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不器用なお年玉




彼は一瞬不思議そうな顔をしたけれど、すぐに車から降りていった。


降りる前に運転席の窓を閉めてくれたのは、中にいる私が寒くないようにとの心遣いだろう。

彼自身は降りる際にコートを着ていた。



暖房が効きはじめたおかげで車内は寒くなかったが、その音が邪魔をして、彼と母の話し声はまったく聞こえてこなかった。



気になって仕方なかったが、涙が乾ききっていない顔を母に見せるのは躊躇われて、私はおとなしく助手席で待つことにした。




しばらくすると、運転席の扉が開いて、


「それでは失礼します」


「運転気をつけてね」


「ありがとうございます」


と、二人の会話が聞こえてきて、彼が運転席に滑るように乗り込んだ。



そしてすぐに車は発進した。


ドアミラーを見遣ると、母がこちらに手を振っていた。



その姿も見えなくなった頃に、私は口を開いた。


「お母さん、なんだったの?」


すると彼は前を向いたまま、「んー・・・・」


と、勿体ぶるような返事をしてきた。


「なんの話だったの?」


私がもう一度尋ねると、ちょうど信号で停止し、彼が私の方を見た。


「美咲さんの名前の由来だよ」


「・・・・・?なにそれ」


思ってもいない返答に、思わず変な声が出てしまった。

けれど彼はいたって普通に、


「だから、美咲さんの名前の由来についてだよ」


と、同じ答えを言った。


「・・・・・お母さん、わざわざそれだけを言うために急いで家から出てきたの?」


「それだけ、ではないけど・・・・」


言い淀む彼に、私は「じゃあ他にはなんの話したの?」と追及した。


車はまた走り出し、大通りの流れに混ざった。

彼は進行方向を見つめたまま、


「色々だよ」


と言った。


「色々って・・・・」


「美咲さんの名前は、美しく咲くように、って意味じゃなくて、周りの人や物を美しく咲かせるように・・・って意味だったんだね」


「そうだけど・・・」


それが何だというのか。

私は彼の話の先がまったく読めなかった。


「そうそう、美咲さん、僕に嘘吐いてたでしょ」


唐突にそう言われて、私はますますわけが分からなくなった。


「嘘?そんな覚えないけど・・・・ねえ、いったい何の話をしてるの?」


「美咲さんが実家を出て一人暮らしをするきっかけのことだよ。美咲さん、なんとなく一人暮らしに憧れがあって・・・とか言ってたでしょ?あれ、本当は違ったんだね」


彼がちらりと視線をこちらに投げて、私はドキリとした。


「・・・・・そんな昔の話、もうはっきり覚えていないわよ」


私が窓の向こうに流れる景色を見ながら答えると、彼はクスッと笑った。


「お母さん、・・・・いや、お母さんだけじゃないな、お父さんも、本当の理由に気付いてらっしゃったよ。結婚したお兄さんご夫婦のために違いないって。美咲はそういう子だって。自分のことよりもいつも周りの人のことを思い遣ってしまう、名前の由来通りの子だって」


