第3話 タイムトラベラー
カーテンの隙間から朝の陽の光が差し込んで、博士はもう夜が明けたことを知った。部屋は埃が飛んでいて、コードや金属片が散らばって足の踏み場もない。
「どうしたものか……」
博士は気づかない内に思いを口にしていた。博士の机には大きな銀色の球体が置かれている。その球体は上部にボタン、下部にデジタル画面があり、そこにランダムな時刻が表示されている。
博士は休憩がてら、机を離れて机の横のホワイトボードに書かれている計算式を見た。それはアインシュタインの時空連続体に関する計算式だ。
「合っているはずなのに、なぜうまくいかん。」
博士は頭をひねる。博士はこの時空連続体の応用に関する分野のパイオニアだ。今回の研究は時空連続体を応用したタイムトラベルを実現することだ。研究は何度も暗礁に乗り上げたが、博士は挫折せず、あと一歩のところまでこぎ着けたのだった。
「うまくいっているはずなのだがなぁ……。」
試しに博士は銀色の球体のボタンを押してみる。何も起きない。計算式の通りなのであれば、時空に歪みが生じて、別次元に繋がるはずなのだ。
博士はホワイトボードに書かれた計算式を名残惜しそうに消していく。
「間違っているとは思えないのだがなぁ……。」
何も起きないと言うことは間違っているのだ。しかし、博士もこうした挫折は何度も経験している。へこたれない。
「喫茶店にでも行くか。」
あくび交じりに独り言つ。博士は集中すると、思っていることを口にする癖がある。
博士は顔を洗い、服を着替える。といっても、持っている服は白衣しかないが。博士は白衣を羽織ると、研究室を出ようと部屋を横切った。その時、床にあったコードにつまずいて転んでしまった。
昼を過ぎると、人の出入りも落ち着いて、おとぎ喫茶のアルバイト真蛭間彰吾も休むことができた。店内にはお客はおらず、落ち着いて掃除できる時間帯だ。
カランコロン。
入ってきたのは、ごましお博士だった。もちろんごましおというのは、彼の愛称で、そう呼ぶのは彼の風貌、立派な黒髪にぽつぽつと白髪が混じっているからだ。
ごましお博士はなにやら大きな銀色の球体を抱え込んで店内に入ってきた。
「お久しぶりです。研究は順調ですか?」
「順調もなにも、やっとタイムトラベルの機械は完成したよ。」
ごましお博士はカウンター席に座ると、そう言った。
「完成したんですか!」
彰吾は思わず大きな声を出す。当然だ。みんなの夢のタイムトラベルが完成したのだから。
「そう大声を出さないでくれ。徹夜に響く。コーヒーをくれないか?」
「コーヒーはないですよ。」
笑いながら、彰吾は答える。ごましお博士はこの店の常連客なのに、どうやらメニューを勘違いしているらしい。
「頼むよ。なんだったらタイムトラベルを見せるからお願いだよ。」
少し考えると、ごましお博士は言った。彰吾は困った様子を見せながらカプチーノをミルク抜きで提供してあげた。
「ありがとう。やっぱり徹夜明けにはこれが欠かせないよ。」
博士はコーヒーを味わって飲む。博士笑って言った。
「本当にタイムトラベルが出来たんですか?」
彰吾はおずおずと聞いた。頭のいいごましお博士のこととは言え、とても実現できるものとは思えないからだ。
「出来たんだよ。なんなら、さっき未来に行ってきたよ。」
ごましお博士は信じられないと言った様子の彰吾を眺めながら、クックックッと笑った。
「担がないでくださいよ。タイムトラベルを教えてください。」
「分かったよ。」
ごましお博士は座り直し、顔の前で両手を組んだ。
「まず、タイムトラベルと言っても種類がたくさんある。時間を戻ったり、時空を超えたり、次元を超えたり。今回、実現したのは時空を超えたんだ。簡単に説明すると……。」
ごましお博士は両手を彰吾の前に出して、どっちか選んで? と言った。彰吾は戸惑いながら右手を選んだ。こう真面目なごましお博士は初めて見る。
「今、右手を選んだ。なんとなく。でも、可能性として左手を選んだ世界線もあるはずだね? その有り得た世界線の扉を開けるのが、僕のタイムトラベルって訳なんだ。」
ごましお博士は話終わると、コーヒーを飲んだ。
「じゃあ……過去に戻るみたいなことではない?」
「そうだね。がっかりさせたんだとしたら、すまない。」
「そんなことは。」
彰吾は手を振って答えた。
「その、大きい球は何ですか。」
「察しが悪いね。これがその時空の扉を開ける鍵さ。」
彰吾は感嘆の声を漏らす。説明されてもよく分からなかったが、とにかくすごいものなのだろう。
「へんてこな機械ですね。」
「そう言うなって。このボタンがタイムトラベルのスイッチ。ここの時刻が宛先の時間軸って訳さ。」
「へぇ。」
彰吾は子供じみた好奇心でボタンへ手を伸ばす。
「おい、止めろって。機械は繊細なんだ。全く。」
ごましお博士はそう言った。
「ちょっとトイレ行ってくる。くれぐれも機械に触るなよ。」
ごましお博士は言った。ごましお博士はトイレと逆方向へ行ったので、
「トイレはあっちですよ。」
彰吾は言った。だいぶ疲れているらしい。
残された店内には彰吾一人きりだった。彰吾はトイレの方を伺いながら銀色の球体に手を伸ばす。これがタイムトラベルの鍵。彰吾はまだ二十代だが、人生の失敗を一つでも消せるのなら、そうしたい。思わず彰吾はボタンを押した。
しばらく待ったが、何も起きない。バックトゥザフューチャーのように、ここが切り取られて未来や過去に行くものだと考えていたが違ったらしい。今回もごましお博士に担がれたらしい。
カランコロン。
「おい!」
扉を開けるや否や白衣を着た男が来た。彰吾はびっくりしながら男を見る。
ごましお博士だ。
「ここに僕が来なかったか!」
「はい……?」
「馬鹿野郎! そいつは未来の犯罪者だ!」
ごましお博士は言うと、大通りの方へ駆けて行った。
ごましお博士はトイレから帰ってきた。
「どうした?」
ごましお博士は不思議に言う。
「いえ……。」
彰吾は言うが、なんだかよくわからない。
「もしかして、機械に触っただろ!」
と、ごましお博士は怒り始めた。
「すみません。」
彰吾はとにかく謝ることしかできなかった。
ごましお博士は自分の研究室に戻る。喫茶店の男にタイムトラベルの機械を触られたのは予想外だったが、とにかく盗まれなくてよかった。ごましお博士は安堵する。
玄関を開け、明かりをつける。部屋の中央にはごましお博士が頭から血を流して倒れている。転んだ拍子に頭をぶつけたらしい。
「自分の死体を見るのはゾッとしないな。」
ごましお博士は独り言つ。
「誰だって良からぬことを考えることはある。それが僕だったわけだ。」
別次元から来たごましお博士は癖も何もかも同じだった。




