空の現場へ①
「おはようございます。今日の『教えて!お天気』のコーナーは、こちらの質問をご紹介します」
日本エアウェーブ(JAW)の朝の情報番組『モーニング・ブリーズ』の気象情報で、小林優花が爽やかな笑顔を振りまいていた。
「東京都にお住いのペンネームかんちゃんさんからです。『どうして春には雨が多いんですか?』というお葉書です。いい質問ですね。確かに、せっかく暖かくなってきたのに、雨が降ってお外で遊べない日があると、ちょっと残念な気持ちになりますよね。その理由を、わかりやすくお話しします!」
画面中央のスクリーンが、イラストに切り替わった。オレンジ色の空気の絵と、水色の空気の絵が、向かい合って押し合っている。
「冬の間、日本の上空は冷たい空気で包まれていました。でも、春になると南の方から「よーし、あったかくするぞ!」と、暖かい空気がやってきます。この『冷たい空気』と『暖かい空気』がぶつかると、空気の渦ができて『低気圧』という雨雲のかたまりが生まれるんです。春は、この二つの空気が『どいて!』『いやだ!』とケンカをしながら交互にやってくるので、雨が多くなるんですね」
今度は子供が空を見上げると、太陽と雲がそれぞれ走っているというイラストが出てきた。子供はあわただしくその二つを交互に見ている。
「春のお天気には、おもしろい特徴があります。西から東へ、『晴れのカタマリ(高気圧)』と『雨のカタマリ(低気圧)』が、まるで自転車をこぐように順番に通り過ぎていくんです。だから、春は『昨日はあんなに晴れていたのに、今日はもう雨?』というふうに、コロコロとお天気が変わりやすいんですよ」
最後に、雨を浴びて花や木が笑っているイラストが出た。
「春の雨は、木や花たちが元気に育つための魔法の水でもあります。雨が降るたびに、どんどん緑がきれいになっていくんですよ。朝、晴れていても急に雨が降ることがあるので、お出かけのときは折りたたみ傘をランドセルに入れておくと安心ですね!以上、『教えて!お天気』コーナーでした!かんちゃんさん、ご質問ありがとうございました!それでは、本日の気象情報をお伝えします」
画面が天気図に変わり、通常の気象情報になる。優花は笑顔を絶やさないものの、目が微かに光った。
「本日は高気圧に広く覆われ、全国的に安定した晴天となる見込みです。日中の気温も上昇し、多くの地点で春本番の暖かい陽気となるでしょう。しかし、この晴天と気温の上昇に伴い、全国的にスギやヒノキの花粉が非常に飛びやすい条件が揃っています。特に、お昼前後や夕方の気温が下がる時間帯は、空気中に舞う花粉の量が増える傾向にあります。花粉症の方は、外出時のメガネやマスクの着用に加え、衣服に付着した花粉をしっかり払い落としてから室内に入るなど、万全の対策を心がけてください。それでは、今日の各地の予報です」
西から順に各地の三時間おきの天気と最高気温が表示された。各地域ごとを簡潔に伝えた。その後簡単に週間予報を伝えると、
「以上、気象情報でした。皆さんの今日が、いいお天気でありますように」
爽やかな笑顔のアップで、コーナーが終わった。
「小林君も、すっかり『朝の顔』だな」
リビングでテレビを見ながら、近藤敏樹が呟いた。
「ええ。すっかり板についたわ」
隣で妻の藤堂玲奈が、どこか誇らしげに微笑んだ。
「君の教育の賜物だろう」
「ううん。あの子の努力よ。実際、私、しばらく現場離れていたし」
少しだけ、言葉が途切れた。
「いよいよだな。無理するなよ」
「うん」
短く返した後、玲奈はテレビに視線を戻した。
画面の中で、優花は迷いなく言葉を紡いでいる。
――もう大丈夫だ。
そう思う気持ちと、
――私の場所は、まだあるのだろうか。
という思いが、同時に胸の奥に浮かんだ。
「ママ、ほいくえん」
玄関で娘の玲美が声を掛けた。
「ああ、はいはい。靴履きましょうね。行ってきます」
「俺も出る。一緒に行こう」
「うん」
三人は玄関を出ると、玲美を挟み手を繋いで歩き出した。
「お疲れ様。小林さん」
番組終了後、笑顔でプロデューサ―の畠山耕作が近寄った。
「お疲れ様です」
「いやあ、今日もわかりやすい解説、ありがとうございます。SNSでも、早くも大好評ですよ」
畠山がスマホを見せ、「#小林優花」のついたSNSを見せる。
「こんなに……」
優花が画面を見つめる。
そのとき。
(ん……?)
