口付けと不安な夜
ヒア・ローデンヴァルトはメインヒロインなのに出てきませんが、すぐにヒロイン二人目が出てきます。
ヒアの告白を聞いたとたん、僕の胸が急に甘酸っぱいもので満たされていった。
長い間一緒にいたから嫌われてはいないと思っていたけど、こうやってはっきりした言葉にされるとやはり大きい。
告白される前と後で、世界が切り替わったような感覚。
心臓がうるさいくらいに鳴って、ヒアがついさっきまでよりずっとずっと可愛く見えた。
空の星を集めて人に与えられたような銀色の髪も、王族が生涯身につけるプラチナの指輪のような色の瞳も、なぜ告白を受ける前よりもこんなに綺麗に見えるんだろう。
「……こんな形でお別れなんて、嫌だよ。もっと一緒にいたい」
ヒアは視線を反らしたまま僕の胸に飛び込んできて、僕を痛いくらいの力で抱きしめた。
ヒアの整った顔が間近に迫っている。
「エル…… 顔、近いね」
抱きしめられた時よりさらにヒアの顔が近くにあった。いつの間にか、顔を近づけていたみたいだ。
ヒアもさらに顔を近づけてくる。
透き通るような銀色の瞳と、長いまつげがすぐそばにある。ヒアの腰まである銀髪からくらくらするような甘い香りが漂ってくる。
示し合わせたわけでもなく、僕とヒアの距離が縮まっていく。
僕たちは、キスをした。
そっと唇が触れ合うだけの、優しくて、甘いキス。柔らかくて、少し湿った感じ。それだけで脳がとろけてしまいそうになる。
でも、ヒアの涙の味が僕を現実に引き戻した。僕は今日ここを出て行くのだ。
僕はヒアの肩をゆっくりと押して、距離をとる。
「ふあぁ…… なんで……」
ヒアはキスを中断されて不満そうだ。
「もう一緒にはいられないから…… これで、終わりにしよう」
夢見心地だったヒアの表情が一瞬にして曇り、蕩けていた銀色の瞳に大粒の涙が溜まった。
僕はヒアの返事を待たずに村の外へ走っていった。
ヒアは、追ってこなかった。
いや、村を覆う結界のせいで追って来られなかった。精霊の一つが村の周囲に結界を張っていて、村の外へ出る許可を得た者もしくは精霊使いの素養がないと判断され、追いだされる者以外はその外に出ることができない。
ヒアと別れた後、僕は山道を歩いた。汗はどれだけ拭いても、後から後から出てくる。山道は日が落ちると急に冷えてくるはずだけど、精霊召喚のために相当な体力を使ったためか今日はいつもに比べて疲労が激しい。
今日は無理せずに野営することにした。
幸い数日分の食料と最低限の水は持ってきているし、村周囲の山の地形は熟知しているからどこで水が汲めるかも知っている。すぐに飢えることはないだろう。
山中の川は細く狭く、朽ちた枝や苔むした石が転がる中をわずかに水が流れているだけだ。そこで水を汲み、水筒代わりの革袋に水を入れ、周囲に落ちている枯れ枝を鉈で切って薪にする。
火打石で火を起こして種火を作ってから、枯れ草、細い枝、太い枝と順に火にくべていった。
火で干し肉と固いパンをあぶり、摘んできた山菜と干し肉で作った簡単なスープを飲みながらこれからどうするかを考えた。
とりあえずかねてから計画しておいた通りでいいだろう。北のドルトムントと言う町へ行って仕事を探す。十五で、精霊使いでも伝手もない僕にろくな仕事はあるとは思えないけれど、町では日雇いの仕事で食べている人が多いと聞く。
そうしてその日食べる分のお金を確保して、町にある浮浪者を収容する施設か馬小屋に泊まって、それから、それから……
その先がまったく予想できない。いつ食べていけなくなるかもわからない。村と違ってヒアのような顔見知りもいない。
未来がどうなるかわからないって、こんなにも不安だったのか。
考えているとどんどん不安になってくるので、落ち葉や枝を敷き詰めた上に布を敷きベッド代わりにした後、毛皮にくるまって横になった。屋根をつけていないから朝露で体が濡れるだろうけど、夏だから歩いているうちに渇くだろう。
目をつむるとかなり疲れがたまっていたのか、僕はあっという間に眠りに落ちていった。