40:輪廻転生
――浄化任務を終えた翌日、私とガブリエルは再び廃墟を訪れていた。
屋敷の中には入らず、近場に木で作った質素すぎる墓標を立てる。そして墓標の許に、女性が残した日記を置いた。
私もガブリエルも日記の持ち主の女性のことが未だ気がかりで、彼女の魂が少しでも安らかに眠れるようにと考えたのだ。気休めでしかないけれど、何もせずにはいられなかった。
墓標の前に二人並び、祈りを捧げる。
「どうして若様はすぐに来なかったのかしら。盗賊が屋敷を襲撃したのは、引っ越し後すぐって訳じゃなかったんでしょう?」
ガブリエルに問いかけられて、私は閉じていた瞳を開けた。
女性の日記に書かれていたことはガブリエルにも共有している。体を乗っ取られていた彼女は女性の感情を体感したかもしれなかったけれど、こちらから聞く気にはなれなかった。
「分からないわ。事故やトラブルで遅れてしまったのか、もしくは……」
昨晩街の人々に若様のことをそれとなく聞いてみたけれど、誰もが首を傾げた。どうやらこの廃墟が貴族の屋敷だったのは、思っていた以上に昔のことだったらしい。
だとしたら、若様も今はもう――
「そもそも駆け落ちの約束をするなら、もっと段取りを決めておくべきだと思うわ。ただ待っていてくれって、若様の言葉が曖昧過ぎる!」
ガブリエルは眉を吊り上げて若様に怒っているようだった。
彼女の言葉に頷きつつ、怒りを鎮めるように背をぽん、と叩く。そのとき、背後から土を踏みしめる音がした。
振り返る。そこには居心地が悪そうに体を丸めて、しかしこちらをじっと見つめるアロイスさんの姿があった。
彼はここに来たいという私たちの護衛としてついてきてくれたのだ。エデュアルトはまだ先日の傷が癒えきっていないため、宿で休んでもらっている。
隣に立つガブリエルがアロイスさんの姿を見て、表情を硬くしたのが分かった。嫌なのではない、緊張しているのだ。
「……ほら、ガブリエル」
ガブリエルの背中を押す。すると彼女は私の手に逆らうことなく、一歩アロイスさんの方へ出た。
見つめあう聖女と専属騎士。彼らはすれ違っていただけで、きちんと話せば分かり合えるはずだ。
私は口を挟まず二人を見守った。
ガブリエルの肩が大きく上に動く。おそらくは一度深呼吸したのだろう。上がった肩が元の位置まで戻って、それから数秒後、
「あなたのこと、色々と教えてください」
穏やかな声で、ガブリエルは言った。
アロイスさんはぱぁっと表情を明るくさせて、ガブリエルに駆け寄る。そして大きく頷いた。
「はい! もちろん!」
ニコニコと嬉しそうなアロイスさんと、照れくさそうなガブリエル。これから二人がどのような関係を築いていくのかは分からないけれど、きっと大丈夫だ。
仲睦まじい様子の二人に声をかけることは躊躇われたが、無言で去るわけにもいかないので、じりじりと距離を詰めながら話しかける。
「二人とも、先に戻っててくれる?」
「どうして?」
「この近くに御言葉の地がないか、街の人たちに聞きたくて。修行を兼ねて回ってるの」
大仕事の後だが、アラスティア様からしてみればそんなことは関係ない。今朝から御言葉の地を探せとうるさいのだ。
二人の横を通り過ぎようとした私の手首を、ガブリエルが掴んだ。
「一人だと危険よ」
「大丈夫よ。制服も脱いでるから聖女ってバレることもないし、まだまだ明るいし、それに街の外には出ないわ」
心の中で、女神様も一緒にいるし、と付け加える。
今世では一人で街を歩いたことがない。幼い頃は当然両親と共に歩き、大修道院に入ってからは外に出ることはなかったし、聖女になってからは常に専属騎士であるエデュアルトがついてくれている。しかしだからといってこの年にもなって、一人で街を歩くのが怖いと思うほど箱入りではない。
夕方頃に宿屋に戻れば大丈夫、なんて気楽に考えていたのだが、ガブリエルは断固として頷かなかった。
「だめ。何かあったらエデュアルトさんに申し訳ないわ」
ガブリエルの口から出てきた名前に動きを止める。
一人で街を歩くことに関して、ほんの少しだけ、エデュアルトに心配をかけるのではないかと引っかかっていた。しかし彼もそこまで過保護ではないだろうと思い直し、できるだけ考えないようにしていたのだけれど――第三者からエデュアルトの名が出ると、つい反応してしまった。
そんな私に「エデュアルト」の名前は効果があると思ったのか、ガブリエルは早口で続ける。
「オリエッタたちとはぐれた時、ちょっとだけエデュアルトさんに話を聞いてもらったの。……あなたのことをとても大切に思ってるのね」
決して揶揄うような口調ではなかった。心の底からしみじみと、噛みしめるようにガブリエルは言う。だからこそ、彼女の言葉は胸に響いた。
