2 酔いどれ執行部隊
五十三番街はそこらじゅうの壁に貼り紙がある。それらに目を取られていると、読んでいるそばから新しいものが貼られ、また剥がされていく。貼っていくのは依頼者、剥がしていくのは冒険者だ。通常、各都市の冒険者ギルド支部の掲示板に出される依頼書だが、モーンブルワークのように〈冒険者街〉と数多くのギルドが存在している都市では、このような無秩序なやり方が取られることも多い。もちろん貼り紙だけではなく、口頭や電話で伝えることもある。
帝都猟兵社はノヴィレグナ帝国に本部を置く老舗の冒険者ギルドであり、魔物の討伐を得意としていた。猟兵のトレードマークである、くすんだ灰色外套を纏った二人の男が、〈銀猫亭〉で昼間からジョッキを呷っている。王都キングスホールドより派遣されてくるはずの猟兵が、待てど暮らせど来ないので、宴会の様相を呈してきた。周囲では豪傑マンディヴィルをはじめとする第一ギルドの戦士たちや、驟雨兵団の風生まれたち、無限院のエルフたち、そして無職らしい近所の人や、ただ酒を飲みに来ただけのドヴェルなどが酒宴の真っ最中だった。
「帝国で新開発の空中戦艦が、ようやく完成したそうだ。〈アデレード〉と名づけられたらしい」エルフの猟兵が、連れにそう話す。
「向こうの皇女は傑物と聞いたが、空まで飛べるとはなぁ」エールを飲みながら、黒髪の男がそう返した。
「ちょっとした魔道士なら飛行は可能だよ。もっとも都市内じゃ、たいていご法度だがな。ああ、そのアデレード皇女だけど、婚約の噂があるんだ。相手はカイル殿下だとか」
「ギルドのヴァネッサが悲しむな、やっこさんは王子の大ファンだからなぁ。受付業務に支障を来さなきゃいいが。しかし〈牢名主〉よ、戦艦に妹が何人もできた日にゃ、いよいよ王国も危ないかも知れんぞ。またぞろ帝国は諸国統一の夢を見始めなきゃいいが」
「そうなれば、国へ帰るまでさ、〈白旗〉。どうとでもなる」
「国ってのはエルフの地のことかい? それとも」
「無論我らの本拠地、ノヴィレグナだ。まあしかしだ、まだ分からんよ。愛娘の嫁ぎ先を攻めるほど、皇帝陛下も横紙破りじゃないだろう」
「だといいがな」
「そうそう、もうひとつ面白い噂があるぞ」〈牢名主のガト〉はジョッキに半分ほど残っていた酒を飲み干し、言う。「この街に異世界よりの来訪者が現れたらしい」
「ほう、そいつはまた」チキンを口に入れながら〈白旗のビリー〉は気のない返事をする。「日々現れる目立ちたがり屋のひとりだろうな」
歴史上、何人も現れている〈輝ける者〉〈変革者〉〈異界人〉、そんな伝説に肖ろうとする者は後を絶たない。実際、冒険者たちもそうでない市民も、英雄に対してさしたる興味をもっているわけではないから、そういった自称英雄はたいてい無視される。冒険者にとって理想的なのはもちろん有能な同業者だし、市民にとって望ましいのは有能なのに加えて、あまり騒いだり奇行が目立ったりはしない、「まともな」冒険者だが、それがごく希少な存在だと知っているから、大抵の市民は冒険者を最初から厄介者扱いする。
もちろん歴史的に見れば、世界の危機と言っても過言ではない魔物の大侵攻を食い止めた勇者は何人も存在するが、最後にそういった英雄的な場面が繰り広げられたのは四百年も前の話だ――帝国とカルドランドの国境付近に大量に湧いた魔物を、帝都猟兵社の狩猟長アル・クックが討伐した包囲作戦――それ以来魔物は細々と湧いて出てくるだけで、人々は冒険者を単なる害虫駆除業者か、行方不明の猫を探す探偵程度にしか考えていない。
むしろ、冒険者が起こすトラブルのほうが目立っていた。今日も何人かが奇妙な少女に影を奪われたという事件があったらしいが、警察はいつも通り冒険者がらみとなるとたいてい見て見ぬふりだし、結局は同じ冒険者に金を払って解決を仰ぐこととなる。第一ギルド内には冒険者の犯罪行為を取り締まる執行部隊も存在しているが、彼らは怠惰で腐敗しきっているという悪名で有名だ。なにしろ今現在、隣のテーブルでまだ日も高いのに泥酔しているのが、その執行部隊の連中なのだから。
酒場で喧嘩が始まった。執行部隊は止めることさえせず、「そこだ、ほら殴れ! 何やってんだ! そんなんじゃゴブリンすら倒せねえぞ!」と煽っている。英雄ってのがいるのなら、真っ先にこいつらを懲らしめて欲しいな、とガトは思いながら、もはや新人を待つのを忘れて、新しい酒を注文した。