第45話 毟り呻く
淡い七色が空に層を成した広大なる空間の中央。大理石の様なマーブル模様が蠢いている絨毯の上で目覚めたのは、眞樹である。
周囲には淡い七色の空だけが存在している。困惑しながらも、眞樹は身体を起こした。
「ここは……?」
そう呟くも、その声が微かに空間内に響くだけである。周囲を見渡し、状況を確認する。
(なんだ、知らない空間……)
眞樹はおもむろに歩き出した。
「うおっ……」
足元に違和感を感じて視線を下に向ける。眞樹が一歩歩く度、足を踏み込んだ床のマーブル模様が波の如く靡いていた。まさに世にも不思議な空間だ。
「おーい、誰かいないのかー!」
眞樹の声のみが響くも、誰かがいる様な雰囲気はない。返答もないので本当に誰もいないのだろう。しばらく歩こうにも、一向に光景が変わらないことに眞樹自身も違和感を感じていた。
(まるで水平線みたいに、一向に景色が変わんねぇ。空があるようにも見えるし、永遠に続いているようにも見える。魔術骸の催眠が何かか?いや、これまでの記憶が、なんか曖昧だけど……)
数分と歩を進めるも、何も起きず、景色も変わらず、誰かがいるわけでもない。歩けど目の前の水平線の果てには到底近づけず、今の景色があるだけの時間が止まった部屋のような感覚だ。
(自分以外の全ての時間が止まってる感覚だ。そもそもここはどこなんだ?少なくとも俺は今まで見たことがない……)
眞樹は試しに自分の腕の肉を抓ってみる。
(視覚、聴覚、触覚はある。その他は確かめようがないか……?五感があるのなら、夢では無さそうだし、かと言って感覚的に現実味がない)
何もわからない、不可思議な感覚が眞樹の脳内を支配する。
しかし、そんな状況に変化が起きた。
水平線の様に変わらない景色の中をしばらく進むと、遠くにぽつりと佇む人影が眞樹の目に映った。
(誰かいる?)
「あのー!誰かいますかーー!」
呼びかけるも返答はない。
しかし、歩けば歩くほどその人影は大きくなる。つまり、両者の距離が近づいている証に他ならない。眞樹はとりあえず駆け出した。
「……え?」
数十秒走ってようやく、その人影の全貌が見えた。全貌といえど、それは輪郭だけの人影だった。顔も見えなければ、男女どちらなのかもわからない。
「聞こえますかっ!」
普通なら声も聞こえる距離。だが、それでも人影からの返答はない。眞樹は走り続け、ようやくその人影の目の前で足を止める。
「あの……」
「……」
人影は動かず喋らず。
眞樹は困り果てた様子で後頭部を掻きながら周囲をぐるっと見渡した。その人影の輪郭に、眞樹は見覚えがなかった。身長も眞樹と同じくらいだが、体格はまぁまぁガッチリしている様にも見える。
そんなことを考えているその時だった。
『——助けて』
「は?」
突如、声が響いた。眞樹は人影を凝視する。
『——怖い鳥さんが僕を殺しに来る』
「怖い鳥さん……?なんのことだ……?」
謎の声はその人影から聞こえるわけではない。
ならばどこか。
全方向から脳内に話しかけられかの様な感覚を眞樹は覚えた。
『——鳥さんは僕たちを食べちゃうよ』
「え……?」
『——鳥さんは僕たちを殺しに来るよ』
「なんなんだよ!」
『——鳥さんは……』
そこで言葉が途切れ、代わりにザザザッという鈍いノイズ音が鳴り始めた。
「うるさっ——!?」
次の瞬間、眞樹の身体を何かが背中側からぶち抜いた。
(……はぁ!?)