――あぁ、やっぱり、一人で行動するのはやめた方がいいかもしれない。大丈夫だと慢心した結果、万が一があってエデュアルトに余計な心労をかけてしまう可能性がある。それに何より、聖女に何かあった際、専属騎士の責任が問われでもしたら申し訳ない。
自意識過剰だと馬鹿にされようと、一人で行動するときは事前にエデュアルトに相談しよう。
「……私たちも、オリエッタとエデュアルトさんのようになれるよう頑張るわ」
すっかり黙り込んでしまった私に微笑むガブリエル。
まさか私とエデュアルトの関係を目標にしてもらえるとは思っていなくて、気恥ずかしさと喜びで余計何も言えなくなってしまう。
ガブリエルは掴んでいた私の手首を開放したかと思うと、ぎゅっと手を握ってきた。そして手を繋いだまま歩き出す。
――その後、結局ガブリエルとアロイスさんと三人で御言葉の地についての聞き込みを行った。
***
結論から言うと、御言葉の地についての収穫は何もなかった。街の人々は皆、そんな単語聞いたことありませんとばかりに首を傾げるだけだった。
聞き込みを切り上げた夕方頃、不機嫌な女神様と一緒に私はエデュアルトの部屋を訪ねる。
彼はベッドの上で上半身を起こし、本を読んでいた。
「エデュアルト、体調はどう?」
「もうすっかり大丈夫だ。……体調より、翼のせいで服を一着駄目にしてしまったことの方が気がかりだな」
そう言って笑うエデュアルトの顔色はずいぶんといい。今日一日でほとんど回復したようだ。
ベッド横に置かれた木製の椅子に腰かけ、見舞いにと購入した果物をベッドサイドテーブルの上に置く。するとすかさずエデュアルトは本を閉じ、果物に手を伸ばした。そして付属の果物ナイフでリンゴの皮をむいていく。
怪我をした本人に見舞いのリンゴの皮むきをさせるのは心苦しかったが、生憎と今世の私はナイフの扱いに長けていない。下手に手を出すより、エデュアルトに任せてしまった方が余計な手間をかけないだろう。
リンゴの皮をむくエデュアルトの横顔を眺めながら、話を切り出す。
「やっぱり、強い呪いには引き摺られてしまう?」
「今回は不意をつかれたから、余計にな」
ははは、と笑うエデュアルトにかける言葉が見つからない。
彼の身にかけられた竜の呪いは強力だ。このまま呪いや穢れに日常的に触れる生活を送っていては、再び竜に姿を変えてしまう日が来るかもしれない。
「……聖女の専属騎士は、穢れや呪いに触れることが多いわ。だから――」
「俺の呪いを本当に解く方法も、見つかるかもしれない」
私の言葉をエデュアルトは強い口調で遮った。そこから先は言わせない、と言わんばかりに。
皮むきを終えたらしいエデュアルトはリンゴを小分けに切って、小皿の上に置いた。そしてずい、とこちらに勧めてくる。
「それ以上聞くつもりはないぞ、俺は」
「……ありがとう」
そこまで言われてしまっては、もうお礼を言うことぐらいしかできない。
私は勧められたリンゴを手に取り、一口齧った。甘くて、瑞々しくて、とてもおいしい。優しい味だ。
「そういえば、ガブリエルもお礼を言ってたわ。話を聞いてくれてありがとうって」
「アロイスさんとは?」
「お互いに話し合う時間を持つみたい。きっとあの二人なら大丈夫よ」
エデュアルトは安心したように頷いた。
ガブリエルはどのような話をしたかは具体的に教えてくれなかったが、アロイスさん、ガブリエル共に話を聞いてくれたと心から感謝していた。今回は彼の力も大きかったことだろう。つくづくエデュアルトには頭が上がらない。
廃墟でのことだって――と今回の浄化任務を思い返し、とある疑問が脳裏に浮かんだ。
アロイスさんと二人のときに聞いた、助けてという声。あれはやはり日記の女性のものだったのだろうか。
「……そういえば屋敷内で聞いた助けてって声、あれは日記の女性のものだったのかしら?」
「あれ、たぶん妖精の声よ」
今まで黙ったままだったアラスティア様が口を挟む。
彼女は手乗りサイズの姿でリンゴを頬張っていた。リンゴ一切れでも、体が小さいと食べ応えがあるだろう。
「妖精って話せるんですか?」
「女の呪いから聞こえた音を真似してただけで、多分意味は分かってないでしょうね。妖精が棲家にしたかったのに呪われて不自由してたから、あんたたちに浄化させようと誘導してただけ」
どうやらあの屋敷には悪霊も妖精もいたらしい。今頃、あの屋敷は妖精の住処になっているのだろうか。
ぼんやりと妖精について考えていたはずなのに、気づけば思考は日記の女性のことで覆いつくされてしまう。やはり彼女のことが気がかりだ。呪いの浄化はできたものの、彼女自身はどうなってしまうのか――
「……アラスティア様、あの女性って……生まれ変われるんでしょうか」
