と言うわけだ、波瑠明先生」
簡単な経緯を哲夫が説明し終えると、柊は波論を凝視する。その視線はまるで、波論を鋭く射抜いているかのようだった。
だが、波論はその視線をものともせず、逆に睨みを返していた。
「公認の忌み子たぁ、驚いた。で、年は」
ぶっきらぼうに波論が問うと、柊はすんなりと答える。
「今年で二三になる。聞き返してもいいのかな?」
「若ぇ。俺は虎殿のジジイと奇しくも同じでな。今は九八だ」
若干目を丸くし、柊は興味津々そうに話を続ける。
「九八には見えないね。そう言う術式かな?」
「どうやら、おめぇは忌み子の寿命のことを知らねぇようだな。この際だから教えてやんよ」
知らぬことを知りたがる子供のように、柊は波論の話に食いつく。
「忌み子には寿命なんざねぇんだぜ。年齢による老化もそこらの人間に比べりゃ著しく遅ぇし、寿命で死ぬこともねぇ。死ぬことがあるとすりゃ、自殺か他殺の二択しかねぇってわけよ」
「へぇ、寿命は無い、か……。君とその尾盧與縫って人以外に、お仲間の忌み子はあと何人いるんだ?」
会話を深掘りするように柊が問う。
「もう殺されちまったが、俺が知ってんのは二人だな。一人は、そこのハゲがかつて恋した女だ。そしてもう一人は、俺の古ぃ友人でな」
波論が親指で哲夫を指し示しながら言う。
柊が思わず哲夫を振り向いた。
「今は不問にしたまえ」
「は、はぁ」
柊は波論へ視線を戻した。
「それにしても、俺以外の忌み子が本当にいたなんて正直驚いたよ」
「予測はしてたか」
ふっと笑いながら波論が言う。
「俺じゃなくて、それを予測していたとある裁判長がいるんだ。すごく合理的な人でね。本当なら即刻死刑にされるはずだった忌み子の俺を、条件付きで仮釈放してくれてる」
「一時凌ぎに過ぎねぇわけだ」
興味深そうに波論は柊をまっすぐに見つめている。
その獰猛な視線に僅かに戸惑いを見せたか、柊が意味もなく視線を逸らした。
その瞬間だ。
「……ぅおっと」
ギイイイインッという鋼と鋼が削り合うような高鳴りが学長室に木霊した。
見ると先ほどの哲夫の時のように、波論が鋭く煌めく爪を突き出していた。同時に鎬を削るのは、柊が咄嗟に展開した術水の壁である。
「くっはは、なかなかの反応速度だ。目を見張るもんがある」
波論は柊を試すように、突き出した爪にさらに力を込める。
その度にギチギチと柊の術水の壁が悲鳴を上げた。爪の先端が鋭過ぎるあまり、緻密な柊の術水の壁の一点に穴を穿つ。
「潰れんぜ、もうしばらく耐えてみな」
「挨拶は済ませたはずだけどね」
波論が犬歯を覗かせながら獰猛な笑みをたたえる。
徐々に加える膂力を上げて爪を押し込み、ついに柊の術水の壁に亀裂が入る。
「割れた瞬間にその面を裂くぜ。ハッタリだと思ってんなら試しに、その壁どかしてみな」
「どうやら、忌み子って話は嘘じゃなさそうだ。今までこんなに押し込まれた経験はないよ。じゃ、少し俺も本気を出すかな」
柊が僅かに腕の筋肉を強張らせる。
「ほう」
先ほどまで防戦一方だった柊の術水の壁は、それを鋭く貫く爪に構わず押し返し始めた。
「その爪、ただの爪じゃないよね。俺と同じ、忌み子特有の波長を感じる」
「こいつぁ毒麟芽爪。その身を引き裂かれ、如何なもんか試してみっか?」
今にも柊を引き裂かんとする波論の視線がギロリと煌めいた。
「折角だけど結構」
両者の膂力は拮抗している言えるが、柊に比べ波論の方は、まだ幾分か余裕がありそうだ。
浮かべる不敵な笑みがそれをものがたっている。
(いつ左手を出してくる……。しかし、こんな化け物久々だな。賢術師だって話だけど、どこに隠れてた?こんな力を持ってたら否が応でも騒ぎになるはずだけど)
「どこに隠れてたんだ?」
本心から気になると言った様子で、柊が問う。
「おめぇらが見つけられなかっただけだ。強いて言えば、ここ最近眠りこけてたくらいだ。一〇年くれぇな」
「あっそっ!!」
柊が一瞬に込められるだけの腕力を発揮する。
波論の爪は術水の壁によって弾かれ、波論の身体が僅かに後方へよろめいた。
「ふ〜、危ない危ない」
「なかなかやるじゃねぇの。なにか内に秘めたもんを感じるが、おめぇ、何を隠してやがる?」
柊の力の底を覗くように波論が彼を凝視する。
「忌み子の君だから敢えて明かそう」
勿体ぶるなと波論は視線で訴える。直感でそれを悟ったか、柊はすぐに言葉を続けた。
「俺は完全体だ」
それを聞き、波論は目を見開いた。
忌み子の真髄は、完全体へなることによる《闇渦》への昇華。それを知る波論には、その言葉がハッタリにでも聞こえたかもしれない。何せそれは信じ難い話なのだ。
忌み子である彼ら自身が、それを一番理解している。
「衝動を抑えられるわけはねぇんだが……」
波論の表情に驚きと好奇心が混濁する。
彼は下腹部をぽりぽりと爪で掻きながら柊へ問いかけた。
「ハッタリじゃねぇなら、その話にゃ興味がある。俺の爪を払い退けるたぁ大したもんだ。その話、信憑性もあるってもんよ」
高笑いしながら波論は席に着く。
毒麟芽爪が人肌のように脈打ち、腐った翡翠色が天井の蛍光灯に照らされて淡く煌めいている。
爪には細かい蒼白のガラス破片のようなものが所々に刺さっていた。柊の術水の壁の破片だろうが、波論はそれを全く気にしていないと言った様子だった。
「衝動が抑えられるってのは初耳だな。それに、もうすぐ一〇〇の年月を数える俺とて完全体には遠く及ばねぇ。おめぇみてぇな若造の肉体が、どうして完全体になった?」
頬杖をつきながら波論が柊の回答を待つ。
「俺もなぜ自分が完全体なのか、そして、衝動を抑えられるのかは全く分からない。あるいは、母胎から産み落とされた時点で完全体だったのかもしれない」
「そりゃ、ねぇだろうよ」
確信めいた口調で波論が述べる。
「忌み子ってのはそう簡単に生まれねぇ。だから、世界に拒絶されてるって言うんだってな」
挨拶代わりと言わんばかりの爪撃が煌めく——
忌み子に関して、少しずつ明らかになってゆくのです。