いい歳した娘に対して ”子” 呼ばわりしなくても・・・・


そう突っ込みたいけれど、彼が「僕はそんな美咲さんが大好きだよ」なんて言ってくるから、何も返せなくなった。


「でもね、だから、お母さん、すごく驚いてしまったんだって。そんな、自分よりも他の人を思い遣る美咲さんが、今日、はじめて自分を押し通そうとしたって・・・・・」


どこか遠慮がちに話を続けた彼に、私はハッとして振り向いた。


彼は運転しながらも横目でこちらを見て、僅かに目が合った。


「・・・・・それは、お父さんも同じだったらしい。美咲さんが言い返してきたのが、びっくりして、それで二人とも僕達を追いかけることもできなかったんだって」


でもそういう僕だって、あんなに大声出す美咲さんははじめてでびっくりしたんだけどね。


付け加えた彼の口調が、ずいぶん軽やかなものになっていた。


「それでね、これを預かったんだ。美咲さんに渡してほしいって・・・・」


そう言った彼は、コートのポケットから何かを取り出して私に差し出した。

それは、アニメのキャラクターが描かれたポチ袋だった。

おそらく、兄の子供にお年玉をやるときに使った物の余りだろう。


私は訝しむ気持ちと共に受け取った。


こんなに膨らんだポチ袋を見たことがないと思うほどに厚みがあったのだ。


「なに?これ・・・・」


「僕も知らない。中身は聞いてないから。でもお母さんが、見たら美咲は分かるはずだって・・・・」


まさか少し遅れたお年玉でもないだろうにと、私は解せない気分で封を開けた。


そして袋の両側を押さえるようにして中のものを取り出すと、それは、小さな紙の束だった。



いったい何だろう、と、そこに記された文字を見たとたん、私は、両手で口元を覆っていた――――――――――――



「・・・美咲さん?美咲さん、どうしたの?!」


彼が運転席から心配そうな声をかけてくれるけれど、私は胸がいっぱいになり過ぎて、どうしようもなかった。



堪えようとしても言うことをきかない涙腺が、どんどん涙を溢れさせて、流させて、


私はその紙の束を胸に当てながら、むせび泣いていた。



「美咲さんってば!どうしたの?!」


心配が頂点になったのか、彼は慌てて車をコンビニの駐車場に入れると、サイドブレーキを引いた。


そして私の背中をさすりながら、


「美咲さん・・・・?」


今度は優しく名前を呼んでくれた。



その声に反応するように、私はゆっくりと顔をあげた。


すると、彼の少し戸惑ったような瞳とぶつかった。


彼はティッシュを何枚も手に取ると、私の頬をぽんぽん、と叩くようにして拭いてくれた。


「・・・・・どうしたの?・・・何が、入ってたの?」


少し控えめに訊いてくる彼。


私はそっと、紙の束を見せた。


「・・・僕が読んでもいいの?」


手紙と勘違いしたのか、彼はそう尋ねて、私が頷くと、束を受け取った。



「・・・・・・これって・・・・」



はじめは恐る恐るといった感じだったのに、一枚、二枚・・と束をめくっていくごとに、彼の表情もみるみる変わっていった。


そして、


「美咲さん!今すぐご実家に引き返そう!」


彼にしては珍しく、大声で告げた。


けれど私は、サイドブレーキをおろし、今にでも急発進させようとする彼の腕をつかまえて、「待って!」と止める。


「お父さん、・・これを渡してきたってことは、たぶん、今は照れくさくて私達と顔を合わせたくないんじゃないかな・・・。無表情で、なに考えてるのか分かんないとこもあるけど、シャイなところもあるから・・・・。だから、今日はこのまま帰ろう?」


私がそう言うと、彼は少しだけ間をとって、そしてその後なぜだかものすごく幸せそうに笑った。


「そっか・・・。美咲さんがそう言うなら、きっとその方がいいんだろうね。じゃあ、帰ったら二人で一緒にこのお年玉のお礼の電話をしようか」


彼は笑ったまま、紙の束を私に返した。



それから車をゆっくりとバックさせると、コンビニの駐車場を出たのだった。




車が道路に出てしばらくすると、彼がこんなことを口にした。


「ねえ美咲さん、ちょっとだけ、情けないこと言ってもいい?」


「・・・・なあに?」


「僕、実はさっき、嬉しかったんだ」


「さっきって?」


「美咲さんのお父さんに反対されて、美咲さんが反論してくれたこと」


「ああ・・・・うん・・・」


「ここから情けない話になるよ?・・・本音を言えば、僕はずっと、不安だったんだ。僕が告白するまで美咲さんは僕のことなんか意識もしてなかったでしょ?告白した後だって、何だかんだで僕が迫りきって美咲さんを頷かせたようなものだし、付き合ってからも美咲さんは僕に甘えたりワガママ言ったりしなかった」


「それは・・・」


「いいから、とりあえず最後まで話を聞いて?・・・美咲さんが、自分は年上だからって色々気にしてたのは知ってるんだ。だから甘えてくれないんだ・・とか、僕が年上ならもっと頼ってくれたのかな・・とか考えたりもしたけど、どうしても年の差は埋まらないでしょ?だからそれはしょうがない。僕はそんなことよりもっと気になってたことがあったからね。それは・・・美咲さんの気持ちだよ」


私はドキリとして、彼を見つめた。


すると彼は ”心配しないで” とでもいうように、小さく笑顔を向けてくれた。



「美咲さんはさ、それこそ名前の由来通り、自分よりも他の人を優先するような、優しくて・・・・ちょっとお人好しなところがあるから、辛抱強く頑張ったら僕に情を持ってくれるかもしれない。そうしたら付き合ってくれるかもしれない。僕はそんな風に計算して、美咲さんに接していたんだ。だけどそれは、片想いしたことがある人間なら皆ちょっとは経験したことだと思うから、特にやましいことをしたとは思ってない。・・・だけど、自業自得っていうか・・そんな始まり方だったから、僕は常に美咲さんの気持ちに対して不安を抱えなくちゃいけなかったんだ。僕のことを好きになってくれたかな?僕のこと嫌いになってないかな?って・・・。おまけに周りには秘密にしてたから僕は誰にも美咲さんの相談や惚気話や自慢話ができなくて、仕方なく家族に美咲さんの話をしまくってた」