賞賛の言葉が並ぶ中、一瞬、優花の目が真剣になった。
「どうされました?何かアンチコメントでも?」
「いえ、違います。ありがとうございました」
優花がスマホを畠山に返した。
「いやあ、『イブニング・スカイ』のときもわかりやすいと評判でしたけど、こっちに移ってから、更に磨きがかかりましたね。プロデューサーの宮本さんからも『小林君、返してよ』と言われちゃいましたよ。『嫌ですよ』と言っておきましたけど」
畠山がはっはっは、と豪快に笑った。
「宮本さんが……光栄です」
「これからもよろしくお願いしますね」
「はい!」
丁寧にお辞儀をする優花に、畠山は笑顔で頷いた。
私服に着替え、テレビ局を出ると、そのまま歩いて数分の勤務先、アトモス気象研究所に向かった。
「お疲れ様です!」
元気に挨拶して室内に入ると、奥の方に藤堂玲奈がいた。周りを人が囲んでいる。
「優花!」
玲奈が嬉しそうに手を振った。
「玲奈さん!お久し振りです!復帰おめでとうございます!」
優花が玲奈に駆け寄って、手を握った。
「ありがとう。しかし、優花、今日は直帰だったんでしょう?わざわざ寄らなくても、また会えたのに」
優花が首を振った
「いえ、用事もありましたから……」
「そう。ああ、その服……」
玲奈が優花の着ているワンピースを指差した。
「これでしょ?私が『イブニング・スカイ』の気象コーナー担当になってすぐ、玲奈さんからおさがりでいただいたものです。覚えていました?」
「うん。まだ着てくれていたんだ」
「はい。この色、空の色みたいじゃないんですか。気に入っているんです」
優花が嬉しそうに両肩を摘まんだ。
「ゆーちゃん、本当に玲奈さんが戻ってくるの、毎日楽しみにしていたもんね」
後ろから坂本志保が近寄ってきた。歩くたびに、パーカーのフードが揺れる。
「もう。志保さん。それ、言わないでって、言ったじゃないですか」
優花の頬が少し膨れた。
「まあまあ」
志保が優花の肩に手を回した。玲奈が笑っている。
「それより、今度、上級主席研究員に就任したんですよね。おめでとうございます」
「ありがとう。まあ、そんなにやること変わらないかも」
「いえいえ、変わりますよ」
玲奈のそばにいた、玲奈の後を継いで主席研究員を務めている沢村美咲が手を振った。
「だって、海外の研究員との共同研究とか、やることがより専門的になりますもん。私にはまだまだ遠い世界です」
「でも、現場も頑張るわよ」
玲奈は胸を張った。
「ありがとうございます。でも、私たちに任せることは任せてください。玲美ちゃんのお世話もあるし」
「そうですよ!」
優花も美咲に続いた。
「美咲さん、玲奈さんのかわりにうんと頑張っていました。どうか、玲奈さんは玲奈さんのことに集中してください」
「優花も頑張っています。そうしてください」
玲奈は少し勢いに押されながらも、小さく頷いた。
「……ありがとう」
(あれ……?)
「それとは別に、玲奈さん、ご相談ですが」
優花が真顔になった。
「何?」
「これなんですが」
優花がスマホを取り出し、SNSを開いた。
「あら、優花。あなたのハッシュタグ、凄い人気ね」
「それではなく」
優花がひとつのSNSの画面を開いた。
画面には、街路樹が大きく揺れる画像がアップされていた。「今日は風が強く、自転車も一苦労だった。天気予報では言っていなかったけど」とコメントが掲載されている。
「この人は横浜在住のようですけど、この日にこの周辺で風が強いというデータはないはずです。これは何でしょう?」
優花の声は穏やかだったが、その視線は鋭かった。
「うーん……」
玲奈も画面を見ながら首を傾げる。
「確かに変ね」
「ここ、知っています」
後ろから画面を覗き込んでいた志保が言った。
「私、再来週、この近くのマラソン大会に出場予定なんです。確かに、この近辺で風が強かったことは、私の知る限りではないですね」
志保がすぐに自分の席に戻り、パソコンのデータをいくつか確認した。
「やはり確認できませんね」
「そう」
玲奈が腕を組んだ。
「確か、そのマラソン大会も含め、この近郊で三件イベントの気象サポートの仕事が入っているのよ。それにも影響があるかもしれないから、無視できないけど……」
「私、調べてみます」
優花が手を挙げるのを、玲奈が掌を差し出し止めた。
「優花、あなた、今日はもう仕事終わりでしょう?あなたはもう帰りなさい。後は私たちがやるから」
その声は、逆らえない種類の静けさがあった
「そうだよ。ゆーちゃん。自分がさっき玲奈さんに言ったこと、覚えている?」
志保も横から頷いた。
「……わかりました」
「お疲れ様。また明日からもよろしくね」
玲奈が優しく微笑んだ。
「はい!」
優花は元気に返事をすると、「失礼します」と言って扉に向かった。
(会議でもずっと下を向いていたあの子が、こんなに頼もしくなって……)
少し伸びた髪と、後姿の腰にあるリボンが揺れていた。
(けど、優しさは変わらない)
――それが、少しだけ遠く感じた。
玲奈は鼻で小さく息を吐くと、少し微笑んだ。
「で、この件だけど……」
玲奈が言おうとしたとき、志保が手を挙げた。
「私、午後からこの場所に行きます」
「え?」
「場所の見当は付きます。現場で確認します」
隣の美咲が頷いた。
「うん。志保、よろしく。松岡君、付近の地形や建物との関連性を調査して。井手君、あなたは海水温や潮流の変化の調査よろしく」
「はい」
「わかりました」
松岡亮太、井手竜太郎の二人がすぐに配置につく。
「じゃあ、私は明日からの『イブニング・スカイ』の取材打ち合わせで日本エアウェーブまで行くから。明日の会議で発表できるようにしておいて」
美咲はそう言うと、足早に部屋を出た。
玲奈が取り残された格好になった。
(私、何をしたらいいんだろう……)