アラスティア様は首を傾げた。私の問いかけの意味がよくわからない、と言いたげに眉を潜めて。
日記の女性に生まれ変わってほしいと願うのは私の身勝手だ。彼女自身望んでいないかもしれない。けれどどうしたって願ってしまうのだ。
女神様に問いかけの意味を理解してもらうべく、私は更に言葉を重ねる。
「ほら、私たち聖女って前世持ちじゃないですか。違う世界から釣られてきたって特殊な立場ですが、前世がある以上、輪廻転生という考え方はどの世界にも存在している訳ですよね?」
“前世持ち”はその呼び名の通り、前世の記憶を持っている。そして前世の記憶を持っているということは、当然の話だが私には前世がある。
だったら聖女以外の人、例えばエデュアルトにだってきっと前世はあるだろう。ただ記憶がないだけで、それ以外は何ら変わらないはず。
「その世界を作った神によるわね。うちはナディリナがいちいち新しい魂を作るのを面倒くさがったから、輪廻転生で回してるけど」
アラスティア様の口ぶりからするに、前世という概念がない世界も存在するのだろうか。気にはなったが、今深く聞く話題ではないだろうと判断する。
とにかく、この世界に輪廻転生・生まれ変わりが存在しているのは確かなのだ。それなら希望も見えてくる。
「だとしたら、あの人も……」
今世では悲しい最期を遂げてしまった日記のあの女性も、来世では幸せになって欲しいという願いから出た言葉だった。
しかしアラスティア様はそんな私の願いを「どうかしら」と軽い口調で否定する。
「未練がある魂は留まりたがるから、結果的に輪廻転生の輪から外れることもあるわ。重すぎて拾い上げられないのよ。そういう魂はアラスティアに還るわ」
「重い……?」
「あんたの魂みたいにね」
真正面から指差されてドキリとする。
未練を持つ魂は重い。――私の魂のように。
アラスティア様は私の魂が重かったと散々文句を言っていた。そのとき、魂に重さはあるのかとピンとこなかったことを覚えている。だから深く踏み込むことはしなかったのだけれど、まさか“重さ”に理由があるなんて。
未練を持つ魂は重い。私の魂は重かった。つまり、私は未練を残した魂だった――?
「……私、未練があったんですか」
「覚えていないのか?」
エデュアルトの問いかけに小さく首を振った。
まるで心当たりがない。いいや、正確に言えば、覚えがない。
「薄ぼんやりとしか……。でも病気だった記憶はないから、不慮の事故だったのかもしれないわ」
前世の両親や友人の顔も声も思い出せない。ただ覚えているのは、何気ない日常のワンシーン。
何かに不自由した暮らしだった覚えはなかった。平凡な暮らしを満喫していた、平凡極まりない庶民だったはずだ。
そんな生活の中で未練を残して死ぬとなると、死に方が不本意なものだったのかもしれない。例えば不慮の事故。例えば――他殺。
前世での話と言えど、自分が死んだ理由を考えるのはあまり気持ちの良いものではなくて、思わず話を逸らしてしまう。
「でもこの世界の前世持ちで、前世の記憶をしっかりと持ってる人はあまりいませんよね」
前世の記憶をあまり覚えていないというのは、何も私に限った話ではない。大修道院で他の聖女候補に前世の話を聞いたことが何度かあるけれど、皆ぼんやりとしか覚えていないようだった。中にはほとんど覚えていない聖女候補生もいたが、だからといって女神の力が弱い、ということもなく。
前世の記憶をどれだけ覚えているか、と聖女としての適性は全く関係がないのだ。――そもそも女神様たちは、この世界の魔力に適さない魂を別の世界から連れてきているだけで、前世の記憶の有る無しは副産物のようなものなのだろう。
アラスティア様はどうやらリンゴがお気に召したようで、食べながら答えてくれた。
「別の世界の輪廻から無理やり引っ張ってきてる代償かもしれないわね。そもそも記憶を引き継ぐことの方があたしたちは予想外だったわよ。分かりやすくていいけど」
「女神様でも予想外のことがあるんですねぇ……」
この世界を作った本人なのに、という失礼になりかねない言葉は飲み込んだが、アラスティア様に睨まれてしまった。
ご機嫌を取るつもりで見舞い品のぶどうを一粒差し出したが、つん、とそっぽを向く女神様。
「そうじゃなきゃ、今頃小娘の体に閉じ込められてないわ」
「それは……仰る通りで」
それ以上返答のしようがなかったのだが、エデュアルトが耐えきれなかったように噴出した。それを見咎めたアラスティア様が怒って彼の頬をつねる。
ぎゃいぎゃい騒ぐアラスティア様に、不敬にも手で追っ払おうとするエデュアルト。騒がしくもすっかり日常になってしまったその光景に、私は微笑んだ。