そのとき車が右折レーンに入って速度を落とすと、一旦、彼が話を置いた。


車内に沈黙が流れたが、不思議と、心地よいものだった。



そしてきれいに右折した後、また彼が話し出した。


「・・・・だから、プロポーズの返事をもらったときは、信じられなかった。まだどこか、美咲さんの気持ちを感じきれていない部分もあったから。だから本当に情けないんだけどさ、ご実家にご挨拶に伺って、もしご両親に反対されたら、優しい美咲さんのことだから、やっぱりこの結婚はできない、なんて言い出すんじゃないかって・・・そう思ったら夜も眠れなくなって、とにかくめちゃくちゃ不安だったんだ。でもさっき、美咲さんはお父さんに対してあんな風に言ってくれてさ、たくさん、僕のために・・・僕との結婚のために泣いてくれて、僕、死ぬほど嬉しかった。ちゃんと美咲さんは僕のことを好きでいてくれてるんだって、痛いほど分かったから」



彼の横顔は、本当に嬉しそうだ。



私は彼を不安にさせていたことに申し訳なさも感じたが、それ以上に、この上なく嬉しそうな彼の横顔に見惚れていた。


すると彼は前を向いたまま、私の頬を手の甲で撫でてきた。



「そんなに見つめないで。恥ずかしいから」


言うほど恥ずかしそうではないが、彼のその行為になんだか私が照れてしまう。


「・・・・でもさ、そういう意味では、さっきお父さんに反対されて、ちょっとよかったのかもしれないね。あのとき美咲さんがお父さんに自分の気持ちをぶつけたおかげで、僕は美咲さんの気持ちをちゃんと知れたわけだし、お父さんもはじめて見る美咲さんの態度に心動かされて、それでそのお年玉を渡してくださったわけだからね」


そう言いながら、彼はスッと私が持っている紙の束に視線を送った。



「・・・・・・そうね。もの凄く不器用なお年玉だけどね」



私が半分照れ隠しの突っ込みを付け加えると、彼もクスリと笑った。






父が母に託した、不器用なお年玉・・・・・





それは、私が子供の頃に父に贈った ”なんでも言うこときく券” だった。

よくある ”肩たたき券” とかの類だ。

誕生日だったか父の日だったかは忘れてしまったが、名刺くらいの大きさの紙に、



期限→死ぬまで

使える人→お父さん

言うこときく人→当麻美咲



と、丸文字で書かれている。

子供のときの私の字だ。


中央部分は空白欄で、そこに依頼内容を書くようになっていた。



生意気にも、当時覚えたての ”コピー可” という言葉も追加されていて、おそらく父は何枚もコピーしていたのだろう。


けれどそれは、贈ってからもう三十年ほど経つというのに、今まで一度も使われたことはなかった。




なのに、今手の中にあるその一枚一枚に、父の走り書きが記されていたのだった。


いつもはきちんとした文字を書く父の、読めるか読めないかぎりぎりなくらいの、乱れた字で。




”みさきが元気でいること”

”みさきが笑っていること”

”みさきが悲しまないこと”

”みさきが泣かないこと”

”みさきが自分の気持ちに正直でいること”

”みさきがやりたいことをすること”

”みさきがガマンしすぎないこと”

”みさきが楽しくいること”

”みさきが好きなことをできること”

”美咲がしあわせになること”


”美咲が、さかきばら君としあわせになること”





不器用なお年玉は、これまでの人生の中で一番想いの込められたお年玉だった。





「・・・・・美咲さん?今度ご実家に改めてご挨拶に伺う時は、新しい ”なんでも言うこときく券” を作って持って行こうよ。そこの美咲さんの名前のところを僕達二人の連名にしてさ。お年玉は目上の人には失礼だから、何か別のラッピングして。どうかな?」



運転席から楽しそうに提案してくる彼。



そんな彼に、どうしてか私は、たまらないほどの愛情を感じた。この人が本当に好きだなと思った。



「うん、そうしよう。あ、それじゃ湊くんのご両親にもお渡ししたいな・・・。いきなりだったら驚かれるかな」


「じゃあ、今日のことをうちの親にも話しておくよ。それなら驚かないんじゃないかな?むしろ、めっちゃ喜ぶと思う」


「それじゃあ、お願いします。あの・・・・・湊くん?」


「うん?」



「・・・・大好きだよ」



私がそう言うと、彼はとてもとても驚いたような顔をして、でもすぐに、私が困ってしまうくらいの甘い甘い微笑みを返してくれた。



「僕もだよ」




まだ新年を祝う気配が残る風景の中、私達は同じ気持ちで同じ方向を見つめて走り出したのだった―――――――――――










(了)






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