ぶち抜いたその何かは、眞樹には分からなかった。一瞬で意識が持っていかれる感覚。眞樹の身体はそのままぶち抜かれた腹部で二つに分断された。
ドシャッと臓物やらが地面に落ちる。眞樹は遠のく意識の中で辛うじて周囲を見渡すことが出来た。
暗黒に染まりゆく視線が一瞬だけ捉えたのは、上空に浮遊する十字架の様な物体だった——。
***
夜明け頃。
賢術の学府『万』、教諭室。
「なんですか、こんな時間に呼び出して」
「どうせ巡回中だったでしょう。丁度いいと思ってね」
「は。で、なんの用です?」
対面するのは柊と、柊の席に座る篠克だ。時刻が朝の五時頃と言うこともあり、まだ周囲は暗い。
柊が問うと、篠克は話し出した。
「これから一週間、角島地区の王族の護衛任務を名指しで任された」
「……は?篠克理事長がですか?」
「えぇ」
角島地区とは、ここからだいぶ離れた場所に位置する地区だ。つまり、理事長たる篠克が実に一週間もの間、賢学を離れると言うことだ。
「理事長と学校長は原則任務には出向かない決まりじゃなかったでしたっけ」
「王族からの勅令を受けましてね。特例として本部もそれを許諾したと」
「へぇ、直々に勅令ねぇ……」
柊も近くの棚に体重を預けて腕を組んだ。
「私がいない一週間、君と迦流堕先生にこの学府を任せてもいいですね?」
「久留美さんとか圭代さんと、もっと他にいるでしょ?なんで俺と迦流堕なんです?」
「なんとなくの人選です。正直に言えば、私はこの学府の中で最も君を信頼している。迦流堕先生は、そんな君と同期ということもありましてね」
「初めて聞きましたよ。俺を信頼するくらいなら圭代さんや久留美さんでしょ」
ははっ、と笑って篠克は言う。
「そこは私の勝手ですがね」
「合理主義者の理事長が言うなら、それなりの考えがおありでしょうね。わかりました。俺から迦流堕には伝えておきます」
「助かります」
そう言いながら、篠克はおもむろに立ち上がった。
「では、私は行きます」
「はい」
篠克が教諭室の扉まで歩を進める。柊も預けていた体重を起こして立ち上がり、篠克の方へ視線を向けた。扉を少し開けたところで、篠克は柊を振り返る。
「あぁ、任せたのは、ここだけではなかった」
「はい?まだあるんすか」
「いいや、独り言です。失礼します」
「分っかりやす」
明らかに含みを持たせた笑みを浮かべながら、篠克はそのまま教諭室を後にした。教諭室に一人残った柊は、篠克の座っていた自分の席に腰掛ける。そして机に向かった。
「はぁ。明日から俺も調査任務だってのに。人使いが荒いんだから、ったく」
柊が向かう机上には数枚の用紙。
「それにしても、久しぶりにめんどくさい任務が来たもんだね。えぇっと……」
それはとある任務の報告書だ。提出主は、眞樹と虹の二人。
本部の賢術師と調査を行い、第二次調査が必要と判断された旨が書かれている。その第二次調査に、柊が指名されたわけだ。
「三年とかに任せればいいのに。まぁ、とりま行ってみて、かな」
報告書に一通り目を通した柊は頭上で腕を組み、そのまま捻って背伸びをする。窓の外に目を向けると、丁度日の出の時間だ。
遠くに見える山々の輪郭が橙色の光を帯び、やがて朝が来た。
「さて、今日の授業の準備でもすっかね」
そう言い、柊は報告書をまとめて引き出しにしまう。そして徐に立ち上がり、教諭室の扉を開けて外へと出て行った。
***
同刻、五時五〇分。
『万』生徒寮のとある部屋。
「おい、眞樹!開けろ!おいっ!」
「ふぁ〜……朝っぱらからなんの騒ぎだよ、虹」
鍵のかかった扉を叩きながら叫ぶ虹の声に、眠そうに瞼を擦りながら流聖が話しかける。しかし、緊迫した様な虹の表情を見ると、途端に流聖の表情も変わった。
「何かあったのか?」
「耳当ててみろよ……」
虹の言う通りに、流星は扉に耳を当てる。
『うううっ……んんん……』
明らかに苦しそうな呻き声が聞こえてくる。
「これ、眞樹の声かっ!?」
「多分そうだ。さっき廊下歩いてたらなんか聞こえてきて、ここで眞樹を三分は呼び続けてる……その間もずっとあんな呻き声を……!」
「眞樹っ!聞こえるか!」
そう言った後に再び扉に耳を当てる流聖だが、変わらず呻き声が聞こえるだけだ。流聖と虹が必死に扉を叩くも、状況に変化はない。
「仕方ねぇ!」
虹がひっそりと術水の放出を始める。同時に術印を展開した。使用したのは《神髄印》の一式、[天撃]。指先に小さく術水を圧縮し、人間の手が入るくらいの穴を扉に穿つ。
「眞樹、開けるぞ!」
虹は開いた穴から手をいれ、扉の内側の鍵を開ける。同時に扉を開くと、より顕著に呻き声が聞こえてきた。虹と流聖は即座に部屋の中へと駆け出す。
「ま、眞樹っ!!?」
「な、何してんだお前っ!!」
二人が目にした光景。
血塗れのベッドに身を倒しながら、左手で腹部の肉を爪で毟り削る眞樹の姿だった。既に全身が血塗れ、余程強い力で身を毟ったのか、剥がれた爪が数枚床に散乱している。
「せ、先生呼んでくるっ!」
「た、頼んだっ!」
慌てて虹が部屋を飛び出した。自身の身を毟り続ける眞樹の手を流聖は掴む。だが、凄まじい力だ。
眞樹が一際大きな唸り声を発して、流聖の手を強引に振り払った。明らかに苛立った様子で、流聖が直後声を張り上げた。
「おいっ、眞樹!起きやがれぇっ!!!」
そう言いながら、流聖は眞樹の頬に掌を容赦なく振り下ろすのだった——。
朝迎えた寮での異変。眞樹の様子は——?




